影王の専属人となった初日、わたしは昨夜就寝前にふと気になったことをヴァルターに尋ねてみた。
「何? リーフィ」
「……何よ、リーフィって」
何の前触れもなく突然愛称で呼ぶとか、本当に軽いわね。
そんなわたしの心の声を知ってか知らずか、朝から上機嫌のこの部屋の主はにこにこと屈託のない笑みを浮かべて、突然の愛称呼びの理由を述べる。
「いや、お互いの距離を縮める為に愛称を使うのもいいんじゃないかなーと思って」
執務室に自分以外の人間がいることが新鮮で嬉しいらしいヴァルターは、いつもより若干頭の中がお花畑になっているみたいだ。
まあ別にいいけど。村では普通にみんなから「リーフィ」って呼ばれているし。
「好きにすれば。それより、この部屋とわたしの部屋って隠し通路で繋がっているじゃない? ということは、あなたがその気になればいつでもわたしの部屋へ来れてしまうっていうことよね?」
先日充(あ)てがわれたわたしの部屋はウォークインクローゼットの奥に仕掛けが施されており、そこからこの執務室へと通じる秘密の通路に繋がっているのだ。この職務の特殊性を考えたら仕方がないのかもしれないけれど、わたしにだってプライベートがある。
いつ何時ヴァルターが来てしまうかもしれないという状況ではとてもくつろげないし、着替えや就寝時など、懸念事項がいくつも発生してしまう。
「ああ、その点なら安心して? オレ、紳士だし」
へらっとしたその軽ーい物言いが信用出来ないのよ。
「ついこの間、『国王の影なだけで元々紳士じゃない』って自分で言ってたじゃない」
「紳士(それ)を演じることは出来るとも言ったよ? 火急の事態でない限りは、オレの方からリーフィの部屋を訪ねたりしないって約束するよ、基本紳士だから大丈夫」
だからその基本ってのが胡散臭いのよ。要はヴァルターを信用するしかないという話で、わたし的には何の解決にもならないじゃない。
「……念の為これにサインしてくれる? 昨夜したためたの」
口約束なんて当てにならない。こんなこともあろうかと、昨日のうちにこれを準備しておいて正解だった。
様々な約定が提示された手製の書類をわたしから受け取ったヴァルターは、それにざっと目を通した後、大仰な溜め息と共に肩を落とした。
「うわぁ〜、信用ないなぁ、オレ……。リアルにヘコむんだけど」
「だってまだあなたが信用に値する人かどうか分からないもの。わたしが安心して職務をこなす為の大前提よ」
「はいはい、分かったよ……。リーフィの信用を得られるように努力します……」
「同じものをあなたとわたしに一部ずつ、もう一部は陛下に差し上げてもらえる? 受け取ってもらえるか分からないけど」
後日聞いたところによると、それをヴァルターから受け取ったクリストハルト陛下は爆笑して、彼にこう言いつかわしたそうだ。
「せいぜい宦官にならないよう努力せよ」、と―――。
<完>