エレンの誕生日祝いはついでというか名目で、単に息抜きをしたいだけだから、という言葉はあながち嘘ではなかったらしく、会場に集まったものはめいめいにこの企画を楽しんでいるようだった。ここぞというばかりに料理を胃に詰め込むものや、酒の飲み比べをするもの、会話を楽しむもの、人それぞれだ。
 辺りを見回して眼に映る顔はどれも楽しそうだったのでエレンはホッとした。自分の誕生日祝いは名目だから気にするな、とは言われたが、ここまで用意したのには少なからず労力がいっただろうから、他の人間が楽しめていないのなら申し訳ないと思ったのだ。

(そうだな、オレも楽しむか)

 日々の鍛錬も大事だが、たまには息抜きするのも大事なのかもしれない、と周りを見ながら思っていたエレンは、不意に視界に入って来た人物の様子に動きを止めた。どこにいてもつい眼を向けてしまうその人物は独特の持ち方で、カップを手にしながら眉を顰めていた。エレンが相手に眼を向けてしまうのは個人的な理由もあるのだけれど、彼の人――リヴァイに独特の存在感があるからだと思う。人の上に立つ者は独特のオーラを持つというが、自然に眼が彼を追ってしまうのだ。カップの中身はリヴァイのことだから紅茶なのだと思うのだが――彼の好きな飲み物が紅茶だということは周りにはわりと知られている――何か不機嫌になることでもあったのだろうか。

「…………」

 エレンはしばし考え込んでいたが、そっとその場を後にしていた。



「ほらほら、リヴァイ、そんな不機嫌そうな顔してないで、もっと呑まなきゃって……え? それ、紅茶? 折角ただ酒呑めるんだから、呑もうよ!」

 すでに結構な量を呑んでいるハンジがリヴァイの手元のカップを覗き込んでそんな声を上げた。酒などの嗜好品は手に入りにくいし、何より高い。紅茶も食料よりは入手しづらいが、酒の方が高価であるのだからこういうときにこそ呑まなくてどうするのだ、とハンジは思う。

「ただ酒だよ! ただ酒! ここは浴びる程呑まなくてどうするんだよ!」
「分隊長は呑みすぎです。明日も業務があるんですから、もうこれ以上は呑まれない方が……」

 リヴァイに飲酒を勧めるハンジに、彼女の部下であるモブリットがそう窘めた。確かにたまには息抜きをするのはいいと思うのだが、羽目を外し過ぎて翌日の業務に支障を来たせば本末転倒もいいところだと思う。

「何言ってるんだい、モブリット。自分の懐を痛めないで酒が呑み放題だっていうのに、今呑まないでいつ呑むんだよ!」
「呑むなとは言ってませんよ、程々にって言ってるんです」

 二人の話を聞きながら、リヴァイは眉間にますます皺を寄せていた。

「……この紅茶、淹れたのは誰だ?」
「え? さあ? 新兵の子とかじゃないかな?」
「淹れ方がなっていない。折角のいい茶葉が台無しだ。香りが飛んでしまっているし……勿体ねぇことしやがって」

 不機嫌そうに言う男に、ハンジは近くにあったポットからカップに紅茶を注いで飲んでみたが、普段飲んでいるものと変わらないようにしか思えなかった。

「そう? 別に普段と変わらないと思うけど?」
「お前の舌と一緒にするな。仕方ない、淹れなおしてくるか」

 男が立ち上がろうとしたとき、すっと、紅茶の入ったカップが差し出された。

「はい、兵長、どうぞ。淹れてきました」

 自分の部下である少年――一応の本日の主役であるエレンの登場にリヴァイはお前、わざわざ淹れてきたのか、と訊ねた。

「あ、はい。多分、味が気に入らなかったのかと思って――違いましたか?」
「違わねぇが。お前、一応は今日の主役なんだから、ゆっくりしてりゃあ良かったのに」

 そう言いつつも、男は少年から差し出されたカップを受け取り、一口口に含んだ。香りも味も損なわれていない、リヴァイ好みの紅茶がそこにはあった。
 リヴァイの眉間から皺が消え、楽しむように紅茶を飲み出したのでエレンはホッとした。彼と出会ったばかりの頃は上手く紅茶を淹れられずに怒られてばかりだったが、何度も怒られ練習していくうちに、どうにか男の好みの紅茶を淹れられるようになった。今では何となくではあるが、男が紅茶を飲みたいタイミングも判るようにまでなってきたのだから大きな進歩である。

