アストレア編

炎の魔人


 牛のような、漆黒(うるしぐろ)の二本の角。

 獣じみた毛深い顔の中から、金色の眼が爛々(らんらん)と輝く。

 強靭な人間の男性の体躯(カラダ)に、背にはコウモリのような翼。

 まるで小さな山のようなその巨体は灼熱の炎に包まれ、夜の闇を煌々(こうこう)と照らし出している。

 数百年前、紅の魔女ルザンと共に、アストレアの地を焦土と化した伝説の魔人、フールウール。

 崩壊したハンヴルグ神殿で、あたし達は今、その伝説の魔人と向き合う事態に陥っていた。

「まさかこの目で、あの伝説の魔人を拝める日が来るとはな……」
「人生、何があるか分かんねーな。感無量だぜ」

 冗談めかした感じのパトロクロスとアキレウスの会話だったけど、二人とも目は笑っていなかった。

「親子っていう割に、全然ルザンに似ていないじゃないの」

 眉間にしわを寄せて、ガーネットが毒づく。

「同感。ルザンどころか、人間に似ているトコすら、探すのが難しいんだけど……」

 ゴクリと唾を飲み込んで、あたしはフールウールを見つめた。

 スゴく怖いよ、実際。

 ここにいてその姿を見ているだけで、自然と身体が震えてくる。

 ルザンが母親とは到底思えないほどに、その姿は人間離れしていた。

 その父親は……確実に、人間じゃないよね。

 いったい、ルザンは誰との間に、この異形の魔人をもうけたんだろう。

 低い唸り声を発しながら、フールウールがあたし達の方へ顔を向けた。野獣のようなその瞳が、すぅ、と細められる。

「……見つかったぞ」

 剣を構えながらアキレウスが呟(つぶや)いた。

「オォォォオ!」

 雄叫(おたけ)びを上げながら、フールウールは鋭い牙の突き出た大きな口を開けた。ぼぅっ、と火の玉が口の中に現れた、と思った次の瞬間!

「伏せろッ!!」

 パトロクロスの声と共に地面に伏せたあたし達の上を、凄い勢いでそれが飛んでいった。

 カッ!

 一瞬の光の後に、耳をつんざくような大爆音!

 ドガアァァン!

 凄まじい爆風が吹き荒れた。

「くっ……!」
「きゃあーっ!」

 一瞬にして森は業火(ごうか)に包まれ、夜の闇を赤々と照らし出した。

 嘘……。

 目を見張るあたしの隣で、アキレウスが呆然と呟く。

「町が一瞬で焼く尽くされるわけだぜ……」

 フールウールは続けざまに火球を繰り出してきた。

「マジかよっ!」

 必死に逃げるあたし達の後方で、爆音と共に火柱が次々と上がる!

 こっ、こんなの、どうやって防げっていうの!?

 辺りは地獄絵図の様相を呈してきた。

 逃げ惑うあたし達を嘲笑うかのように、フールウールはコウモリのような翼をバサリと羽ばたかせた。

「まずい! 飛ばれたら打つ手がなくなる!」
「ちッ!」

 剣を手に、パトロクロスとアキレウスが駆け出す。

 フールウールの足が地上から浮き立った、その瞬間-----予想だにしなかった事態が起きた。

 青白い光が法印の形を結んで大地を走ったかと思うと、目に見えない力となって、フールウールを地上に引き戻したのだ!

 -----!?

 重々しい音を立てて大地に叩きつけられたフールウールは、怒りの咆哮を上げ、再び飛び立とうとしたけれど、それは叶わなかった。

「ど……どうなっているの!?」
「やっぱり、封印は解けていないんだわ!」

 戸惑うあたしに、ガーネットはそう言って茶色(ブラウン)の瞳を向けた。

「今は推測するしかないけど、姫様の愛する者……パトロクロスの心臓は捧げられなかった。けれど、彼の流した大量の血と、ルザンの強すぎる邪念が封印に何らかの影響を及ぼして、不完全な形でフールウールを目覚めさせる結果になってしまったんだと思う。でも封印が解けているわけじゃないから、あいつはあの場所から動けないのよ!」

 な、なるほど……ん?

