「MUSIC FOR ATOM AGE」SPECIAL INTERVIEW VOL.8
お盆スペシャル 
L.A.⇔東京 長期特別インタビュー 
スタッフ・インタビュー
Singer Song Writer/Ceramist ? 上田知華氏

アルバムのなかでも、ひときわ異彩を放つ曲、それが天馬博士の苦悩と悔恨の日々を表現した「黄昏の窓辺」だ。キャラクターの内面を描写する繊細さと壮大なドラマを感じさせるスケール感との二面性を併せ持つ本作は、一見、同音の繰り返しが多く、単調とも思える曲調だが、その実、綿密に計算された響きは微妙に複雑で、聴く者に強いインパクトを与える。 樋口氏の作品のなかでも異色、また、従来の上田氏のイメージとも一線を画する(?)本作は、はたしてどのような制作過程を経て誕生したのだろうか? 樋口・上田両氏が取り交わした往復書簡も交え、「黄昏の窓辺」完成までの道のりと樋口氏との係わりについて、上田知華さんに存分に語っていただいた。


・まず最初にお伺いしたいのですが、カリョービン以降、今回のアトム・アルバムまで、樋口さんとご一緒にお仕事をされる機会というのはあったのですか?

いいえ。全くありませんでした。カリョービンの頃は、未熟中の未熟であった私にとって、樋口さんは正に師匠!その後もあまりにも敷居が高すぎて、連絡をさせて頂くのもはばかられるという心境でした。ですので、今回アトムのお話を頂いた時は、本当に嬉しく、このことは私にとって2002年で一番嬉しい出来事でした。ラッキーにも、今ではメル友させて頂いて、いろいろ私の音楽についてもお言葉を頂いております。天国の手塚治虫先生に感謝です。


「2002/11/28 樋口⇒知華」

知華さま
おはようございます。
そちらは東京よりは暖かいでしょうから、いまが一番過ごしやすいのでしょうか。
こちらは毎日なかなか寒くて年寄りにはこたえます。

さて、アトムですが割りと急ぎになってきました。連絡が行っていると思いますが、当初の担当曲より少し(かなり?)重いものをお願いすることになりました。
曲想ですが、いろいろ考えていまどきのとも思ったのですが、この「黄昏の窓辺
(仮題)」だけが重いテーマで、そういう意味では大事な曲なので、あんまり面白くないですが割りとシリアスにやってみようかと思っています。
最初から最後まで同じシークエンスがバックにあって、シンガソングというより語り的なメッセージを歌うというのにしたいのですが、いいでしょうか。
楽しいタイプのは今後また必ずお願いするはずですので、今回は我慢して付き合ってください。

そういうわけで詩が大事です。天馬博士個人の苦悩ですが、もっと大きく人間の英知のために引き起こされる悲惨さとかになっていっても良いと思います。
重い映画のエンディングで黒バックにロールタイトルだけがのっているような感じで、さいごに大海とか地球とかが見えてきて終わるみたいのはどうでしょうか。英語でもいいですよ。日本語のほうがよいですかね。とにかくお任せします。

譜面はとりあえずのものを明日にでも送ります。それと録りのスケジュールですが、NYでバイオリンを録るとすると12/27になりそうなので、NYにきてもらってもいいし12/28にLAに行ってもいいです。プロトゥールズのスタジオってとれますか?オケは東京で録って持っていこうと思いますが。ハードディスクに仮ミックスをいれて持っていこうとおもいますが・・・。
とりとめもなく書いてしまいましてすみません。何でも意見を言ってください。

樋口 康雄

「2002/11/29 知華⇒樋口」

樋口さん。
昨日はサンクスギビングのパーティ、今日はAfter Thanksgivingのセールで盛り上がっているアメリカです。昨日の夜から珍しく雨になって、今も小雨が降ったりやんだり。おまけに南風だったのが急に冷たい北風に変わって寒くなりました。

同じシークエンスというのは、バックであって、メロディではないのですね?
それと、語り、なわけではないのでしょう?メロディがあって歌なのだけれど、語りのような・・・という意味だと解釈しましたけれどそれで間違いはないですか?

