フォトエッセイ        華室 夷蔵   
 
 写真を使ったエッセイです 。
2014年9月10日:一部訂正しました。
2014年8月6日交換カメラ(熟年者用コンパクトカメラ)を追加しました。
その他のテーマで、気がついた文字、文言の訂正を行いました。
 
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交換カメラ  一眼レフのサブとしての、熟年者用コンパクトカメラへの期待
温故知新 五重塔とスカイツリー、(元祖制震構造と最新制震構造)
地震で倒れた五重塔もあります。スカイツリーは本当に大丈夫?
 三猿の謎  サンフランシスコで見かけた三猿の像から始まった謎解きです。有名な日光以外に秩父には良く見て、良く聞き、良く話す三猿もあります。
エッセイ  写真には関係のないことも触れています。華室 夷蔵の由来
   
 交換カメラ
 熟年者用コンパクトカメラ
 一眼レフを使っている時、例えば広角系のレンズを使用中に、遠くにいる鳥や離れた位置にいる昆虫、足元の花や昆虫を撮りたいことがあります。勿論レンズを交換すれば良いのですが再度元のレンズに戻さねばならず、また鳥や昆虫の場合にはレンズ交換が間に合わないことも多い。一度交換しもう一度元のレンズに戻すため計2回のレンズ交換が必要になりますが、ゴミの混入を避けるためにはレンズ交換はなるべく避けたいと思います。
 そこで一時的にレンズではなく、カメラ毎交換してレンズ交換の手間を省いて取敢えず撮影し、必要なら改めて一眼レフでレンズ交換をすれば良いのでは?と思った。
 それと、筆者の個人的課題ではあるが健康維持のため、最近は連日のように散歩をしているが、その時に一眼レフと何本かの交換レンズを持って歩くのは大げさで体力的にも負担が大きいので、交換レンズ何本分かをまとめた「交換カメラ」一台を持って散歩するのも、もう一つの目的である。
 さらに、筆者の属する写真ラブの10年程前の展示会で、熟年の方が「皆さんは一眼レフをお使いですか?私も以前は一眼レフでしたが今は重いカメラはさけてコンパクトカメラで撮っています。」と話しかけられ、「展示してある殆どは一眼レフの写真ですが、写真はシャッターチャンスが優先で、なかにはその時に持っていたコンパクトカメラで撮った写真もあります。」と答えたことがありましたが、その熟年の方の心境が現実のものとなりました。
 何時でも気軽に持って歩けるコンパクトカメラを一眼レフのサブとしても使いたいと思う。熟年者用コンパクトカメラ 
 それと、筆者の個人的課題ではあるが健康維持のため、最近は連日のように散歩をしているが、その時に一眼レフと何本かの交換レンズを持って歩くのは大げさで体力的にも負担が大きいので、交換レンズ何本分かをまとめた「交換カメラ」一台を持って散歩するのも、もう一つの目的である。
 さらに、筆者の属する写真クラブの10年程前の展示会で、熟年の方が「皆さんは一眼レフをお使いですか?私も以前は一眼レフでしたが今は重いカメラはさけてコンパクトカメラで撮っています。」と話しかけられ、「展示してある殆どは一眼レフの写真ですが、写真はシャッターチャンスが優先で、なかにはその時に持っていたコンパクトカメラで撮った写真もあります。」と答えたことがありましたが、その熟年の方の心境が現実のものとなり、何時でも気軽に持って歩けるコンパクトカメラを一眼レフのサブとしても使いたいと思いました。
 そのためのカメラの条件は
 (1)広角系から望遠系までの高倍率ズーム。24mm〜500mm位は欲しい。
(2)簡略的なマクロ撮影もできること。
(3)GPS機能があること。一眼レフと併用して撮影することにより撮影場所の記録が残り、何処で撮っ たか分からなくなることが防げます。 
 一眼レフ用のGPSアダプターもあるが、コンパクトカメラ1台分位の費用がかかる。 
 GPS機能をONにしておくと電池の消耗も大きいが、予備の電池で対応しています。
(4)RAWで記録が残ること。カメラまかせの条件で撮影し、後で補正が可能。
  特にホワイトバランス等で後で再生し印象・意図・好みと異なる時に補正は難しい。
  RAWで元データをそのまま保存しておいて欲しい。
(5)電源を入れて直ぐ撮影ができること。