 待ってよ……と、いうことは-----。

「じゃあ、考えようによっては、フールウールを倒すチャンスでもあるっていうこと?」
「そうね。またとない機会だと思うわ。どっちにしても、このまま放っておくわけにはいかないし-----やるしかないわね!」

 そう気を吐いて、ガーネットは男性陣に声をかけた。

「パトロクロス、アキレウス、聞こえた!? というわけだから、行くわよっ!」
「あぁ、聞こえた!」
「了解!」

 彼らの返事を確認したガーネットはあたしを振り返り、こう告げた。

「オーロラはこのことを姫様達に伝えて、待機していて。あいつの身体は見たまんまの炎そのもの-----文献にも、炎の類は全て吸収されてしまうって書かれてたわ。だから、ここはあたし達に任せておいて!」
「分かった!」

 そう答えて踵(きびす)を返しながら、あたしは自分の力の無さに唇をかんだ。

 みんなが戦っている時に、何の手助けも出来ないなんて……!

「オーロラ殿!」

 あたしの姿を見つけたラオス将軍が歩み寄ってきた。

「この状況はいったい……!?」
「ラオス将軍、実は-----」

 あたしの説明を聞いた彼は、腰の剣に手をかけた。

「ならば、私も-----」

 言いかけて、傍らのマーナ姫の存在を思い出したかのように、口をつぐむ。

 そんな臣下の様子を見て、彼女は優しく微笑みかけた。

「私(わたくし)のことはいいのですよ、ラオス。オーロラさんもいらっしゃるし……気にせずにパトロクロス様達の手助けをしてあげて」
「しかし……」
「これはむしろ私からのお願いです、ラオス。パトロクロス様達のところへ行って下さい」
「はッ……」

 マーナ姫に一礼して、ラオス将軍はあたしに向き直った。

「オーロラ殿、姫をお願い致します」
「はい……!」
「では-----」

 そう言い置いて、彼は戦場へと駆け出して行った。

「……大切な人達が命を懸けて戦っている時に、祈ることしか出来ないのは、辛いものですね」

 その後ろ姿を見つめながら、マーナ姫が呟いた。

「えぇ……」

 頷いて、彼女を安全な場所へと誘導しながら、その気持ちは痛いほどあたしの胸を締めつけていた。

 -----みんな……!



「“護法纏(ガー・ロン)”!!」

 冷たい小雨の降り注ぐ、炎に彩られた戦場で、ガーネットの魔法の加護が、味方を優しく包み込む。

「これで多少の炎なら怖くないぜ!」

 燃え盛る炎の壁を縫いながら、アキレウスがフールウールに斬りつける!

 その攻撃にフールウールが気を取られた隙に、宙空に跳んだパトロクロスが剣を振り下ろす!

「鷹爪壊裂斬(ようそうかいれつざん)!!」

 それと同時に、炎の壁を割ってラオス将軍が現れた。

「獅子奮迅撃(ししふんじんげき)!!」

 -----決まった……!

 彼らの見事な連携攻撃によって、フールウールが少なからぬダメージを受けた様子が、遠くから見守るあたしにも見て取れた。

 フールウールは怒りの咆哮を上げながら反撃に転じようとするけれど、古(いにしえ)の封印が彼をその場に縛りつけ、法印の外に出ることを許さない。

 いきり立ったフールウールは、その怒りをぶつけるかのように辺りに紅蓮の炎を撒(ま)き散らした。

「うわッ!」

 吐き出されるその炎のあまりの勢いに、アキレウス達がたまらず飛び退(の)く。そこを狙って、炎の光弾が立て続けに撃ちこまれた。

 -----いけないッ!

「マーナ姫ッ……!」

 あたしが彼女を瓦礫の陰に引き込んだ直後、凄まじい爆音と共に辺りに爆風が吹き荒れた。吹き飛ばされた神殿の残骸なんかが、凶器と化して瓦礫にぶつかり、あるいは頭上を通り越していく。

 アキレウス! みんな……!

