エレンの誕生日祝いはついでというか名目で、単に息抜きをしたいだけだから、という言葉はあながち嘘ではなかったらしく、会場に集まったものはめいめいにこの企画を楽しんでいるようだった。ここぞというばかりに料理を胃に詰め込むものや、酒の飲み比べをするもの、会話を楽しむもの、人それぞれだ。
 辺りを見回して眼に映る顔はどれも楽しそうだったのでエレンはホッとした。自分の誕生日祝いは名目だから気にするな、とは言われたが、ここまで用意したのには少なからず労力がいっただろうから、他の人間が楽しめていないのなら申し訳ないと思ったのだ。

「エレン、ちゃんと食べてる?」

 幼馴染みの少年にそう声をかけられ、エレンが振り向くと、相手はエレンの皿を見て眉を顰めた。

「全然食べてないじゃないか。エレンが今日は主役なんだから、もっと食べなきゃダメだよ?」
「何か、もうオレのことは関係なくなっている気がするんだが……」

 まあ、その方が気が楽でいいけど、とエレンが続けると、アルミンはダメだよ、そんなんじゃ勝ち残れないよ、ととある方向を指差した。促されるままそこに視線を向けたエレンは、眼に飛び込んできた光景に固まった。

「…………」
「……すげぇな、あれ」
「……そうだね」
「人間、あそこまで胃に入るものなんだな」
「信じられないけど、現実に目の当たりにしているからね。脱帽ものだけど、ああはなりたくはないかな……」

 二人の視線の先にいる同期の少女――サシャは物凄い速度で料理をたいらげていた。食べるというより吸い込む勢いである。普段から食い意地が張っているのは知っていたが、あそこまでとは思わなかった。余りの勢いにコニ―に注意されながらも肉を決して手放さないのはある意味凄いと思った。

「感心している場合じゃないよ。僕らも確保に走らないと」
「そうだな、上手く確保している奴もいるし」

 サシャの横ではユミルがちゃっかり隙をついて自分とクリスタの分の料理を確保していた。量は充分に確保してあると言っていたが、肉類や食べたいものは早くしないと口に入らないかもしれない。明日はまた訓練や雑務が待っているのだし、ここで食いっぱぐれてしまえば差し支えがあるとも限らない。
 それに周りの様子を見ていると、日々の鍛錬も大事だが、たまには息抜きするのも大事なのかもしれない――とそんな風にも思えてくる。

(そうだな、オレも楽しむか)

 だが、サシャのあの勢いの前に飛び込んでいくのはさすがに無謀だろう。サシャから離れたところの料理を手に取ろう、と思ったとき、目の前にすっと手が伸びてきた。

「エレン、私が取って来る」

 幼馴染みの少女が皿を差し出すように言ってきたが、エレンは首を横に振った。

「イヤ、いいよ、自分で行くから。というか、お前、自分の分を確保しろよ」
「大丈夫。エレンに仇なす害獣はすべて片付けてくるから」
「……オイ、お前、何する気だよ? これはただの食事の話だからな」
「何人か消せば、その分、エレンの食べる分が……」
「イヤ、消すって、何言ってるんだ、お前」
「そうだよ、ミカサ、消すのはまずいよ」

 エレンの言葉にアルミンも頷く。ただでさえ調査兵団は人手不足なんだから、減らされたら大変になるじゃないか、と続けられ、ミカサはその意見に仕方なさそうに頷いた。

「……その説得の仕方はどうなのかと思うが……」
「じゃあ、この宴会の間、気絶させておくだけにしておく。……まずはあのチビから」
「あのチビって……まさか。お前、それはやめておけ! 絶対にやめておけ!」
「大丈夫。今日は無礼講」
「イヤ、そういう問題じゃないからな!」
「うーん、会場で戦闘は困るかな。テーブルひっくり返りそうだし」

