「魔物(モンスター)の気配が、まるでしないな……」
あたしを背負いながら森の中を進むアキレウスが言った。
「何ていうか……清められた“場”にいるみたいだ」
その森には、どこか不思議な雰囲気があった。
清浄にして異質……聖域、とでも呼べばいいのかな。
上手く言えないけど、普通とはどこか違う空気を、この森は纏っている。
この森の奥から空へと立ち上る煙を見つけたのはアキレウスだった。
煙が上がっているっていうことは、そこに人がいる可能性が高いわけで-----右も左も分からない、完全な迷い人状態となっていたあたし達は、一路そこを目指して、深い森の中を進んでいるのだった。
煙は今も立ち上り続けていて、あたし達の道標(みちしるべ)となってくれている。
アキレウスの背に身体を預けながら、昨日からのことを思って、あたしはとても申し訳ない気持ちになった。
表には出さないけど、アキレウスもひどく疲れているはずだよね。あの激戦の後に休む暇もなく、あたしとこっちに飛ばされちゃったんだもん。
きっと、一睡もしていないんじゃないかな。
それなのに、今もこうしてあたしを背負って、こんな森の中を延々歩いていて。
「……アキレウスを助けるつもりが、逆にまた助けられちゃったね」
しょんぼりとそう言うと、彼は軽く首を振った。
「何言ってんだ、充分助けられたよ。あの時オーロラがかばってくれなければ、オレは今頃こうして立っていることが出来なかったかもしれない-----スゴく、感謝してる。本当に」
「……そう言ってもらえると、あたしも救われる」
ちょっとはにかむあたしを振り返って、アキレウスはこう尋ねた。
「……どうして、分かったんだ?」
「え?」
「あの騎士が、死霊使い(ネクロマンサー)に操られていたこと。オレは……情けないことに、直前まで全く気付かなかった。フールウールを倒して、ヤツが出てこなかった時点で、今回ヤツは退(ひ)いたんだと-----そう、思い込んじまっていたんだ。戦闘のプロとして、失格だ」
きつく唇を結んで、彼は自分を責めた。
「そんな……昨日のあの事態は、普通じゃなかったもの。それに、あたしも正直、死霊使い(ネクロマンサー)のこと忘れていたの。ただ、ハンヴルグ神殿に向かう途中で、あの騎士と話をしたことを覚えていて-----一緒に神殿へ向かった人達は皆死んでしまったはずだから、彼がここにいるはずがない、おかしいって思って。それで-----気が付いたの」
「……どんな状況だったにしろ、許されることじゃない。ヤツの狙いがオレだっていうのは、分かっていたことなんだ」
アキレウスの言う通り-----ルザンも、フールウールも、アストレアという一国を巻き込んだ今回の件は全て、彼の命を狙う為の布石だった。
あたし達の敵となる存在は、それほどまでに-----シヴァを復活させまいとしているらしい。
その冥(くら)く深い、禍々しい影に、あたしは背筋が冷たくなるのを覚えた。
シヴァの地図に選ばれた、アキレウスの背負う業(ごう)の深さがズシリと伝わってくる。
辛いのも怖いのも、あたしだけじゃない。
共に旅をするパトロクロスだって、ガーネットだってそうだ。
あたし達は仲間……四人で助け合って、支え合って進んでいかなければ……!
