True of him 13



その後、朝になっても前中からの返信はなかった。
何度も着信履歴を確認するが、電話もなかったようだ。


「行ってきます」


良隆は気になりつつも、会社に行くことにした。

電車に乗っている途中、どうしても気になった良隆はもう1度だけメールを送った。

『おはようございます。私なりに考えてみることにしてみました。

また連絡します』

それに対しての返信も・・・なかった。

良隆は努めていつも通りの態度で、


「おはようございます」


と周りに声を掛けたが、いつもと変わらず返事はなかった。

良隆としては拍子抜けするほど、すんなりと普通の生活
に戻っていた。

1日仕事をしていれば、いくつかの情報を得ることができたのだが、良隆よりも強烈なインパクトで休んでいる人間がいることで良隆の印象が薄れてしまったらしい。

同僚達の話では、水橋という社員のマンションが火事になったらしい。

水橋という名前は聞いたことがあった良隆だったが、特に印象には残っていない。

火事の原因自体はタコ足配線によるものらしいが、話はそれだけでは終わらなかった。

水橋の部屋からトイレや更衣室での盗撮写真が出てきたということが問題になった。
さらに言えば、その写真に映し出されている人間は男ばかりだったというオマケ付きですっかり良隆のことは話題になることもなかった。

良隆は何の問題もなく1日を過ごすと、定時に退社した。

いつもであれば前中に『これから帰ります』メールをするが、今日はしなかった。

もし送ったとしても返信はないと分かったからだった。

まっすぐ帰ることもできたが、良隆は本屋に寄った。
いつもの本屋でたくさんの種類のBL本が並ぶ中、良隆はめぼしいタイトルの本を何冊か手に取った。

全て共通しているのは、攻めがヤクザだということだった。
受けはだいたいサラリーマンや高校生といった一般人。
ある本は受けもヤクザだったり、警察官だったりと様々だった。

今まであまり手にしたことがないジャンルの本だけに、良隆には新鮮な気持ちだった。

帰ってから読み始めれば、


”私と同じようなことで悩むんだな”


本であったとしても、一般人とヤクザといえば交際自体を
悩んでいる場面が多く見られた。
しかし、どの本も最後は


”やっぱり好きだという気持ちが大切なんだ”


ということで、本はハッピーエンドへと繋がっていく。

本を読んでいた良隆も、すでに本の中の主人公のような気持ちになっていた。

その勢いのままに再び携帯を手に、メールを書き始めるが、送ることはしなかった。

代わりにパソコンを起動させると、あることを調べ物を始めた。




それから1週間が過ぎた朝、ようやく良隆は1通のメールを前中に送った。


『前中さん。私は姐さんになる覚悟はできました』


前中と付き合いはじめてから、1週間もの間メールや電話をしないということはなかった。

だからこそ、たった1通のメールだったが良隆はかなり緊張した。

メールには会いたいとも、いつ会うかとも、そんなことは一切書かなかった。

もし返信がなければ、良隆は仕事終わりに前中の会社を訪ねるつもりでいた。

そんな勢いのままに仕事をしていた良隆だったが、昼前には冷静さを取りすと、自分が送ったメールの内容に自分自身が戸惑う事態をおこしていた。


”やっぱりいきなり姐さんって、おかしかったかもしれない”

”でも、前中さんとこのまま終わりなんて・・・”