> そういうわけで詩が大事です。天馬博士個人の苦悩ですが、もっと大きく人間の英知のために引き起こされる悲惨さとかになっていっても良いと思います。
> 重い映画のエンディングで黒バックにロールタイトルだけがのっているような感じで、さいごに大海とか地球とかが見えてきて終わるみたいのはどうでしょうか。
英語でもいいですよ。日本語のほうがよいですかね。とにかくお任せします。

さすが!樋口さん、例えがステキです。けれど、わかりました、とは答え難いです。
内容はわかりましたが、誰が誰に歌うことにしましょうか。
私、は天馬博 士ですか?それとも、私たち、として人間のことを歌いますか?
あなたとか、私とか、そういう言葉が出てもいいのかどうか、考えています。
人は、と歌うと、とても固いイメージになると思うのですが・・・。
くくく、早くもむずかしい。

これから頂く樋口さんの譜面がどの程度フィックスされたものか、というより、私の詞がどの程度きちんと乗るかということで、その後の樋口さんの作業が決まってくると言うわけですね。ともかく譜面を頂き次第、解釈してメールでお返事します。

さて、それじゃあ、これから新聞でもじっくり読もうかと思います。 ケニアにまでテロが及んでなんてことでしょう。

知華

「2002/11/30 樋口⇒知華」

知華さま
早速にメールありがとうございます。
さて仕事ですが、軽い気持ちでやりましょうね。

要するにバックはほとんどひとつのトーナリティで、その上にバース的なメロディが乗っています。このあと譜面をファクスしますが、12小節のメロディが転調しながら4回でます。調によっては歌がカウンターをとったりします。大譜表はピアノと書いてありますが、これはコンデンスのオケと考えてください。ピアノをいれてもいいですが、どうしますか?

あなたとか、私とかがでてきてください。私たちとして人間のことを歌うと言うのがいいですね。前半はたとえば、「私はなになにをした、彼はなになにをした、彼女はなになにをしなかった、あなたはなにをした」とかあって後半に続くとかいうのもあるでしょうか?ぼくはいいかげんに言っているので、あまり気にしないでください。

樋口 康雄

「2002/12/01 知華⇒樋口

楽譜無事に受け取りました。
で、今、自分でピアノをシークエンスして、歌もラララで録りました。
確かに重たいイメージですが、きっと樋口さん独特の光、輝きのようなもの(上手には言えないですけど)が、この暗さを、暗いだけにはとどめないのだろうなあ、と想像しています。楽しみです。音域は多分だいじょうぶだと思いますが、詞を乗せてみてからの変更は可能でしょうか?

ここで、ひとつ質問です。6ぺージ目のフェルマータの後のメロディーは、そのまま歌ですか?それとも何か楽器なのでしょうか?
そして、その最後の小節にリピート記号がありますが、繰り返すのですか?そしてそこも歌でしょうか?
そしてその後、音楽は楽譜どおり終わってしまうのですか?それともどこかへ行くのでしょうか?または、どこかへ戻るのでしょうか?
もしも、その部分が歌なら、もう少し高いところまでメロディーが動いて、その部分だけファルセットで歌うというのはどうかなあ・・・とふと思いました。何かこの部分は、この歌の中の“救い”の部分でもあると思いましたので。

この曲は、それこそピアノコンチェルトのようなものにもなるなあ、と思いました。ピアノを入れるときっとピアノがスターになるでしょう?それでどうなのかなあ、という感じ。私にはそれくらいのことしか言えませーん。

多分できるだけ自由に詞を考えて、言葉数もなるべく多く、ひとつの音に入れたり、そんな風にしたいと考えています。
問題は、どんな気持ちかということでしょう? 迷い、とか、何故! 何故私たちの地球ではこういうことが起きているの?ということでいいのかなあ・・・。 どうでしょうか?

で、先ほど質問した、最後の部分が歌なのかどうかで、また詞の方向も少し変わってくると思います。

知華


・「黄昏の窓辺」を最初にお聴きになったときはどんな感想を持たれましたか?

単調なメロディが転調を繰り返しながら、どんどん発展していくというこの曲を聞いたときは、やはり作曲家としての力を見せられたという感じがしましたね。きちんと、こうだからこうなるんです、と説明できる曲を、だからと言って論理だけではなく感性で書ける作曲家が、日本にどのくらいいるでしょうね。私は、詞だけを依頼されるとお断りすることが多いのですが、今回は、ああこういう形で樋口さんとお仕事させて頂けるなら、ずっと作詞家でもオーケイです、って気持ちになりました。


「2002/12/02 樋口⇒知華」

知華さま
早速にいろいろ検討してくれてありがとう。
最初に知華に歌ってもらおうと考えていた曲もありました。それは小さないい曲で昔の「りんご」みたいなのを考えていましたが、それなら知華のほうがうまいし、今回はアルバムの中でも重いものを2曲のインスト(pf,vn)と1曲の歌をと思っていたので、その歌をやってもらおうと思ったわけです。全体としてちょっと変わった感じになってもいいと思っています。

> 音域は多分だいじょうぶだと思いますが、詞を乗せてみてからの変更は可能でしょうか?