「傷……痛まないか」
黙りこんだあたしに、アキレウスが声をかけてきた。
「少し……でも、大丈夫だよ」
「……ガーネットに頼りきっていて、あまり傷薬も持っていなかった。もし傷が残るようなことがあったら、ごめんな。本当に……すまない」
沈痛な面持ちで瞳を伏せる彼に、あたしは慌ててこう言った。
「あ……そんなに気にしないで。いいの、元々傷だらけだし……今更ひとつくらい増えたって、どうってことない」
うつむいて、あたしは小さく笑った。
「……あたしの背中の古傷、見たでしょ?」
「……あぁ」
「あれ……ね、あたしの過去を知っている傷なんだ。あの傷を負って道端で倒れていたところを、酒場のマスターが見つけて、手当てしてくれて。生死の境を彷徨(さまよ)っていたあたしを助けてくれたの。気が付いた時には、記憶を失くしていた……この傷は、あたしが記憶を失くした原因に繋がっているんだ」
記憶を失くす前、あたしはどこの誰で、何をしていたのか……どうして、この傷を負うことになったのか。
酒場で踊り子として働きながら、いつかお金を貯めて、自分の過去を探しに行きたい……そんなふうに、思っていた。
あの頃が、今ではひどく遠くに感じられる。
「記憶を取り戻したら……自分の能力(チカラ)を、すんなり受け入れられるのかな。当たり前のことみたいに、何を怖がっていたんだろうって……そう、思えるのかな」
自分に問いかけるようにそう呟(つぶや)いたあたしに、アキレウスは大きく頷いた。
「当たり前だろ。オーロラはオーロラなんだから」
彼を力づけようと思ったのに、また逆に励まされてしまった。
あぁ、アキレウスは強いな。どんな時でも、他人(ひと)を思いやるゆとりがある。
いつかこんなふうに、彼を支えることの出来る人間になりたい……そう、あたしは思った。
*
どうにか日が暮れる前に、あたし達は煙の元へとたどり着くことが出来た。
レンガ造りの、どっしりとした山小屋。三角屋根についた太い煙突からもくもくと白い煙が吐き出され、金属を打ちつけるような音が辺りに響いている。
「すいません」
アキレウスが頑丈そうな木のドアをノックしながら呼びかけたけど、聞こえないのか、中からは何の反応も返ってこない。
「すいません」
もう一度呼びかけながらアキレウスがドアのノブを回すと、鍵のかかっていなかったそれが開いて、中から響いていた金属的な音がピタリと止んだ。
開いたドアの間から、室内のムアッとした熱気と金属の匂い、そして、炎に映し出されてこちらを振り返る小柄な人影が見えた。
小柄……っていうか、縦には小さいんだけど、横には大きい。立派な白髭(しろひげ)と大きな鷲鼻(わしばな)が特徴的な、ずんぐりむっくりした赤ら顔のおじいさん。その耳は、先端がわずかに尖っている。
この特徴のある体つきは、確かドワーフっていう種族だったと思う。
「すいません、ノックしたんだけど応答がなかったんで」
そう断るアキレウスを鋭い目でジッと見つめ、おじいさんは金鎚(かなづち)を持っていた太い腕をゆっくりと下ろした。
「……旅人か。珍しいな」
「実は、道に迷って。ここがどこなのかってことと、アストレア城までの道のりを教えてもらえませんか。あと、できれば少し休ませてもらいたいんですけど」
「……ケガ人か」
アキレウスに背負われたあたしに気が付いたらしく、おじいさんはそう呟くと、無言で中に招き入れる仕草をした。
「どうも。助かります」
「ありがとうございます」
ホッとして、あたし達は顔を見合わせた。
良かった。無愛想な感じだけど、悪い人じゃないみたい。
あたし達にイスを勧めながら、おじいさんは呟いた。
「ケガ人を連れてここからアストレアの王城まで……か。どこから迷い込んできたのか知らんが、一種の賭けだな。ワケありか」
「まぁ……」
その言葉にあいまいに頷きながら、アキレウスは尋ねた。
「ところで、ここは? この森はいったい……」
「さぁな。今は、どの辺りを彷徨(さまよ)っているのか……ワシにも分からん。名前くらいは聞いたことがあるだろう-----ここが“まほろばの森”だ」
はぁ? まほろばの……?
ぽかんとするあたしとは対照的に、アキレウスの翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳が驚きに見開かれた。
「なん……!? ここが、“まほろばの森”!? あの……!?」
彼の驚きの意味が理解できず、あたしは小首を傾げながら問いかけた。
「ねぇアキレウス、まほろばの森って?」
それを聞いたおじいさんが、もの珍しそうにあたしを見た。
「この森を知らんのか、お嬢ちゃん」
「はぁ……」
「そいつは希少だな。このまほろばの森ってのは、霊木が集まって出来た、いわゆる聖地。神秘的な力の宿る不思議な森だ。聖なる結界によって守られ、その正確な位置を知る者は誰もいない……たまーに迷いこんでくる、お前さん達のような者はいるが、それ以外は誰も訪れることのない、陸の孤島、伝説の森-----そう呼ばれる所以(ゆえん)だ。おとぎ話としてならば、ほとんどの者が聞いたことのある、そういう森だよ」
「オレも、実在する森だとは思っていなかった……」
呆然とした面持ちで、アキレウスが呟く。
へぇ……普通の森とはどこか雰囲気が違うと思っていたけれど、そんなに有名な森だったなんて。
「ぽかんとしとる感じだがな、お嬢ちゃん。この森の神秘的な力を何よりも体感しとるのはあんただと思うぞ」
「え?」
あたし……?
「ケガしとるんだろう? 朝に比べて、身体はだいぶ楽になってきとるんじゃないのか」
そう言われてみれば……痛みも小さくなっているし、気分の悪さも薄らいできている……かな……?