 お前もそういう問題じゃねぇだろ、とエレンが溜息を吐くと、アルミンは思いついたようにぽつりと言った。

「あ、でも、サシャは止めた方が皆のためかも」
「あーそれは否定しねぇが……」
「判った。サシャだけにしておく」

 そう頷いてスタスタとミカサはサシャの方へ歩いて行き、エレンとアルミンは心の中で合掌した。




 腹もいっぱいになり、少し外の風に当たりたくなったエレンはそっと部屋から抜け出した。もう自分そっちのけで無礼講の宴会と化していたから一応の主役の自分がいなくても問題はあるまい。
 回廊を歩いていると、夜風が頬を撫ぜて気持ちいい。酒は呑んでいなかったが会場の熱気に中てられていたのかもしれない。部屋の中にいたときは気付かなかったが、随分と時間が経っていたようで、とっくに陽が落ちた空には美しい月が浮かんでいた。

「エーレーン! 見ぃつーけーた!」

 そんな声が聞こえてエレンが振り向くと、ハンジが全力疾走でこちらに向かってくるのが見えた。その眼は爛々と輝き、頬は上気し赤くなっている――そして、楽しそうな笑顔付きである。

「うえっ!?」

 エレンは素っ頓狂な声を上げ、思わずハンジが向かって来るのとは逆方向に走り出していた。上官である彼女に失礼だとか、そういう考えは頭に浮かばずにそれこそ本能的に足が動いていたのだ。

「エーレーン! 待ってよー何で逃げるのー?」
(あなたが物凄く怖いからです!)

 そう口には出来ず、エレンはただひたすらに走り続け、ハンジはその後を追い続けた。



 数分後、追いかけっこはハンジの勝利に終わり、二人して少々荒くなった息を整えるのに時間を費やした。

「もう、何で逃げるんだよ。おかげで酔いが回ってきたじゃないか」
「あー何かつい……すみません」

 ハンジの顔がいつもより赤く見えるのは酒を呑んでいたかららしい。そういえば、会場でただ酒なんだから呑みまくると言う彼女と、それを止める彼女の部下の声が聞こえていたような気がする。

「ハンジさんは何で出てきたんですか? オレに何か用が?」

 わざわざ追いかけてきたのだから自分に何か用があったのだろう。新しい実験でもやりたいという話なのだろうか――いや、それならリヴァイの許可が必要であるし、二人が一緒のところに持ってくるだろう。では、その他には何があるだろうか、とエレンが答えの出ない考えを巡らしていると、ハンジから回答があった。

「ああ、ちょっとね――君に見せたいものがあって」
「オレに見せたいもの、ですか?」

 ハンジの言葉はエレンには意外なものだった。実験というわけではなく、個人的に見てもらいたいものがあるらしい。

「で、今から見に来て欲しいんだ」
「今から、ですか?」
「うん。早い方がいいかと思って。――時間が経つと君に見せるべきかまた迷うから」

 そう言って、ハンジはエレンを案内するために歩き出した。


「さあ、ここが実験室だよ! 向こうに資料室があって、あっちは器具の保管庫がある。やっぱり、ここは落ち着くよね!」
「あの、ハンジさん……」
「うん? 何、エレン?」
「ここ、前にも何回か来てますけど。何でここに?」
「…………」

 エレンの言葉にハンジは固まり、しまった!と大きな声を上げた。

「つい、いつもの癖で実験室に連れてきちゃったよ! 目的地ここじゃなかったのに!」
「…………」
「あ、でも、折角だから、実験の話聞いていく? 君にはまだ話していない最高に滾る実験の話が……」
「いえ、大丈夫です! 明日も業務があるんですし、早く行きましょう!」

 以前、ハンジから延々と巨人実験の話を聞かされたのはエレンのトラウマになっている。エレンが先を急かすとハンジは残念そうではあったが、当初の目的は忘れていなかったらしく、再び目的地に向かって歩き出した。


「えーと、ここですか?」

 ハンジがエレンを連れてきたのは予想外の場所――医療施設だった。エレンは巨人化の能力が発現してからは負った傷が勝手に再生するのでここに来たことはなかった。治りが遅い場合や意識のないときに世話になったことがないとは言い切れないが、来ることがないのでつい物珍しげに周りを見回してしまう。