 マーナ姫を抱きかばうようにしながら、あたしは爆風が治まるのを待ち、瓦礫の陰から顔だけ覗かせて、そっと様子を窺(うかが)った。

 みんなは……!?

 炎と爆煙の立ちこめる中、必死に目を凝らすと、多少の傷は負っているものの、全員無事に立っている姿が確認できた。

 良かった……。

 ホッとしたのも束の間、フールウールが怪しい動きを見せた。二度、三度と、激しく翼を羽ばたかせる。

 何? また飛び立とうとしているの……?

 あたしの予想は外れた。フールウールの羽ばたきは激しい気流を生み、熱風となってアキレウス達に襲いかかったのだ!

 ゴォッ、と唸りを上げ、灼熱の風が吹き荒れる!

「くぅっ……!」

 魔法の加護でそれにどうにか耐えながら、アキレウスは剣を構え直した。

「何て熱風(かぜ)だ……! 肺が焼けそうだぜ!」
「だてに炎の魔人と謳われているわけではないようだな……!」

 苦々しく呟くパトロクロスの傍らで、ラオス将軍はぎりっと奥歯をかみしめた。

「古の封印に縛られていても、それが我々へのハンデにはならないということか……! 上等だ-----参る!」

 気勢を吐いて、ラオス将軍が駆け出した。続いて駆け出すアキレウスとパトロクロス-----その少し離れた位置から、ガーネットが戦士達に回復呪文を唱える。

「慈愛の女神よ、傷つき倒るる-----」

 その足元が、ガクンと揺れた。

 -----ガーネット!?

「! ガーネット!?」

 パトロクロスもその異変に気が付いた。

「くっ……」

 彼女は杖に寄りかかるようにして、どうにか身体を支えていた。顎の辺りでそろえられた漆黒(しっこく)の髪が白い頬にかかり、苦しげに呼吸するその表情を隠している。

 もう、魔力が限界なんじゃ……!?

 ガーネットは、ルザンとの戦闘でかなり魔法を使っていた。その前にもリトアの祠で戦闘になったって言っていたから、そこでも魔法を使っているはずだ。

 瓦礫の陰から思わずあたしが身を乗り出そうとしたその時、フールウールの光弾がガーネットに向かって放たれた!

「しまっ……!」

 ガーネットが唇をかむ!

 その瞬間、駆け戻ってきていたパトロクロスが彼女の前に飛び出し、盾をかざした。

 ガアァァアン!

 閃光と共に凄まじい爆音が響き渡り、その衝撃で盾が砕け、反動で二人が吹き飛ばされるのが見えた。

「パトロクロス! ガーネット!!」

 叫ぶあたしの後ろで、マーナ姫が青ざめながら、細い指を祈るように組み合わせる。

「パトロクロス様……」

 激しい不安が、あたしの中で高鳴り始めた。

「パトロクロス! ガーネット!」

 叫ぶアキレウスの姿も。

「おのれぇぇ!」

 フールウールに斬りかかるラオス将軍の姿も。

 雨に打たれ、傷を負い、汗とすすで黒く汚れたその顔には疲労の色が濃く、パトロクロスとガーネットは倒れたまま、まだ起き上がる気配がない。

 -----みんな、もう限界なんだ。

 激戦をくぐり抜けてきて、もうボロボロなんだ。

 みんなのピンチなのに……助けになりたいのに、力になりたいのに!

 何も出来ない-----あたしは。

 炎しか、使えないから。

「……ッ」

 炎の魔人に挑みかかるアキレウス達の姿が、涙でぼやけてきた。

 あたしは-----……!

 ぐぅっ、と唇をかみしめたその時、あたしは自分が大きな思い違いをしていることに気が付いた。



 -----違う……!



 その衝撃に、あたしは息を飲んだ。

 炎しか、使えないんじゃ、ない。



 炎しか、使ったことがないんだ……!



 あたしは目を見開き、自分の掌を見つめた。

 ついさっき、ガーネットに言われた言葉が脳裏に甦ってくる。


『炎属性と聖属性を組み合わせた、ってこと!?』


 それは、聖属性の魔法を単体でも扱えるっていうことなんじゃないだろうか。

 もし、それが聖属性の魔法を使えるということを意味するのであれば。

 試してみたことがないだけ……やれるかもしれない!


