湯船に浸かったままで宇宙ステーションへ  

(2013年9月22日)


 あなたは今大きなバスタブ(湯船)で温めの湯に浸かっていると想像してください。この湯船は十分大きくて足を一杯に伸ばせます。頭から足の先まで全身を湯船に浸けることができます。潜ったままでも目は開けても構いませんよ。息が苦しくなるまで、1分ぐらいはこのままじっとしていることが出来るでしょう。この間にいろいろなことを考えてみましょう。
 



 あなたの体の表面は1気圧の水圧を受けています。この水圧は大気圧が湯の表面を押し付けているからです。大気圧があるのは地球の表面に1Gの大きさの重力が働いているからですね。頭も足も全部湯の中に浸かってしまうと、体が湯船の底に付くことは殆どないでしょう。理想的には完全に浮いてしまったと考えましょう。潜水士が中性浮力という状態です。

 ここであなたはふと気が付いて、頭を持ち上げ、あたりの様子を観察します。この浴室と湯船はホテルでも自宅でもなく、大型ロケットの上段部に設けられていたのです。宇宙服も着ないで湯船に浸かっていたのです。浴室は狭いものの気密は保たれています。良く見ると、浴室は頑丈そうなアルミニウム製の壁です。小さな丸い窓から外を見ると地上からかなり高い位置にあることも判ります。湯船も丈夫そうです。

 どこからかアナウンスが聞こえます。浴室の上部にスピーカーが取り付けられているよです。音声はクリアに聞こえます。「今からカウントダウンに入ります。ゼロになる前に完全に体を頭ごと沈めてください。呼吸のため口だけは水面に出しても構いませんよ。」

 カウントダウンがゼロに近づくや「ゴー」という音が体から伝わってきます。機体を伝わった振動は湯船の水を通して体に伝わっているようです。しかし、体が上に持ち上げられている感じはありません。もう飛び上がっているのでしょうか。

 この大型ロケットは打ち上げ時の質量が1000トンありました。打ち上げ時にエンジンに火がついて推力が10メガ・ニュートン(1000トン重)であると、ロケットは発射台から少し浮くだけです。もし、このままロケットの推薬が減っていくのに比例して推力も小さくしていけば、何時までたっても上昇も下降もしません。湯船に浸かったままのあなたはカウントダウンがゼロになっても振動が伝わってくるだけで、発射台にいるときと変わらないと感じるでしょう。受けている加速度は重力加速度と同じ1Gのままですから。

 もちろん、このような小さな推力では飛び上れませんから、推力はカウントダウンゼロで直ちに大きくします。発射と同時に推力は100メガ・ニュートンであったとしましょう。こんどは発射と同時に10Gの加速度を受けます。地上でロケットの打ち上げを見ている人は、ロケットが9Gの加速度でぐんぐん上昇しているので、昔のロケットと違って早いことに驚かされます。

 ロケットは推薬を消費するに従って、ロケットの質量が減少していきます。推力も質量の減少に比例して小さくしていきますので加速度は常に10Gを保っています。加速度センサーの出力から推進薬バルブをコントロールしているのです。ロケットが壊れなければ20Gでも30Gでも上げて構わないのですが、材料強度の観点からの加速度制限はつきものです。

 このとき湯船に浸かっているスマートなあなたの体質量は50Kgでしたから、10Gの加速度で5000ニュートン(500Kg重)の力で湯船の床に押さえつけられてしまうのでしょうか。そうなればあなたは歯を食いしばっても10秒も持ちません。

 ところが湯船の湯も同時に10Gの加速度を受けて水圧が上がるのです。この水圧は湯船で浸かっているあなたの体の背の方は高く、お腹の方は小さくて、上下での圧力差が大きくなります。この圧力分布を体全体の表面で積分すると丁度5000ニュートンの上向きの力となって丁度釣り合うのです。体の部分々々で釣り合いますから、あなたは圧力が高くなったことすら感じません。10Gの加速度下にあっても、打ち上げ時と同じ状態のままなのです。

 体を沈めた湯船の深さは50cmしかありませんから10Gの加速度でも下面で0.5気圧しか上昇しません。深さ5mの海に潜った程度なのです。これも体を構成する材料が水と同じ比重の1とほぼ同じであることの恩恵です。

 ロケットが10Gの加速度を100秒続けますと、そのロケットは10Km/sの速度を得ます。高度400Kmを秒速8Km/s程度で飛んでいる宇宙ステーションに行くには、重力損と到達までの距離等を考慮すると、上述の加速度と推力の大きさに関してもう少し検討は必要ですが、大よそのオーダーとしてはこんなところでしょう。

 つまり、10G、20Gで持続的に加速できるロケットに乗っても、バスタブ(湯船)に全身が浸かっていれば平気だということです。未来の宇宙旅行のキャッチフレーズは「湯船に浸かって数分で宇宙ステーションに」です。

(了)


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