いろんなことを考え、良隆はそわそわと落ち着かない様子だった。
そして、本人は気づいていなかったが、そんな良隆を周りは変な表情で見ていた。

就業時間までの間、良隆の携帯は1度も鳴ることはなかった。

良隆は就業時間と共に


「お疲れさまでした」


と会社を後にした。

会社を出た良隆は、駅へと向かいながらメールを打ち始めた。


『これから会社の方に・・・』


人にぶつかりながらも、良隆の足と手は止まらない。

早くメールを送りたいという気持ちと、早く前中の元を訪ねたいという気持ちが良隆を支配していた。

何人もの人間にぶつかりながら歩いていると、そんな良隆の腕を引っ張る人間がいた。


「す、すみません・・・」


ぶつかったことに怒られるのかと思った良隆は、バランスを崩しながらもその一言は言い切った。


「良隆さん、前から歩く時はちゃんと前を向いてって言ってるじゃないですか」

「え・・・」


良隆は久しぶりに聞こえてきた、大好きな声音に驚きを隠せなかった。

身体は腕を引っ張られ、バランスを崩した状態のままに顔だけは声のした方に向ける。

そうすると、困ったような表情を浮かべた愛しい人の顔が
そこにあった。


「そんなに急いでどこに行こうとしていたんです」

「あの・・・あの・・・」


良隆はさっきまで前中に会ったら言おうと考えていた言葉があったはずだった。

それなのに、突然現れた前中の前では単語すら思い出せなくなっていた。

代わりに良隆はさっきまで打っていたメールを見せる。


「じゃあ、すれ違いにならなくて良かったですね」


メールを見せられた前中は、別れた時とは違う、良隆がよく知る穏やかな声で良隆に話しかけた。

良隆にはそれだけで心が躍るような気持ちになっていた。
勇気を出しても、また冷たい声で突き放されてしまうかもしれない。

もし再びそんなことがあれば、きっと自分は立ち直れないとさえ思っていた。


「実は会社の前で待っていたんですよ。
それなのに、私を無視してさっさと行ってしまうし。

急いでいる様子で歩いているけれど、いろんな人にぶつかっていくし。

もう見ていられなくて声を掛けたんですよ」


まさか最初から見られていたとは予想もしていなかった良隆は、前中の話を聞きながら、どんどん恥ずかしい気分になっていた。

話している間も前中は捕まえた良隆の腕を離そうとはしない。


「良隆さん」

「はい」

「朝のあのメール、驚きました」

「・・・はい」


良隆も自分が書いた文章を思い出すと、恥ずかしさに隠れてしまい気分だった。


「でも、嬉しかったです」

「え・・・」

「すぐに迎えに来たかったんですけど、良隆さんは仕事中だと思って・・・」


前中の言葉を聞いているだけで、良隆は何か訳の分からない感情で胸が一杯になり、何か言えばそのまま涙も出てしまいそうなほどだった。


「良隆さん」


話をしている間にも、また良隆は俯き加減になっていた。

それを目ざとく見つけた前中は、名前を呼びながらも良隆の顔に手を掛けると自分の方を向けさせる。


「あ・・・」

「良隆さん。色々話したいことがあるんですが、ここではちょっと・・・」


そして、良隆の耳元でそっと囁くと顔を離す時に頬に軽いキスを落としていく。

良隆は頬に手を当てたまま、ボーッと前中を見つめ続けていたが、


「良隆さん、さあ」

「え、あ、はい」


さっきとは違い、前中は良隆を促すように軽く引っ張れば、良隆も抵抗なく素直に従った。

ただ歩いている間に、良隆は自分達がどこにいたのかということをまざまざと思い知らされることになった。

都会では他人への関心は薄いと言われているが、近くにいた人間が2人の会話を聞けばおかしいことに気づくだろう。

しかも、気づけばいつの間にか2人は手を繋いでいた。


「ちょ、前中さん」


普段から前中は「恋人同士なんだからいいじゃないですか」と言って手を繋ぎたがったが、それを良隆は恥ずかしくて拒否することが多かった。

それがさっきからの展開に良隆の思考が追いついていないのをいいことに、前中は手を繋いで歩くことに成功していた。

通り過ぎていく人達も、さすがに手を繋いでいる2人をチラチラと横目で見ていく。


「前中さん・・・ちょっ・・・手・・・」


良隆は手を離してもらおうと先を行く前中に声を掛けるが、


「姐さんになってくれるんだったら、これぐらい普通のことですよね」


と良隆のメールをたてに、駐車している場所まで決して離すことはなかった。

車に乗り込めば、ようやく良隆も肩の力が抜けていく。


「家でいいですよね」

「はい」


前中の問いに答えながら、良隆はあることに気づいた。


