2015年8月8,9日

高瀬ダム~ブナ立て尾根~烏帽子小屋(泊)~烏帽子岳~船窪小屋~七倉山荘


<2日目>烏帽子小屋(泊)~烏帽子岳~船窪小屋~七倉山荘

 夜中の1時半に寒さで眼が覚めながらも再度4時少し前まで眠る。 起きてテントの外を見ると裏銀座方面の稜線にいくつもヘッドライトの灯りが見える。 皆、早いのお~、と感心している場合ではない。自分だってヘタすりゃ12時間以上かかるかもしれないんだから。 でもヘッドライトを頼りに歩くのは嫌いです。自分の場合、暗いうちから歩くとルートを間違えないよう慎重になるためさほど歩の進みが良くないからです。 前日の高速道路運転中の様子から4時半には山の稜線は明るくなると判断していたので、4時半を目途に出発を決めてました。

 身体が冷えたのでコーヒーを飲み温まる。早朝4時から何か食うなんて食欲は無いのだけど朝食としてパンを食べる。ツエルトを撤収して4時45分に烏帽子小屋に別れを告げる。なぜかいつも出発時刻は△時45分。なんでだろ。眼下には雲海が広がり、天気は申し分ない。






 前烏帽子岳に向かう。






 烏帽子小屋方面を振り返る。どの山がなんて山なのかさっぱりわからず。山様に特徴が無く、また歩いたことも無いので地図と見比べてもよくわからん状態。






 烏帽子岳が見えました。ついでにご来光も。日の出は4時58分でした。








 朝日を浴びる山々。これまた山の名前がわからないのですが水晶岳、赤牛岳あたりでしょうか。烏帽子岳も朝日を浴びてきれいです。








 烏帽子岳には寄り道するような形で往復します。 私の地図には「登り15分、下り10分」とありますが、この寄り道的登頂時間は今日の工程11時間には含んでいません。 往復25分で行けるようには見えないんですが・・・・・






 写真の順番がめちゃくちゃですが、何ヶ所か鎖場を登ります。でも鎖は補助程度に使うだけです。難しいところではなかったです。










 烏帽子岳登頂です。








 烏帽子岳てっぺんから見た山々です。やはり山へ泊まるのはこういう陰影のある景色を見ることができるから好きです。








 ん~、この先の起伏が激しいルートを行くのかと思うと少し気がめいる。なおかつ高瀬ダム側の崩れたところへ迷いこんでしまい余計な体力を使ってしまう。








 不動岳への登り。大学山岳部らしきグループの掛け声が聞こえてきた。






 不動岳への稜線へ出ると槍ヶ岳が見えた。








 何の写真?状態ですが、不動岳山頂近くの砂礫にはコマクサがたくさん咲いていました。 「高山植物の女王」とか「幻の」とかよく聞きますが、結構どこにでも咲いてるんだなとの印象。 もちろん保護活動などのおかげでもあるのでしょうが。






 8時ちょうど、不動岳で記念撮影です。黒部ダムを挟んだ立山方面から何やら太鼓の音が聞こえてきます。 何なんでしょう?そもそも信仰の山ですので何かの祈祷行事でもやってるんでしょうか。






 針ノ木岳と蓮華岳の南面です。南面から見る針ノ木岳はなかなか厳しい山様をしているな。 右側の丘陵地に船窪小屋があると思われるが、「あんなとこまで行くんか?さらに下山なんてできるのか?」と不安よりうんざり感が強くなってくる。






 不動岳からはしばらく樹林帯の中を歩くところあり。相変わらず太鼓らしき音がしてくる。 この辺りから逆行者とすれ違うことが多くなってくる。ときおり樹林帯を外れると高瀬ダムと槍ヶ岳を見ることができる。






 10時ちょうど。船窪何とかピークの道標に至る。 標高2,459mと書いてあるので船窪岳かとも思われたが、このあとにハシゴや鎖、ロープのルートがあったので地図上の2,299m地点ではないかと思う。






 なぜか1本だけ大きく伸びた杉。なんか印象的。このあと、ロープを補助に下るルート。








 ハシゴとロープを補助に渡る狭い稜線。この狭い稜線はもろい花崗岩のようなので気を抜かないこと。










 やっと、やっと、やっと、船窪岳(特に何の特徴もないとこ)を越え、船窪乗越に到着、11時ちょうど。 踏み跡がはっきりしていたので針ノ木岳とこの間を歩く人がいるんだなと感心。








 11時45分、船窪の天場に到着。テント10張り程度の広さと聞いていたけど、もっと広い。登山道沿いにも2張りくらい張れる場所あり。
 実はここに至るまでに烏帽子小屋から持ってきた2リットルの水は節約気味に飲んできました。 1日の工程で2リットル以上の水を必要としたのは初めてのことです。テントを張ったオジサンが水場はすぐそこだよというので、寄り道。 事前のネットの調べでは「すぐそこ」とは誰も書いてなかったから「すぐそこ」の言葉は信じずに。水場のすぐ近くまではごく普通の登山道。 最後の10mくらいがガレ場。水は冷たく、とてもうまかった。ほんと、これこそ源流って感じで斜面から湧き出ています。












 水汲みは誰もが想像する通り、行きはよいよい帰りはなんとやら。天場を後にして船窪小屋を目指しますが、まだ20分もかかるの???