「あー、エレン、エレン、折角だから、一緒に呑もうよ!」

 男の横にいたハンジはエレンの登場にどかっと、酒の瓶をテーブルの上に置いてエレンに勧めてきた。

「あの、オレは酒は……」

 エレンは酒は呑まない。元々、呑む機会などなかったし、どうも酒は体質に合わないのか――巨人になれるせいだとは思わないが――呑んでも酔わないのだ。美味しいとも思えないし、高価なものなのだから、味の判らない自分が呑むよりも好きな人に回す方がいいだろう。そう思い、辞退したのだが、今宵のハンジはすでに酒が相当入っているせいか引き下がらなかった。

「ええ、勿体ない! ただ酒なんだよ! 呑まなきゃ損だよ! ほら!」

 酒の入ったコップを押し付けられて、オレが呑む方が勿体ないんですけど、とも言えず、エレンは困ったようにコップとハンジを交互に眺めるしかなかった。

「元々、今日はエレンが主役なんだから、遠慮してたらダメだよ?」
「……オイ、クソメガネ、絡み酒はやめておけ」

 そんな二人の様子を見て、リヴァイは呆れたように声を
かけた。

「絡んでなんかないってば、リヴァイ。美味しい酒は皆で楽しく呑みましょうって話だよ?」
「呑めない奴に勧めるな。オイ、エレン、行くぞ」
「え?」

 立ち上がった男にぐいっと手を引かれ、エレンは戸惑った声を上げたが、リヴァイは気にすることなくエレンの手を引いてその場を離れて行く。ちょっと、どこ行くのーというハンジの呑気な声がどんどん遠くなっていった。

「あの、兵長、良かったんですか?」

 会場の外に出てしまい、おろおろとエレンは自分の上官を見つめた。折角の美味しい食事や高価な酒などの嗜好品を楽しめる機会を終わらせてしまってリヴァイは良かったのだろうか。

「構わん。あのままいれば、お前、また絡まれるだけだぞ?」

 そのうち自分の実験の話を延々と始めるかもしれないぞ、と続けられ、エレンは顔を引き攣らせた。ハンジ自身はいい上官だと思っているが、あの並ならぬ巨人への執着というか、実験欲に巻き込まれると色々と大変な目に遭うのだとは身を以って知っている。巨人についての講釈を延々と聞かされた一夜はエレンのトラウマだ。もう二度と経験したくはないというのが偽らざる本音である。

「あの、では、兵長だけでも戻ったらどうでしょうか?」

 自分のために宴席を外させるのを申し訳なく思ったエレンはそう提案したが、あっさりとリヴァイは首を横に振った。

「宴会にも飽きてきたところだったからな。抜けられて丁度良かった。……折角だから、エレン、俺に付き合え」
「は? どこにですか?」
「そうだな、夜は冷えるからマントを用意しろ。準備をしに行くぞ」
「え、あの、兵長?」

 まだ付き合うとは言っていないし、どこに行くのか場所も聞いていないのだが、とは言えず、エレンは強引にリヴァイに連れ出されたのだった。



「うわぁ、綺麗ですね、兵長」

 リヴァイがエレンを連れてきたのは本部として使っている城の天辺、見張り台にでもしていたのか、塔のようなものの屋根の上だった。周りを照らすランプや防寒用のマントまで用意していたからいったいどこに出かけるのかと思っていたのだが、ここに登るとは予想外である。屋根の傾斜は思っていたよりも緩やかだったので気を付けていれば落ちることはなさそうだが、わざわざ立体起動装置を利用してまで登るとは思わなかった。
 だが、登ってみればここからの眺望は素晴らしかった。降って来るような、と表現が相応しい程、星空が近く美しく思える。

「そうだろう。ここからの眺めは悪くない。壁の中の腐った空気もここには届かない気にさせる」

 特に星がよく見えるんだというリヴァイの言葉にエレンは空を眺めた。

「あ、あれ、えーと、確か北極星とか言うんですよ」
「ああ、あの動かない星か」

 エレンが指差した先にあった星を見て、リヴァイも頷く。

「道に迷ったときはあれを見て方向を見定めるのがいいんだって聞きました。昔、壁の外に人がいた頃からそうしていたって」
「ああ、お前の馴染みに聞いたのか」

 座学の成績は確かトップクラスだったと聞いている、と続けたリヴァイにエレンは首を横に振った。

「いえ――アルミンじゃなくて、父に聞きました」

 まだウォール・マリアが陥落していなかった頃、内地に用事があって出かけた父親に付いていったことがあった。内地がどんな場所なのか好奇心があったのだ。そのときに行った場所が特に星が綺麗に見える場所で――父親から星についてと、道に迷ったときの対処法を聞かされたのだ。
 あの頃の父親は自慢できる良い父親だったと思う。少なくともきちんとした常識を持っていて正気だった。だが、その頃すでに父親は自宅の地下室に世界の謎を――巨人の秘密を隠していたのだ。
 何故、そんなことをしていたのか行方の知れない彼に訊ねることは出来ないけれど、父親が教えてくれた知識が役に立っているのは事実だった。

