あの後、あたしとガーネットはすぐ動けなくなっちゃって、結局アキレウスとパトロクロスが二羽を探しに行ってくれたんだ。
二羽とも、誘(いざな)いの洞窟の瓦礫の側をうろうろしながらあたし達を待っていてくれたらしい。
賢いよねー、そして何て可愛いんだろう。
その二羽に乗って、アキレウス達が迎えに来てくれた時には、感動した。
そして、そのクリックルに乗ってルザーへ戻ったあたし達は、ガーネットの家に泊めてもらい、ミゲルさんの用意してくれた夕食をご馳走になった後、泥のように眠った。
次にあたしが目を覚ました時には、太陽が既に真上を通過していた。
隣で寝ていたはずのガーネットの姿は、見当たらない。
やっばー、寝過ごしちゃった。
慌てて身支度を整えて二階のガーネットの部屋から階下へ下りていくと、道具袋に薬を詰める作業をしていた彼女が爽やかな声をかけてきた。
「あら、おはよ、オーロラ。どーう? 体調は」
「おはよう、ガーネット。うん、問題ない。ごめん、寝過ごしちゃった」
「ふふ、もうちょっと寝ていても良かったのに」
「えー、寝過ぎだよー、起こしてくれて良かったのに。みんなは?」
「パトロクロスは警備隊の詰所に行ったわ。王宮へ色々報告することがあるみたい。アキレウスは裏庭で剣の稽古をしているわよ」
はー、みんなタフだなー。昨日、あんな死闘を繰り広げたばかりなのに。
「お腹は? 減ってない?」
「え? あ……」
返事をしようとしたそばから、くるるるるとお腹が鳴ってしまった。
「今、用意するわね」
くすくすと笑いながらガーネットが台所へ消えていく。
赤くなって彼女の後に続きながら、あたしはふと、ひどく不思議な気分になった。
何だかすごく日常的な風景の中にいる、自分を感じて。
薬店を経営している彼女の家には、当たり前のことだけどお客さんが来る。そのお客さんに対応する従業員のお兄さんの声や、家の中に差し込む太陽の光、開け放たれた窓から流れ込む風-----人々の暮らす、生活の気配。そんなものを、唐突に感じて。
以前のあたしだったら感じることもなかったような、そんなささやかな、日常の気配。
それが、こんなにも心安らぐと感じるものだったなんて……。
この風景が、今、得体の知れないチカラによって脅(おびや)かされようとしているのだと、ラウド王は言っていた。
そして今、それを阻止すべく、あたし達は伝説の地図を手に入れ、大賢者シヴァを復活させる旅に出ようとしている。
もちろん、あたしの一番の目的は元の世界へ帰ることだ。
けれど-----そのついで、この風景が守られることになればいい-----そんなことを、思った。
*
その夜、ガーネットの部屋に集まったあたし達は、テーブルの上にシヴァの地図を広げ、それを取り囲むようにして額を寄せ合っていた。
アキレウスの手にある時だけ、この地図には紫色の光が灯る。それ以外は、普通の世界地図と何ら変わりなかった。
「アキレウスのどこを認めたのかしらねー? この地図は」
ガーネットの言葉に、アキレウスは大げさに肩をすくめてみせた。
「さあ? オレにも分かんね」
「“神竜の氣”の持ち主だからな」
パトロクロスが笑いながら言う。
“神竜の氣”というのは、ローズダウン王家に代々伝わる『賢者の石』という神器が示した、アキレウスの可能性だ。その氣を持つ者には、革命をもたらす資質があるとされている。
「その“神竜の氣”ってのもオレにはピンとこないな。そんな大層な資質が、自分の中に本当にあるのかどうか……」
「あくまで可能性の問題だからな。それにしても、エシェムの右腕を切り落としたあの攻撃は凄まじかったな」
あたしは、その時の光景を脳裏に思い浮かべた。
絶体絶命の、あの時。アキレウスの内部から爆発するようにして迸(ほとばし)った、あの光-----。
「うん、黄金(きん)色の光に包まれて……」
「ホント、スゴかったわねー。ビックリしちゃった」
ガーネットもそう同調してアキレウスを見た。
「いや……それが、実はオレも驚いているんだよ」
アキレウスはそう言って、ばつが悪そうな顔をした。
「え?」
「あんなふうになったの、初めてだったんだ。あのチカラが、いったい何だったのか……どうしてあの時、あんな現象が起きたのか……自分でも、何が何だかワケ分かんねー」
「えぇ!?」
そ、そうなの!?
