1.俺が怖い?

月に2度、友人と集まる場所がある。

今は何のテナントも入ってはいないビル。
昔はスナックやクラブといったテナントがいくつか入っていたのか、店の名前が書かれたネオン看板が裏返しになったまま放置されている。

そのネオンに灯がともることはなく、そしてビル自体が人々に忘れられたように存在していた。


今は夜の7時。


そんな時間に高校生が1人、何もないビルに入っていくことに目を向ける人間がどれほどの人数いるだろうか。

変にビクビクしたり、周りへと視線を彷徨わせることさえしなければ誰も俺の方を見ることはない。

ビルに入って右手にある階段を上がっていく。

廊下が現れ、いくつかのドアが並ぶ。
どの扉にも手を触れず、一番奥の扉まで歩いて行く。


扉の向こう側、中の音は一切聞こえてはこない。


ウォレットチェーンに付いている鍵から1つを選ぶと、そのドアにある鍵穴に突っ込む。
そのまま右に力を入れると、鍵が開く感触が手から伝わる。



そして扉を開けた先に待ち受けているのは、淫らな色に染まった闇。




今まで自分が存在していた世界とは全く違う空間と言える。

そこに一歩踏み入れた瞬間、俺は高校生である柚木 臣(ゆのき しん)からカタカナ表記のシンへと変わる。


「シン様だ」


俺を見つけた1人が囁けば、すぐに他の場所からも


「シン様が来た」


と声が上がる。

そんな声を無視して俺はフロアの一番奥へと歩を進める。


そこにはゆったりとソファに身体を預けて座る少女と、その隣にはごついという表現がピッタリの男が並んで座っている。

少女は花柄プリントが印象的なワンピースを着ていた。
そしてワンピースからのぞく足はすらっと綺麗に伸び、足台に乗せられている。

その隣の男は身体のラインを見せつけるようなシャツと、その上に薄いパーカーを羽織っている。

どちらも俺の友人には違いはなく、

「よお」

と声を掛ける。

少女の名前はナミ、そして男の方はタケ。
実は年齢が一見分かりにくい2人はどちらも俺と同じ16歳。

そのナミが

「2週間ぶりね」

とその身体に似合わない、少しハスキーな声で答える。
そして、タケの方は何も答えずただ手を軽くあげて答えるだけ。

俺は挨拶を済ませるとナミの隣へと腰をかける。

ふと視界に足台が入ったため、そちらに視線を向ける。


「お前とも2週間ぶりだな」


そう声を掛けると、

「久しぶり」

と答えが返ってくる。
俺は返事を期待していたわけでもない。

足台が俺の言葉に反応を返したすぐ後、乗っていたナミの足がスッと音もなく浮き上がる。


そしてすぐに足台に勢いよく振り下ろされる。


「うっ」


と足台は呻くが、崩れることはない。


「足台は喋らない」


ナミはそれだけを言うと、再び足台に足を戻す。


そう、足台といっても決して人工的に作られた無機質なものではなく、生きている人間だ。
そして足台になっている人間も友人の1人であるサダ。

それも同じ16歳。


別にナミはサダを虐めているわけでもないし、俺達が強制しているわけではない。


足台になっているのはサダの意思。



俺がソファに座って数分も経たないうちに、”ソレ”が俺の傍にやって来るのが気配で分かった。
”ソレ”は俺の近くまでやって来ると、跪く。

そして、


「今夜一晩だけでいいです。ぜひ、私のご主人様になっていただけませんか」


と請う。


俺は”ソレ”に視線をやると、その全身を眺める。

性別は男。
年齢は20代後半といったところか。
全裸であるが、跪いている今は背中から殿部にかけてしか見えない。
