紅(くれない)の翼をバサリと羽ばたかせ、一人の男が闇の気配を纏う古びた城に降り立った。
翼と同色の髪と瞳。その切れ長の吊り上がった瞳は暴力性の強い光を放ち、短い頭髪は男の殺気を表すかのように天に向いている。
先端のとがった、人間よりわずかに大きい耳と、口元から覗く鋭い牙。筋肉質な肉体に名工の鎧(よろい)を装備した彼の足は、人間(ひと)のそれとは異なり、頑丈な鉤爪(かぎつめ)を有した猛禽類(もうきんるい)のものだった。
男は勝手知ったる様子でいくつもの扉を開け、通路を抜けると、ひと際豪奢(ごうしゃ)な扉の前で立ち止まり、ゆっくりとそれを開け放った。
蒼白い光に映し出された暗い部屋の中には、既に四つの人影があった。
「グランバード、遅いぞ。お前が最後だ」
一番手前にいた女が振り返り、不機嫌そうな声でこう言った。
腰まである、つややかな漆黒の髪。長い睫毛に縁(ふち)取られた、神秘的な真紅の瞳(クリムゾン・アイ)。スッと通った鼻筋に、魅惑的な紅い唇。特徴のある、先端のとがった長い耳。すらりと伸びた手足に、豊かな胸、引き締まったウエスト。
神の寵愛(ちょうあい)を一身に受けたかのような絶世の美女は、露出度の高い魔法の鎧を身に着け、白い光沢のある外套(がいとう)を羽織っていた。
「よぉ、カルボナード。相変わらずいいカラダしてんなぁ。オレと一回ヤッてみねェか?」
その白いなめらかな肌を無遠慮に見つめながらグランバードがそう言うと、彼女はその美しい真紅の瞳に険を宿し、こう吐き捨てた。
「下衆(ゲス)が」
ふぃ、とグランバードに背を向ける際、彼女の腰のレイピアが、主人の気分を表すかのようにカチリと冷たい音を立てた。
「クク、相変わらずオッカネェなぁ」
下卑(げび)た笑いを浮かべるグランバードのすぐ横合いから、耳障りなくらいキンキン高い、元気いっぱいの弾んだ声が響き渡った。
「もぅ〜っ! あんたってホンット下品ね! 遅れてきて何なのよぉ、その態度っ! 怒るわよっ、マジで!!」
腰に手を当て、ぷーっと頬をふくらませて彼をにらみつけているのは、小柄な少女だ。
ぱっちりした大きなピンク色の瞳に、愛らしいパールピンクの唇。緩やかなクセのある、ふわふわのピンクの髪を両サイドの高い位置で結い上げ、そのまま垂らしている。
見た目は14、5くらいの人間の少女のようだったが、その異色の色彩が、彼女が人外のモノであることを示していた。
「うるせェよ、ピンクチビ。おめェには何も言ってねェっての」
「ななっ、何ですってぇっ!? あたしにはセルジュっていう、と〜っても可愛い名前があるのよっ! そんなコトも忘れちゃったのっ!? この鳥足男ッ!」
「キャンキャンうるせェっての、このバカピンク」
「ピンクをバカにすんじゃないわよっ、こんなに可愛い色、他にないんだからっ!! ピンクってのは女の子達の永遠のカラーで、そのピンクがこれほどまでに似合うってコトは、それだけあたしが可愛いっって」
「あー、うるせェうるせェ。……それに比べてアルファ=ロ・メ。おめェは相変わらずだんまりだな」
わめき続けるセルジュに背を向けて、グランバードは部屋の隅にひっそりと佇(たたず)む黒衣の男に目を向けた。
「……お前達が騒がしすぎるのだ」
金属製のマスクの下から、抑揚のない、機械的な声が返ってきた。
クセのないつややかな黒髪に、同色のひんやりとした印象の瞳。長めの前髪の隙間から覗く整った眉と、形の良い額は端正な顔立ちを想像させたが、その鼻から下は黒い金属製のマスクで覆われ、その全貌はようとして知れない。
マスクと同色の全身鎧(バトルスーツ)に身を包み、裏地の赤い、漆黒の外套を羽織っている。その背には、禍々しい気配を放つ闇色の大剣が装備されていた。
「アルファ=ロ・メの言う通りだ」
部屋の最奥から、低い声が響き渡った。
その場にいる全員の視線が、声の主に向けられる。