 炎と反対の性質-----冷気!


「ちょっと練習……」

 一人呟いて、あたしは炎を呼ぶ要領で冷気をイメージしてみた。すると、掌に冷んやりとした空気を感じた。

 -----いける!

 あたしはぐっと拳を握りしめた。

 もっと精神を集中させて、イメージを高めれば……きっと出来る!

 勢い込んだその時、たくさんの人の気配と物音が近付いてくるのに気が付いて、あたしはハッと後ろを振り返った。

「……あれは!」

 マーナ姫が声を上げる。

 小雨の降り注ぐ夜の森の中、炎に映し出された不死鳥の旗がひらめく。

 -----アストレアの援軍!

 ゆうに数百騎を超えるその軍勢の登場に、嬉しくて安堵する反面、あたしは正直戸惑った。

 どうしよう……とりあえずマーナ姫を連れて行って現状を説明しなくちゃいけないんだろうけど、今は。

 今はその時間が惜しい!

 一刻も早くみんなを助けたい!!

 思いの狭間で揺れるあたしに、マーナ姫が静かな声で話しかけてきた。

「オーロラさん」
「はっ……はい!?」
「私が指揮官に現状を説明してきます」
「え……」

 意外なその申し出に、あたしは驚いて彼女の顔を見つめた。

「何か、皆様の助けとなる術(すべ)を見つけられたのでしょう? 今、貴女にしか出来ないことをして下さい。私は、今の私に出来ることをします。私でもこの足で走って、伝令の役目を果たすことくらいは出来ますから」

 青玉色(サファイアブルー)の瞳に聡明な光を湛えて、マーナ姫は微笑んだ。

 マーナ姫……。

「でも……いいんですか?」
「私も、何かの役に立ちたいんです。皆様の為……この国の為に! 私は、このアストレアの王女なのだから……!」

 そう言って、彼女はあたしの手を握りしめた。

「パ……皆様を……ラオスを、お願いします。オーロラさん……!」

 彼女の心からの想いが掌から伝わってきて、あたしはきつく唇を結び、頷いた。

「……分かりました。お願いします! 援軍の方達には-----」
「フールウールには並みの者が束になってかかっても、いたずらに犠牲を増やすだけ。混乱を避ける為にも、現状通り少数精鋭で臨む方がよろしいのでしょう? ただでさえ、“炎の魔人”の名は“紅の魔女”ルザンと共に、アストレアの者にとって畏怖(いふ)を呼び起こすもの……援軍は後方に待機させ、戦いの動向に留意しつつ、森林火災の延焼を防ぎに当たらせます。これでいかがですか?」

 その毅然とした回答に、言いかけたあたしの方が唖然としてしまった。

「……いいと思います!」

 たおやかで、儚(はかな)げな印象の強いマーナ姫。

 でも。

 アストレアT世の子孫……なんだなぁ。

 そんなことを、実感した。

 今度は、あたしの番……戦いの中に、行こう。

 みんなを助けるんだ……!