ただ、そこには傷一つなかった。

”ソレ”の前に少し足をずらす。

果たして俺の意図していることが分かるかどうか。


”ソレ”の視界には俺の足が入っているはずだ。
明らかに身体が強張っている。

”ソレ”は迷っている。

そして、しばらくの後”ソレ”は顔を近づけてきた。


俺は”ソレ”の唇が靴に到着する前に、足を跳ね上げる。
もちろん、靴が”ソレ”の顎から鼻にかけての部分を直撃することを分かっていて、した。


「うぅ・・・うう・・・」


”ソレ”は両手で顔を押さえ、床を右へ左へと転がる。


「遅すぎ」


俺はそれだけを言う。
すると、近くで控えていた全裸の人間が”ソレ”を引きずってその場を去って行く。


普通は16歳の高校生に蹴られ、そのまま引き下がるような人間はいない。
それ以前に靴を舐めさせられようとして甘んじるような奴はいないのが普通だ。



ただ、ここではその”普通”が通用しない。



ここは俺達4人が主催するパーティー会場。
パーティーと言っても普通の高校生がするようなパーティーじゃない。


ネットの、それもある集団の間では知られているサイト

『freedom』

そのオフ会という名目がこのパーティー。


”freedom”という名前からは若い年代の奴らが自由を求めて集っているように考えるかもしれないが、そんなものでもない。


このサイトに集ってくる人間は2つに識別される。

『S』いわゆる『サディスト』と、『M』いわゆる『マゾヒスト』だ。

俺達のような高校生がそんなサイトを運営しているとは誰も考えられないかもしれない。
こんなパーティーを開くことは自分達の素性を曝すことになるし、危険な状況に陥るじゃないかって考えるのが当たり前。

でも、そんなことない。


俺の隣に座る、一見すると可愛さと幼さの残るナミが本当の主催者であり、サイト運営者でもある。


このナミは足台になっているサダは別として、何人もの人間を手持ちの駒として所有している。
それは30代から60代までの人間で、それぞれに確固たる社会的地位のある人間ばかり。


そんな人間がなぜナミに傅くのか。


ただ分かっていることは、ナミに逆らったり反旗を翻すということは生きることをやめることだということ。
しかも、ナミいわく

「私は”ペット”とセックスをするような趣味はない」

なんて言う。

ナミは自分が気に入って駒として所有する人間を”ペット”と呼んで憚らない。
しかも”ペット”呼ばわりされた奴らは、そのペットとしての自分の立場に対して泣いて喜んでいる。

まあ、このパーティーに出席できるところまで辿り着くにはいろいろ審査がある。

そして見事にその審査に通ると、この会場へ入るための鍵が渡されるという仕組みだ。



ところで、ナミにはペットが何人もいるわけだが・・・俺にはまだ本当の意味での”ペット”はいない。



さっきのみたいに「ご主人様になって欲しい」と寄って来る奴はいるが、俺が心惹かれるようなのがいない。

だからと言って遊ばないわけでもない。
気に入れば、ある程度は付き合ってみる。

そこで”ペット”を見つけられるかもしれないし。


そんな大切なペットを探している俺と、ペットを所有し飼っているナミ。
サダはというと、ナミが所有するペットの1人。

ただ、他のペットと違う点があるとすれば普段は恋人同士という関係だというところだろう。

そして、俺やナミと違って敢えてペットを持たないのがタケである。
タケは自分でも言っているが”博愛主義者”であり、特定のペットを作ろうとはしない。
”来るもの拒まず、去る者追わず”の精神で多くの人間と関係を持つ。

