(2016年7月22日)
いきなりですがあなたがどこにいるのかを人に教えるときにはどう伝えるでしょうか。例えば、東京駅の北口にいます、とか銀座通りの4丁目交差点から100m西のところにいます、というような表現をするでしょう。つまり、位置を示すには基準となる地図が必要なのです。空を飛んでいる飛行機なら高度も伝える必要があります。実際、航空機のパイロットは着陸したい空港の近くまで来ると、管制官に自分の機体名(または便名)と自分の飛んでいる場所と高度を伝えて着陸許可を貰います。この場合、パイロットも管制官も同じ地図を念頭に置いて話しています。暗黙の裡に共通の地図が相互の位置を示す基準になっています。地図を学問的に使う言葉が物理での座標系です。
このように、3次元空間で自分の位置(x、y、z)、を示すには座標系を決めておく必要があります。従って、位置は座標系に依存する物理量の一例です。
これに反して、駅から自宅までの距離や背の高さなど、距離や長さは座標系に依存しません。長さは座標系に依存しない物理量の一例です。長さの二乗である面積も長さの3乗である体積も座標系に依存しない物理量です。
それでは速さはどうでしょうか。大谷翔平投手は時に時速160kmを越える速さのボールを投げて観客を驚かせます。大谷投手はどこの球場でも変わらず投げます。従って速さは座標系によらないと言えそうです。
しかし、これは間違いです。時速300kmで走る新幹線は地上に対して300kmで走るのです。新幹線の乗客は車両に固定した座標系に対して動いていません。大谷投手の投げたボールもそのボールに固定した座標系で見れば動いていないのです。速さは位置の時間変化ですから座標系に依存する物理量なのです。
もう少し、座標系に依存する物理量にどのようなものがあるか見てみましょう。
大谷投手の投げた時速160kmのボールをあなたは受け止めることができるでしょうか。あなたが素人ならキャッチャーミットを持たされてもまず逃げ出したくなるでしょう。
テニスですとサーブで時速200kmを越す速さのボールを打つ選手もいます。もし、大谷投手の野球のボールかプロのテニスボールを受けてみよと選択を迫られたらどちらにしますか。まだ、テニスボールを受ける方が良いと思うでしょう。受け止めそこなって体に当たった時の影響が軽いと思われるからです。この違いは何かというと野球のボールの方がテニスのボールよりも質量が大きいことにあります。
物理学では速さと質量を乗じた量を思い描き、この量を運動量と名付けています。大谷投手の投げた時速160kmのボールの方が時速200kmのテニスボールより運動量が大きいのです。運動量が大きい物体は静止させるときの衝撃が大きいのです。物体の質量はその物体がどこにあっても質量に変化はありませんから、質量は座標系に依存しません。
では運動量は座標系に依存するでしょうか。
大谷投手はどこでも同じように投げますから、運動量は座標系に依存しないように見えます。しかし、速さが座標系に依存しますから質量を乗じた運動量も、やはり座標系に依存するのです。運動量は頭で想定するだけの物理量であって実態は何もありません。ある座標系に基づいて静止させたときにその運動量が大きいものであったか小さいものであったかが決まるのです。
それでは加速度は座標系に依存するのでしょうか、しないのでしょうか。もう答えはすぐお判りでしょう。加速度は速さの時間変化ですから、当然のことながら座標系に依存します。
ここまでは実は前置きです。お話ししたいことは力についてなのですが、座標系に関して少し困ったことがあるのです。
物体に力を加えるとその物体は加速度を生じて運動をします。このことを一番よく示しているのは種子島から打ち上げられるロケットでしょう。ロケットのエンジンが火を噴いて大きな推力を出し始めると、ロケットはどんどん上昇していきます。ロケットの燃料が少なくなって質量が減るにつれ、加速度も大きくなります。
ニュートン力学では力は質量と加速度の積に等しいとします。この関係式はニュートンの運動方程式と呼ばれ、ロケットの運動解析で主要な位置を占めています。ニュートン自身が著したプリンピキアでは力は運動量の時間変化であるという文章で表されています。後世の人が判りやすくニュートンの運動方程式としたものです。