全然だいじょうぶです。編曲は詩ができてからの作業にしますし、詩によっては曲のほうも手直しとかするつもりです。

> ここで、ひとつ質問です。6ページ目のフェルマータの後のメロディーは、そのま
>ま歌ですか?それとも何か楽器なのでしょうか?
>そして、その最後の小節にリピート記号がありますが、繰り返すのですか?そして
>そこも歌でしょうか?

歌のつもりです。しかしそう言われると、インストにして、その後にそんな感じの歌メロディになってもいいですね。そしたらそこはもう少し高いところまでメロディが動いていくようなのにしてもいいですね。なんか試してみてください。そしてそうなれば、そのまま終わってもいいし、またあたまの暗いところに戻ってもいいですね。たぶん詩によると思います。マーラーの一番の三楽章みたいな形になるといいかなと思います。
そして、そのとおり救いの部分です。ある種キリスト教的な受難のあとに救いがあるというやつです。ですから前半の受難の部分は聖書からとったような文言でもいいです。しかし硬くなく。ことばも多分フランス語とかもいいんでしょうが・・・。よくある「ソロモンは言った。どうたらこうだら・・・」とかいう方式で「彼は言った。どうたらこうたら」・・・というのはダメでしょうね。

もちろん知華ですからピアノを考えないわけではありませんが、この曲は例えば、オルガン(パイプ)みたいなのでコンチェルト風部分を作ったらどうでしょう。まあ絵柄的にはオルガンの弾き語り風でしょうか。ハモンドオルガンにしてすこしゴスペル風になってもいいですし、どちらかというとピアノよりオルガンの持続音のイメージでしょうか。

言葉数を多くしてひとつの音にいれるのは大賛成です。地球規模にするのもひとつだと思いますが、たとえばキーワードとして平和戦争とかいうのはどうですか。意味は平和を守ったり、勝ち取ったりするために戦争するという意味です。平和を手に入れるために戦争をするという矛盾のようなテーマはどうでしょう。これはぼくが勝手に言ってるだけなのできにしないでください。

樋口 康雄


余談になるかもしれませんが、その後樋口さんが、濱田さんから天馬博士の人柄、ならびに”アトム”での役割を説明してもらえるように計らってくれました。これがまたまた的を得ていて、益々私の中での天馬博士の苦悩がはっきりしたのです。

「2002/12/02 樋口⇒知華(追伸)」

知華さま
追伸ですが、ぼくらの曲制作のやりとりが違った方向に行かないように、そのやりとりの箇所を濱田さんに見てもらって感想をのべてもらいました。そのメールを下に貼っておきましたので、何かの参考になればと思います。よろしくお願いします。
樋口康雄


> 樋口様
>
> おはようございます。
> 上田さんとの往復書簡、興味深く拝見しました。
> 文面から察するに、かなり重たい感じになりそうですね。
> ひょっとしたらアルバム中、最もテーマ性が顕著な作品になるかも知れません。
>
> 方向性については、各キャラクターの性格付けやシーンを広義的に捉えたうえ俯瞰で
> 眺めた感じにした方が良いと思っていましたので、まったく僕の思惑とずれていませ
> んでした。むしろ聴く程に染み入るメッセージ性や多少難解な言葉が含まれていても
> 良いと思っていたくらいですから、天馬博士をストレートに連想させる必要はありま
> せん。それよりは人類への警鐘的な要素が(この曲については)盛り込まれていても
> 良いという気がします。
>
> ただ、実際の天馬博士が作中で苦悩するのは地球規模には至らず、もっとパーソナル
> な部分だったりします。つまり、家庭を顧みず仕事に没頭していたばかりに一人息子
> である飛雄(トビオ)を事故で失い、その代わりに科学省のお金でアトムを作り、そ
> のくせ身長が伸びないことを理由に「ロボットサーカス」に売ってしまうという実に
> 自分勝手な人間という描かれかたです(そして、その身勝手さを後日恥じ入るという
> 流れがあります)。
>
> この「ロボットサーカス」へ売ってしまうという描写が「人身売買」を連想させると
> いうことでアメリカでは物議を醸す訳ですが、いわばその横暴ぶりこそが天馬博士の
> 根幹を成す性格付けで、天才にとって最大の欠点であり、ある種の暴君たらしめてい
> る要素といえます。そして、その暴君ぶりを人類に置き換えてみれば樋口さんの文面
> にあった?人間の英知のために引き起こされる悲惨さ」という点に符合するのではな
> いでしょうか。
>
> ただ、これは僕の単純なイメージですが、あまり「戦争」「平和」といった言葉を直
> 接的に盛り込まない方が良いような気もします。何かそれに置き換えられる言葉が見
> つかれば良いのですが。例えば「諍い」や「やすらぎの日々」とか…(語彙が乏しく
> てすみません)。
>
> もっと身近な立場から最終的に世界〜宇宙規模に広げて(連想させて)いけるといい
> と思うのですが、いかがでしょうか?
> うまく言えないのですが、上田さんの文面にあった「樋口さん独特の光、輝きのよう
> なもの(上手には言えないですけど)がこの暗さを、暗いだけにはとどめないのだろ
> うな 」という点が何となく「嵐のあと」というか、それこそ「黄昏れの窓辺」で安
> 息する天馬博士を想起させられればいいなと思います。
> まったく観念的で抽象的なことしか述べられなくて歯痒いのですが、冒頭でふれた通
> りこの曲が一番テーマ性が高い曲になるといいなと考える次第です。
>
> この曲で上田さんのヴォーカルがどのように語りかけるのかとても楽しみですが、そ
> の反面、上田さんのもう少し肩の力が抜けたヴォーカル(明るく軽い曲)を聴きたい
> という気持ちもあります(そちらは次の機会を待つということで)。
> そう考えると本件を機にさらに次なるプロジェクトへと継続することを期待したいと
> ころですね。
>
> 勝手なことばかり書き連ねましたが、何かの参考になれば幸いです。