「うん。ここというか、用があるのはここの資料保管庫なんだけど……エレン、一つ訊いてもいいかな?」
「あ、はい。自分に答えられることでしたら……」

 不意に真面目な顔をしたハンジに、エレンも神妙な顔になって頷いた。ハンジは少し躊躇った後、短くエレンに訊ねた。

「君は自分のお父さんのことをどう思っている?」
「――――」

 エレンは思わず押し黙ってしまった。その質問が思いも寄らなかったのと、自分の父に対する感情を上手く言葉に表すことが出来なかったからだ。

「――答えにくい、質問だったかな?」
「いえ――ただ、考えてなかった質問で……自分でも上手く言い表せないというか」
「――君はお父さんを恨んでいる?」
「…………」

 自分の父親であるグリシャは――ウォール・マリア陥落前は別として、客観的に見れば酷い父親なのだろう、とは思う。五年も自分達を放ったらかしにして行方不明になっている父親は今どこにいるのか。死んでしまったのか、生きているのか。生きているのなら何故、会いにこないのか。勝手に記憶障害が起こるという怪しげな注射を自分に打ち――自分は巨人化の能力を得ることとなった。更には自分の家の地下室に巨人の真実を隠していたという。多くのものが命を落としながらも知ろうとしてあがいていた世界の真実を彼は秘匿していたのだ。

「――オレ、父親っこだったんですよ」
「え?」
「あ、勿論、母親と仲が悪かったんじゃなくて。母には口答えばかりしてましたけど、家族仲は良かったし。父は仕事で出かけて行った先の話をよくオレに話してくれて――どの話も楽しかった。叱るときは叱るけど、理解がないわけじゃなくて――どちらかというと自慢出来る父だったんだと思います」
「――――」
「自分でもよく判らないんです。父がどうしてあんなことをしたのか、その理由をオレは知らない。取りあえず、全部判ってからでないと、判断が出来ません」
「……そうか。なら、やはり、見せるべきなのかな」
「?」
「ここの医療施設には君のお父さんがいたことがあるんだよ。兵士としてじゃないけどね」
「――――!?」


 調査兵団の兵士は誰でも応急処置の訓練を受けているし、怪我をしたときの対処の仕方を習っている。一応、衛生兵と呼ばれる医療の得意なものはいるが、まずは兵士としての力がなければいけないので、本格的な医療技術を持っているとは言い難い。無論、戦えなければ壁外調査に連れていくことは出来ないので、医者が同行することはない。
 調査兵団内部にある医療施設は訓練時に怪我を負った者や、壁外調査で負傷して帰って来た者を手当てする場所だ。そして、ここで医療に従事するものは兵士ではない。訓練やその日の雑務に明け暮れる兵士達に医療の勉強と技術を身につける時間などないからだ。専門的に医術を扱う者が在任している。
 だが、エレンの父の場合はここに常勤していたわけではない。医療技術の指導に少しの間だけ滞在していたことがある、というだけだ。

「ここにいるものに技術を指導したり、後は兵士達への講習とかね。改めて教わると新たな発見があったり、気が引き締まったりするからね」

 そう言ってまず見せられたのは、父親が書いたという指導書――患者の例を挙げて詳しく対処法などのアドバイスが書き連ねてあった。

「そして、これが――君のお父さんが君のお母さんに宛てて書いた手紙だよ」

 その言葉にエレンは驚いて眼を瞬かせた。ハンジが手渡してきたのは封の切られていない、黄ばんで色褪せてしまった封筒に入った一通の手紙だった。

「何で、こんなものがここに?」
「それはね、忘れ物なんだよ」
「忘れ物?」
「落とし物とも言えるのかな……これは書類の中に紛れ込んでいたんだよ。おそらく、君のお父さんが荷物の整理でもしているときに紛れ込んでしまったんだと思う」

 もしかすると、書類の整理の息抜きに書いていたのかもしれない。うっかりミスだが誰もがやってしまう可能性のあることだ。

「では、何故、すぐに父に返さなかったんですか?」
「それがね、その手紙が見つかったのは、数年後だったんだよ」

 それまで、書類に混じっていることに気付かなかったらしい。当然、父は家に帰っていたし、渡すことなど出来なかったという。

「いっそのこと送ってしまおうかと考えもしたみたいだけど――内容が判らないから送っていいものか悩んだみたいなんだよね」

 例えば、の話であるが、この手紙の内容が良くないものだったとする。別れ話や浮気をしたことへの謝罪の手紙などだった場合――それを送って母親が目にすることがあったなら、収まっていたものがまた揉める可能性がある。