「今日は、秘書の方とか・・・」


普段から前中には必ず傍に秘書がいた。

良隆としては「社長という職業柄」という前中の説明を信じていたが、今考えるとそれだけの理由ではなかったんだと分かる。


「帰らせました」

「え・・・」

「今日は私にとっても勝負の日ですから」


前中はそれだけを言うと、運転し続けた。

車の中は沈黙が続いた。

会わなかった間、どんな気持ちで過ごしていたのか、どんなことをしていたのか、お互いに言いたいことはあった。

しかし、何から言えばいいのか分からなかった。

そんな空気の中、不謹慎にも良隆はふと前中と出会ってすぐの頃を思い出していた。

今のように前中が会社まで迎えに来てくれ、一緒に食事に行ったこと。

その時も車の中で何を話せばいいのか分からず、終始黙っていた。

最近は会えば互いになんでもないこと、くだらないことを話していたはずだったが、まるで前に戻ってしまったかのように感じていた。

良隆も前中も何も言わない。

車はただ静かに前中の住むマンションを目指し、走り続けていた。

1年の間に何度となく来た場所は、すっかり良隆にとって見慣れた場所になっていた。

マンションのエントランス前。
前と変わらず前中は一度車を止めた。


「先に・・・部屋に行ってますね」


良隆も前と同じように車を降りると、いつもの言葉をかける。


「私もすぐに行きますね」


良隆は車を見送ると、小さく息を吐き出す。


”なんか変な気分。
別に初めて来たわけじゃないのに、なんだか初めての時みにたい緊張する”


車が見えなくなって初めて良隆はその場を離れた。


”でも、嫌な緊張感でないのはたしかだ”


前中のマンションはオートロック式で、エレベーターにまでロックがかかっている。

番号を入力すると、その部屋の階へと自動的に運んでくれるシステムになっている。

良隆は初めてこのマンションを訪れた時に暗証番号を教えてもらっていた。

『いつでも来てくださいね』

そう言われていたが、今まで良隆が勝手にマンションへ来たこともなかった。

今考えれば大変なことだと良隆は思う。

良隆が部屋の扉を開けると、センサーがそれを感知し、自動で室内灯が点る。

久しぶりの部屋だったが、最後に来た時と全く変わらない。

この1週間がなかったことみたいに感じていた。

そして良隆は会わなくなる前と変わらず、キッチンへとまっすぐに向かうと、ケトルに水を注ぐとスイッチを付ければ、水が沸騰するまでに、備え付けの服をハンガーへと掛ける。

そうしている間にも、”カシャン”と玄関の扉が開く音が聞こえると、良隆は急いで玄関まで迎えに出る。


「お帰りなさい」


この言葉も2人の間での秘密の掛け合いだった。

別に2人の家ではないが、何回か良隆が今と同じように前中を出迎えたことがあった。

良隆の性格上、ただリビングで待っていることもできなかった結果だった。

その時、何を言えばいいのか迷った挙げ句の台詞がそれだった。

『いいものですね、こんな風に誰かにお帰りなさいって言ってもらえるって』

出迎えた時の前中は照れているようだったが、良隆は間違いじゃなかったと確信し、それ以来2人でこの部屋に帰ってきた時にする行為だった。

ただ、今日は少し違った。

いつもなら「ただいま帰りました」と前中が答えるのだが、なかなか前中が言わない。

「前中さん」

変に思った良隆が前中の名前を呼ぶと、それを合図にするように前中が良隆の身体を抱きしめた。


「前中さん」


突然のことに良隆は素直に前中の腕の中に収まる。


「もうこんな風に迎えてくれることはないんだと思ってました」

「そんな」

「良隆さん」


前中は少し身体を離すと、ゆっくりと良隆の唇に自分の唇を重ねた。


「ん・・・」


軽く触れては、すぐに離れてしまう。

良隆は前中からの口づけを受け入れながら、どれだけ前中のことを不安にさせていたんだろうかと、申し訳ないような気持ちで一杯になる。

どれだけの時間そうしていたのかは分からなかったが、ようやく合わさっていた唇が離れると、


「良隆さん。いいんですよね」


と聞いてきた。

きっと秘密にしていた内容が内容だっただけに前中は何度も確認したいんだろうと、良隆は理解していた。

そして、今度は良隆から前中の唇に軽く自分のそれを押しつけると、


「私、前中さんがどんな職業だったとしても、前中さんという人が好きになったんだという事に気づいたんです」

「・・・良隆さん」


良隆はそう言うと、自らも前中の背中に腕を回してギュッと前中のことを抱きしめた。




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