最後に3人に共通しているのが、”ジェンダーフリー”
同性や異性、性別に関係なく受け入れるという点だろう。


だから俺は別にペットにするなら雌でないとダメだという認識はない。
雄であったとしても、俺が気に入って飼おうと思えばペットにするだろう。

その気持ちはあるが、肝心のペット候補がいない・・・


パーティーは約2時間で終了となるのがいつもだった。

俺達は最後まで残り、ある程度の片づけを終えると4人揃って帰る。
その時にはサダもきちんと服を着ているし、ナミの隣に立って人間と変わらない。

そして俺達はカタカナ表記の名前から、再び自分達の名前へと戻って行く。


俺は柚木臣に、ナミは硯 奈美(すずり なみ)、サダは白石 定一(しらいし さだいち)、そしてタケは弘中 武治(ひろなか たけはる)に。


ナミが扉に鍵を掛けると、俺達は家へと帰る為に一緒に歩き始める。
3人は小学生の頃からつるんでいて、同じ校区内で家も近い。

俺達の家はお互いに自転車で数分という距離にある。

だから、親同士もよく知っているし一緒に遊びに行くんだと言えば何も言ってはこない。
その代わりと言ってはなんだが、あまり遅くまでは遊んではいられない。

夜の10時にはパーティーを終了させ、家には11時までに帰りつくというのが暗黙のルールになっていた。


その帰り道には淫靡な雰囲気は全くない。
ただの高校生の会話をするだけ。




ところが、今日はその予定が狂うことになった。




「あ・・・」


俺達の前方を歩く2人の人間に目をやり、思わず声をあげてしまった。

当然、一緒に歩いていた3人にも俺の声は伝わり前方の2人を見ることになる。
その2人は遠くから見てもカップルにしか見てない、

「誰?知り合い?」


武治が興味津々という風に声を掛けてくる。

俺はその2人のうち、男の方を知っていた。


「男の方が、俺の高校の先生」

「へー。女は?」

「さあ、それは知らない」


俺が通っている高校は私立仁知(じんち)学園という、いわゆる進学校。
男はそこの教員をしているが、俺の担任でもないし教科教員というわけでもなかった。

だから俺がこんな夜に歩いていたからって、自分の高校の生徒だとは分からないはず。

だったらどうして俺がその教員のことを知っていたのか・・・
それは男の笑顔だった。


俺とその教員との接点は基本的にはない。

彼は3年生の担任であるし、俺自身は高校入学して数か月という身。
ただ、1度だけ彼を見掛けたことがあった。

俺が高校に入学してすぐの時、クラブ見学をするというクラスの奴らに連れて行かれて体育館に行った時だった。

体育館ではバスケット部とバレーボール部がコートを2分する形で使用していた。
その片隅で、1つのテーブルがポツンと存在していることに気づいた。

テーブルだと思っていたのが卓球台だと分かったのは、その台を挟んで3人の生徒がラケットの素振りをしていたからだ。

俺のことを連れてきた奴らはバスケット部に興味があるのか、そちらの方ばかり見ていた。
しかし、俺はそのたった3人で素振りをしている奴らに興味を引かれた。
そして間もなく彼が3人に近づいて行くのが見えた。

俺と彼らとの距離は大きく、声までは聞こえてはこなかった。

ただ、生徒へと向かっていく時の笑顔が印象的だった。

”これが爽やかな笑顔っていうんだな”

と思った。


彼はそれから生徒達と何か笑顔で話していた。
生徒からも信頼されているのか、生徒の方も笑顔を向けている。

そのうち、生徒達はラリーを始めた。
それはとてもではないが上手いとはいえるようなものではなかった。

ボールを打ち返すことが下手なのか、すぐにボールが逸れてしまいラリーが中断されることになる。

そして彼はそんなボールを拾い集める役をしていた。


卓球台は体育館の片隅に設置されていたとしても、ボールが転がって行けば他のクラブが使用しているコート内へと侵入してしまう。


それを防ぐために彼はひたすらボールを拾っていた。


普通なら嫌になるだろう作業も、彼は何度も生徒達に笑顔で声を掛けながら淡々とこなしていた。


”よっぽど教師という職業が好きなんだな”


俺はそんな風に思った。

そしてまた、生徒が打ったボールが転がって行く。
ボールはバスケット部が走り回るコートへ転がっていき、彼はそれを追いかけていた。

その時、彼に一人の生徒がぶつかった。


教師である彼は生徒とぶつかった上、当たり負けをしてコート内に転がってしまう。
普通ならそこで生徒の方が教師に謝るだろう。
しかし、その生徒はそれまでにも何度も転がって来る卓球のボールに苛立っていたのか、険しい表情のままだった。