「でも、人の手紙を勝手に読むわけにもいかない。一番いいのは書いた本人に手紙をどうしたいか訊くことなんだろうけど、何年も前に書いた手紙をどうしますか、って訊かれても困るだろ? 書いた本人は失くしたことに気付いているだろうし、必要ならまた書いたに決まっている。処分してくれ、って言われるのは簡単に予想出来るだろ?」

 何年も前の手紙だし処分してしまっても文句はないだろう――いや、でも人の手紙を勝手に処分するのはどうだろうか――発見者は悩んだ結果、そのまま保管するということにしてしまったらしい。いつかまた彼が指導に来ることがあるかもしれないし、彼の知り合いが来ることもあるかもしれないと。

「まあ、見つけた人間が几帳面というか、真面目だったからこうして残された訳なんだけど。それは君が持つべきものだと思う」

 その手紙は君が好きにしてくれればいいから、という言葉を残し、ハンジは去っていった。



 自室に戻ったエレンは受け取った手紙を読んでみることにした。人の書いた手紙を勝手に読むのはどうかとも思ったが、受け取るべき母親はすでに他界しており、父親は杳として行方が知れない。ならば、これは遺品扱いしていいものだろう。
 そっと封を切り、中から手紙を取り出すと封筒の外見に反して中身は傷んでいなかった。それでも古い手紙なので慎重に開いてエレンは文章に眼を走らせた。
 手紙の最初は父親の簡単な近況報告から始まっていた。仕事の内容に触れるようなものはなく、ちゃんとやっているから安心して欲しいと綴られていた。
 次には母親の身を案じるような文が続く。自分がいない間のことを頼むという言葉。そして――最後に書いてあったのはエレンに関すること。

「――――っ」

 どうやらこの手紙はエレンの記憶に残ってないくらい、小さかった頃に書かれたらしい。エレンはどうしているか、やんちゃで困っていないか、離れている間にまた大きくなっただろうか――短期間の指導だったのに、そう綴る言葉は息子への愛情に満ちたものだった。
 手紙は更にエレンの誕生日が近いから何かお土産に祝いの品を買って帰ろうと思うが、何がいいだろうか、と訊ねる文に続く。服がいいだろうか、でも、子供はすぐに大きくなるから玩具の方がいいだろうか。内地でしか手に入らない珍しいお菓子もいいかもしれない。幼児が食べても大丈夫なものを探してみよう、と。
 そして、結ぶの一文は――。

『エレンを生んでくれてありがとう。愛する君とエレンにこれからたくさんの幸せが訪れるように祈っている。――グリシャ』

 エレンはそっと指先でその文をなぞった。こみ上げてくるものがあって、ポタリ、と熱いものが落ちて手紙に小さな染みを作った。

「……何だよ、そういうことはちゃんと、面と向かって言えよ。母さんは絶対に喜んだのに……っ」

 それとも、家に戻ってから母には伝えたのだろうか。同じような手紙を書いて渡したのだろうか。
 父には訊きたいことがやまとある。どうしてこんなことを引き起こしたのか。世界の謎とは何なのか。
 自分の父に対する想いはいろんなものが絡み合っていて自分でも判らない。人に説明することは出来ない。
 ただ、たった一つ言えること――逢いたい。会いたい、あいたい、アイタイ。
 ちゃんと話をしたいし、聞いてもらいたい。
 エレンはもらった手紙を前にただ、そう思った。





≪完≫




2014.4.11up




 ギャグかと思いきやのシリアスオチです。調査兵団の医療体制が本当はどうなのか判らないので勝手に設定しちゃいましたが……そこはスルーしてくださいませ。グリシャにどんな事情があるのか判りませんが、エレンはきっとそれでも愛されていたんだよ、という願望をこめて書きました。



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