「北極星って何だか兵長みたいですね」
「……何でだ? 俺はピクシスのじいさんみたいに禿げてはねぇぞ」

 暗くなった雰囲気を誤魔化すように言った少年に男がそう返したので、エレンは思わず笑ってしまった。

「頭の話じゃないですよ。……まあ、人によってはピクシス司令だったり、エルヴィン団長だったり、色々なんでしょうけど――オレにとっては兵長なんです」

 いつだって輝いていて、道に迷ったときに導いてくれる、この人の後を追っていけば必ず何かが掴めると思える存在。人を引きつける引力みたいなものがある人達。人によって違うそれがエレンにとってはリヴァイだという話だ。
 当の本人は意味が判らないようで、不機嫌そうに眉を寄せているけれど。

「何だか、こうしていると、手を伸ばせば掴めそうですね、星」
「掴めるわけねぇだろうが。何バカなことを言っている」
「…………」

 本気で掴めるとはエレンだって思っていないが、あっさりと現実を突き付けられては返す言葉も出てこない。思わず詰まってしまったエレンに男は笑って懐から何かを取り出してエレンの前に差し出した。


「本物の星はやれないが、このくらいならくれてやる」

 小さな袋に入ったその中身は何か判らないが、男の言葉からしてエレンにくれるらしい。もらっていいものか悩む少年に、男は早く受け取れ、とばかりに押し付けてきたのでエレンは躊躇いつつも受け取り礼を言った。
 そうして、中を見たエレンの眼に映ったのは、色とりどりの小さな星達だった。

「綺麗ですね、兵長。これ、何ですか?」
「砂糖菓子だ」
「え? これ、お菓子なんですか? 初めて見ます」
「何でも東洋ってとこにあった菓子らしい。コンペイトウとか言っていたな」
「何だか、食べるのが勿体ないですね」
「食わなきゃ意味ねぇだろうが。ほら、食ってみろ」

 男に促され、エレンはその小さな星を一粒口に入れてみた。――途端、甘い味が舌の上に広がる。

「甘くて、美味しいです」
「そうか、なら良かった」

 しかし、これは本当に自分がもらってもいいのだろうか、とエレンは考え込んだ。菓子というものは高級品に当たる。珍しいものであるし、きっと値段はそれなりにするのではないかと思われる。砂糖菓子なら非常食にもなりそうだし、男が持っていた方がいいのではないだろうか。

「言っておくが返品はなしだぞ」

 そんなエレンの思考を見抜いたのか、男はきっぱりと告げた。

「俺は甘いものは別に好きでもないし、返されても困る。誕生日祝いとして受け取っておけ」

 そう言われてしまえば断れないし、男からの贈り物が嬉しかったのも事実だったのでエレンは有り難く受け取ることにして、頷いた。

「だが、そうだな、俺も一つくらいはもらっておくか」

 男がそう言ったので、エレンが菓子の入った袋を差し出すと、男は何を思ったのかその中から一粒菓子を取り出すとエレンの口の中に放り込んだ。
 突然の男の行動に驚いたエレンだったが、そこで驚いているようでは甘かったのだ。

「!? ……ん…っ」

 不意に柔らかい感触が唇に訪れ、口内に滑りを帯びたものが侵入してくる。
 入っていたそれが中の砂糖菓子とともにエレンの舌を掻き回し、舐め上げ、自分勝手に暴れ回っていく。

「――確かに甘くて、美味いな」

 ようやっと唇を離してそんなことを言う男を睨んだが、涙目では迫力なんてものはまるでなく。
 誕生日、おめでとう、という囁きとともに再び唇を合わせてきた男に、エレンは身体の力を抜いて男に身を預けたのだった。
 ――ハッピーバースデイ!





≪完≫



2014.4.26up



 兵長編です。最初はくっついてない設定のつもりで始めたんですが、終わってみたら何故かどう見てもくっついている二人になりました……謎です(笑)。金平糖が進撃世界にあるのか判りませんが、そこはスルーでお願いします。



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