 この山奥になんとすばらしい階段が!疲れ果てた私には身延山久遠寺の石段のごとくに立派に、そして長~く見えました。 それにしてもこんな山奥に立派な階段を設置してくれた方たちには感謝です。








 階段を上がって稜線に出ると、なんとすばらし眺め!!でも小屋はなかなか見えないんですけど。








 七倉岳への分岐を過ぎてやっと船窪小屋が見えました!!!!!!!!!!!!!!!!!!








 12時35分、船窪小屋にやっと到着です。あたりにこれといった山も無いところですが、なぜここに小屋があるのか理解できました。 眺めを楽しむ小屋です。とてもすばらしい展望です。 南は槍ヶ岳から北は針ノ木岳まで一望できます。到着したときにお茶を出してくれました。おいしくいただきました。








 小屋の入り口に1株のコマクサが。ここだけでなく小屋の西面側にもたくさんのコマクサが咲いてました。








 烏帽子小屋で休憩とここで昼食をとって13時15分に下山開始。ルートは黒部ダム側から七倉ダム側に移ります。








 ブナ立て尾根が入山者に対してカウントダウン式の標識であったのに対し、七倉尾根/船窪尾根は入山者に対しカウントアップの標識です。 ダケカンバ類が多く植生しているんで秋は紅葉がきれいなのかもしれません。








 高瀬ダムと槍ヶ岳が見えるようになったところから稜線を振り返りました。 この辺りはかなりハイマツが植生しているのにハイマツ帯よりも標高が高いところにダケカンバが多く植生しているなんて私の経験上ですが少し不思議に思いました。








 船窪尾根には「鼻付き八丁」なる看板が。出前一丁と胸突き八丁は聞ききますが「鼻付き八丁」とは初めて聞きました。 鼻が付くほど急な登りと言うわけですね。でも実際にそんなんだったらクライミングの世界ですよね。それに鼻が付くくらいだったら女性は困るでしょ。 だっておっぱいが邪魔・・・・・・・。 冗談はともかくかなりの急登です。ブナ立て尾根よりずっときついのではないでしょうか。 登山道には写真のような大小様々なハシゴが設けられています。歩幅もちょうどいい具合です。 ハシゴや階段が設けられていても歩幅に合わないと逆に疲れてしまいますが、この登山道のハシゴの歩幅は良い感じです。 また大きな松が茂った樹林帯なのですが、松の枝が山の下側にのみ向かって伸びています。 樹林帯であるにも関わらず、冬は強風が厳しいのでしょう。








 もう下りはヘロヘロでした。○/10なんて標識は無視。唯一、七倉山荘まで1時間との標識は「やっとか」と嬉しかった。 でも「至大町」の標識はちょっと勘弁してほしい。大町の町中近くまで歩くルートに迷い込んでしまったのかと不安になるから。 あとは電力会社の使っている道ですね。初めて来る人にとってはどっちだ?と余計な神経を使います。








 高瀬ダムへ行くときはタクシーに乗っていたので気が付きませんでしたが、船窪への登山口は山の神トンネルの入り口すぐ脇にあったんですね。








 やっと着いた!七倉のゲートです。16時02分。船窪小屋から2時間50分くらいで下山できました。








 ザックと登山靴にも「お疲れ様、ありがとう」とねぎらいの言葉をかけました。ともに使用年数20年以上です。






 地図も1993年発行、22歳です。 ブナ立て尾根を登っている最中にある女性から「すごい年代物の地図ですね!何年版ですか?古い地図もかっこいいですよね!」と声をかけられました。 「僕自身はよくそう言われるんですけどね」と正直に答えました。 山のルートなんてそう簡単に変わらないし、道標も充実しているから最新版地図にこだわる必要は無い!というのが自論ですが、最新版が良いに決まってます。 今回にしたって私のルートには関係ありませんでしたが野口五郎小屋は天場が無いのに、私の地図にはテントマークがあります。 濁沢キャンプ場、烏帽子小屋に野口五郎小屋にテントは張れませんと書いてあったのは、たぶん私と同じように古い地図を使い続けている人がいるからでしょう。

 また地図が古かったために痛い目にあったことがあります。 山梨県早川町から二軒小屋、荒川岳、赤石岳、聖岳を縦走しようとしたときのことです。 千枚小屋までは好天だったんですが、その後は大雨続き。雨の中、荒川岳、赤石岳を越えて百間洞山の家に幕営。 次の日は聖岳へ向かおうとしましたが相変わらずの大雨と強風、予報では数日は天気が好天しそうもないことから大沢岳から大沢小屋へエスケープすることに決めました。 ルートははっきりしていましたが下山しながら「こんなルート使う奴いるのか?」と。 案の定、誰一人すれ違う人もいなければ先行者もいませんでした。 結局何が問題だったかというと大沢小屋が営業を停止していて廃屋だったということです。 あのときの失望感と言ったら言葉になりませんでした。私はこの縦走のために書店で地図を買いましたが、そもそも書店の地図が古かったんです。 なぜそれが分かったかというと同行者の地図には営業していないと書いてあったからです。 同行者に「なぜ自分でも地図を広げてルート確認をしないんだ!」と恨み節。

 ということで古い地図を使ってはいますが、最新版が良いに決まってます。また私は書店で地図を買うときに地図を広げて何年版か必ず確認しています。




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