「そうかも……」
「この森には、生物の持つ治癒能力を高める働きがあってな。軽いケガなら、一日足らずで治っちまう。ケガしたのは気の毒だったが、ケガした場所が良かったな」
ケガしたのは、別の場所でだったんだけど……。
微妙な笑顔を浮かべるあたしの隣で、アキレウスがおじいさんに問いかけた。
「ここがまほろばの森だってのは分かったけど……ここを抜けるには、どうしたら----? それに、じいさんがさっき言ってた、『どの辺りを彷徨ってるのか分からん』ってのはどういう意味だ?」
「……その言葉通りの意味だよ」
そう言って、おじいさんは窓の外の風景を見やった。
「この森は、動いている。ずうっと昔から……不定期に、地球上を彷徨い続けとるんだ」
え?
あたし達は、思わず顔を見合わせた。
-----えぇ!?
「……森が、動く? まさか-----」
「ここにしばらく滞在すりゃ、嫌でも分かる。地球の表から裏へ移動なんてのもままあることだ。突然夜になったり、朝になったり……自分のいる場所どころか、日にちの感覚もなくなるぞ」
そういえば確かにあの時、夜のアストレアからここへ飛ばされたはずなのに、太陽の光を感じて、不思議に思ったような記憶がある。
あまりの話に言葉を失くすあたし達を見やり、おじいさんは続けた。
「この小屋に来るまでの道中、妙なモノを見かけなかったか?」
「え? あぁ……そういえば、古びた装置みたいなヤツが……」
「同じようなモノが、この森にはそこら中にある。『旧世界』の遺産そのものなんだよ……この森は」
どういう、意味……?
息を飲むあたし達を見据え、おじいさんはこう語った。
「つまり、この森はその昔、旧世界の人間共が作り上げた人工の森なのさ。森の形はしとるが、その中身はまるで船だ。『カガク』とやらのチカラで、その動力部分は未だに動いとるらしい……。森には、自然の洞穴にそっくりの住居跡や、貯蔵庫があったような痕跡がいくつも見られる。不定期に移動を繰り返すのは、その位置を悟られないようにする為-----森の形を纏ったのは、敵の目を欺(あざむ)く為、そして食料を確保する為だったのか……。その在り様は、まるで古い神話に登場する“方舟(はこぶね)”のようだ」
旧約聖書の、ノアの方舟。
いつか聞いた、古い記憶が頭の片隅に思い浮かんだ。
義人ノアは、人類の堕落に怒った神の命を受けて方舟を造り、その家族と一つがいずつの動物達と共に乗りくみ、神が起こした大洪水を生き延びて、人類の新たな祖になったという。
「彼らはいったい何から逃れる為にこの“方舟”を造り、そしてどこへ消えたのか-----それを知る者は、既にこの世にはいないのだろうがな。“まほろばの森”の正体は、“旧世界の方舟”なのさ」
思いもよらなかった事実を知らされ、あたし達はただ愕然とするしかなかった。
この森全体が、『旧暦』の遺産-----。
「-----まぁ、だからと言って、この森を抜ける方法がないわけじゃない」
おじいさんはそう言ってちょっと唇の端を上げると、だぼっとした短衣(チュニック)の腰に紐(ひも)でくくりつけてあった皮袋の中から、おもむろに小さな容器を取り出して、アキレウスに手渡した。
「詳しいことは後で話してやる。まずは、これをお嬢ちゃんにつけてやれ」
「これは……?」
「ワシ特製の超高級傷薬だ。野郎には絶対使わせんが、可愛いお嬢ちゃんなら話は別だ。つけてやれ」
「……。どうも……」
「そこの奥の部屋を使うといい。ワシはここで作業をしている。傷の手当てが終わったら出てくるといい……久し振りの客人だ、茶くらい出してやる」
「……ありがとうございます」
あたし達はその言葉に甘えさせてもらうことにした。
「不思議な感じの森だとは思っていたけど、ここがまさかあの、まほろばの森で-----しかも、そんな謂(いわ)れのある所だったとはな……ビックリだ」
「ホントだよね。何だか、とっても不思議な感じ……歴史は繋がっているんだなって-----そう、実感した」
あたしの居た時代から-----悠久の時を超えて、確かにこの時代へと、地球の歴史は繋がっているんだ。
「そう考えると、不思議だな……」
アキレウスはゆるゆると息を吐き出しながら、受け取った薬の蓋を開けて、その匂いを確かめた。
「変な匂いはしないな。オーロラ、外套(がいとう)を外して」
「うん」
備え付けのベッドの端に腰を下ろしていたあたしは、彼の言葉に頷きながら羽織っていた外套を外そうとそれに手をかけ、ハタとあることに気が付いた。
当たり前の話だけど……傷に薬を塗るってコトは、包帯を外さないといけないってコトだよね。
それに気が付いた瞬間、一気に鼓動が速くなるのを覚えて、あたしはぎゅっと拳を握りしめた。
ど……どうしよう。
すっごい、緊張してきた。
「オーロラ?」
「あ……う、うん……」
ためらいながら、あたしは外套を外し、壁側を向いた。
長い黄金(きん)色の髪が邪魔にならないように後ろから前へと持ってきながら、必死に自分に言い聞かせる。
傷の手当て、傷の手当てなんだから!