それでは加速度が座標系に依存する物理量ですから、力も座標系に依存すると言わなければならないようです。果たしてそうでしょうか。
先日、大西卓哉宇宙飛行士がソユーズで打ち上げられ国際宇宙ステーションに到着しました。地上から見送った人たちはソユーズが見事に加速して上昇していくのを見届けました。ロケットは確かに大きな推力を出していたと感じたことでしょう。
ソユーズロケットの中にいる大西宇宙飛行士達3人はどうでしょうか。ソユーズの中にいるのですからソユーズに固定した座標系では少し動いていません。それなのに、3gか4gの加速度を受けているのを感じ、ロケットが明らかに推力を出していることが判るのです。
時速300kmの定速で走る新幹線は少しも揺れていなければ、外を見ない限り自分が動いているとは判りません。列車や宇宙船に固定した座標系では動いていないのですが力がかかって動く場合は違いがあるようです。
通常、私たちが認識する力にはロケットの推力の他にどのようなものがあるでしょうか。私が真っ先に浮かぶのは力士です。二人がお互いに力を出し合って動かなくなっても力を出し合っていることは十分判ります。力士に固定した座標系でみても、動かなくても力を出していることはその力士にも判ります。
怪力の持ち主は手のひらで握ったリンゴをつぶすことができます。物体に力を加えるとその物体には必ず何らかの変化が生じます。物理学では物体はひずみ、内部に応力が発生していると言います。そして、通常私たちが認識する力とは座標系によらない物理量なのです。
それでは逆に、座標系に依存する力というものが実際にあるのでしょうか。
手にボールを持って静かに離せばボールは地上に向かって落下していきます。高い塔からボールを離せばどんどん加速して落下することが判ります。すべての物体は地上付近では加速度g(=9.8m/s^2)で落下すのです。すると、この物体の質量に加速度gを乗じた力が掛かっていると判断できます。ところがこの力は地上から見た人がそのような力が掛かっていると想像するだけなのです。自由落下するボールに固定した座標系でみれば加速度もゼロですから力はかかっていないのです。
自由落下中の物体に力が加わっていないことはアインシュタインが1907年に気が付いたことですが、宇宙ステーションの中の宇宙飛行士が毎日いつでも常に感じていることでもあります。
座標系に依存する力は、私たちが持っている力の概念と異なりますから見かけの力として区別する必要があります。
つまり重力による落下運動は座標系に依存する見かけの力であるとせざるを得ません。すると、重力の本質は万有引力ですから、万有引力も座標系に依存する見かけ力なのです。ニュートンの万有引力の式が高精度で正しいとして実証されてきたのは星の運動だけです。
キャベンディッシュの実験も万有引力による運動があることをねじり秤でその運動を止めたときに生ずる力を測定しただけで、万有引力が力であることを実証したものではないのです。これは体重計に乗ったあなたが秤の目を動かすのと同じです。重量(または重さ)は重力による加速度運動を止めたときに生ずる慣性力なのです。重力は物体に対し加速度運動を与えるだけで力ではなかったのです。
物理の教科書で見かけの力として紹介されているのはコリオリ力ですが、コリオリ力は回転座標系で見たときにあらわれる力で、その発生源が重力ですから当然ながら見かけの力です。
見かけの力は運動量と似ています。頭の中で考えるだけで実態はないのです。何らかの座標系にもとずき運動を止めたときに大小の影響があるということです。
物理量でない量としてなにがあるか興味を持たれた方は「物理量と心理量」をご覧ください。
(補足)
「物理講義」、湯川秀樹、1977年、講談社学術文庫
この本の(p.72)に「見かけの力と本当の力」という節があります。この中で「作用反作用のあるものが本当の力」と言う説明は良いのですが、「万有引力は本当の力」とあるのは解せません。見かけの力とは「外力でない」という意味で使われているようです。
(了)
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