> 濱田

「2002/12/02 知華⇒樋口」

樋口さん。
さて、今日少し書きはじめたところで質問です。
黄昏の窓辺というのは、どこから出た仮題なのですか? とてもいいタイトルだし、濱田さんが書かれていたように、黄昏の窓辺にたたずむ天馬博士といのはなかなか絵になると思います。ただ、私はそこでは、安息ではなく、孤独な自問自答だと想像しているのですが、どうでしょうか。

どうやら、天馬博士の世界の言葉を探すのが一番の仕事になりそうです。そして、やはり私が歌う、ということで、漠然とですが、天馬博士の母、もしくは妻、もしくは恋人、が彼に問いかける、というのがベストなシチュエイションかな・・・と思いました。もちろん具体的な関係を描写するわけではないのですが・・・。
こんなところが本日の報告ならびに質問です。

知華

「2002/12/03 樋口⇒知華」

知華さま

そうですか、始められそうですか。
題は物書きである濱田くんがつけたものです。
そう思います、孤独な自問自答だと思います。「自分は間違っていたのだろうか、いや間違ってはいなかったはずだ、自分は正しかったのだろうか、いや正しいわけはない・・・」と葛藤するのでしょうか。それを誰かが問いかけるのですね。それは神かもしれないし。
いいアドバイスがあるかもしれないので、このやりとりを濱田さんにCCしておきます。
それでは。

樋口康雄

「2002/12/06 知華⇒樋口」

樋口さん。
お待たせしました。”黄昏の窓辺”の第一稿を添付書類で送ります。

まだ、未完成ですし、言葉の問題、構成、などで思案中でありますが、この辺で読んでいただいておいて、意見をしていただきたいと思いましたので。

先日濱田さんからメールを頂いて、女性の立場から天馬博士を歌うことを賛成していただきました。その際、濱田さんが’途中掛け合いのような形になっても おもしろい”と書かれていたのですが、期せずして、そのようになりました。
詞の中の3ブロック目が、天馬博士本人のセリフとして歌う部分です。

で、そうなると、次のブロックはもちろんもう一度女性と思って書いた後、問題が浮上しました。当初メロディだけ見た時に、Eの部分は救いになりますね、 などと書いたのですが、どうも、まだここで救えないという気持ちなのです。
そればかりか、このEのメロディをどのように解釈するべきか、ここへ来てわからなくなってしまいました。

詞のことだけで考えて行けば、この後も一連のメロディが数回続き、天馬博士の葛藤、イコール、人間の葛藤、ということでBuild Up が続く形が、スムースかな?と、思うのですが・・・。

このまま譜面どおりに進んで、Eのメロディに詞をつけるとすると、多分繰り返した2回目からで、天馬博士をAccuseするのでもなく、また天馬博士本人でもない、天からの声かなあ、とおぼろげながら思っているのが今のところの私です。

