金色の龍は、黄昏に鎮魂曲をうたう

04


「―――アオ」

 村の外れ。蒼影牙の結界と村の外へ続く小道との境界線。そこでその名を呼んだオレの前に珍しそうな面持ちで蒼い物の怪が現れた。

「どうした? お前が私を呼ぶとは……気でも変わったのか?」
「ちげーよ」
「では何だ」

 あからさまにムッとした表情になるアオ。だったら呼ぶな、と言いたげな雰囲気だ。

「……実は、物を失くしちゃってさ。客間も村長の家ん中も探したし、通った道も歩いて探してみたんだけど、見つからないんだよ」
「お前、まさか私にそれを探せと―――」

 ブチ切れる五秒前、といったオーラを醸し出すアオ。オレは慌てて目の前で両手を振ってみせた。

「違う違う。サチを探しに村の外に出た時に落としたのかもしんねーから、それを探しにちょっと出てくるって言いたかったんだよ。逃げたってお前に誤解されて、殺されたりしたらシャレにならねーから」
「何だ、そういうことか……」

 納得しかけたアオは次の瞬間、目を剥いて怒り始めた。

「何だと!? お前また、村の外に出るつもりなのか! だからこんな場所で私を呼び出したんだな!」
「だから、そう言ってんじゃん。とりあえず、報告はしたからな。じゃ!」
「あっ、コラ! 彪、貴様……!」

 制止しようとするアオを振り切って、オレは村の外に駆け出した。

「多分すぐ戻っから!」
「こ……このガキめっ!」

 カンカンになった蒼い炎が、湯気を吹き出しかねない勢いで空中を踊っている。

 こりゃー帰ってから、まぁたひと悶着だな……。

 それを確信してげんなりしつつ、オレは目的の場所へと急いだ。

 今日は着物じゃなくて自分の服だから動きやすい。洗いたてのジーンズがちょっとごわついているけど。

 腰には那由良から借りた麻のウエストポーチもどき。物を失くしたっていうのは、もちろん真っ赤な嘘だ。

 もう一度あの小川へ行って―――あの不思議な現象が起こるのかどうか、確かめてみたかったんだ。

 息を切らせてその場所にたどり着いたオレは、呼吸を整えながら小川の縁に片膝を付いて水面を覗き込んだ。

 どんな形でもいい―――那由良が、水に触れていますように。

 祈りながら、オレは透明な水の流れに手を伸ばした。

 那由良……!

 心地良い音を立てて流れる清流に、なかなか変化は現れない。じりじりするような気持ちでオレはしばらく水に触れていた。

 ―――くそ……ダメ、か……?

 あきらめかけたその時―――背後で草を踏む気配がして、ハッと振り返ったオレは息を飲んだ。

 白い着物を着た少女がそこに立っていたからだ。

 腰の辺りまで流れる、艶やかな黒髪。長い睫毛に縁取られた、凛とした黒の瞳。

 那由、良……。

 驚きに目を見開くオレの前で、彼女は静かにオレの名前を呼んだ。

「彪……」
「―――那由良!」

 彼女が確かにそこにいるのだと認識した瞬間、嬉しくて嬉しくて、オレは喜びを爆発させ、両手を広げて、勢いよく彼女に抱きついた。

「那由良……!」

 無我夢中だった。

「どうしてここに? まさかこうしてまた会えるなんて―――」

 笑顔で彼女の顔を覗き込んだオレは、その時になって、ようやく自分がとんでもないことをしてしまっている事態に気が付いた。

 綺麗な瞳を瞠って、那由良がオレの腕の中で硬直している。

「……あ! ゴメン」

 オレは慌てて彼女を閉じ込めていた腕を離した。

 うわ、何やってんだオレ!