  ※一眼レフのレンズ交換よりも短時間で撮影が可能であること。
(6)小型で軽いこと。一眼レフと併用する時は一台余分に持って歩くのであるから。
(7)ファインダー(EVF)が付いていること。
  これは老眼の筆者の個人的要求ですが、明るい所では距離をおいて液晶モニターは見えず使えない。体から離して持つので、手振れし易い。
 また、コンパクトカメラのファインダーは撮像素子の画像を間引いて表示しているので、撮像直後の画像を確認できることは、一眼レフの光学ファインダーにはない長所である。露出の過不足、ホワイトバランスの不適など前の撮影で設定を変更し戻し忘れた失敗写真にすぐ気が付きます。
(8)バリアングル・液晶モニター。一眼レフの「アングルファインダー」は使えないので、固くなった体で
  しゃがむのはやりたくない。
(9)小さいサイズのイメージセンサーでは、画素数は1000万画素程度で十分。これを大きく超えるのは害の方が大きい。
 多画素はダイナミックレンジ、ラチチュード(色の階調や深さ)が狭くなる。(連写)速度が遅くなる。
(10)手ぶれ防止は必須。
  一眼レフを使用中に、交換の時間を惜しんで三脚にセットせず即座に手持で撮るのであり、また散歩時には三脚は持って歩かない。よって手振れ防止は必須です。
(11)画質は期待しない。画質を重視するならレンズを交換し一眼レフで撮る。
 現在のコンパクトデジカメでも画質はそこそこに撮れる。撮ればそれなりに点は付くが、レンズ交換に手間取ってシャッターチャンスを逃し撮らなければ0点である。
(12)レンズフィルターも可能であること。
  PLフィルター、クロスフィルター、NDフィルター等のフィルターも装着可能であることが望ましい。
COOLPIX−P510 
 以上の条件でカメラを探したが全ての条件を満たすコンパクトデジカメは無く、多くの条件に適合したのがニコンのP510であり、2年程前に購入した。但しRAWでの保存は不可能で、コンパクトカメラとしては大きくて重い。また、レンズフードにキャップ用のリング状溝があるが、ねじにはなっておらずフィルターの装着は不可能でsる。
 使った感想は、24mmから1000mmまで一台のカメラで撮れるのは体力の落ちている筆者には有りがたい。またGPS機能は便利でどこで撮影したかが分かるのは非常に便利である。一眼レフだけの時は、特に紅葉の写真等どこで撮った分らなくなったことがあるが、所々で併用し、GPSでピンポイントでわかるのは非常に良い。
 画質はコンパクトカメラの標準的なクラスであろう。というかあまり気にしていない。
より高画質を目指して、散歩より帰った後に一眼レフと若干のレンズを持って同じ場所に撮り直しに行くことも極希ではあるが、たまはあった。P−510での元の画像とデーターが有るのでレンズは大抵は1本多くて2本だけ持って行けば良い。これは非常に助かる。  
欠点は
@立ちあがりが遅い。これを防ぐため常時電源を入れておくと電池が持たない。即座にカメラを交換してサッと撮るという目的に合わない。
AAFが遅い。遠くの動く鳥や昆虫にはピントが合わせ難い。 
B分かっていたことではあるが、大きくて重い。  
撮影した画像を 例示します。
   この写真は、180mm
(フルサイズ換算で1000mm)の写真です。鳥が動かなかったから撮影できたが、AFが間に合わず撮りそこなったことが何回もある。
 P510は動いている昆虫や鳥には殆ど使えない。D7100に300mmのズームレンズで撮れば450mm相当になるので約半分を使うようにトリミングする方が確実です。
 面白いのは広角マクロ(フルサイズ24mm相当)でレンズ前1cm。撮像倍率の仕様は規程無いが実測でフルサイズ換算0.5倍程度の約7cmが横いっぱいに写せる。これは一眼レフでは撮ること不可能ではないが困難な領域。広角マクロ独特の極端にデフォルメされたそれなりに面白い写真が撮れる。 
   サルビア・グアラニチカ
(メドセージ)の花が雲を飲み込むようになるポジションで撮りました。
f=4.3mm(フルサイズ換算で24mm)で撮影したものです。。花と雲の両方が被写界深度に収まるように パンフォーカス風に撮っています。
実際には雲はボケていますが目立ちません。このような写真は筆者の持っている一眼レフとレンズでは撮れません。  
 