それと、言葉遣い。こんなところでいいのでしょうか・・・?またいろいろ思い付くなりにメールします。

知華

「2002/12/06 樋口⇒知華」

知華さま
第一稿受け取りました。
知華からの詩を受け取ることが出来てとてもうれしいです。ありがとう。
さて、詩についての考察ですが、濱田くんとも話しましたが、とてもいい感じでコンセプトどおりに仕上がっていると思います。ご指摘のいくつかの問題点について考えてみました。
まず、もうちょっとこのまま一連のメロディを続けるのは賛成ですし、そのくらいないと最後に行けないと思います。それでこうしたらどうですか。少し長くなりますがA,B,C,Dをもう一周やります。天馬博士のモノローグのブロックの次のブロックはもとの調にもどりますので、このブロックを2周目のあたまにします。そして同じようにB,C,Dとくれば目出度くEに突入できるのではないでしょうか。そしてその問題のEですが、知華がいうように天からの声がいいと思います。アーとかウーを多用してもいいし、レットイットビーのように天の声が「なるようになるさ」ではないですが、「しかたないよ、いいこともいっぱいしたんだし、それでいいんだよ」みたいなことではどうでしょうか?
天馬博士は原作では後半アトムを影から支えるそうです。なんかの危機にあったときどこからか現れてアトムを救うが姿は決して現さないそうです。アトムもうすうす感じているそうです。そんな贖罪に苦しむ天馬博士が晩年(多分)黄昏の窓辺で回想しながら後悔していると天使の声が聞こえてくるわけです。ぼくはこのように思いますがどうでしょうか。


樋口 康雄

「2002/12/07 知華⇒樋口」

樋口さん。お返事受け取りました。続いてさきほど濱田さんからの返信も受け取りました。

メロディーの再考ありがとうございます。戻って後4回となると、ちょっと息切れするかな?と考えていますが、とにかくやってみます。天馬博士のその後のエピソードは、詞を展開させるためにとても役に立ちました。アトムのために何かしてくれていて良かったです。

今気持ちの中で、もうひとつはっきりした答えが出そうなのに、出ないというところ。それがはっきりすると、また残りの部分をすっと書けると思うのですが・・・。ともかく今週末やってみます。

最後に、私が歌うとこんな感じ、ということをお聞かせしなくちゃと思っていますので、なんとか来週の前半に仮に音を録って、フェデックスで送りたいと考えています。

知華


「2002/12/07 樋口⇒知華」

知華さま
参考になってよかったです。
それにしても作詞うまいですね。スタッフのひとりは自分で歌ってみて泣きました。
さて、デモの参考になればと思ってピアノのミディファイルを送ります。転調の前の4小節の歌休みはカットしてあります。あくまでも和音のつかみ方の参考です。コードネームとちょっと違っていると思います。まあこんなかんじ。

樋口 康雄

その後ピアノのデモを聞いて、ほとんど直後に私のイメージがさだまりました。

「2002/12/07 知華⇒樋口」

樋口さん。
ミディファイルありがとうございました。
さっそく詞をつけつつコンピューターの前で歌ってみましたが、どうやら最後のフェルマータで力つきそうなのです。
最後のDで、あなたはそんなに悪い人じゃないわ、めいたことを言ったら、もうそれで救った気持ちになってしまって、その後のEの部分の天使の声が、私の中でとても希薄な存在になっているのです。
樋口さんは、どんな気持ちでEを書かれたのですか?やはり救いが欲しいと思ったからでしょうか?
私は、このグングンと攻めてゆくままのメロディが好きです。今や、そのままグングンと行く方が良いかなと思っています。何か、さようなら、と言った後の追伸のような気がしているのです。どうぞ意見を聞かせて下さい。

こちらも乾燥していて、風邪をひいている人もたくさんいます。私は大丈夫、元気です。でも、これから歌入れまで歌手になりきって気をつけます!

知華

「2002/12/07 樋口⇒知華」

知華さま
わかります。
たしかにEでは何もいうことはないかもしれませんね。ただ曲としてEは欲しいのでこうしたらどうでしょう。詩はE前までですべて完結して、E前のフェルマータをもったいぶった感じからEに突入すると、ffのインストのメロディがくる。そして2周目にpになり、遠くからララルーなどと声が聞こえてきてF.O.というのですが、これ考えていたでしょう?まあそういうことにしましょうか。

また、アルバム中このタイプの曲はこれしかないので、曲の位置をどこにしたもんかなと考えていますがこれも楽しみのうちです。

日程ですが、そっちについてまあ、次の日の26日に歌録音の打ち合わせおよび歌い方の確認をして、27日か28日に録音、その次の日を予備日みたいにしたらどうでしょう。まあ、早く仕事をかたずけていろいろ話すというのも楽しみなので・・・。
それでは。

それと余談ですが、スタッフが感動した箇所は「夜目覚め 朝眠り 膨大な夢をみて愛することを忘れて 扉を冷たく閉ざす」というとこだそうです。知華の才能に感動したそうです。

樋口 康雄


「2002/12/08 知華⇒樋口」
樋口さん。
今一番はっきりさせなくちゃいけないと思っているのは、音域の問題。張った声になったほうがいいのか、また自分の書いた詞が歌えるのかどうか、ということ。情けない話ですが・・・。
もう半音落としておいたほうが無難かなあ?とも思いますし。できたら両方トライしてみてお聞かせします。MP3でメールで送ります。
スケジュール了解です。

> それと余談ですが、スタッフが感動した箇所は「夜目覚め 朝眠り 膨大な夢を
>みて 愛することを忘れて 扉を冷たく閉ざす」というとこだそうです。
>知華の才能に感動したそうです。

ありがとうございます。ずっと同じシークエンスが続くことによって、全く相反することがひとつの詞のなかに書けるとは、思ってもいなかったことです。私は樋口さんの才能に感謝です。

知華

・単調なメロディを繰りかえす曲を、単調でなく歌うのは難しかったのではないかと思ったのですが、実際のところはどうだったのでしょう?