「マ、マジゴメン。嬉しくって、つい……」

 おたおたするオレの前で、地面に視線を落とした那由良はぽつりとこう呟いた。

「……嬉しかったの?」
「まさか、こんなふうにして会えるなんて思ってなかったから……」

 そう弁明しながらオレは那由良の顔色を窺った。彼女はもう、いつもの表情に戻っていた。

 良かった……怒っては、いないみたいだな。

 衝動的な自分の行動に驚きつつ、そんな彼女の様子にホッとして、オレは心の中で汗を拭った。

 マジで自分にビックリだ……あんなふうに、女の子を抱きしめるなんて……。

「どうして、ここに?」

 改めて那由良にそう尋ねると、彼女は顔を上げてこう答えた。

「昨日、彪の声が聞こえた気がして……気配をたどっていくと、この辺りから何かを感じたんだ……それで」

 それで……ここに、来てくれたのか……。

 じーんと小さな感動に浸るオレに那由良が問いかける。

「お前こそ、どうしてここに……? 外界へ、戻ったんじゃなかったの?」
「いや……それがさ。オレ、那由良が思っていた以上にヘタレだったみたいで」
「へたれ?」
「あ、えっと……臆病っていうか」

 熟語にすると意味がより明確になって、我ながらヘコむな……。

 自分の言葉に少々落ち込みながら、オレはあれからの経緯を手短に彼女に説明した。

「そう……。もう少し、分かりやすく説明してあげれば良かったね……。あの霧は、見る者の心の闇を映し出すんだ。一番怖いと思うものを、見せるようになっているんだよ……」
「いや……詳しく説明してもらっても、多分、同じコトになっていたと思う」

 そう言って、オレは自嘲気味に笑った。

 今思い出しても全身から血の気が引く、あのリアルな戦慄。自分の心が作り出した幻だとはとても思えなかった。

「それで―――今は、あの村にいるの?」

 尋ねる那由良の声が硬さを帯びる。それに気付かず、オレは頷いた。

「あぁ。とりあえず今は村長の家で世話になってるんだ」
「村長の……」
「うん。みんな親切でさ。よくしてもらってるよ」

 それを聞いた那由良は口をつぐみ、ふぃっとオレから視線を逸らした。

「? 那由良?」
「早くこの地から立ち去った方がいいよ。ここからあの川までの道を教えてあげるから」
「―――いや、それがさ……そういうワケにもいかなくなっちゃって」
「え?」
「実は……」

 言葉を選びながら、オレは那由良に事情を説明し始めた。

「那由良……蒼影牙って、知ってる?」

 気のせいか―――彼女の瞳が、少しだけ鋭さを帯びたような気がした。

「……知ってるよ」
「その蒼影牙にくっついてた、蒼い物の怪のコトは?」
「蒼い物の怪……?」
「両掌に乗るくらいのサイズ……大きさでさ、キツネみたいな、イタチみたいな顔をした、蒼い炎の化身みたいなヤツ。額に二本の角があって、悠然とした偉そうな物言いするクセに気が短い、水を操るチカラを持ったヤツなんだけど」
「水を操るチカラ……?」

 那由良の顔にハッキリと懸念の色が現れた。

「知らない……それが、どうしたの?」
「いや……ソイツがさ、蒼影牙の側で深い眠りについていたらしいんだけど、何でか那由良から借りたコレに反応して目覚めちまったみたいなんだよな」

 オレはそう言って腰に巻いている麻のウエストポーチもどきを指差した。

「ソイツ、記憶を失ってるみたいでさ。記憶を取り戻す手掛かり、って、コレを持ってたオレに執着してるんだよ。だから、もしかしたら過去に那由良と何か関係があったのかなって」

 それを聞いて、那由良は何かを察したらしい。まじまじとオレの顔を見つめ、頬にそっと手を伸ばしてきた。

「昨日、お前の声が聞こえた時から不思議には思っていたんだ……そして、今日会った時から、この前とは何かが違うって感じていた……。彪、お前……もしかして、ソイツの支配下に置かれているの? あたしのことを、ソイツに話さなかったから!?」
「那由良とアイツがどういう関係なのか分からなかったからさ……。見た目は無害で可愛いカンジのヤツだけど、物の怪だし。万が一何かあったら、さ」
「バカ、だね……」

 表現しようのない複雑な表情で、那由良はオレを見つめた。

「その蒼い物の怪のことはよく分からないけど……あたしのことは話しても、問題ないよ」
「え? でも……」
「心配しなくていい。例えソイツがあたしに仇なす者であったとしても、関係ない……。あたしはこの地を守護する者。自分の身は、守れるよ」