 アキレウスとラオス将軍がフールウールに立ち向かうのを遠目に見ながら、あたしはまず、パトロクロスとガーネットの元に向かった。

 二人ともまだ倒れたまま、意識を失っている。

 ガーネットには目立った外傷は見当たらなかったけど、パトロクロスの左腕は折れ、血まみれで、肘から下がおかしな方向に曲がっていた。光弾を盾で受け止めたせいだ。

 盾は持ち手の部分だけが残り、完全にその原型を失っていて、籠手(こて)ももう使い物にならないほど破損している。

「パトロクロス……ガーネット!」

 二人の名前を呼びながら頬を叩くと、ガーネットの方に先に反応があった。

「……ん」
「ガーネット! 大丈夫!?」

 彼女はうっすらと目を開け、ぼんやりとあたしを見た。

「……? オーロラ……? あたし……」

 呟いて、ハッとしたように身体を起こす。

「……パトロクロス!」

 すぐ近くで横たわる彼の姿を見て現状を察すると、彼女は素早くその状態を確かめた。

「ひどいケガ……ゴメンね、今治すわ……!」

 震える指でパトロクロスの頬をなでると、ガーネットは呪文を唱え始めた。

「慈愛の女神……よ……傷つき倒、るる……」

 苦しげな息の下から、切れ切れに呪文を紡ぐ。

 ああ、やっぱりもう、魔力が限界なんだ。

「“慈愛の癒し手(ティアー)”!」

 最後の魔力(チカラ)を振り絞ったガーネットの魔法が、傷ついたパトロクロスの身体を包み込む。

「-----っ、はぁっ、はぁっ……」

 両手を突き、荒い呼吸を繰り返す彼女に向かって、あたしは声をかけた。

「アストレアの第一陣の援軍がさっき到着したの。今、マーナ姫が状況を説明しに行ってくれている……援軍は戦況を確認しつつ、森林火災の延焼を防ぎに当たってくれるそうだよ。二人はそこで休んでいて。あたしはひとつ、試したいことがあるから」
「……? オ、オーロラ……?」
「上手くいけば、フールウールを倒せるかもしれない……!」

 ガーネットにそう言い置いて、あたしはアキレウス達の元へと駆け出した。



*



 激化する戦闘の下、アキレウスがラオス将軍に問いかけた。

「将軍……ヤツに喰らわせる技は残っているか……?」
「いいえ……残念ながら。正直、剣を振り回すのがやっとという有様です……情けない」

 苦々しく返答するラオス将軍に、アキレウスはこう持ちかけた。

「オレはひとつ残っているんだが……技を出す間、あんたにヤツの注意を引きつけてもらいたい。出来るか?」
「……騎士の名に懸けて!」

 二人は視線を交わし合うと、ニヤリと笑った。

「……参る!」

 熱い思いを胸に、ラオス将軍がフールウールの元へ飛び込んでいく。

 その彼らの後方、少し離れた場所に佇(たたず)み、あたしは精神力の集中に入った。

 -----冷気……凍(い)てつく氷の刃(やいば)……よ……。

 ヒョオォォ……。

 緩やかな冷気の気配が、静かにあたしの周りに集まり始めた。

 戦場ではラオス将軍がフールウールの炎をかいくぐりながら、見事その役目を果たしていた。

 呼吸を整え、アキレウスが目を見開く!

「喰らえッ-----覇王剣(はおうけん)!」

 ドッ、と龍の形を纏った闘気が剣(つるぎ)から放たれた。一拍遅れて、フールウールが振り返る-----その口の中に炎の光弾が生まれた瞬間、アキレウスの闘気が炸裂した。

 ドオオオォオン!

 大爆音が轟き、辺りに衝撃波を巻き起こす!

 結界が激しく軋むのを感じながら、あたしは集中力を高めることに努めた。

 まだ……もう少……し……。

「アキレウス殿っ-----!」

 吹き荒れる爆風から身をかばいながら、ラオス将軍が彼の安否を気遣う。

 そのアキレウスは、フールウールの足元にいた。

 闘気を放ってすぐ、彼は死線をくぐり抜け、その足元まで詰め寄っていたのだった。

「-----これで終わりだ、バケモノッ!」

 渾身(こんしん)の力を込め、アキレウスが剣を振るう!

「グオォオォーッ!!」

 爆煙の中から突如現れたアキレウスに袈裟懸(けさが)けに斬りつけられ、フールウールが絶叫する!

「決まった!」

 ラオス将軍が拳を握りしめたその時、フールウールの眼がぎょろりと見開かれると、鋭い鉤爪(かぎつめ)のついた燃え盛る腕がアキレウスの側面に振り下ろされたのだ!

「がッ……!」

 痛恨の一撃を受け、よろめいたアキレウスの両腕をフールウールは掴み上げると、金色の両眼を怒りに燃やし、その肩口に鋭い牙でかみついた!

「あああぁッ!」

 アキレウスの口から苦痛の声がもれる!

「アキレウス殿ッ!!」

 慌てて駆け寄るラオス将軍-----その瞬間、ひと筋の閃光が夜空を駆けると、フールウールの左目を貫いたのだ!