歌は、単調に歌ったと思います。ただ、ふたつの異なったメロディーを聞いて、ああ、これは心の中の葛藤だなと思ったのです。ああでもない、こうでもない、という。それで、博士の二つの想い(一方は、天からの声、というつもりで)を書いたわけですが、不思議なことに単調なメロディーが、その淡々とした語りに色を持たせてくれたのです。この辺が、やはり樋口康雄を天才と見るところです。結果が読めていたか、読めていなかったかは別にして、そういうところへ到着してしまう力、それが私の言うところの”天才”なのです。

・なるほど。単調なメロディーが淡々とした語りに色を添えていたことで、聴く側には決して一本調子な単調さには聴こえず、むしろ狙い通りの効果が十分に伝わってきて、非常に印象の強い曲になっていたように思います。では、レコーディングの時の様子を教えていただけますか。

レコーディングですが、機材はハイエンドでホームスタジオとは名ばかりですが、私の友人のスティーブ・ポーカロ(元TOTOのキーボード)の自宅の敷地内にあるスタジオで行いました。何回か練習してから早めに録ろう、とあらかじめ話をしていましたから、私も早い時期に集中して完成させようと思っていました。レコーディングが始まると、私はボーカルブースにおりましたから、スティーブ、そしてミキサーとのやりとりは、すっかり樋口さんにお任せしました。樋口さんの英語を久しぶりに聞きましたが、とてもきれいな発音で、カリョービン時代ニューヨークフィルのメンバーを迎えて、レコーディングをした時にも、確かそう思ったなあと、ぼんやり思い出しました。ニューヨークフィルと言えばこんなことがありました。いよいよレコーディングの当日、銀座の某スタジオにスタンバイ。いよいよレコーディングを前にリハーサルが始まりました。もちろんメンバーと樋口さんは時になごやかに、スムースに英語で会話をされていています。ですが、こちらは、聞き取るのにやっと。何しろ、大学の英語の講師のイギリス人を除いて、ただの一度だって外人と英語で会話したことなどなかったのですから。そんな中で突然、カウントが始まり、”うわあ、どこどこ?どこから?”と思ったのもつかの間、”ちゃんと話を聞いてろよ!”と樋口さんのカツ!ただただ、”スミマセン!”の一言で、本当に自分が情けなく思いました。樋口さんのその、より作品を素晴らしい物へと持って行くパッションは、決して今も変わらぬものがあると思います。その情熱の在り方のような物は、その後もいろいろなところで学ぶ機会を与えてもらったと思っています。 だけど、内心、なにも怒鳴らなくてもいいじゃないですか・・・と思ったのですけど。で、先日お目にかかった時、その話をしましたら、もちろん覚えていらっしゃらなくて、”ゴメンネ”と言われました(笑)
今回は、そんな風に怒鳴られることもなく(笑)無事に終了したレコーディングでしたが、私が集中して歌うのを、本当に同じように集中して聞いて下さっているのがわかって、本当に気持ちの良いレコーディングでした。


・久しぶりに樋口さんとお会いになられて、印象は変りましたか?

そうですねえ。何しろ20年ですから。考えても見て下さい。20歳の時から、その倍生きてしまったのですから、物や人の見方が変わらないと言ったら嘘になりますよね。つまりいろいろな人を見て来た分、ああ、樋口さんというのは、こういう人だったのか、と今になって他の人との差別化がもっとはっきりできるようになった、と言えばいいでしょうか。それにしても、天才は天才のまま、無邪気なところは無邪気なままでした。

・「こういう人だったのか」といいますと、具体的にはどんな人なんでしょう?(笑)

何しろ、先日も書きましたように、お目にかかったのは20歳の頃です。なあ〜んにも知らなかった年頃ですよねえ。ですから、樋口さんの人となりを分析する余裕など全くなく、ただただ言われた通りに付いて行くだけ、といった状態でした。その中でかろうじて、感じていたことが、”天才”と”無邪気”ということだったわけですが、その後先日、5分の1世紀ぶりにお目にかかって、まったく同じように”天才”と”無邪気”を保持していられるところを見て、ほほおっーと思ったわけです。私の言う”天才”は、”ひらめく人”とでも申しましょうか。ともかく作曲が異常に早いという理由も、このひらめきにあるのではないでしょうか。