落ち着け、あたしの心臓……!
真っ赤になっている顔は、幸いアキレウスに見られる心配がない。あたしはひとつ深呼吸しながら、自分を落ち着かせようと瞳を閉じた。
「包帯……外すぞ。いいか?」
「う……うん」
小刻みに身体が震えるのを意識しながら、あたしは頷いた。
一度手当てはしてもらっているわけだし、その時に身体を見られちゃってるんだから今更、とは思うんだけど、意識があるのとないのとじゃ、やっぱり全然違う。
スゴい、恥ずかしいよ……。
アキレウスの手が包帯に触れるのを感じた瞬間、心臓が飛び出しそうになって、あたしは思わず息を詰めた。
ど……どうしよ。心臓、壊れそう……。
アキレウスの手が、あたしの上半身(カラダ)にきつく巻かれた包帯をゆっくりと外していく。
アキレウスは……平気なんだろうか。
あたしだけ、こんなふうにバカみたいにドキドキしているんだろうか……。
背中に彼の視線を感じながら、あたしは一人、そんなことを思った。
「……スゴい。もうほとんど、傷がふさがってきている」
露わになったあたしの傷を見つめ、アキレウスが感嘆の息をもらした。
「ホ……ホント?」
「あぁ。昨日とはエラい違いだ。これで“この薬(コイツ)”が効いてくれれば……」
「んっ……!」
彼の指が直接肌に触れた瞬間、思わず身体がビクンと跳ねてしまった。
「痛いか?」
「だっ、大丈夫!」
はっ、恥ずかしい〜!!
真っ赤になってうつむくあたしの背中の傷を、アキレウスの指がゆっくりとなぞっていく。
頬を染めて息を殺すようにしていたあたしは、その時、異変に気が付いて顔を上げた。
何……? 痛みが引いていく……?
「すげ……!」
アキレウスが驚きの声を上げた。
「傷が消えていく……! 何だ、この薬!?」
「ウソ!? ホ、ホントに!?」
ささやかな胸を両手で隠しながら、あたしは肩越しに彼を振り返った。
「ホントだって! もう痛くないだろ?」
「う……ん」
あたしは軽く身体を動かしてみた。
本当に、もう痛くない。
あの引きつれるような痛みが、ウソみたいに消えていた。
「ホントだ……痛く、ない」
スゴい……おじいさんの言っていたこと、大げさじゃなかったんだ。
「マジで超高級傷薬だぜ……」
呟いて、アキレウスはおじいさんにもらった半透明の軟膏をじっと見つめた。
「この薬といい、まほろばの森に住んでいることといい……何者なんだ? あのじいさん」
謎だらけの人だけど……悪い人じゃなさそう、だよね。
手当てを終えたあたし達が部屋から出てくると、おじいさんは一心不乱に剣を打っているところだった。
真っ赤に熱された金属に年季の入った金鎚が振り下ろされる度、火花を散らせて、それに命が吹き込まれていく。
炉にくべられた炎に赤々と照らし出されたその横顔は厳しく、とても崇高(すうこう)で、その業(わざ)は、見ている者を引き込んでしまう不思議な力強さと美しさに溢れていた。
「すげぇ……」
隣でアキレウスがゴクリと息を飲むのが分かった。
あたしでも見とれてしまうんだもん、剣についての造詣(ぞうけい)が深い彼からしたら、もっと深く感じるものがあるんだろうな。
あたし達はしばらくの間、声をかけるのも忘れてその光景に見入っていた。
「何だ、もう手当ては終わったのか」
おじいさんがあたし達に気が付いて手を止めた。
「そこら辺に適当に座ってろ、今茶を入れてやる」
そう言ってずんぐりむっくりした身体を重そうに起こすと、火にかけてあったやかんのところまで歩いていった。
おじいさんがお茶を入れてくれている間、改めて作業場の中を見渡していたあたしは、壁のあちらこちらに無造作に立てかけられた、数々の見事な武器に目を奪われた。