その表情のまま、何か彼に言っている様子だった。


生徒に罵倒されている時の彼の表情が印象的だった。


それまでの笑顔ではなく、ショックを受けた表情。
ただ、その中に俺は別のものを見た気がした。


彼は生徒である奴に何度か頭を下げ、再び卓球台へと戻って行った。

その時には再び笑顔を取り戻していたが・・・




今目の前に立っている彼は、教師として笑顔を浮かべている時の彼と同じだった。
きっと隣に立っているのが彼女だろう。

2人はお似合い、という感じのカップルそのもの。


「あ、奈美・・・」


俺達はいつの間にか2人の後を追う様に歩いていた。
いや、俺達というよりも俺にみんなが付いてきてくれていたという感じかもしれない。

一体どこまで追って行くのか自分でも分からなかった。

そんな時、奈美が俺達の間から抜け出すようにして2人に近づいて行った。


奈美の突然の行動に反応が早かったのは定一だった。
そこはさすがというべきなのか・・・

そして残された俺と武治も奈美を追いかけるように2人に近づいて行く。


「すみません」


男は自販機でタバコを買っているみたい、女は少し離れたところで待っていた。

そこに奈美が声を掛けると、女の方が俺達の方を振り返った。
その目は俺達を確認すると明らかにホッとした様子だった。

俺達が若いということに安心したんだろう。


「何か用?」


女が言葉を発すると、少し怪訝そうな顔つきになった。
すぐに男の方も戻ってきたが、その表情は俺達の顔を見ると教師然としたものになる。


「なんだ、お前達?こんな晩に、こんなところを歩いてるなんて・・・」


俺はいかにもというその台詞に思わず笑ってしまう。
それは他の奴らも同じだったようだ。


ただ、奈美は少し違った。


「すみません。この方、いただきたいんですけど」


奈美は無表情のまま、女の方に話しかけている。
”この方”と言いながら、女の隣に立つ男を手で示すことを忘れない。


「「え・・・?」」


それは2人、同時に放った言葉だった。


「いただいてもいいですか?」

「え・・・な、何この子?」


奈美は淡々と話を進めていくが、2人は何を言われているのか理解できない様子で互いに見つめあっている。
そんな2人と同じように、俺と武治も目を合わせる。

そして、意思を確かめるように小さく頷く。


「あの、君ね・・・」


男がいかにも困っていますという風に苦笑を浮かべながら、奈美の方へと一歩近づこうとした。


俺と武治は互いに左右に別れると、2人の後ろに回る。
手に持っているのは、ナイロン製の手錠。
プレイで使うモノとは違い、これは持ち運びをするのも嵩張らず、ポケットに入れることができて便利なので常に持っていた。

俺は男の片腕にそれを通す。

男は驚き、俺の方を振り向くがその時にはすでに遅い。

「い・・・っ」

もう片方の腕にも手錠を嵌めて、完成。

男は後ろ手に手錠を嵌められる形で、俺達の方を驚いた顔で見ていた。


武治の方も順調にいけたようで、女が恐怖に駆られた表情で涙をうっすら浮かべてさえいた。


「おい、これを取りなさい」


男は腕を動かすことで、ちぎろうと必死だった。
しかし、それは腕に赤みを残すだけで無駄な抵抗。


「ちょっと俺達に付き合うだけでいいからさ」


武治は面白いことを見つけたとでも言いたそうに笑っている。
そして、女の頬を下から舐め上げる。

女の目からはついに涙が溢れたが、それも武治は面白そうに舐めとる。


「さあ、こっちだよ」


奈美は携帯でどこかに連絡をしていたかと思えば、数分も経たずに俺達の前に黒い車が横ずけされる。
運転席からは黒いスーツを着た男が降りてくると、後部座席の扉が開かれる。


まず女を乗せると次に武治が乗り込む。
女は恐怖のために声も出ない。

俺はそんな女に興味はなく、男の方を見る。


「何、何をする気なんだ」


男も女と同じように恐怖で顔が強張っている。
ただ、なぜだろうその中に俺を誘うような色香が漂っている感じがした。


あの体育館で見た時に感じた何か。


笑顔の裏に隠されたもの。


「時任(ときとう)先生」


俺は後ろから彼に言った。

時任 優真(ときとう ゆうま)。
それが彼の名前だ。


「な、何で?」


それは何に対しての”何で”なのか分からない。
俺が彼の名前を知っていることへの疑問符なのか、それとも自分の状況に対しての疑問符なのか。


「こっちを見て」


俺の言葉に彼はゆっくりと振り返る。


”やっぱりだ”


瞬間的に思った。
この人間の中に潜んでいるモノが分かった気がした。


「俺が怖い?」


思わず言った言葉だった。

彼はゆっくりと首を縦に振った。


俺は彼の髪をゆっくりと梳いてやりながら、


「大丈夫、楽しいことが待ってるよ」


と言ってやる。

初めて見る主人の前で戸惑っているペットに対し、その気持ちを解してやるようになるべく優しい声を掛けてやったつもりだった。




まあ、優真にその時俺の優しさが伝わったかどうか・・・・伝わってないだろうな。




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