マクロ画像 
 次にP510によるマクロ画像を紹介します。
  焦点距離4.3mm(フルサイズ換算24mm)の最短撮影距離レンズ先端から10mmよりは若干長い距離で撮影した綿毛です。この程度の大きさには撮れます。背景を入れるとゴチャゴチャしますので低い位置から上へ向けて撮影しています。このような写真を撮るためにはバリアングルは便利です。
   焦点距離f=180mm(フルサイズ換算1000mm)で撮影したグラジオラスです。背景も離せば適度にボケます。
他家の庭に咲いていた花です。他所の庭に立ち入ることはできないので遠くから撮影できるのは便利です。ただし撮影位置は自由にでき無いので構図云々は無視しています。
 公園の柵内など立ち入り禁止で、マクロレンズでは撮れない場所、あるいは尾瀬の木道等で遠い位置にあって、マクロレンズでも届かない時にでももこのような写真が撮れます。
要約 ・次のカメラ
 以上のように、一眼レフでも撮れない、広角マクロと望遠マクロが撮れるのはこのカメラの長所です。
 欠点は、一応マニュアル操作も可能ではあるが、一眼レフに比べかなり面倒である。イメージセンサーサイズが小さいため、絞り優先モードが有っても、変えられる絞りの範囲は狭く絞り優先の効果は殆どない。コンパクトカメラでマニュアル撮影をするユーザーは少ないであろうし、これはしかたがないかとは思いますが、コンパクトカメラは、全自動・カメラ任せでそこそこの写真が撮れるようになっていて、マニュアル撮影は軽視されている。しかし、撮影する人の意図より、これが良いはずだというカメラの意図を優先するのは不満です。機械より人間の意思を優先させさせたカメラが欲しい! 
  失敗例です。
 百合の先端に太陽を入れて「ダイアモンド百合」としようとしたが、百合にピントが合っていない。AFを利用したがカメラ任せではピント位置がどこか分からない。
 これでも一応”ピッ”と合焦音はしました。
 一眼レフで使いなれたフォーカスリングならマニュアルフォーカスで合わせられたと思うが、レンズ鏡筒横のレバーでは合わせられなかった。
 買ってから2年程度経ったので、何らかの改良は進んでいることを期待しぼつぼつ買い換えようかと思った。  P510の後継機はP600らしい。動作時間AF時間とも若干は高速化されてはいるようであるが、相変わらずRAWは無く、レンズフィルターも不可能で、しかもGPSが無くなった。画素数が増えたが私には改悪でしかない。よってP600は対象から外れた。他の製品・メーカーを探し、パナソニックDMC−TZ60が次の候補であった。ただしモニターはバリアングルではない。
RAWは可能でGPSとファインダーは付いている。
レンズが沈胴式で、小型軽量(P510の約半分)になったのは良い。その代償としてフィルターは不可能である。
 また、コントロールリングでマニュアルでのピント合わせ操作を容易にしたのは良いと思います。
 P510のレバー操作によるはピント調節は使い物にならず、任意の位置でピントを合わせることが不可能ではないにしてもかなり難しかった。下記の失敗例参照
 TZ60では高速化も図られているようである。
 ただし、最短撮影距離P510に比べ長い。望遠時の換算焦点距離70cmで2mは遠すぎる。(P510は換算焦点距離1mで最短距離1.5m)当然望遠マクロの像倍率が小さい。
マクロもレンズ先端より3cm(P510は1cm)は大きい。上記のP510のようなデフォルメされた広角マクロが撮れそうにない。但しレンズの主点位置が不明であり、正確には比較できない。レンズ位置から、Xcmではなく、撮影倍率で定義してほしい。撮影倍率が同程度なら、ワーキングディスタンスの長い方が使い易くなる。これも画素数は1800万画素超で必要以上に多い。とにかく画素数の競争は止めて欲しい。ということで結局買い換えるまでのメリットは無いと判断した。
 他のメーカーも探したが見当たらないのでしばらくはP510を使い続けることにした。
P510を高速化し、RAWでの保存を可能にしマニュアル操作を容易にするか、あるいはTZ60で最短撮影距離を短くし、バリアングル(できればフリーアングル)の液晶モニターを設けたカメラはそれほど困難ではないと思うが、どこか、上記の条件を満たすカメラを開発してくれないかな。
 ということで、一時的な一眼レフの交換・代替として使い始めたP510で、いろいろ欠点もありますが、一眼レフにはない使い方ができることが分かり,最近は、単なる代替ではない使い方で楽しんでいます。
 コンパクトデジタルカメラは、スマホカメラに抑えられ市場規模を小さくしていると聞く。
 かなりマニアックで商品となるのかな? という気はするが、スマホやデジタル一眼レフでは困難な領域の画像を撮り取り易いカメラはそれなりのマーケットはあると思うがメーカーさん如何でしょうか。
 