剣に斧、槍……様々な種類の武器があったけど、そのどれもが、独特の存在感を放っている。
「すげぇなぁ、どれもこれも業物(わざもの)だ……」
アキレウスは翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳をきらきらさせながら、興奮した面持ちで溜め息をもらした。
その子供みたいな表情が可愛くて、あたしの胸がきゅん、と切ない音を立てる。
どうしよ……どんどん、アキレウスを好きになっていく。
こんなに好きになって、どうしたらいいんだろう。
「ほらよ」
おじいさんが深い味わいのある陶器のカップにお茶を入れて持ってきてくれた。
「わぁー、いい香り」
「ワシ特製の永命茶(えんめいちゃ)だ。これを毎日飲めば、健康で長生き出来る。ふふ、製法は秘密だがな」
「このカップ、面白い造りだなぁ」
「ワシ特製の湯呑みだ。この色味が絶妙だろう? このデザインもワシならではの、ちょっぴり遊びを取り入れた、アイデンティティーに富んだ一品だ」
確かさっき渡してくれた薬も、「ワシ特製」って言っていたよね……。
あたしとアキレウスは顔を見合わせた。
「スゴいね……」
「スゴいな……」
その言葉を聞いたおじいさんは、ジロッとあたし達をにらみつけた。
な、何かマズいコト言った!?
と、思ったら。
ぎょろりとしたその目尻が下がり、にこーっと細められた。
「そうか? すごい? すごいか? まぁ、元来ドワーフは見てくれと違って、手先が器用な種族ということで有名だがな。まぁワシは、その中でもかなり飛び抜けている方だとは思うが-----」
喋(しゃべ)る、喋る。
最初のイメージとはだいぶ違ったキャラだったみたい。
止まらないおじいさんの雑談を止めるべくタイミングを計っていたアキレウスが、絶妙のタイミングでそれに割って入った。
「そうだ、じいさん。この薬、スゴく助かったよ。ありがとう」
ウマいっ、アキレウス!
「おぉ、そうだった。どうだ、お嬢ちゃん。良くなっただろう?」
「はい、おかげさまで-----傷がすっかり治りました。ありがとうございます」
お礼を言うあたしに満足そうに頷いた後、おじいさんは不思議そうな顔をしてこう尋ねた。
「それは良かった……ところでお嬢ちゃん、あんた何でそんな格好しとるんだ? この家の中でそれじゃ、暑いだろう」
あたしはアキレウスの外套にすっぽりとくるまった格好をしていた。
「あ……これは、その……」
確かに、暑いよ。暑いけど。
この下、裸なんだもん! 脱げないって!!
言いあぐねるあたしの様子を見て察するものがあったのか、
「なるほど。ちょっと待っとれ」
おじいさんはそう言ってドアの向こうに消えていくと、すぐに衣服らしいものを抱えて戻ってきた。
「ほれ、これをくれてやる。ちょっとばかり丈が足らんかもしれんがな。ワシのお古だが、そんな格好でいるよりはマシだろう」
「え……いいんですか?」
「あぁ、ワシが着るにはキツくなってしまってな。遠慮はいらん」
あたしはありがたくそれを頂戴すると、お言葉に甘えて、早速それに着替えさせてもらうことにした。
おじいさんの部屋着?のお古なのか、袖口の部分にゴムの入った、だぶだぶのピンクの上着。
怪しげな幾何学模様(きかがくもよう)の入ったそれを広げて見つめ、あたしは思わず溜め息をもらした。
ちょっと勇気がいるなぁ……幅はあるけど、長さが足りないし。
ま、背に腹は変えられないか。
そんなふうに思いながらそれに着替えたあたしは、鏡の中の自分を見てガックリと膝をついてしまった。
ア、アキレウスにこの姿を見せるの、かなりの勇気が……!