 彼女はそう微笑んで、そっとオレから手を離した。

「那由良」
「彪……お前は、この世界に居るべきじゃない。その蒼い物の怪の呪縛が解けたら、一刻も早く元の場所に帰るべきだ。……その物の怪は、あたしのことさえ話せば、お前の呪縛を解いてくれそうな感じなの?」
「多分……。根は、それほど悪いヤツじゃねーと思う……多分、だけど」

 オレの身体を支配下には置いたけど、肉体的な苦痛を及ぼすような行為は、アオは取らなかった。

 所詮物の怪だし、得体は知れないし、苛立ちが募ればもしかしたら、そういう行為に及ぶのかもしれないけど……。

「……明日、同じくらいの時刻にここへおいでよ。彪の呪縛が解かれていたら、あの川まで案内してあげるから」

 そう言い置いて踵(きびす)を返そうとした那由良に、オレは慌てて声をかけた。

「あ、おい、那由良! これ……!」

 包丁の入った腰紐を外そうとするオレを見て、彼女は軽く首を振った。

「いいよ、お前にあげる。護身用に必要でしょう」

 そう言って再び背を向けようとする彼女の細い手首を、オレは掴んだ。

「彪?」
「また忘れると、いけねーから―――」

 オレはジーンズのポケットからくしゃくしゃになったキャラメルの箱を取り出して、その外装のフィルムを開けた。

 怪訝そうな顔をする那由良の前で個別に包装されたその白い包みを広げ、現れた四角い茶色の固形物を彼女の掌に乗せる。

「何? これ……」
「キャラメルっていうんだ。これは木の実を砕いた粒が入ってる特別なヤツで、オレのお気に入りなんだけど。食べてみて」

 そう言って、オレは自分用にむいたキャラメルを口の中に放り込んだ。

 久し振りに口にした、懐かしい元の世界の味……ヤバい、めっちゃウマい!

 その様子を見ていた那由良は掌にそっと鼻を近付けて甘いその香りを確かめると、恐る恐るといった感じでそれを口にした。

 未知の食べ物を一度口の中で転がし、それから二、三度噛みしめて―――瞬きをした那由良の動きが、止まる。

「の、伸びるよ? 不思議な食べ物だね。甘くて、香ばしくて―――」

 その表情を見守るオレの前で、彼女の整った顔立ちがうっとりするような柔らかさを帯び、そして、春の木漏れ日のような笑顔がこぼれ落ちた。

「すごく美味しい」

 その劇的な表情の変化に、オレは心が震えるのを感じた。

 うわ……。

 瞳をきらきらさせながら、少しだけ頬を染めて、初めてのキャラメルを味わう那由良。

 大きなリアクションはなかったけど、彼女が喜んでいるのが伝わってきて、何だかすごく温かい気持ちになった。

「へへ……良かった。明日また、一緒に食べような」
「……うん」

 照れ笑いを浮かべるオレに那由良は頷くと、ゆっくりと歩み寄って来た。どうしたのかと思って見つめていると、彼女はおもむろに手を伸ばして、何かを確かめるかのようにぺたぺたとオレの胸に触れてきた。

「? な、那由良?」
「彪の胸は……広いんだね」
「え?」

 次の瞬間、彼女は戸惑うオレの胸にそっと頬を押しつけてきた。

「硬くて……温かい……」

 そう言って彼女が瞼を閉じる気配が伝わってきて、オレは自分の鼓動が一気に跳ね上がるのを感じた。

 こっ……この展開は―――!?

 予想外の彼女の行動に、身体が急激に熱を帯びていく。

 だ……抱きしめても、いい、よな……?