 意識を取り戻したパトロクロスが投げた短剣だった。

「ギャオォオーッ!!」

 激痛にフールウールはのたうちまわり、そのはずみで放り出されたアキレウスをラオス将軍が受け止めた。

「アキレウス殿、ご無事か!?」
「痛(つう)ッ……あぁ、何とか……! くそ……一撃じゃ、倒すことが出来なかったか……!」

 左肩を真紅に染め、両腕に火傷を負ったアキレウスは、苦痛に顔を歪めながら、どうにか身体を起こした。

 その眼前で、怒り狂ったフールウールはパトロクロスの姿を捉えると、再び炎の光弾を口の中に生み出した。彼の側には、魔力を使い果たし、思うように身動きの取れないガーネットがいる。

 精神を集中する為、両眼を閉じていたあたしは、その時、何か大きなチカラが脈動するような気配を感じた。

 大きな大きな……魂が震えるような、熱いチカラ-----!

 瞼の向こうに、氾濫する黄金の光が広がっていく……!


「う……おおおぉーッ!!」


 アキレウスの怒号と共に、彼の身体から迸(ほとばし)った黄金(きん)色のオーラが閃光と化し、今まさにパトロクロス達に襲いかからんとしていた炎の光弾とぶつかって、凄まじい光と共に大爆音を伴い、辺りに衝撃波を巻き起こした!

 ドド、ドオオォォン!

「……!」

 パトロクロスがガーネットを抱きかばう。

 瓦礫が吹き飛び、周囲の木々が薙ぎ払われる。
 
 戦況を見守っていたアストレアの兵士達から上がる、悲鳴-----。

 頭をかばうようにして低く伏せっていたラオス将軍は、目の前の地を蹴り、フールウールに斬りかかるアキレウスの姿を見た。


「ギャオオオォーッ!!」


 瀕死(ひんし)の重傷を負った炎の魔人の絶叫が辺りに轟く!

 全ての力を使い果たし、ガクリと膝を折るアキレウス-----血にまみれたフールウールはこの場から逃れようと、コウモリのような翼を大きく広げた。

 けれど、古の封印がそれを許さず、彼を大地に縛りつける。

 幾度も大地に叩きつけられ、怒りに狂うフールウールは、無慈悲な封印に抗議するかのように、紅蓮の炎を撒き散らした。

「何て、ヤツだ……これほどの攻撃を受けても、倒れねぇのかッ……」

 切れ切れの息の下から、フールウールをにらみつけるアキレウス-----ラオス将軍は、息を飲んで自らの剣を握りしめた。

「これが……アストレア伝説の“炎の魔人”フールウールかッ……」

 -----ヒィ……ン。

 その時、冷気があたしの呼びかけに応えた。

 頂点に達する、集中力-----あたしを軸に冷気が風となって巻き起こり、掌に冷たく輝くチカラが生まれる……!

 -----行けッ……!

 鋭く尖った無数の氷の刃が、翼を広げたフールウールの背を刺し貫く!

 -----出来たっ……!

「グ、ア、オッ……」

 短く呻き声を上げ、ビクリとその動きを止めたフールウールは、どうにか氷の刃を引き抜こうとそれに手を当てたけど、そこへ更なる氷の槍が襲いかかり、その肉体を深々と穿(うが)った。

「グオオオォーッ……!」

 最後の力を奪い去られ、断末魔の声を残し、フールウールが自らを縛り続けた大地に崩れ落ちる。

 二度、三度、あきらめきれぬように翼を羽ばたかせると、その身体に燃え盛る炎が少しずつ弱まっていき、やがて、静かに消えていった。

 伝説の炎の魔人、フールウールの最期だった。



*



 アストレアに古くから伝わる伝説の魔人フールウールを倒したあたし達は、アストレアの兵士達に英雄として迎えられた。

 賞賛の嵐の中、あたし達は用意された天幕へ通され、マーナ姫に白魔法で傷を癒してもらった後、改めて彼女からお礼を言われた。

「本当に……皆様のお陰で我がアストレアは救われました。何と感謝の言葉を申し上げてよいか、言葉が見つかりません。本当に……本当に、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる彼女に、パトロクロスは微笑みながらこう答えた。