 温故知新(五重塔とスカイツリー) ページトップ 
 元祖制震構造vs最新制震構造
  日本で現存する最古の五重塔(法隆寺)が創建(700年頃)されてから現在まで1300年以上経っていますが、記録上地震で倒壊した五重塔は非常に少なく、耐震建築の元祖とされ、その原理が改良されて東京スカイツリーに活かされています。
 多くのホームページでは、地震で倒れた五重塔はないとされていますが、2件有ります。(東京・浅草寺の五重塔と京都・東寺の五重塔)。このセッションの最後(スカイツリーは大丈夫?)にもう一度触れます。
 ただし五重塔は木造ですから、火事と落雷には弱く、幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった谷中天王寺の五重塔も心中による火事で焼失しています。 
 下の写真2.1は浅草寺の五重塔とスカイツリーです。
    この写真は2011年4月の特別公開期に撮った写真で通常は許可されていない位置から撮っています。 
写真2・1 浅草寺の五重塔と工事中のスカイツリー 
  浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)に平公雅が建立、長久2年(1041)大震災にて倒壊。その後数回の焼失・再建を繰り返しています。
1648年に徳川家光によって再建された塔は、1911年(明治44年)に国宝に指定されていましたが、関東大震災にも耐えました。しかし1945年(昭和20年)東京大空襲で焼失し、1973年(昭和48年)に再建されています。
ただし、再建された最新の塔は木造ではなく鉄筋コンクリート製です。
http://www.senso-ji.jp/guide/gojyunotou.html
 過去の記録でも、地震による倒壊よりは、火事による焼失の例が遥かに多いことから、火事に強い鉄筋コンクリートを選んだのでしょう。
 記録上塔が地震で倒壊したのは、この浅草寺の五重塔と下記の文保1年(1317)の大地震で東寺の塔が倒壊した例の2件です。
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
 ここには倒れないまでも、破損した搭の記録も残されています。
   1317(文保 1)年
  1月 3日 大地震。東寺塔倒壊。余震5回。(東寺長者補任 4)
  1月 3日 未曾有の大地震、終日余震。(花園院宸記)
などと記録されています。
 東寺(教王護国寺)の五重塔は高さ55メートルで現存する木造の塔としては日本最高の塔で、寛永20年(1643年)に、徳川家光が再建奉納したものです。
  記録上は東大寺に七重塔(高さ96m)もあったようです。康安二年(1362)焼失するまで地震による倒壊はありませんでした。
 