 そう自問してから、オレはためらいがちに腕を伸ばして那由良を抱きしめた。

 無我夢中で彼女を抱きしめていたさっきとは、まるで状況が違う。

 胸に押しつけられた彼女の頬、鼻先をかすめる髪の香り……腕の中にある、しなやかで柔らかい、彼女の感触。温かな体温を伝えてくるその身体は細く、思い切り抱きしめたら折れてしまいそうだ。

 昨日小川の水面を通して見た、那由良の映像が脳裏に甦ってくる。

 霧でぼんやりと滲んだその中で、腰の辺りまで水に浸かり、長い黒髪を白い肌に纏っていた彼女。

 それまでそんなふうに考えたことは一度もなかったはずなのに、腕の中の彼女を意識した途端、それを思い出した心臓の音が全身を支配した。

「……彪に会ってから」

 涼やかな那由良の声が、熱にうかされかけていたオレの理性を呼び戻した。

「彪に会ってから、初めて考えた……」
「……? 何を?」
「人間には……お前みたいな者もいるんだって……」

 彼女の言わんとする意味が分からず、オレは少し首を傾げた。

「そう……? オレみたいなタイプって、割といる方だと思うけど」

 ちょっとスポーツが出来て、頭は中の上くらい、毎日友達とたわいもない話をして、時々バカなコトをやって……その辺によくいる、ごく普通の高校生だ。

「たいぷっていうのは……人柄とか、そういう意味?」

 オレの胸をゆっくりと押して、那由良は静かに身体を離した。

「え? あぁ」

 何気なく頷いたオレは、顔を上げた彼女の表情を見て、言葉を詰まらせた。

「怖いこと……言わないで」

 今にも泣き出しそうな表情で、口元だけを無理矢理笑みの形にして、彼女は震えるような声で、それだけを言った。

「那由……」

 何かを言わなければ、と思うのに、喉の奥に何かが張り付いてしまったみたいに、声が出ない。

 言葉を失くし立ち尽くすオレに背を向けて、那由良はゆっくりと溢れる緑の中へと消えていった。

 オレはしばらくの間、何が起こったのか理解出来ないまま、茫然として、ただ彼女の消えていった緑の景色を見つめ続けていた。



*



 村の中に一歩足を踏み入れた途端、ぐるっとアオの身体が巻きついてきて、精神的に落ち気味のオレは辟易した。

「ずいぶんと遅かったな。すぐに戻るのではなかったのか?」

 皮肉たっぷりのアオの口調に、オレは溜め息をつきながら義務的な言葉を返した。

「多分、って言っただろ? オレ、今、そういう気分じゃねぇんだけど……」
「あいにく、私にはお前の気分など関係ない。今度こんな形で私を出し抜いてみろ、許さんからな! ……うん?」

 牙を剥いて説教モードに入っていたアオは、何かに反応を示し、くんくんとオレの匂いを嗅ぎ始めた。

「な、何だよ」
「いい匂いがする」
「え?」

 オレはドキッとしてアオを見やった。

 那由良の匂い? 那由良はアオのことを知らないって言っていたけど、やっぱ、コイツと那由良には何か関係があるのか?

「お前、村の外に何をしに行っていた? 失くし物というのは嘘だろう」
「な、何の証拠があって……いい匂いって、何だよ」

 ゴクリと唾を飲み込みながらそう言うと、くんくんと匂いを嗅いでいたアオは小首を傾げてこう独りごちった。

「うん? これは……移り香ではなく、お前自身の匂いか? お前の匂いが、いい匂いに変わっている」

 はあぁ?

「何だよ、それ」
「間違いない。お前の匂いだ」

 首筋の辺りをアオの鼻面が触れる。くすぐったいやら気持ち悪いやらで、オレは顔をしかめつつ、蒼い身体をべりっと引き剥がした。

「やめろよ、気色わりぃな!」
「もっと匂いを嗅がせろ!」

 首の後ろを猫のような状態で掴まれたまま、アオががなる。

「……お前、オス、だよな?」
「オスと言うな。男だ」
「オレの匂いが何でいい匂いなんだよ。ったく、ホモかっての……」
「ほも、とは?」
「えーと……お前に分かるように言うと、何だ? 男色家か?」