その声は、清涼な響きであるのに、どこか冥(くら)い深淵を感じさせた。そして、決して大きな声ではないのに、その場にいる者の耳に届く不思議な張りと、凍てつくような威厳に満ち溢れていた。
「……ようやく全員そろったな」
深々と玉座に腰を下ろしたその男は、悠然とした面持ちで集まった面々を見やった。
切れ長の、宝玉のような蒼天色(スカイブルー)の瞳。しかしその瞳には氷刃(ひょうじん)の如き光が宿り、蒼天色というよりは、氷蒼色(アイスブルー)という印象を見る者に与えた。
闇をそのまま塗り立てたかのような、深い深い、腰の辺りまである漆黒の髪。闇色のゆったりとした長衣(ローヴ)の上から、物々しい飾りのついた外套を羽織っている。
神の造り出した冷たい芸術品のような、整った容姿を持つこの男の最大の特徴は、その背から生えた見事な漆黒の翼だった。
「よぉ、ルシフェル。久々に“四翼天(しよくてん)”を集めたってこたぁ、何か面白い知らせがあるんだろうな?」
物怖(ものお)じしない不遜(ふそん)な態度で、グランバードは深い闇を纏ったその男に尋ねた。
主君であるルシフェルに対するその無礼な態度に、カルボナードの真紅の瞳が剣呑(けんのん)な光を帯びたが、グランバードはまるで意に介さない。彼の中では、ルシフェルとの間に主従関係など、始めから存在していないのだ。
彼にとっては面白いことが重要なのであり、ルシフェルの目的が面白そうだったから、自分の力を貸してやることにした……そういう間柄、という認識でしかなかった。
ルシフェルもそういったグランバードの性格を熟知しており、それで怒るようなことはなかった。彼にとっては目的を達する為の優秀な手駒が必要なのであり、忠実な部下を求めているわけではなかったからだ。
「先日、アルファ=ロ・メの配下の死霊使い(ネクロマンサー)バスラから、面白い知らせが届いた」
ルシフェルの言葉と共に、空中にひとつの眼球がふわりと現れた。
「見ろ」
その声に反応して、眼球から淡い光が放たれ、宙に巨大な映像が映し出された。
神殿のような場所で、炎の呪文を操る魔女と、人間の若者達が戦っている。
「……何だぁ? これのどこが、面白ェんだ-----」
ぶつくさ言いかけたグランバードの表情が、変わった。
その原因(もと)を見たカルボナードとセルジュが同時に声を上げる。
「……これは!」
「あぁ〜ッ!!」
そこには、長い黄金(きん)色の髪の、一人の少女が映し出されていた。
「……へェ」
グランバードがニヤリと唇の端を上げる。
「面白ェことになってきたじゃねェか」
「-----ルシフェル様、では……」
主君を振り仰ぐカルボナードに頷いて、漆黒の翼を持つその男は、音もなく立ち上がった。
「-----時は満ちた」
薄暗い空間に、嵐の前の静けさを思わせる、ルシフェルの低い声が響き渡る。
「人類殲滅(せんめつ)計画-----“ユートピア”を開始させる」
その声は、氷の如き冷たい響きでその場にいる者達の心を穿(うが)ち、辺りにピンと張りつめた緊張感を生み出した。
「へへ……いよいよ、か。長かったなぁ」
全身を駆け巡る興奮を抑えきれず、グランバードはその身体を打ち震わせた。
「腕が鳴るぜ-----で、どう攻める?」
舌なめずりせんばかりの勢いのグランバードに、ルシフェルが冷静な声を返す。
「つい先刻、人間共に“人類殲滅計画(ユートピア)”の宣告を行った。今頃は大騒ぎになっていることだろう」
「うふふ、たあっのし〜い! どんな顔して騒いでいるのか見てやりたいわっ!」
きゃはっ、とこの上ない無邪気な表情で、セルジュが残酷な笑みを浮かべる。
「愚かな生物達だが……いくら騒いだところで行き着く運命は変わらぬということに、いつ気付くかな」
ふっ、と冷めた口調でカルボナードが呟く。