 写真2.2 東寺の五重塔(京都)
薬師寺の東塔(右側)と西塔(改修による維持)
   東塔を解体修理するので、10年間は東塔と西塔が並ぶのは見られなくなるとのことで2011年11月の満月の日に奈良へ出かけました。
 下記のように西塔は新しいですが、東塔は1300年前のまま、小修理で現在まで伝えられていたそうです。6層に見えますが小さい屋根は裳階(もこし)と言って層として数えないそうです。
 西塔は、東塔より若干高くして再建されたそうです。理由は古い東塔はこれ以上の縮みは少ないが、新しい西塔は年数が経つと縮むので何百年か経つとちょうどバランスがとれるようにしたそうですが、再建される東塔の高さはどうなるのでしょうか? 
写真2,3薬師寺東塔と西塔 
  写真2.3は薬師寺の東塔と西塔で、西塔は1528年に焼失した後1981年に再建され、東塔は現在解体修復中で、修復には10年を懸ける予定だそうです。
 塔が国宝になっているとその材料も国宝であり、使えるものはなるべく再使用し、痛みのひどいものだけを新しく作り直すのですが、新しい材料と古い材料を組み合わせるためには、さっと作ってポンと組み合わせることは後で問題になるので、なじませる(エージング)ことが必要となり、そのために10年を要するとのことです。 以上の例を含め、歴史上五重塔や三重塔などの木塔は500ヶ所以上ありますが 地震で倒れたのは、上記の浅草寺と東寺の塔の2例だけだそうです。
 塔が地震で倒れ難いのは、その構造が制震構造になっているからで、それを応用改良して現在の技術で完成させたのがスカイツリーです。さすが現在の技術では、木塔の10倍を超える634mを達成させていますが、 わが国では1300年以上も前に制震構造を完成させていたのです。
 制震の原理
  詳しい原理は下記の参考文献@に書いてありますが、その構造は、塔の頂上から独立した一本の心柱を吊り下げ、共振周波数を変えることによって地震に耐えるようになっています。
 例えば、まず、地面が左に動いても、塔の頂上はすぐにはゆれず、少し遅れて左に揺れようとします。そのとき芯柱を伝わった揺れがまだ頂上に届いていなければ、頂上の揺れが押さえられます。揺れ戻しで搭の頂上が右に揺れる時に、左に揺れようと芯柱を伝わって来ると搭の揺れが抑えられます。
 すなわち地面に近い下層・中層は地震で右に、左に揺れますが頂上は揺れが大幅に軽減されます。実際には、理想通りにはなりませんが一層は右に、2層は左に、三層は右に揺れ、上に向かうほど揺れ幅が小さくなるのが理想的な制震構造です。スカイツリーでは階段塔が心柱の役をしているそうです。
 それと、五重塔(三重塔)の場合は屋根が「やじろべえ」の役もしているそうですが、最新技術のスカイツリーではそれも必要なくなっています。
http://pedpa.co.jp/library/tower.html
 3.11の地震の時にでスカイツリーの頂上の揺れは4〜6mだったそうです。全体としては未完成ではあってもかなりの部分は完成していたことが幸いして制震機構は十分に有効に機能していると思いました。完全な制震構造になっていない東京タワーは3.11の地震で頂上部が曲がったそうです。
 日本古来の伝統技術を改良活用して、高さで世界一の独立塔を完成させた日本の技術力は誇るべきものです。
 五重塔は古くなって傷んだら、補修しながら長年に渡って維持されています。写真2,1の浅草寺五重塔とスカイツリー、千年後に残って 建っているのはどちらの塔でしょうか?
 地震で倒れた五重塔(スカイツリーは本当に大丈夫?)
  地震学の権威者とされる大森房吉東京帝国大学教授が「五重塔を倒すほどの地震は存在しない」、伊東忠太東京帝国大学教授は「歴史上五重塔が倒れた例を知らない」などと書かれているので、”五重塔は地震では倒れない”と信じられていたようです。この時代には東大教授が調査しても地震で倒れた五重塔の記録は見つからなかったのでしょう。
この二人の教授が発表されたのは大正時代です。下記の文献@には地震で倒れた五重塔・三重塔が二例あると書かれていますが実例が省略されています。
 インターネットで、検索すると五重塔が地震で倒壊した例は無いと書かれている例が多いですが、ネットでサーチして上記の2件を見つけました。
 記録だけのことなら、歴史学ではともかく、一般市民の生活にはたいした問題ではありません。
 しかし、3月11日の東日本大震災による福島原発も、関係者以外からは過去には、大津波があったことを指摘されたていたのにもかかわらず、専門家と称する関係者(原子力ムラの曲学阿世の輩)が無視して、安全神話をでっち上げて今回のような結果を招いたのです。
 スカイツリーも、「過去に五重塔が倒れた記録がない」などと言う権威者の誤認識を元に設計されているのではないかという疑念が残ります。過去の地震の記録を詳細に調査・分析し、どのような地震で五重塔が倒れたのか調査して、スカイツリーは大丈夫か再検証して欲しいものです。想定外だったする専門家の言い訳は二度と聞きたくありません。
 関東大震災にも耐えた、浅草寺の五重塔が過去には倒れた記録が残っているのです。関東大震災よりも強く五重塔をも倒した地震があった可能性は否定はできません。
 上記のように、外側と内側を伝わる揺れの相互作用で、頂上の揺れが押さえられているのですが、地震の揺れ方によっては、外側と内側の揺れが、同じ方向を向いて塔を倒す可能性が皆無ではありません。
 実例の「二つの塔を倒した揺れ」がどのようなものであったかシミュレーションで再現し、スカイツリーがそれに耐えられるか検証が必要だと思います。
 倒壊には至らず、破損した五重塔の例は多数あります。スカイツリーは遥か上空にあって、人体を超える大きさの部品が多数使われています。これらの内の一部が地震で破損して落下した場合の被害も甚大になる可能性は否定できません。これらに対してどのような安全策が施されているでしょうか?
 五重塔は倒れても、被害は主に寺の境内です。スカイツリーは被害が広範囲に及びます。世界一高いという名誉のために安全が軽視されることがあってはならないと思います。

