午後7時、夕食を終え再びスタジオに戻る。これから始まるコーラス録りのため、すでにスタジオには3人のヴォーカリストが到着していた。3人は中島みゆき、福山雅治らをはじめとする数々のトップ・アーティストのバックを努めてきた、いずれ劣らぬ実力派のベテラン揃い。3人は簡単に挨拶を交わすとすぐにブースへ。樋口さん、白鞘さんは3人に譜面サイズの変更を含め、今日やることを簡単に説明する。
樋口さん、白鞘さんはコントロールルームに戻ると、二人並んでメインスペースの席につく。コーラス隊の3人は譜面とを照らし合わせながら、時に声に出しながら、これから歌う自分のパートを確認していく。コーラス隊からサビ部分の譜割について質問が出ると、樋口さん自らその部分を「タタラ、タータラ、タラッタッタッター・・・・」と歌い、見本を示す。「ちょっとバランスみたいんでアカペラでお願いします」という樋口さんの声で、さっそく吉田さんがオケをスタート。コーラス隊が見事な三声のアカペラでハモってみせる。次に二声のコーラスでバランスをチェック。「下がちょっと弱い。トップは良く出てる」とバランスを修正、再度、三声のコーラスで最終的なバランスを確認し、いよいよレコーディング開始となる。
コーラス録りはAメロの1カッコ(リピート前の間奏部分)のコーラス部分から録り始めることになった。「少し突きましょうか」と樋口さんが「Woo
woo、 Woo woo…」とアクセントをつけて歌ってみせる。オケが流れ、しばし3人の美しいコーラスに聴きほれていると、突如バックの音とコーラスとが不協和音となり耳に飛び込んでくる。
「すいません。こっちの場所が違いました」2カッコ部分のオケが出てしまった。
改めて演り直し。「最後4拍目ドミナントになるとこはha〜で。4拍目のウラでaにします」と樋口さんがトークバックでブース内のコーラス隊に指示を伝える。まず1テイク録ってみる。プレイバックを聴いた白鞘さんが「入るときはもっと柔らかいha〜、最後はha-aで」とリクエスト。これを踏まえてテイク2を録る。「ha〜は良い。最後が決まるといいね」という樋口さんの意見で再度テイク3を録る。プレイバックを聴いた白鞘さんは「結構スペイシーな感じの曲なんです」と曲のイメージをコーラス隊に説明する。
コーラス隊からもオケに関する確認があったあと、テイク4を録る。「前半はいいと思うんで、後半いきましょうか」と樋口さん。徐々にイメージに近づいてきたようだが、まだ納得のいくテイクではないようだ。再度、録音が開始される。「ちょっと今のプレイバックします」録り終えたばかりのテイク5を聴く。「もうちょっとトップが聞こえるといいかな」と、再度テイク6を録る。「バランスみながらダブっていきたいんですが」と樋口さん。どうやら今度はうまくいったようだ。
ダビングを開始する。ここで一旦、白鞘さんのソロ・ヴォイスとコーラスのアカペラを聴く。アカペラを聴き終えた樋口さんから、最後の部分にモーションを足しておきたいという希望が出され、譜面にはない音を追加するため、再度録音が開始される。
「OK!」こうしてわずか6小節の1カッコ部分のコーラスは録っては聴き、聴きは録ってという作業を繰り返し、ようやくOKが出たのだった。
続いて2カッコ部分のレコーディングにはいる。
まずは練習をかねて1回目のテイクを録る。その間、樋口さんは「フッ・・フーとフゥッフーとどちらがいい?」と白鞘さんと寺田さんに意見を求める。寺田さんは「ha〜がいいです」と、冗談とも本気とも取れる発言で笑わせてくれる。プレイバックを聴き終えた樋口さんは「これさ、そんな長くいる?ちょっと短くしましょうか。フッフー、フッフー」と手拍子も交え、微妙な音の長さの違いをコーラス隊に伝える。それを踏まえてテイク2を録る。「もうちょいシェイクっぽくしましょうか。」樋口さんのなかでも徐々に具体的なコーラスのイメージが固まりつつあるようだ。さらにイメージに近づけるためテイク3を録り、結局、これが2カッコ部分のOKテイクとなる。
ひき続き、歌詞のあるコーラス部分のレコーディングにはいる。
まず白鞘さんが見本で1回歌ってみせる。コーラス隊の面々はオケと譜面を照らし合わせながら、各自のパート練習を始める。譜面と実際のソロ・ヴォーカルとのピッチの違いを確認した後、それに合わせてコーラス隊のがいくつかのパターンを試してみる。結果、コーラス・パートに若干のフレーズの変更を加えることになった。「ちょっとアカペラでいただけますか?」という樋口さんのリクエストに、コーラス隊がアカペラで歌う。樋口さんはコーラス隊に白鞘さんの見本を聴いてもらった後、彼女の癖の部分など細かな留意点をに説明、再度、コーラス隊にオケを聴いてもらい、彼等にレコーディングに臨んでもらう。まずは1回目のテイクを録りプレイバック。「最後たっぷりのばしましょうか。4あたま位まで」ということで2回目のテイクへ。しかし、これはNGとなり、3回目のテイクがこの部分のOKテイクとなった。ダビング後のプレイバックを聴き、「どお?」と樋口さんが白鞘さんの感想を求める。「好き」と答える白鞘さん。どうやら白鞘さんにとってもイメージ通りのコーラスに仕上がったようである。