 ガブッ。

 アオにいきなり鼻の頭を噛みつかれて、オレは思わず悲鳴を上げた。

「いっってぇぇ! いきなり何しやがる!」
「貴様が無礼なことをぬかすからだ」
「お前が妙な真似すっからだろ!」

 涙目でそう訴えると、アオはつんと鼻を反らした。

「誰が好きでお前の匂いなど嗅ぐか。全ては私の記憶の為だ」
「あー、そうかよ」
「納得したなら大人しくしろ」
「それとこれとは話が別だ! だいたい、こんな短期間に人の匂いが変わるなんてコトが有り得るのかよ」

 かまれた鼻を手で押さえながらそう言うと、アオはしれっとこう答えた。

「実際に変わっているのだから、あるに決まっているだろう。―――で、お前、村の外で何をしてきたんだ」

 猫のような蒼い瞳が、鋭さを帯びる。

「変わったのは匂いだけでないぞ。お前から感じる何かが、強くなっている」

 アオは、オレが持っていた那由良の持ち物―――そこから感じる何かに反応して目覚めた。その何かが強くなっているということは、オレが彼女に触れたことで、オレ自身にアオが反応する何かが付着し、そのせいで匂いまでが変わってしまったということなのだろうか。

 ―――ワケ、分かんねー……。

 オレは混乱して瞳を閉じ、額を押さえた。

 ―――那由良とアオには、いったいどんな繋がりがあるんだ?

 別れ際の、今にも泣き出しそうな彼女の顔が脳裏をよぎる。

 オレの言葉のいったい何が、彼女にあんな顔をさせてしまったのだろう。

 思い出すと、切なくて、苦しくて、彼女のことを何も知らない自分自身に苛立ちさえ覚えた。

 オレは、那由良のことを、あまりにも何も知らない。

 だからあの時、どんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。何に彼女が傷ついたのかが、分からなかったから。

 だから、彼女を引き止めることも出来ず、ただいたずらに立ち尽くすことしか出来なかった。バカみたいに。

『知ってしまったら、後戻り出来ないこともあるんだからね』

 耳に甦る、いつかの那由良の言葉。

 彼女は多分、オレに全てを話してくれることはないだろう―――その優しさゆえに。

 ―――けれど、オレは那由良を知りたい。

 彼女のことを、もっと深く知りたい。

 そう意識した瞬間、胸の奥にずっとあった埋み火が急激に息吹き、これまで考えもしなかった選択肢をオレの前に導き出した。

「―――アオ、お前って……いい物の怪なのかな、それとも悪い物の怪なのかな」

 目の前の小さな蒼い炎の塊を見つめながら自問するようにそう呟くと、名指しされた本人は不機嫌極まりない表情になった。

「それを私が知っていたら、こんなに苦労しているものか」

 何を今更、と言いたげな口調でねめつける、ちんまりとした蒼い物の怪。それを見て、オレは思わず笑みをこぼした。

「お前ってさ……偉そうで、目的の為には手段を選ばないようなトコあるクセに、変なトコで真面目っていうか、要領が悪いっていうか……バカ正直だよな」

 バカ正直と言われたアオは、今までとは違うオレの反応に怪訝そうな表情を見せた。

 その様子に苦笑しながら、ひとつ深呼吸して、オレは口を開いた。

「―――アオ。話が、あるんだ」



*



 村の外れにある古木の下―――そこに腰を下ろし、オレはこれまでの詳細をアオに語った。

 時間の経過を物語るように、山の向こうに消えかけた太陽が、語り合うオレ達を茜色に映し出している。

「那由良……」

 その名前に、アオはひどく反応した。全身を雷に射抜かれたかのような反応だった。

「何か、思い出したのか?」

 身を乗り出してそう尋ねると、アオは首を振り、もどかしそうに地面に視線を落とした。

「いや、ダメだ……。だが、何だ? この、魂が打ち震えるような感覚は……。知っている、はずだ……私は絶対に、その那由良という者を知っている……!」

 魂を絞り出すかのような、呻き。炎のように揺らめく蒼い毛並みが、アオの動揺を反映してざわざわっと波打った。

「そうか……那由良はお前のコト知らないって言っていたけど、何か思うところがあってそういうふうに言ったのかな」
「さぁな……。だが、その名前にどす黒い印象は受けない。おそらく、私と敵対するような関係ではなかったのだと思うのだが」
「本当か!?」