袖は本来長袖なんだろうけど長さが足りなくて七部袖に、丈もやっぱり足りなくて、おへそ丸出し状態。幅だけは有り余って、全体的にだぶだぶしている。
はぁ……かなり恥ずかしいけど、仕方がないよね。
アキレウス、笑うかな……。
覚悟を決めて作業場へと戻ると、二人の視線がこちらへ向けられて、あたしはちょっと赤くなった。
「やっぱり丈が足らんかったか。まぁここにはワシサイズの服しかないからな、それで我慢しとけ」
がははは、とおじいさんが笑う。
「うわ……ずいぶんとセクシー(?)なカッコになったなー……ていうか、じいさんどういう趣味してんだ?」
目を丸くするアキレウスに、おじいさんはギロッと鋭い視線を向けた。
「どういう意味だ? ワシのセンスにケチをつけるのか、小僧?」
「いや、かなり個性的だなと思って。あと、小僧はカンベンしてくれよ。名乗るのが遅れたけど、オレはアキレウス。魔物(モンスター)ハンターを生業(なりわい)としている」
彼の言葉に、ピク、とおじいさんが反応した。
「魔物ハンター?」
「あぁ」
あたしも慌ててアキレウスの隣に並んで頭を下げた。
「オーロラです、えーと、一応魔導士……です」
初めて使う魔導士という言葉がちょっとくすぐったくて、あたしはチラ、とアキレウスを見た。
いいんだよね?
彼が頷いたのを見て、あたしはホッとして微笑んだ。
この格好も笑われなかったし。良かった。
「ほぅ、魔導士? お嬢ちゃんが? 専門は何だね」
「あ、えーと……黒魔法、かな。まだ見習いみたいなモンなんですけど」
正確には違うけど、まぁ系統的にはそれに近いよね。
「ほぅ、あんたのような可愛らしいお嬢ちゃんが……人は見た目によらんもんだな。小僧、お前の名も聞いたことがあるぞ。かなりの腕と評判らしいな。まさかこんな若造だとは思わなかったが……」
「あのなーじいさん、オレの名前は……」
「小僧、お前の剣を見せてみろ」
そう言って手を差し出したおじいさんに、アキレウスはガックリと肩を落とした。
「どうした? 小僧」
「……分かった、もういいよ」
溜め息をつきながら、アキレウスは傍らの大剣をおじいさんに手渡した。
「じいさん鍛冶師(かじし)か? ずっとここに一人で住んでいるのか?」
「……まぁな。半分趣味のようなモンだが……」
色々な角度からアキレウスの剣を見ながら、おじいさんはこう呟いた。
「ワシもお前達と同じように、始めはここに迷い込んだクチだ。そして、隔絶されこの空間がひどく気に入った……ここには外界の煩(わずら)わしさがない。武器を造ることだけに集中出来る-----心・技・体がひとつとなり、この森の霊気と相まって、霊妙(れいみょう)な武器が造れるんだ」
「れいみょう?」
「言い回しが難しかったか。特殊な効果を持つという意味だ。例えばある種の属性を持っていたり、使う者に何らかの影響を及ぼしたりといった……な」
へぇ……そんなスゴいモノを、このおじいさんは造っているの?
ホント、人は見かけによらないもんだなぁ……。
「剣を見れば、その持ち主のことが良く分かる」
ブン、とアキレウスの剣を振って、おじいさんは愛しそうにその刀身に触れた。
「お前は幸せ者だな、ヴァース。小僧は良い使い手らしい」
ヴァース?
小首を傾げるあたしの隣で、アキレウスがガタンと立ち上がった。その翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳が、驚きに見開かれている。
「オレの剣の名を……!? じいさん、何者だ!?」
「驚くことはない」
アキレウスに剣を返しながら、おじいさんは衝撃的な発言をした。
「こいつを造ったのはこのワシだ」
えぇッ!?