引き続き、2番の歌詞部分のレコーディングへ。まずは1テイク録る。「OKです」とあっさりOKを出す樋口さん。「どうでした、今の」とコーラス隊に訊ねる。「93点。でも次がよくなるという保証はありません(笑)」とコーラス隊がユーモアたっぷりに答える。よくなる保証はないが、100点を目指してもう1回録る。「はい、やってよかった。ダブります」と、この部分のレコーディングは実にスムーズに進行した。
「先行きます」と、レコーディングは休む間もなく続けられた。まず、白鞘さんが歌詞の修正個所をコーラス隊に説明する。3人はこれから自分が歌うパートを確認した後、ちょっと字余り気味の歌詞のはまりを確認するため、一度アカペラで合わせてみる。何テイクか録り、ダビング。プレイバックを聴き終えたあと、この部分の歌詞のキーワードである”小さな”を「もっと暖かく、可愛く」歌ってほしいということで、さらに1テイク録る。プレイバックを聴いた樋口さんからOKのサインが出る。続いて2番へ。この部分のレコーディングも比較的順調に進行した。
こうしていよいよ曲のラスト部分のレコーディングへ。まず、譜面で1番、2番とは微妙に違うラスト部分のピッチを確認した後、さっそく1回目の録音が開始される。
「できちゃった?」と樋口さん。1回目にしてかなりうまくいったようだ。「息がちょっと…」とコーラス隊のひとりが答える。すると別のひとりが「できちゃいけないみたいだな」と答え、スタジオは笑いに包まれる。「じゃあ、もう一回」とテイク2へ。が、このテイクは”震えてるけど”という歌詞を”震えているけも”と歌ってしまいNGとなる。やはり、字余り気味の歌詞を即座にメロディーにのせて歌うのは楽ではないようだ。コーラス隊の面々は、わずかな時間の隙にも、自分のパートを口ずさんで練習を繰り返す。だが、ベテランコーラス隊は、やり直してはプレイバックするという作業がこのあと何度となく繰り返されることになっても、決して疲れを見せることはなかった。まるでそんなレコーディングの過程をも楽しむかのように時に冗談も交えながら、OKテイクが出るまで余裕でレコーディングを続けたのだった。
こうして「Track04」のコーラス部分のレコーディングがひとまず終了すると、吉田さんがデータ整理の作業をする。その間、コーラス隊は一旦コントロールルームに引きあげ、樋口さん、白鞘さんらと談笑。スタジオは賑やかな笑いがこだます。
データの用意が整ったところで、全員で全編通してアカペラを聴く。このときばかりは皆、真剣な表情でプレイバックに聴き入る。アカペラを聴き終えた樋口さんから「全体をプレイバックする前に”フッフー”のところのピッチもあるし、ノリもよくしたい。1回目の1カッコのところにベースをつけてドミナントしたい。」というふたつの希望が出される。再び、レコーディング開始である。「フッフーからいこう。」と、まずこの部分の録り直しが行われた。わずかに歌い方を変えるだけで印象がかなり変わったのがわかる。続いて追加部分のコーラス録りが行われ、ダビング作業へと進む。
全員でプレイバックを聴く。ヴォーカルに呼応するかのようないきいきとしたコーラスが「Track04」に一段と鮮やかな色彩を添える。こうして美しいバラード「Track04」はここに一応の完成をみたのだった。
このあと、ブース内でジャケット用の写真撮影が行われた。実はこの日、スタジオに到着したばかりの私に樋口さんが何よりも嬉しそうに話して聞かせてくれたのが、壁に掛けられた撮影用の衣装のことだった。おそらく樋口さんの頭の中には、このレコーディングで完成するアルバムのビジュアルをも含めた全体像がはっきりと描かれているのだろう。シチュエーションもすでに考えられており、撮影はそれに添った形で進められた。
撮影が終わり、コーラス隊の3人が帰ったあとのスタジオでは、次のレコーディングの打ち合わせが始められた。寺田さんの希望で昨日出来上がったばかりの「Track10」のオケを聴く。苦悩と悔恨を表現した「Track10」は7分に及ぶ大作で、樋口作品にしては比較的珍しい、かなり重い曲である。また、メロディーは長3度づつ6回転調を繰り返し上行し、結果、非常に面白い効果が得られるという。それがどんなものかは完成したアルバムを聴いて、貴方自身の耳で確かめていただきたい。
「Track10」に関する意見交換がひとまず決着した午後9時半、この日の作業を終了する。年内の国内でのレコーディングは、とりあえずこの日が最後となる。
だが、樋口さんはこの「Track10」のオケを持って、次なるレコーディングの地、L.A.へと旅立つことになっているのだった。
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これが噂の
「樋口康雄が持ち歩くラー油写真」
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