 オレは瞳を輝かせてアオを見た。オレとしてはそれが一番心配していたことだったから、その言葉が本当であれば何より嬉しい。

「おそらく、だぞ」

 釘を刺すようにそう言い置いて、アオは確認するようにオレの顔を仰ぎ見た。

「それで、お前はその那由良という娘に惚れているのか」
「ぅえっ……」

 えらく直球なその質問に、オレは思わず変な声を出してしまった。

「惚……いや、自分でもそこまでいってるかどうか、正直、よく分かんねーんだけど……どうしても、気になるっていうか。放っておけないっていうか……」
「人間の娘では、ないのだぞ」

 アオはピシリと苦言を呈した。

「その娘の人ならざる姿を見た時、お前は彼女を受け入れることが出来るのか。変わらぬ態度で接することが、出来るのか?」

 アオのその表情には、言い知れぬ迫力があった。良く分からないその迫力に気圧されながら、オレは小さな声でこう答えた。

「それは……その時になってみねーと、分かんねーけど……」
「中途半端な気持ちならこれ以上深入りせず、娘の言った通り元の世界へ帰れ。全てを語ったのなら、お前の支配を解いてやる」
「―――な、何だよそれ……」

 突き放すようなアオの言い方に、オレは思わず鼻白んだ。

「人の身体を支配して無理矢理ここに縛りつけていたクセに、用が済んだらポイかよ!」
「お前も早く元の世界に帰りたいと言っていただろう」
「それはそうだけどっ……お前の支配が解けたら、その後はどうしようが、オレの勝手だろ!? 女のコトまで口出しされる筋合いはねーぞ!」

 すると、アオはきょとんとした面持ちになって、一人納得するように頷いた後、オレに尋ねた。

「それもそうだな。何故だ?」
「知るか!」

 何だってんだ、ったく!

