12月23日。
午後4時30分、都内のレコーディング・スタジオに到着。
指定されたCスタジオが地下3階にあるのを確かめて階段を降ると、テレビとコーヒーマシンが設けられたロビーでひとりの男性と打ち合わせ中の濱田さんの姿が目に入る。
「すいませんが、ちょっと待っててもらえますか」と濱田さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら隣のテーブルで打ち合わせが終るのを待つ。が、その間にも濱田さんは奥のスタジオから何度も呼びだされ、男性との打ち合わせはしばしば中断する。
お互いの素性もわからぬまま、たったふたりきり、私とその男性は言葉を交わすこともなく、手持ち無沙汰で濱田さんの帰りを待っていた。

ようやく濱田さんが男性との打ち合わせを再開、やがてそれも終わろうかという頃、Cスタジオの方からハンチング姿の男性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「ああ、ちょっと紹介しておきますね」と濱田さんに紹介されたその人は、今回のアルバムでアレンジを担当するおひとり、ゲイリー芦屋氏だった。
実はゲイリーさんには何年か前に一度メールをいただいたことがある。実際にお会いしたゲイリーさんはその時のメールから想像した印象とは違い、たいへん物静かな雰囲気のかただった(別にメールが騒がしかったわけではないのだが)。
再び濱田さんがスタジオに呼ばれ、席をはずしている間、しばしゲイリーさんとステージ101の話題で盛り上がる。
過去を振り返らぬ男・ゲイリーさんのたっての希望で、ここでは彼について多くを語らないが、ゲイリーさんは少なからずステージ101と縁のあるかただということだけは、ご本人の希望を無視してここに書き記しておきたいと思う。
そうこうしているとようやく濱田さんから「それじゃ、おふたりとも、そろそろスタジオの方に行きましょうか」と声がかかる。先ほどの男性と私は濱田さんのあとに続く。ロビーとCスタジオとは目と鼻の先である。だが、そのわずかな距離を勝手に歩くことは許されない。樋口さんに会うためには、毎回私は濱田さんという38度線を越えていかなくてはならないのだった。

いかにもスタジオといった感じの分厚い扉を開けると、正面奥のガラス張りのブースの中で樋口さんと寺田さんがなにやら話し合っている様子が見える。
Cスタジオはプロツールスのレコーディングスタジオで、従来の巨大なコンソールやマルチテープレコーダーはといったものはなく、実にこじんまりとしたスタジオだった。
手前のコントロールルームで樋口さんを待つ間、濱田さんに作業中のエンジニアの吉田さん、コーディネーターの佐々木さん、アシスタント・プロデューサーの岩田さん、そして、この日ヴォーカル録りのために訪れていた白鞘慧海さんを紹介していただく。ロビーで濱田さんと打ち合わせをしていたのは樋口さんの取材のために訪れていた手塚治虫ファンクラブの代表者、Aさんとわかった。

岩田さんにいれていただいたお茶を飲みながら部屋の隅のソファに腰掛けて待っていると、ほどなくブースから樋口さんと寺田さんのふたりが出てくる。
樋口さんに塩豆をすすめていただくが、慣れないスタジオの雰囲気と緊張で、さすがの私も塩豆を食べてる場合ではなかった。

まずはインタビューのため、樋口さん、濱田さん、Aさんの3人がスタジオを出てロビーへと向かう。私はその取材の模様を取材するため(ややこしい)、3人のあとに続いた。
すでに何度か樋口さんとは面識のあるAさん、インタビューは順調に進行した。新しいアルバムについて熱く語る樋口さんと濱田さん。どうやらふたりには、新しいアルバムに賭ける特別な思いがあるようだ。Aさんからもそんな雰囲気を敏感に察したのだろう、「お話を聞いていると、なんかすごくやる気があるっていうか、非常にこう情熱を感じるんですが」思わずこんな質問が飛び出す。
すると、樋口さん「あ、僕ね、普段やる気ないんですけどやる時は急にやる気になって、それで急に冷めて終るんです」
いかにも樋口さんらしい発言に失礼ながら爆笑。そして私は「せめてこのレコーディングが終るまでは冷めないでくれ」と心の中で祈るのだった。
そしてこのあと、さらなる樋口さんの問題発言が飛び出すのだが、「それじゃ、コメントにならないじゃないですか!(笑)」と濱田さんが言うほどの内容だったため、国民生活への影響を考えて今回は掲載を見合わせることにした。

こうしてインタビューも無事終了し、再びスタジオへ。
レコーディング第1日目のこの日、白鞘慧海さんのヴォーカル録りが行われた。オケはすでにできあがっている。作品に新たな息吹を吹き込む、歌入れという神経の集中が要求される重要な作業への配慮からだろう、私たちがお邪魔したときはすでにヴォーカル録りは終了していた。

録音されたばかりの白鞘さんの歌を聞く。自分の歌を一音一音確かめるように、真剣な表情で聴きいる白鞘さん。作詞も白鞘さんのペンによるもので、彼女自身のアイディアで、曲の最後には歌詞カードにはないナレーション部分が挿入されている。
が、樋口さんはどうやらこのナレーション部分の英詩が気にかかる様子。「これ、誰が言ってるの?」「自分で“小鳩のような胸が”なんて言うの、ちょっと恥ずかしくない?」と気になる点を指摘。白鞘さんは「うーん」と考え込む。岩田さんも交えて意見交換をするが、なかなかこれといった反応が得られない。3人の間に長い沈黙が流れる。
と、樋口さんが「別の人が言ってるほうがいいと思うんだけど。“ボク”のことはもうずーっと(歌詞の中で)言ってるんだから」と、主格を変更するという新しいアイディアを提案。白鞘さんも「なるほど」といった表情で頷く。
その間、傍らの席で3人の会話に耳を傾けていた濱田さんは、スタジオの手配やアレンジャーとの打ち合わせなど、ひっきりなしにかかってくる電話の応対で落ち着かない。
一方、白鞘さんと岩田さんは、濱田さんが電話の内容を樋口さんに伝えている間も詞の内容を思案し続ける。

再び、白鞘さんのヴォーカル・トラックを聴く。
「どうなんでしょうね。ナレーションなくていいかなって感じがするんですけど」と濱田さん。と、樋口さんが白鞘さんに「よかったね。歌無くていいって言われないで」と語りかけ、周囲の笑いを誘う。「歌はもう、まったく問題ないですよ!予想通り」と濱田さんも白鞘さんのヴォーカルの出来には十分満足している様子だ。
「タイミングは問題ない。どういう性格の人が何を言っているのかっていうところをはっきりさせないと」と、樋口さんが白鞘さんに再考を促す。先刻のインタビューのなかで、歌詞について「結構NGも出している。いつもはそういうことしないんだけど、今回は考えてまじめにやっている」と答えていたことを思い出す。タイトルの表記についても慎重に検討しながら決めていく様子からも、今回のアルバムは相当緊張感をもって臨んでいることが伺えたのだった。
結局、ナレーション部分については結論が出ず、この部分は後日への宿題となった。

こうして当初の予定を30分ほどオーバーした午後6時半、一旦、夕食のため休憩にはいる。