絶句するあたし達を見やり、おじいさんはニカッと笑った。
「グレン・カイザー。これがワシの名だ」
「グレン・カイザー!?」
アキレウスの声に二重の驚きがこもる。
「あの……伝説の名工!? じいさんが!?」
「伝説とは何だ、ワシはその呼び名は好かん。まだしっかりと生きとるのに、過去の存在のように言うな」
ムスッとした表情で、おじいさん……グレンが言う。
何だかあたしだけ取り残されてしまっている感じだけど、アキレウスのあの驚きようと会話の流れからして、このグレン・カイザーという人はとても有名な鍛冶師らしい。
「……マジかよ」
自分の剣とグレンとを交互に見つめ、アキレウスは信じられない、といった面持ちで深い息をついた。
「ヴァース(こいつ)がグレン・カイザー作だなんて、知らなかった……」
「こいつはワシの傑作のひとつだ。使い手の攻撃力を高めると同時に、防御力もちょっぴり上げてくれる優れものでな。血気盛んなオーラを持っとるからすぐに分かった。こいつの状態如何(いかん)ではお前から取り上げてしまおうと思ったが……」
グレンはそう言って、アキレウスの手の中のヴァースを見つめた。
「かなりの修羅場をくぐり抜けてきたようだな。ところどころガタはきとるが、その割に状態はいい……手入れが行き届いとる証拠だ。精魂込めて造り出した剣が、良き使い手を伴って、鍛え抜かれたその姿を見せてくれる……職人として最高の瞬間だよ」
「じいさん……」
感慨深げなグレンの口調に、アキレウスも感じ入るものがあったようだった。
一瞬訪れた沈黙の後、ところで、とグレンが切り出した。
「小僧……お前さん、こいつをどこで手に入れた?」
「え? あぁ、元はオレの父親が持っていたんだ。形見……みたいなモンかな」
それを聞いて、グレンが一瞬息を飲んだ。まじまじとアキレウスの顔を見つめる。
「-----そうか、お前……ペーレウスの息子か」
「え!?」
思いがけないその言葉に、アキレウスが目を見開く。
「オレの父親を……知っているのか!?」
「そうか……ペーレウスの奴、逝(い)ったのか……」
なおも一人呟くグレンに、アキレウスが詰め寄る。
「おい、じいさん! 答えろよ!」
「そう急(せ)くな……知っとるよ。奴とは昔、ドヴァーフの酒場で知り合った。まだ若いのに、王宮の騎士団長を務めとってな。それに見合う器量と技量を兼ね備えた、素晴らしい男だった。その人柄と剣の腕を見込んでな。ワシが奴に剣を贈った……そういう間柄だよ」
アキレウスのお父さん……そんなに凄い人だったんだ。
きっと……その後ろ姿を見て、アキレウスは自然と剣を取ったんだろうな。
チラッとアキレウスの方を見ると、彼は唇を結び、真剣な表情で、ジッとグレンの話に耳を傾けていた。
その瞳には父親への様々な想いが溢れ、強い憧憬(どうけい)の光を帯びて、力強く輝いていた。
その表情から、彼の中にある父親への想いの強さのようなものをあたしは感じ取った。
お父さんのこと、スゴく尊敬していたんだね、きっと……。
家族……か。
「ワシがペーレウスに贈った剣は二本。もう一本……ウラノスはどうした?」
「……分からない。父さんが最後に出掛けた時に、一緒に持っていったきり-----……それっきり、だ。父さんは戻ってこなかった-----後日、王城から死亡通知が届いただけで……遺体も、遺留品も、何ひとつ……ウラノスはそのまま、行方不明になった」
「……そうか」
グレンは短く頷くと、ポンとアキレウスの腰の辺りを叩いた。
「お前達がここに来たのも何かの導きなのかもしれんな……ヴァースを鍛え直してやろう。ヴァースとウラノスは兄弟剣、ウラノスが朽(く)ちずにあるならば、互いを呼び合い、いずれ巡り会うこともあるだろう。その前にヴァースが寿命を迎えてしまっては話にならんからな」
「じいさん……いや、グレン。ありがとう」
その申し出にアキレウスは微笑んで、静かに頭を下げた。
「よせよせ、ワシが好きでやることだ。その代わりと言っちゃなんだが、今晩は泊まっていけ。久々の客人だ、ワシの話し相手になってもらおう。最近の外界の状況も知りたいしな」
グレンは照れたようにそう言って、あたし達を見た。
もちろん、あたし達に否(いな)はなかった。
*
その夜、久々にお風呂に入って(グレン特製の霊木で出来た豪華な浴槽だった!)疲れを癒し、柔らかいベッドにもぐりこんだあたしは、すぐに眠りについた。
どのくらい寝ていたのか、ふと風の気配を感じて目を覚ますと、窓辺に座ったアキレウスが少しだけ窓を開けて、月夜を眺めていた。
「……アキレウス?」
声をかけると、彼はふっと首を傾けてあたしを見た。
「あぁ、悪い。起こしたか?」
「……眠れないの?」
聞くと、彼は小さく微笑んで、月夜に視線を戻した。
「何だかちょっと、色々思い出して……さ」
月明りの下で見るアキレウスの表情は少し寂しげで、初めて見る彼のそんな姿に、あたしは胸が切なくなるのを覚えた。
お父さんのこと……それにきっと、お母さんのこと……昔のことを、思い出しているんだ。
あなたの過去に、何があったのかは知らない。
だけど……いつか、あたしに胸の内を明かしてくれるような、そんな日が来たらいいな。
ベッドから起き上がったあたしはアキレウスの元に歩み寄り、彼と同じように窓から月夜を仰ぎ見た。
天空に浮かぶ蒼白い月が、まほろばの森をうっすらと照らし出して、何だかとても幻想的な光景に見える。
窓の隙間から微かに吹き込む風が、あたしの長い黄金(きん)色の髪と、月光を紡いだようなアキレウスのアマス色の髪をわずかに揺らめかせた。
愁(うれ)いを帯びたアキレウスの翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳は、何だかとても切ない光を湛(たた)えていて-----知らず、あたしは腕を伸ばして、彼の頭をそっと抱き寄せていた。
「オーロラ……」
驚きを含んだアキレウスの声が響く。
その声でハッと我に返ったあたしは、慌てて彼から手を離した。
あ、あたしったら、何て大胆なコトをっ!!