 もしかしたら那由良のことが何か分かるかもしれないと思ったのに、肝心のことは何も分からないまま、説教もどきだけを食らってしまった。

 憮然とするオレを見上げてアオは言った。

「彪。今夜、村人達が寝静まったら、一人で社まで来い」
「は? 何で……」
「いいから来い。分かったな」

 有無を言わさぬ口調でそう告げると、アオは姿を消してしまった。

「あっ!? おい……!」

 制止しようとしたものの、時すでに遅し。

 戸惑った声を上げるオレの前には、ただ夕闇に包まれた景色だけが広がっていた。



*



 その夜、みんなが寝静まった気配を確認してから、オレは布団から起き上がり、こっそりと村長の家を抜け出した。

 アオの言いなりになるのは癪だったけど、一方的に告げられたこととはいえ、あんな気になる言い方をされてしまった以上、そこに赴かないわけにはいかなかった。

 夏の夜空に浮かぶ月には暈(かさ)がかかっている。

 虫の声のこだまする心許ない明るさの夜の道を一人歩き、オレは村の中心にある社までたどり着いた。

「来たか」

 扉を開けると、そこには蒼影牙に絡みつくようにしたアオが待っていた。

「何だよ、こんな時間にこんなトコへ呼び出して……」
「まぁ、扉を閉めて中へ入れ」

 言われた通り扉を閉めると、仄かな青みを帯びた蒼影牙の刀身が暗闇の中でひと際その輝きを増したように見えた。

「この時間にならないと、社へ来る村の連中の足が絶えんからな」

 アオはそう言ってふわりとオレの肩に降り立つと、おもむろにこう告げた。

「蒼影牙を抜いてみろ、彪」
「はぁ!?」

 唐突なその発言に、オレは大きく目を見開いた。

 蒼影牙を抜く―――それがどういう意味を持つことなのか、オレはもう知ってしまっている。

 蒼影牙は、簡単な気持ちで抜いていいカタナじゃないんだ。

「何言って―――」

 抗議の声を上げかけるオレの声にアオの声が重なった。

「言い方が悪かったか。抜けるかどうかを試してみろ、と言っているんだ。万が一抜けたとしても、元に戻せば問題ない」
「……そういうコトかよ」

 だからこの時間にここへオレを呼んだのか。万が一村人達がこんなシーンを目撃しちまったら、卒倒モンだからな。

 オレは軽く息を吐いて、神聖なオーラを放つ刀を見下ろし、ゆっくりとその柄を握った。

「……ほぅ」

 アオが感嘆の息を漏らす。

「蒼影牙の結界に拒まれない、か」
「? 拒まれるコトもあるのか?」
「普通は今頃両手に大火傷だ」

 一瞬の沈黙の後、オレはギロリとアオをにらみつけた。

「てめぇ……」
「案ずるな。その場合は速やかに傷を修復してやろうと思っていた」
「そういう問題じゃねーだろーが!」

 っていうか、コイツ、傷を治すなんて、そんなコトまで出来るのか?

「静かにしろ。何の為にこっそりお前を呼び出したと思っている」

 こ、この物の怪! よくもぬけぬけと!

 ブチブチッとキレそうになるオレの心などおかまいなしで、アオは先を促した。

「早く抜けるかどうか試してみろ」
「……わぁーったよ!」

 半分ヤケになって、オレはぐいっと蒼影牙を抜きにかかった。が―――……。

「ぬ、抜けねぇ……」

 どんなに力いっぱい引いてみても、蒼い刀身はビクともしない。

「うーん……!」

 顔を真っ赤にして踏ん張るオレを見ていたアオが、溜め息混じりに口を挟んだ。

「もういい、彪。予想はしていたが……やはり、無理だな」
「何だ、コレ。めっちゃくちゃ固(か)ってぇ! こんなの抜けるかよ!」

 倒れこむようにして腰を下ろし額の汗を拭うオレにアオはこう語った。

「蒼影牙は使い手を選ぶ刀だ。仮にもこの村の守護神なのだから、そう簡単には抜けない。お前がどうしようもなく力不足だったワケではないから、そう落ち込むな」
「……別に落ち込んでねぇし、力不足を痛感してもいねーけど……落ち込んでいるのは、むしろお前だろ」

 荒い息を吐きながらそう言うと、アオはふっと自嘲めいた笑みを刻み、どこか遠い目をした。

「気にするな。ほんのり淡い期待を抱いてしまった私が愚かだったのだ」
「……何かスゲームカつくぞ、お前」

 そんなアオに殺意のこもった眼差しを向けながら、両碗に残る倦怠感に意識を戻し、オレは改めて蒼影牙を見やった。

 いったいどんなヤツが、これを抜けるんだろうな……。

「彪」

 やおらアオがオレの名を呼んだ。

「お前の言っていた、那由良という娘のことだがな……」

 アオの口からこぼれたそのキーワードに反応して、オレはぐったりしていた身体を起こし、そちらに向き直った。

「お前からの話を聞いた限りでは、その娘はおそらく水龍の側に立つ者だろう」
「え……」

 予想もしていなかったその内容に、オレは驚いてアオを見た。

「水龍は己の領域を侵されることを嫌って、この地を外界から分断したと聞く。その地を守護する者、と彼女は言っていたのだろう?」
「それは……そうだけ、ど……」

 那由良が、水龍の? まさか……。

「お前のように外界から迷い込んだ者を排除し、闇に屠ってきた……彼女はそういう存在だと自ら話していたのだろう?」

 確かに、那由良はそういう意味のことを言っていた。言っていたけど……。

「村の者達が恐れる、『水龍の使い』と呼ばれる存在がいる。時折現れ村に贄を要求してくる、水龍との繋ぎ役だ。どういうワケか、その者には蒼影牙の結界が働かないらしい。私はその姿を目にしたことはないが、社に来る村人達の口から幾度も聞かされている存在だ。白装束を身に纏った、長い黒髪の、美しい女の亡霊―――そう、形容される者だ」

 ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。

 那由良が……本当に、水龍の仲間だっていうのか……!?