 過去の記録を調べ、悪しきことの再現を防ぐことも温故知新です

@五重塔はなぜ倒れないか:上田篤編:新潮新書
写真撮影への応用?(ストーンバッグ) 
 この原理は三脚のブレ防止として使われているストーンバッグに少しだけ似ています。三脚のストーンバッグは三脚の足に袋を付けて、石等を入れて重心を下げるために使われています。使用時には三脚は重くて重心が下にあるほうが安定し ますが、移動時には三脚は軽いほうが楽なので、カーボンファイバー製の軽い三脚を使用し、必要に応じてストーンバッグ三脚に付け、荷物の予備のカメラやレンズあるいは文字通り辺りにある石をバッグに入れて重心を下げるものです。
 上記の心柱は地震の振動を塔に伝えないものですが、カメラの場合は振動の原因はカメラ自体にあるのことと、三脚の高さは1.5m位なので固有振動周波数が、五重塔やスカイツリーに比べるとかなり高く振動を吸収させるためには余り役に立たないと思います。
 シャッター速度が1/15秒〜1/8秒程度の時ミラーショックが発生し易いとされ、三脚使用時には、カメラの手振れ防止スイッチアはオフにすることが推奨されています。三脚でこの辺りの振動を吸収する工夫があれば良いのですが、まだ実用化されていません。三脚メーカーで上手く工夫し製品化していただけることを期待しています。
 三脚がカーボン製になって、軽くなりカメラをセットした状態での重心は高く倒れやすくなっていますから、ストーンバッグには、重心を下げて、風などで三脚ごと倒れることを防止する効果はあります。
 三脚のセンターポールに重りを付けることも、私の経験では、重りが風に吹かれて揺られ逆効果になることの方が多いようでした。理屈からは重りの底を地面に触れさせて揺れないように、重りの荷重の半分位を三脚持たせるのが良いかとは思いますが、高さの調整が面倒なためやったことはありません。
 三猿の謎    ページトップ
 サンフランシスコの中華街で見かけた三猿の像から始まった謎解きです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~photojii/3monkeys/photo112.jpg  左の写真を何人かに見せたところ

「日光にこんな像ができたの?」とか 
「日光の何処で撮ったの?」
と聞く人が少なからずいました。

実は、サンフランシスコの中華街で撮った写真で開いているのは観光客の記念撮影用です。
 
http://www7b.biglobe.ne.jp/~photojii/3monkeys/photo212.jpg  日本では、この日光の東照宮の長押彫刻の三猿があまりにも有名で上の像も日光だと思う人が多いようです。
さらに
「見ざる・言わざる・聞かざる」の語呂合わせが日本語にぴったりなので、これは日本発祥の諺だと考えられているようです。
私もそうでした。 
 この像と東照宮の長押彫刻はもちろん東照宮の方が古いですが思想的にどっちが古いのか調べてみると、三猿の思想、モチーフは古代エジプトから始まりシルクロード、中国を経て日本に入って来たようです。
 『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、おこなうなかれ)と書いてあります。
世界的にも「Three Wise Monkeys」として普及しているようで、動物が猿なのは世界共通で、猿が自生していない国、地域でも三猿となっているそうですが、その対象は国・地域によって異なり、韓国では子女の教育用に特化され、卑猥なことを「見るな、聞くな、話すな」に加えて股間を隠した「四猿」まであるそうです。
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~photojii/3monkeys/photo311.jpg ところが埼玉県の秩父神社には全く逆の「良く聞いて、良くみて、良く話せ」という
お元気三猿の長押彫刻があります。  
例えば「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
のような全く逆の諺もあり、逆の絵が有っても特に不思議ではありません。
 埼玉県・秩父神社のお元気三猿
  ところが、この彫刻は徳川家康の寄贈です。
家康の墓所である日光・東照宮と正反対の長押彫刻であるのが面白く謎めいたところです。家康はこの正反対の諺をうまく使い分け、時には見て見ないふり、聞いて聞かないふりをして余計な事は言わず鷹揚に構えることによって、必要な時には良く見て、聞いて、話すことにより最終的には武将達の人望を集めて、天下を取り300年もの徳川幕府の礎を築くことができ、一方、石田三成は、この使い分けができず「聞いて、見て、話せ」に偏りすぎ、特に秀吉の命による朝鮮出兵で出陣した武将達への批判が多く、人望が無くなって関ヶ原の戦いで敗れたとするのはこじつけ過ぎでしょうか?
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」を読むとこのような人物評価に思えます。