「人間というものは、あがき続ける生物だ。目の前の現実が受け入れられず、自分の力でどうにもならぬ時は、力ある者や神といった、『希望』や『奇跡』にすがりつく-----」
瞳を細め、ルシフェルは形の良い唇をわずかに歪めた。
「往生際のわりぃ生き物だぜ」
嘲笑するグランバードの声に頷きながら、ルシフェルは続けた。
「そうだ。……だが、それ故にやっかいな生物でもあると言える。そして今、奴らの『希望』になりえそうな者がこの四名だ」
その声と同時に、映し出されていた映像が、戦闘シーンから一人の青年のアップへと移り替わった。
「わー、カッコいい〜」
セルジュが素直に感嘆の声をもらす。
淡い青(ブルー)の瞳をした、涼しげな目元が印象的な青年だった。長めの褐色の髪を、後ろでひとつにまとめている。
「何者(なにもん)だぁ?」
不機嫌そうに腕組みするグランバードには答えず、ルシフェルは部屋の隅に佇む黒衣の男の名を呼んだ。
「アルファ=ロ・メ」
それまで沈黙を守っていた黒衣の男は、主君の命を受け、ゆっくりとした足取りで部屋の中央まで進み出ると、静かに口を開いた。
「バスラよりもたらされし情報によれば、この男の名はパトロクロス・デア・ローズダウン。その名の通りローズダウン国の王子であり、長剣の達人だ」
淡々とした男の声が流れると、映像が切り替わり、今度は漆黒の髪の少女のアップが映し出された。
「この娘の名はガーネット。白魔導士だ。力量はなかなかのものと言えるようだ」
「へェー、旨そうなオンナじゃねぇか」
グランバードが舌なめずりする。
魔力を持った若い女の柔らかい肉は、彼の大好物なのだった。
「次の男だが……」
アルファ=ロ・メの声と共に映し出されたのは、アマス色の髪と、強く輝く翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳が印象的な青年だった。
「や〜ん、この人もカッコいい〜。抱かれてみたーいっ」
「カッコいいって、おめェさっきから……コイツら人間だぞ」
腰をくねらせるセルジュにグランバードがそう突っ込むと、それがどうしたのよ、と言わんばかりのピンクの視線が返ってきた。
「種族うんぬんに関わらず、カッコいいものはカッコいいのよ。ここにピックアップされてくるってコトは、腕の方もそこそこ立つワケでしょ? あたしは、強くてカッコいい男がだ〜い好きなの。この人は女をどういうふうに抱くのかしら? あぁっ、抱かれてみた〜いっ」
「ケッ、気色わりぃ」
「何よー、自分だってしょっちゅう人間の女とヤッちゃってるクセにさっ」
「オレは人間の女の悲鳴が好きなんだよ。それに、イカせた後の方が女の肉はうめェんだ」
「-----先を進めたいのだが」
冷気を孕(はら)んだアルファ=ロ・メの声が、言い争いに突入しかけた二人の間に割って入った。
「やだっ、あたしったらルシフェル様の前でっ……ごっめーん、アルファ=ロ・メ。どうぞ続けてっ」
「ケッ」
アルファ=ロ・メは短い沈黙の後、いつもの機械的な口調で続きを話し始めた。
「この男の名はアキレウス。シヴァの地図に所有者として認められた者だ」
「シヴァの……!」
カルボナードがその言葉に鋭く反応する。
「この男が……!」
「大剣の達人で、魔物(モンスター)ハンターとしてもその道では有名な存在のようだ。そして-----」
映像が切り替わり、映し出されたのは、青年の内部から爆発するようにして迸(ほとばし)った黄金のオーラが閃光と化し、炎の魔人が放った光弾とぶつかり合うシーンだった。
大爆発と共に凄まじい衝撃波が辺りに巻き起こり、周囲のモノを根こそぎ薙ぎ倒していく。
「何だ、こりゃあ……」
グランバードが紅い瞳を細める。
「魔法や闘気の類(たぐい)では、ないようだな……」
同じように真紅の瞳を細め、カルボナードはアルファ=ロ・メを見やった。
「このチカラは何だ」