樋口さんは音楽に対する確かなねらいをご自分の中に持っていらっしゃる方でした。カリョービン時代に何を質問しても、”それは、こうやって”とか、”それはあまり考える必要はないよ”とかいったように、どんな時でも即答だったのは、その狙いがいつもはっきりとしていたからなのだと今になって思います。”適当に”とか”ムード”でなどと、あいまいに答えることは一切なく、しかも間髪をいれずの即答ですから、その度に私の中の樋口さん像がいよいよ”天才”の2文字をボールドにして行ったわけです。カリョービンの時代にリハーサルをしていて、樋口さんが棒を振って下さるといつでも、演奏がピシッとあるべきところに収まったことを覚えていますが、今回のレコーディングでも、リズムの取り方を指摘されたりするシーンでは、そんな時のことを思い出しました。

また、その昔樋口さんのことを、なぜ無邪気な人だと思ったのか、残念ながらそちらの方はどうしても思い出せないのですが、よくスタジオで何かいたずらめいたことを思い付いては、ヒッヒッヒと笑っていらした印象があって・・・(笑)で、先日、レコーディングにロスへ来て下さった時、ハリウッドのストリートカメラの一件がありましたでしょ?あの時も、”なんか着ぐるみ着ようか・・・?”とか“何かミッキーマウスのでっかいやつ、持ってない?”なんて娘に尋ねたり、終いには、滞在先のホテルのまえに並んでいた数ある万国旗の中から大きな星条旗を見つけて、”あれ、取れないかなあ・・・”なんておっしゃって。”あれを振るとかなり目立つと思うんだよねえ・・・”とその表情は真剣そのもの。あいにく旗は取り付けてあって、しっかりした盗難防止対策が取られていて(そういう観光客が、きっといるんですよお。おみやげに星条旗なんて思うやからが)私としては、内心ほっとしたわけです。無邪気は時として危険でもありますね(ハハハ)


・そういえばカリョービン時代、樋口さんは他のスタッフに内緒でいろいろと実験的なことに挑戦しようとしていた、といった話を小耳に挟んだことがあったのですが、実際、そういったことはあったのでしょうか?

うわあ。小耳に挟んだというのは、凄いですね(笑)。正直、そういう話は知らなかったです。実は、最近、濱田さんにカリョービンのアナログをCDにしていただき、20年ぶりに聞いたのですが、樋口さんはあの頃確かにカリョービンで、それまでに誰もやらなかったことをやろう、と思われていたに違いありません。感想については、とても長くなるのでここでは書きませんが、そんなわけで、実験的に何かやろうと思われていた、と聞いても全く不思議に思いません。それに、そういう発想が、樋口さんそのもので、現に今もちょっと私と樋口さんで新しいことをいっしょに、と企んでいるのです。(クククッ)

・樋口さんと企んでいる新しい計画とはどんなものか、まだ教えてはいただけなのでしょうか?(笑) 私たちファンがその企みに接する機会はありますか?

うーん、企みの公開は、まだ先にしておくことにします。ここで、大風呂敷を広げておいて、実現しなかった、というのは情けないですからね。でも結構大変なことで、2年後に形になっていたら大したものという感じです。もっとも、樋口さんなら話してくれるかもしれませんよ。聞いてみたらどうですか?

・そうですね。今度、伺ってみることにします。ところで、今回のアトム・アルバムの企画の段階で、カリョービンの再結成といった話も出ていたと伺ったのですが、知華さんご自身は再結成をお考えになったことはありましたか?

いいえ。まったく考えていませんでした。その理由のひとつは、やはり私は最初にも書きましたように、作曲家になりたかった人ですから、所詮引きこもってゴソゴソやるほうが性に合っているのです。ですからパフォーマンスへの興味はどうも2の次だということ。それから2番目の理由として、あの”カリョービンここにありき”という音楽は、樋口さんなくしては成り立たなかったものです。ですから私が音頭を取って、自分の作った音楽をするために再結成する意味は、その100分の1にも満たないということ。ただ、一音楽家として、もう一度、樋口康雄の世界を、今の自分の耳と、かなり落ちた技術(トホホ・・・)で探ってみたい、という興味はあります。あの時気付かなかった新たな発見があるかもしれないという気さえしています。樋口さんの音楽は、全く色あせずに響くと確信していますから。

・「MUSIC FOR ATOM AGE」をお聴きになった感想を聞かせていただけますか?