「礼には及びません。私達にも無関係なことではなかったのですから、そんなに恐縮しないで下さい」
「パトロクロス様……」

 瞳を潤ませてマーナ姫がうつむいたその時、ラオス将軍が天幕の外から顔を覗かせた。

「皆様、ささやかではありますが、あちらに食事の用意が出来ました。よろしければ召し上がって、今夜はこちらの天幕でゆるりとお休み下さい。明日、王城まで私がお連れ致しますゆえ」

 その言葉に、あたし達は目を輝かせた。

 ご飯! わぁっ、嬉しいな。

 お昼に簡単な食事を取ってから、ずっと何も食べていなかったもんね。お腹ぺっこぺこだ。

 以前のあたしだったら疲れ果てて、とてもご飯どころじゃなかっただろうな。すぐにでも眠りにつきたい! ってカンジだったけど、こっちの世界に来てからというもの、食べられる時に食べるという習慣がバッチリ身についた。

 だって、めちゃくちゃ体力使うんだもんね。いつ何があるか分からないし、食べないと身体がもたないんだもん。

 降り続いていた雨はいつの間にか止み、黒い雲の間からにじむ月の光と、森を彩る炎とが、ぼんやりと夜の闇を照らし出していた。

「いやー、今回は正直ヤバかったよなぁ」

 大きく伸びをしながらアキレウスが呟いた。

「ホーント、ルザンの後にフールウールまで出てきた時にはどうしようかと思ったわ」

 お皿を手に取りながらガーネットが言う。

 料理は簡単なビュッフェ形式になっていて、何点かある料理を各自お皿に取って食べれるようになっていた。

「全員無事で何よりだ。伝説と謳われた魔女と魔人を、今日一日で二人も相手にしたわけだからな」

 スープを盛るパトロクロスの言葉に、あたしは大きく頷いた。

「何か、振り返ってみると現実離れしているっていうか……まるで夢でも見ていたみたいだよね」

 丸太に腰を下ろして食事をしながら、あたし達は今日の戦いについて語り合った。

 様々な場面でのそれぞれの想い、アキレウスのオーラのこと、あたしの魔法のこと-----話題は、尽きない。

 この戦いって、後世にまで語り継がれる戦いだったんじゃないかな。

 仲間達の顔を見ながら、あたしはふと、そんなことを思った。

 あたし達がいなくなった後も、親から子へと語り継がれる、伝説の戦い。

 伝説の魔女と魔人を、伝説の戦士達が打ち破った-----そんな、戦い。

 もしかしたらあたしは今、未来の英雄達と肩を並べているのかもしれないな……。

 フールウールとの戦いがほんのさっきまで続いていた証(あかし)のように、森はまだ赤く色づき、きな臭い匂いが辺りに立ち込めている。延焼を食い止める為、兵士達が忙しそうにあちこちを行き交っていた。

 あたし達は、忘れていた。

 様々な出来事が立て続けに起きた為に、心身を消耗する激しい戦いが連続した為に、重大なことを忘れていた。

 そして、それにまだ、誰一人として気が付いていなかった。

「あ」

 水を飲もうとしてカップが空になっていることに気が付き、あたしは立ち上がった。

「お水持ってくるけど、アキレウスもいる?」
「あぁ、サンキュ」

 彼のカップを受け取りながら、あたしはパトロクロス達を振り返った。

「二人は? いる?」

 ……って、あれ? いないし。

「たった今、逃げるパトロクロスをガーネットが追いかけていったぜ」
「また? もー、元気なんだから」

 アキレウスのオーラとフールウールの光弾がぶつかって衝撃波が起きたあの時、パトロクロスがとっさにガーネットを抱きかばって守ってくれたらしいんだけど、彼女はそれがとっても嬉しかったらしく、テンションが最高潮になっていて、彼を辟易(へきえき)させていた。

 まぁ、気持ちは分かるけど、あの二人に疲労っていう言葉はないのかね?