「人間が白装束を身に纏うのは、それなりの理由がある時だと聞く。那由良という娘は人間ではないようだが、彼女なりの理由があってその姿をしているのだろう。如何なる理由があって彼女が水龍の側についているのかは分からない。だが……村人達が『亡霊』と称する辺り、彼女とこの村の間には何か因縁めいたものがあるのかもしれんな……」

 アオに言われて初めて、オレは様々なことを考えた。那由良の着物のこと、この村との関係……。

 言われてみれば……那由良はどうして、白い着物姿なんだろう?

 初めて彼女を見た時はそのせいで、オレ、本気で自分が死んだんだと思ったもんな。

 村人達との間に昔何かがあって、それが原因で……そんな格好をしているんだろうか?

「……そういったことを踏まえて考えれば、那由良という娘がお前の言葉に傷付いた理由も想像がつく」

 オレは息を飲んで、アオに詰め寄った。

「何だ!? 教えてくれ!」
「彼女にとっておそらく、人間とは『顔』のないモノだったのさ。今まではな」

 その言わんとする意味が分からず、黙って言葉の続きを待つオレに、蒼い瞳が語りかける。

「お前、蚊を殺す時に蚊の生涯を考えるか? この蚊がどうやって生まれ、どういう足跡をたどり、ここまで懸命に生きてきたのか―――」
「まさか……見つけたら、血ぃ吸われる前にソッコー殺すよ」
「正にそれと同じだ。彼女にとって、人間とはそういう存在だったのさ」

 淡々としたその明瞭な回答に、オレは言葉を失った。そんなオレを静かに見やりながらアオは続ける。

「しかしお前に出会って、彼女の中の認識は一変してしまった。ひと口に人間といっても、実に様々な者がいる―――人間と呼ばれるモノの一人一人に人格があり、心があり、尊い人生があるというその現実を、知ってしまったのだ。今まで殺してきた者達に『顔』があることに、彼女は気付かされてしまったのさ。だから、お前にあの言葉を言った」

『怖いこと……言わないで』

「あ……」

 オレは口元を押さえて、昼間の自分の言動を思い返した。

『オレみたいなタイプって、割といる方だと思うけど』

 オレのあの言葉が、那由良にあんな顔をさせてしまったんだ。

 沈黙し、うつむくオレに、静かなアオの声が響き渡る。

「彪……やはりお前は元の世界へ帰った方がいい。蒼影牙を抜けないただの人間のお前には、荷が重過ぎる話だ。この地のことは全て忘れ、今まで通りのお前の日常に戻るといい」

 悔しいけど、アオの言う通りだと認めざるを得なかった。

 オレだって、バカじゃない。この話は映画でもなく、マンガでもなく、紛れもない現実のことで―――感情論だけじゃどうにもならないことなんだって、理性では分かっている。

 でも……那由良を傷付けてしまったことが、彼女に何もしてあげられないという現実が、もどかしくて、心苦しい。

 唇を噛みしめて沈黙するオレをそっと見やりながら、アオは抑揚のない声でこう告げた。

「外界に戻る直前に、私の名を呼べ。その時にお前の呪縛を解いてやろう。それまでは私と繋がっていた方がお前の身を護ることにもなる。……お別れだ、彪」

 オレは顔を上げて、目の前の蒼い炎の化身を見つめた。

「……最後にひとつ聞かせてくれ。もし、オレに蒼影牙が抜けていたら、お前、どうしていた?」
「決まっているだろう。問答無用で私の側に拘束だ。外界へは帰さん」

 やっぱりな。

 キッパリとそう言い切ったアオの頭を、オレはボコッと殴りつけた。

「彪っ! 貴様、最後の最後で何をする!」
「最後の挨拶だよ、挨拶!」

 妙に親切かと思えば、これだ。

 ったく……。

 社から外に出ると、ひんやりとした夏山の夜の空気がオレの肌を包み込んだ。

「―――さみぃ……」

 呟きながら広い夜空を見上げると、自分の存在のちっぽけさと、どうしようもない無力感が込み上げてきて、何だか泣きたい気分になってきた。

 頬に力を込めてそれを堪(こら)え、オレは通ってきた道を戻り始めた。

 無力な自分を痛いほどに感じながら、この村で、最後の夜を過ごす為に 。
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