「さぁな……私にも分からぬ。もっとも、現時点では本人もそのチカラを使いこなせてはいないようだが-----このチカラが開花すると、少々やっかいなことになるやもしれんな」
そう言って、アルファ=ロ・メはアマス色の髪の青年の映像に視線を戻した。
「……嫌な光だ。この光が、シヴァの地図にこの男を認めさせたのか……」
その口調に、この男にしては珍しく感情の片鱗が浮かんだような気がして、カルボナードはアルファ=ロ・メの顔を見やった。
しかし、真紅の瞳に映った冷ややかな黒の瞳には、いつも通り、何の感情も浮かんではいなかった。
「そして最後だが」
マスクの下から抑揚のない声がもれ、先程の黄金色の髪の少女のアップが映し出された。
「ここにいる者は皆、見覚えのある顔だと思うが-----この娘、今は『オーロラ』と名乗っているようだ」
「オーロラ……か。古き神話に登場する、暁(あかつき)の女神と同じ名とは……皮肉だな」
低い声で、カルボナードが呟く。
「どうやら記憶を失っているらしい。そのせいで、自分の能力(チカラ)も満足に使えない状況にあるようだ」
「へーェ、記憶をねー」
グランバードが可笑(おか)しそうに嗤(わら)う。
「ほとんどあんたが原因なんじゃないのぉ?」
そんな彼にセルジュが冷たい視線を送った。
「あぁ? おめェだってずいぶんなコトしてただろ?」
「あんたほどじゃないわよ」
「ケッ、似たよーなモンだろーが。まぁ、よく生きてたモンだぜ」
黄金色の髪の少女の映像を眺め、グランバードは言った。
「今となっちゃあ、記憶を失くして能力(チカラ)も使いこなせねェって方が、オレ達にとっちゃ都合がいいワケだろ。ウマい具合に話が進んでるってコトじゃねーか。……で、ルシフェル。どうすんだ? 誰が行く?」
「奴らの現在地はアストレア。シヴァを復活させるべく北上しているようだが-----どうやら、少々トラブルがあったらしい。今すぐに動くということはないだろう。“人類殲滅計画(ユートピア)”の幕開けだ-----この者達を始末するその前に、まずは盛大な狼煙(のろし)を上げるとしよう」
「狼煙ぃ?」
顔をしかめるグランバードに、ルシフェルはわずかに唇の端を上げた。
「“人類殲滅計画(ユートピア)”の開始を人間共に告げる、壮大な狼煙だ」
「-----へェ」
面白そうにグランバードが笑う。
「……どこだ?」
「最も他国の支援を受けにくく、故に壊滅的な打撃を受ければ、復興もままならぬ場所-----」
「あー、分かった〜!」
はーい、とセルジュが手を上げる。
「……シャルーフ」
呟いたカルボナードを、セルジュがきっ、とにらみつけた。
「何であんたが言うのよー、あたしが言おうと思ったのにーっ!!」
「うるさい」
カルボナードの冷たい一瞥(いちべつ)を受けて、セルジュは愛らしい頬をぷーっとふくらませた。
「ムッカつく〜っ!!」
外見に非の打ちどころがないのがまたムカつく、これは心の中で呟いて、セルジュは美麗な幕僚(ばくりょう)にあっかんべした。
「人間共に我らの宣告が本気であるということを知らしめ、骨の髄まで絶望を叩き込むのだ。全員で完膚(かんぷ)なきまでに破壊しつくしてこい」
ルシフェルの氷蒼色(アイスブルー)の瞳が冥く輝いた。
「-----まずは、シャルーフだ」
この瞬間-----“人類殲滅計画(ユートピア)”は動き出した。
その日の内に、四方を海で囲まれた技術者の国-----シャルーフは、四翼天による総攻撃を受け、反撃もままならぬまま、大海の中に滅した。
燃え上がる炎に取り囲まれ、逃げ場を失った人々は、怯えた瞳で天を仰ぎ、口々に神の名を叫んだが、その目に映ったのは神の姿ではなく、断罪の刃(やいば)を振るう、冥界の使者達の姿だった。
人々の断末魔を乗せた黒煙を吐き上げ、真溟(まくら)き大海原を赤く染め上げて、シャルーフは、わずか一夜にして陥落したのである。
-----賽(さい)は、投げられた。