 水甕(みずがめ)のところまで行き、コックを捻って水を注ぐあたしの脇を、一人の騎士がスッと通り過ぎていった。

 何気なくその顔を見たあたしは、見覚えのある目鼻立ちに小首を傾げた。

 つぶらな瞳が印象的な、若い騎士。

 あれ? どこでこの人見たんだっけ?

 すごく最近のことだったような気がするけれど……。

 どこ、で-----……。

 それに気が付いた瞬間、あたしは全身の血が引いていくのを覚えた。

 ガシャン、と音を立てて、手に持っていたカップが地面を転がる。

 あぁ、そうだ-----今日の昼間、あたしにマーナ姫の居場所を教えてくれた人だ!

 騎士は歩調を緩めずに、真っ直ぐ前に進んでいる。その先にいるのは-----。

 心臓が一回、鼓動を飛ばした。

「オーロラ、何やってんだよ」

 アキレウスが立ち上がって、こちらを見つめている。

 ダッ……ダメ……。

 息を飲んで、あたしは走り出した。

「-----アキレウス様、ラオス将軍からの伝言です」

 騎士がアキレウスに話しかけた。その手は、剣の柄にかかっている。

「えっ?」

 反応するアキレウスに、あたしは悲鳴のような声を放った。

「アキレウス、逃げてぇッ!!」

 次の瞬間、騎士が剣を振り抜くと、いきなりアキレウスに斬りかかったのだ!

「!」

 アキレウスは素晴らしい反射神経でそれをかわすと、傍らに置いてあった愛剣を抜き放ち、逆に騎士に斬りつけた。

 その瞬間、騎士の肉体が割れ、中から黒装束に身を包んだ死霊使い(ネクロマンサー)が現れたのだ!

 その手には、鋭く光る銀の短剣。

 アキレウスは、剣を振り切ってしまっている……!

「しまった……!」

 舌打ちする彼に、妖しく光る双眸(そうぼう)が死の宣告を下す!

「伝説の地図に選ばれし者に、死を……!」

 -----間に合って!!

 心の中で祈りながら、あたしは跳んだ。

 伸ばした指先が、アキレウスを突き飛ばす。

 彼の前に飛び出した、あたしの背に。

 銀色の刃が、振り下ろされた。



 その瞬間、背中に激痛が走った。



 -----あ……。



 いつかの光景が、頭の中をフラッシュバックする。



 溢れ出る、生々しい血の感触。

 激痛を伴ってちぎれる、肉の音。

 冷んやりとした、石畳の匂い。

 薄暗い灯りの下-----冷ややかな光を放つ、蒼天色(スカイブルー)の瞳……。



 -----コロサレル……!



 スローモーションで、地面が近付いてくる。



 -----逃ゲナ、キャ……。



 パトロクロスが、ガーネットが、異変に気が付いた人々が、駆けつけてくる。たくさんの声が、音が、あたしを取り巻く全てが、ひどく遠くに感じられた。

(オーロラ!)

 誰かが崩れ落ちるあたしの腕を掴んだ。

 薄れゆく意識の中、あたしはもう片方の腕を宙空に伸ばした。



 -----ドコカ、遠ク……ヘ……。



 空間にかかった指を横へ引くと、そこが裂けて、眩(まばゆ)い光に溢れる入口が現れた。
 
 何を考えることもなく、溢れ出る光の中に、あたしは身を投じた。



 -----ドコカ、安全ナ所ヘ……!





--------------- 『見ツケタ……!』 ---------------





 光の海に沈む前に、溟(くら)い海の底から響くような声を、聞いた気がした。

 それを記憶として繋ぎ止める前に、あたしの意識は光の中に溶けていったのだった。



*



「いったい、何が起こったの……」

 目の前で起こった現実を飲みこめず、茫然とガーネットが呟いた。

「何が起こったというんだ……」

 血の滴る長剣を握りしめたまま、同じく茫然と立ち尽くすパトロクロス。その足元には、斬り伏せられた黒装束の男が転がっている。

 今回の一連の事件の黒幕と思われる死霊使い(ネクロマンサー)だった。

 その場に居合わせた者達は全員、二の句を継ぐことが出来なかった。



 オーロラとアキレウスは、その場から消失してしまっていたのだった。
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