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2013年10月加筆


   これから書きますことはパソコンには全く関係がありません。お読みいただかなくて結構です。
 ただ最近自分が生かされていることを強く感じるものですから、あえて書くことにしました。今77歳になりました。
定年後ずいぶん病院と仲良くしてきたものです。
 約7年ほど前に「大腸癌」に罹りました。S字結腸の部分を25cmほど切り取る手術を受けました。幸い今の
ところ転移もなく推移しているものですから、やれやれひと安心といったところなのです。癌はもはや珍しくもなんとも
ない病気です。医者も本人に隠したりするといったことはほとんどないようです。
 ただほんのちょっとしたことが、まさに生死を分ける運命と言いたものを感じないわけにはいかないのです。
私の友人・知人に同じ大腸がんで亡くなられた方を何人も知っております。そこで声を大にして申し上げたいのは、
身体の異常を感じたら一刻の猶予もなさらずに医者の診断を仰いでいただきたいのです。私の場合にももう少し発見が
遅れていたら確実に転移が始まっていたでしょう。今から思えば、やはり予兆ははっきり出てきていました。尾籠な話
で恐縮ですが、便がものすごく細くなっていったのです。よく言われる診断の一つが血便です。ただこれも痔主であった
りするとなかなか見分けがつかないものです。昔から快食・快便などと言いますが、必ずどこかにサインが出てくるもの
です。
 私の場合には、体重などにはことさら変化が認められませんでした。なんとなく調子が悪い、お腹の調子が悪いといった
状態でした。そんなことを通っていた病院の医者に多少大げさに訴えてみたのです。それでは検査をしてみましょうという
ことになり、下剤を飲み、内視鏡の注腸検査を受けたのです。画面を見ながら検査を受けたのですが、途中でもうこれ以上
中に入れることができませんという御託宣、そこで見たものは赤黒く腫れあがった腫瘍、あこれはガンだと直感しました。
その時不思議なことにとても冷静に受け止められました。ああやちゃったくらいの思いでした。それから数日後手術が行わ
れたのですが、本当に紙一重、もう少し時間が経過していたら、間違いなく次のステージに進行していたはずです。ラッキー
としか言いようがないように思えました。術後の痛さもほとんどなく今の医学の進歩に救われました。
 ただ、その半年後何の予兆ももなく、腸閉そくに襲われてしまいました。これはかなりの確率で起こるようです。特に
治療法もないようですから、絶食をして自然治癒を待ちました。その後今に至っても快腸?というわけにもいかず、いつも
お腹の調子を気にしなければならず、やりきれない思いでいるのが実情です。
 最近、またやりきれない思いでおりますことは、医者にかかっていながら(それも不具合が状況として出ているにもかか
わらず(脚にひどいむくみが出ていながら)、がんが見つからなかった姉の場合(結果としては「卵巣がん」で赤ん坊の頭
ほど大きさになっていた)を含め、転移がやっと見つかった例などを見・聞きするにつけて、医者の相互のつながり(連携)
といいますか、自分の専門のことしかわからない医者があまりにも多すぎるような気がしてなりません。
 昔から無病息災と言いますが、具合の全く悪いところのない人など、この年になりますとほとんどいませんから、一病
(で済めばよいのですが)息災的な気持で、具合の悪いところがあるから故に却って気をつけるという精神で、細く長く生き
ていくより仕方がないと思っているのです。
 思い返せば、この10数年ほどの間にずいぶん、病院の厄介になりました。10年ほど前に前立腺の掻きだし手術を受け、
以後3カ月ごとにがんマーカーを調べ(その数値に一喜一憂し)ていますし、9年ほど前に、自宅のふろ場で転倒して「膝蓋骨
骨折」をして入院、膝の通称「お皿」をお煎餅を割るように粉々に砕き、針金で縛り割れた骨をくっつけ、その後その針金を
取り除き今に至っていますが、階段の上り下りに苦労していたり(湿度が高くなったりすると少々うづいたりもするのです)、
この4年ほどは狭心症を発症し、薬を一生飲み続けなくてはならなくなったりしています。ごく最近のCT検査の結果でも
血管の一部が石化していますなどと言われる始末です。これが心臓や脳ならばと思うと恐ろしくなります。ただ、気にしても
しょうがないですから、なるようにしかなりませんものね。残された寿命を如何に我が物にしていくかが当面の課題になって
います
  このようなことは、自分ひとりの問題ではありません。私ごとで恐縮ですが、お産以外にはあまり病院のご厄介になったこと
がない妻が、近年とんでもない病気に襲われてしまいました。腹膜偽粘液腫という10万〜100万人に一人という難病に罹病
してしまったのです。今から思い返せば予兆がなかった訳ではないのです。腹部に水が溜まる症状があったのですが、近所の医
者もたいした量でもなく、しばらく様子を見ましょうということで何年かが経過してしまいました。そのうち腹部の激痛に襲わ
れ市民病院へ緊急搬送され、血液検査の数値などから異常を認め、緊急手術となりました。すぐには何の病気か診断がつきま
せんでしたが、しばらくして病理検査の結果「腹膜偽粘液腫」という病名が告げられました。それが始まりでした、すぐに転移
が認められるようになり、私の大腸がんの手術をしてくださった先生に相談すると診てくださることになり2度目の手術に踏み
切りました、術後抗がん剤治療を行いましたがたいした効果がないままに月日が過ぎていきました。ご承知のように抗がん剤
治療は体へのダメージが多いですし、費用の面からもかなりの負担になります。3度目の手術をするかどうかの判断を迫られる頃、
担当医もセカンドオピニオンを認めてくださっておりましたので、ネットをを中心にして腹膜偽粘液腫という病気をいろいろと
しらべている時に、専門医の存在を知りました。腹膜播種治療支援機構という団体の存在をしり、メールでコンタクトをとりま
したところ、幸いにも受け入れてくださり、コーディネターの方との相談で滋賀県草津にある病院へ出かけ、斯界の専門医米村
豊医師の診断を受けることができました。診断の結果やはり手術が必要であるということになったのですが、半年以上予定が
ふさがっていてすぐには手術はできないが、三島にある提携病院でなら来年の2月になら手術が可能であると言うことになり、
三度目の手術をしました。(丸二日は昏睡状態が続きました)抗がん剤による腹部を洗う温熱療法もしていただきました。手術
はうまくいったと思われたのですが、完全には取りきれなかったようです。その後2年近くは特に問題もなく経過したのですが、
困ったことには、肺への転移が見つかってしまいました。米村先生のご指示で、肺外科の専門医を紹介してくださり、放って置
くわけにもいかず四度目の10時間以上にも及ぶ大手術をしました。この病気の厄介なところは効く薬がないとはっきり言われ
てしまいました。すべてを取り切ることは命との引き替えになる恐れがあるとのことで、可能な限りの切除手術になりました。
まだ病巣は残っておりますのでいつ大きくなるかが問題です。幸い進行が多少遅いと言うことなので、そのことに唯一の期待を
するばかりなおです。今は何とか寝込むこともなく生活できているのでよしとしなければならないでしょう。その間に乳がんま
でもも見つかり手術をしました。
 人間生きていますとどんなことにおそわれるかわかりません。残された生を大事にしていくより方法がないのでしょう。

その後、2018年4月現在まで何とか生きながらえておりますが、身体全身思うようにならなくなってしまっております。いつまで続けられることでしょう。
といのが本心です。