「ごっ、ごめんっ、これは、その、あのっ……あたしがそういう気分だった時、アキレウスに抱きしめてもらったら、すごく安心したっていうか、落ち着いたっていうか……」
ぎゃっ、あ、あたしったら何言ってんの!?
「え、えーとその、つまり……」
赤くなったり青くなったりしながらもごもご言っていると、アキレウスが吹き出してくれたので、あたしはホッとした。
よ、良かった、気まずくならなくって……。
「ごめん、ね……?」
胸をなで下ろしつつそう言うと、アキレウスは小さく肩を揺らしながらあたしを見上げ、こう言ったのだった。
「試して、みようか?」
「え?」
彼の言っている意味が理解できず目をしばたたかせていると、アキレウスはいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「精神安定剤。リクエストしてるんだけど」
え……。
ドキン、と心臓が音を立てた。
ほ……本当、に……?
アキレウスの目は、もう笑ってはいない。
ためらうあたしの藍玉色(アクアマリン)の瞳を、アキレウスの翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳が静かに見つめている。
心臓の音が全身に響き渡るのを感じながら、あたしは震える腕を伸ばして彼の髪に触れ、その頭をそっと抱き寄せた。
彼は窓辺に座っているので、丁度あたしの胸の下辺りがその位置になる。
アキレウスがあたしの腕の中で瞳を閉じ、吐息をつく気配が感じられた。
「オーロラの鼓動が、聞こえる-----」
カァッ、と頬が朱に染まるのを感じた。
「き、聞かないで。多分、今、スゴいコトになってると思うから」
「他人(ひと)の鼓動-----久々に、聞いた気がする……」
アキレウスの腕が、あたしの腰に回された。
彼の頭を抱き寄せていたのが、逆に抱きしめられるような格好になって、心臓が跳ね上がった。一瞬、呼吸が止まる。
「落ち着くかも、しれないな……」
う……うわっ……あたしは落ち着かないよーっ!!
目の前の光景を直視することが出来ず、心臓バクバク、倒れるかもしれないと本気で思いながら、あたしは真っ赤な顔で天井を仰いだ。
何、これ、どうなっているの!?
有り得ないっ……もしかしてあたし、夢を見ているの!?
実は今も眠っているとか、そういうオチ!?
パニックに陥る脳細胞を何とか正常に保とうと、あたしはわずかに残った理性をフル稼働し、彼に話しかけた。
「ドヴァーフって……どんな所?」
思ったより、落ち着いた声が出た。
「ん……王都は厳粛(げんしゅく)な雰囲気があるけど、他は基本的にのんびりしていて、自然が綺麗な所だよ。ドヴァーフ特有の生物も多くて……」
「ドヴァーフ特有?」
「あぁ。例えば、不思議な輝きを放つ幻影(げんえい)ホタルとか-----」
「へぇ?」
アキレウスはゆっくりと顔を上げて、あたしの顔を見た。
うわっ、近い!
精悍(せいかん)で整ったその顔立ちが、月明りに照らされて、少しだけ妖しげに見える。
男の人の顔を色っぽいと思ったのは、初めてだった。
彼の目に映るあたしの顔は、きっとこれ以上ないほどに真っ赤になっているに違いない。
「森の中の、限られた水辺にしかいない希少種なんだけど、昔仲間と見つけた秘密の場所があってさ。そこに群生していたんだ。夜になると幻影ホタルの放つ光が水面(みなも)に反射して、スッゲー綺麗で……」
ともすると酔わされそうになる彼の瞳-----会話に意識を集中させながら、あたしは口を開いた。
「そんなにスゴいの? 見てみたいな……」
「いつかドヴァーフに行ったら連れてってやるよ」
「ホント? 絶対だよっ」
顔を見合わせて、あたし達は笑った。
後で考えると、この時の出来事は普通じゃ有り得なかったな。
月光の魔力……っていうか。
月明りの下、あたし達はささやかな約束を交わした。
静かな夜のもたらした、夢のようなひとときだった。