驚くあたし達に、アキレウスは自分の髪をくしゃっとなでた。
「このままだと殺られる、って思った瞬間、タガが外れたっていうか……後はただもう無我夢中で、気が付いたら異常に体力消耗してるし……。昼間、どうにかしてあのチカラを引き出そうとしてみたけど、ダメだった。どうしたらいいのかさっぱりだ」
確かに、あの時の彼の疲弊(ひへい)具合はハンパじゃなかった。床に膝をついて、ひどく消耗した様子だったもん。
あの時の現象に一番戸惑いを覚えているのは、どうやら当事者のアキレウスみたい。
「アキレウスってさー、魔力は持ってないんだっけ?」
ガーネットの問いかけに、アキレウスはきょとんとした表情で彼女を見つめ返した。
「え? 魔力? オレが……??」
「魔力があるかどうか、調べたことないの?」
「いや……ない、な。そんなモン、あると思ったコトないし。剣ひと筋で来たから、そんなん、考えたコトもなかった。……何でだ?」
「駆け出しの魔導士にありがちなことなんだけど、最初の頃って魔力の制御(コントロール)が上手く出来なくて、暴走しちゃうコトがあるのよ。魔法として発動せずに、魔力そのものを体外に一気に放出して、使い果たしちゃう形になっちゃうの。魔導士の間ではオーバーロードって呼ばれてる現象なんだけど……。あの時のアキレウスの状態、それにちょっと近いものがあったかなーと思って」
「……そう言われると、共通する部分があるような気もするな」
頷きながら、何とも言えない表情のアキレウス。
「ふむ。今度機会があったら調べてみたらどうだ? アキレウス。調べて損はないと思うが」
「あぁ……まぁ、そうだな」
「魔力といえば、オーロラ-----」
パトロクロスの淡い青(ブルー)の瞳が、あたしに向けられた。
「今回はオーロラの活躍で助かったと言っても過言ではないと思うが、その……自分の能力(チカラ)の使い方というか、何かが分かったのか? オーロラの能力は、我々のいう『魔法』とは若干種類が異なるようだが……」
「うん……」
あたしは頷いて、あの瞬間のことを話し始めた。
「あの時-----みんなをどうにかして助けたい一心で、それだけしか頭の中になくなって……その気持ちが弾けた時、不意に、壁が開いたんだ」
「壁?」
「うん……何て言ったらいいのかな。呪文を唱え始めた瞬間に、高まっていた不思議な気配が消えていく……そういう感覚が、ずっと自分の中にあって……。その壁をどうにかして越えようと思っても、どうしたらいいのか分からなくて……でも、あの瞬間-----頭の中が真っ白になったあの瞬間、その壁が開いたの」
「つまり……“呪文”が“壁”になっていたということか?」
パトロクロスの言葉に、あたしは頷いた。
「多分……そういうこと、なんだと思う」
あの瞬間の感覚を思い出すと、身体が震える。
まるで炎と一体となったかのような、あの感覚-----……。
あたしは自分の両の掌を見つめた。
今でも、信じられない。
自分の中に、あんなチカラが眠っていたなんて-----……。
-----ずっと、突き詰めていったら、どうなるんだろう?
ふ、と心の中に闇が差した。
その時、あたしは-----思い描いていた自分の姿と、全く異なった自分になっていたりしないだろうか?
「それって、スゴいことだわ!」
ガーネットの声で、あたしはハッと我に返った。
「普通はね、どんなに卓越した魔導士でも、“呪文”を唱えずに“魔法”を『発動』することなんて出来ないものなのよ! それが出来るなんて……憧れるわ」
やや興奮した面持ちの彼女に、あたしは複雑な笑顔を返した。
魔法が当たり前に存在するこの時代、多くの人はきっと、彼女と同じように考えるんだろうな。
けれど……あたしのいた時代は、違う。
これは、異端のチカラだ。
普通の人間には有り得ない、異端のチカラ-----……。
どうしようもなく湧き起こる暗い思いに、あたしは無理矢理蓋をした。
やめよう……今考えても、どうにもならないことだ。今の時点では、元の世界に帰れるかどうかも分からないんだから。
今は……深く考えない。この場を生き抜く為に神様が与えてくれたチカラだと、そう思おう。
「そうだな……ガーネットの言う通り、オーロラの能力(チカラ)は凄い。これからの私達の旅の中で、大いなる助けとなるだろうな」
パトロクロスがそう結んで、話題は明日以降の行程(ルート)のことに移った。
「とりあえずはアストレアだな」
パトロクロスの指が地図の上の大きな国を指した。
地図の向かって右側に大きな大陸がひとつ。海を挟んで左下にその四分の一程度の大陸がひとつ。左上に、更にその半分程度の大陸がひとつ。後は、無数の小島がところどころに点在する-----この時代の、世界地図。