まず音を聞く前に、あまりに多方面に渡る出演者(?)に、樋口さんの底力を見た感じ。うわあ、日本にいてレコーディングをのぞけたらどんなに楽しかっただろうと思いました。marionetさん、あなたはラッキー!
アルバム全体は、あの懐かしいアトムのダイアローグをはさむことによって、その多彩な音楽にひとつの流れを作り、とても聞きやすくなっていましたし、またそれぞれが熱のこもったもので、これはさぞかしこのレコーディングで燃焼されたのではないかなあと、想像しました。とまあ、ついつい私は裏方ですので、このような見方、聞き方になってしまいますね。でも、一樋口ファンとして鳥肌ものの曲も、何曲もありましたよ。

・鳥肌ものの曲は、どれだったのか教えていただけますか?

もちろんすべての曲が好きでしたし、早稲田さんのヴァイオリンも、金子さんのピアノも、それから幻の主題歌もすべて鳥肌もののひとつだったのですが、中でもかなり気になったのは、実はAri さんと子供たちの歌った曲「永遠の1ページ」でした。このメロディーも、ひとつの樋口節なんですよねえ。

・完成した「黄昏の窓辺」をお聴きになった印象は?

自分が参加した曲は、あまり冷静には聞けないのが常です。今回も、う〜ん、ここはこうじゃなかったかなあ、とか、そんな気持ちで聞きましたが、ひとつ、音楽的にはなんと言えば良かったのでしたっけ・・・、長いカデンツァのようなものがこの曲にはついていまして、エピローグというのかな?で、その存在理由が今ひとつつかめないままレコーディングをしたのです。で、出来上がったものを聞いて、ああ、そうかあ、こういうことねえ、と、その時初めて樋口さんの意図したものが見えたというか、そんなことがありました。相変わらず、”天才は、常に彼方を歩いている”って感じ。

・知華さんの現在の活動状況と今後の予定をお聞かせ下さい。

二人めの子供を持って一年後から、ここロスアンゼルスに暮らしておりまして、一年で帰るから、と言って出てきましたのに、もうかなり根がついた状況であります。それでも、風に吹かれて的性分でもありますので、ここに一生という覚悟もなく、どこかまた別の街、または別の国で暮らすのもいいかなあ、などと考えている私であります。
子育て、という年齢でもないのですが、私は子供が大好きで、今は彼等の夏休みをいかに楽しいものにするか、なんてことに結構力を注いでいるかな?たいしたことはしていませんが、今日はビーチに行く予定。
音楽面では、樋口さんとお目にかかって以来、日本でしたいことも多少見えてきましたので、これからはそのいくつかのアイデアを具現化しなければと思っています。自分のことはなかなか見えないのだけれど、樋口さんのことは、なんとなくわかっているつもりで、日本の音楽界のためにも、ご自分のためにも、これとこれとこれと、あれだけはこれからやってもらわなくちゃ困ります、と確信していたりして・・・。そのために、自分ができることは是非させていただきたい、とそのように今は考えています。私の場合はやはり、音楽が好き!ということで音楽をやっているというよりは、近頃は特に、生まれて来た以上これと、これはやっておかなくちゃいかんな!と思ったことをやって行きたい、という気持ちでしょうか。なんか答えになっていませんかね。

・最後にこのアルバムを聴いてくださる方々へ、知華さんからのメッセージをお願いします。

今、情報という意味でとてもスピードのある時代になっているでしょう?世界が小さくなった観さえある。だけど、依然ロス・東京はまだ10時間前後かかるわけで、国と国との実際の距離が縮んだわけじゃあない。だから、やっぱり友達の家まで歩いて行こうと思ったら、昔となんら変わりのない時間を要するわけで、東海道五十三次時代となんら変わらない。だけど今、益々音楽も、時代の表面的変化に則したものが主流というか、そういうものが目立つ構造になっているでしょ?それだけで十分だっていう空気が、送り手にあるというか。それが、ちょっと私には解せない。なんか、もっとスルメ的なものが欲しいと、いつも思ってしまう。
長くなりましたが、つまり樋口さんの音楽というのは、スルメ族というか、来年も、10年後も聞ける、永遠に色あせないものだと信じています。このアルバムも、そのひとつ。永久保存することをお勧めします。

* 本文中に掲載した往復書簡は樋口・上田両氏ならびに濱田氏の了解を得て掲載しています。掲載を許可してくださった三氏には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。


レコーディング・レポもあわせてご覧ください。
 知華さんの最新フォト

【プロフィール】
1957年6月10日生まれ。東京都出身。ピアノ+ストリングスカルテットというスタイルで1978年に“上田知華+KARYOBIN”として樋口康雄作曲の「メヌエット」でデビュー。アルバム・デビューは79年。82年のKARYOBIN解散後はソロとして活躍、91年にソロ・アルバム『アイ・ウィル』発表。以後、今井美樹、観月ありさ、渡辺満里奈、中山美穂、仲間由紀恵、松たか子ら多数の女性シンガーの曲を手がける。現在はL.A在住。