右側の大陸には四つの国が存在し、南から順に、ローズダウン、アストレア、ドヴァーフ、ウィルハッタと記されている。左上の一番小さな大陸には、シャルーフという国が存在する。
そして、左下の大陸には“レヴラント”と記されていた。
ローズダウンの王宮で神官に習ったんだけど、レヴラントというのは『未開の地』という意味らしい。この大陸には、“国”が存在していないんだそうだ。
「シヴァが眠るのはシャルーフの南東にある絶海の孤島だ。ここへ渡る為には、ドヴァーフへ赴き、定期船に乗ってシャルーフへ渡り、そこから何らかの方法でこの島へ渡るしかない。まずは陸路アストレアを目指そう」
「ずいぶん遠回りになるんだね……直接島へ渡る方法ってないの?」
あたしが聞くと、パトロクロスは苦笑してこう答えた。
「残念ながら。海は魔物(モンスター)が多い上に潮の流れが激しいところが多くてね、長い航海は危険なんだ。唯一の航路がドヴァーフとシャルーフを結ぶ定期航路になるんだが、その理由は、その区間の海流が比較的穏やかであることと、シャルーフの高度な造船技術、そしてドヴァーフの卓越した魔導力によって、より安全性の高い航海が送れるところにある。世界最速の船で、神官達が祈りを捧げた聖水を常に流しながら海を進むんだ」
へぇー……。
あたしのいた時代でも海を渡るのって大変なことだったけど、この時代ではその比じゃないんだな。
海で魔物……考えただけでもゾッとする。
「アストレアかぁ……行くの、何年振りかしら。ちょっと楽しみだわ。華やかな雰囲気の国なのよねー、色々なお店に、名所旧跡にデートスポット……。あぁ、パトロクロスとの初デート、どこを回ろうかしら……」
うっとりと瞳を閉じるガーネットの傍らで、パトロクロスは青ざめている。
「き、聞いていない……私は何も聞いていないぞ……」
アストレアは、確か世界経済の中心を担う商業国家だって聞いた。地図の上でも大きな面積を占めているし、何だか華やかなところみたい。
その時、難しい顔で地図をにらんでいたアキレウスが、ぽつりと呟(つぶや)いた。
「あの魔物……エシェムは、何故この地図を狙ったのか」
その言葉に、みんな真剣な表情になった。
「奴は明らかに地図を消し去ろうとしていた……シヴァに目覚められては困る者がいる、ということだろうな」
「でしょうね。それもあれだけの魔物を小手先に使うほどの、相当タチの悪いヤツが」
「もしかして……あたし達が旅立つ発端になった、邪悪なチカラ……?」
「……やっぱり、そう考えるのが自然だろうな」
アキレウスはそう言って、溜め息をついた。
「今回の件は伝書にて父上に報告を送った。届き次第王宮の方でも調査に乗り出すだろうが、その結果が出る前に、おそらくは何らかの形で、再びあちらから接触してくるだろうな」
「オレがこの地図を持っているからな」
「そういうことだ」
アキレウスは不敵に笑った。
「なら話が早い。今度はもっとスラスラ話せるヤツが出てきたら、ブッ倒してそいつから情報を聞き出してやる」
「そうねー、その方が早いかもしれないわね」
「まぁ、どのみちそういうことになるのだろうがな……」
この人達の話を聞いていると、まるで町のチンピラをやっつけに行くくらいの勢いで言っているからスゴい。
昨日、あんな目にあったばかりなのになぁ……。
青ざめているの、あたしだけだし。はは。
そんなあたしの様子に気が付いたアキレウスが声をかけてきた。
「オーロラ。どうした? 固まって」
「……や。別に……」
「もしかして、怖いのか?」
「……まぁ、ちょっと……ね」
そう言って彼を見ると、とても頼もしい笑顔が返ってきた。
「心配すんなって。大丈夫、オレが守ってやるよ!」
トクン、と小さく鼓動が跳ねた。
……あ。何か今、とても心が温かくなった……。
「あ……ありがとう」
「剣が効く相手だったらな。今回みたいな場合は、逆に頼んだぜ」
「う、うん。頑張る!」
その様子をじっと見ていたガーネットがパトロクロスにそっとすり寄った。
「あーん、パトロクロス。あたしもちょっと怖い〜」
「自分がか?」
「違うわよー、魔物とか得体の知れないチカラとかよ〜」
「向こうが避けて通るから大丈夫だ、心配するな」
「か弱い女の子に向かって何てコト言うのよ、『私が守ってやる』くらいのこと、言ってくれないのー!?」
「誰がか弱いって……コッ、コラーッ! くっつくなッッ!」
あーもう、何だかなー。真似されたこっちが恥ずかしくなっちゃうよ。
一人で赤くなっていたあたしだったけど、たわむれる(?)二人と、それを見て大笑いするアキレウスにつられて、気が付いたら一緒になって笑っていた。
うん、頑張れる。
みんなと一緒だったら……きっとあたし、頑張れる。
頑張れるよ。