上と下の根拠  

(2016年4月11日)


  私は前後左右と上下の区別は気が付いた時には生まれながら知っていたような気がする。ところが、妻は子供の頃に時にどちらが右でどちらが左かを迷ったことがあったという。親の教え方が違ったのであろうか。昔は箸を持つほうが右手と教えたという話も聞く。現代ではこのような教え方はしないであろう。左利きの人に強制的に右利きの動作を教えることはしなくなったからである。それでも、日本の弓道は絶対に弓を持つ手が左手である。弓道具は左右対称であるから右手に弓を持って左手で引くことも出来なくはない。弓道場で弓を引くときに上座にお尻を向けることになってしまうから弓道では左利きの人も右手で引かなければ駄目なのである。

 前後については誰でも「あなたの前の方」と指示されれば顔の向いている方向だと判る。自分を中心に考えるせいか前後を間違えたという話はあまり聞かない。左右より前後の概念は明確であるということなのであろう。しかし、大勢の人が出入りする家や、地域では前後左右の概念で指示することは難しい。東西南北の方位で指示する方が確かである。

 東西は太陽が上る方向を東とし、太陽が沈む方向を西とすることで良いだろう。曇り日や家の中では判らないが晴れた日に外で確認しておけば良い。南北は東の方向から90度右向きの方向としても良いし、方位磁石を使って磁石の針(北を指す片方に蛍光塗料などが塗ってある)が指す方向を見つけても良い。磁石は針の、曇り日であったり夜であると磁石を見ても北と南の針がどちらだったか不安になることもある。それでも東西南北は世界のどこでも誰もが共通に容易く指示できる。

 私たちは3次元空間の中に住んでいる。前後左右に上下、または東西南北に上下の3次元空間である。前後左右や東西南北は決めるのに、時に迷ったり間違ったりする。しかし、上下だけは間違うことがない。世界のどこに行ったとしても上下は間違わないのである。それはなぜであろうか。定義が良いからであろうか。それでは辞書で調べてみよう。

 広辞苑(第3版)では、いくつもの意味が載っているが、物理的な元の意味は次のようになっている。
 「❶物の上部。@表面。外面。おもて。A高い位置。高い場所。Bあたり。ほとり。C屋根。屋形。」
 「上部」では「上」を使っているから定義になっていない。「高い」では「上」を言い換えただけで「高い」を調べなければならない。因みに「高い」は「空間的な位置が上方にあって下との距離が大きい」とある。「上」を使っているではないか。

 「上」の反対語はもうどのように書かれているか想像がつくが、調べてみると「❶上部・表面から遠い部分。@裏。底。うち。表面の対。」とある。

 意外にも上下の定義は難しいようだ。このような場合は新明解国語辞典である。この辞書では「上」とは「㊀高い(方にある)こと。」とあり、広辞苑とさして変わらない。上下の概念は高低の概念に近いということが分かるだけである。高低の概念に結びつけて惜しいところなのだがこれらの辞書の説明では重要な概念が抜けている。

 世界中の人誰もがどこにいても目にすることができることはすべての物体が落ちるというあまりにもありふれた自然現象である。この現象を英語で Gravity という。手の平を下にしてボールを持ち静かに指を開くとボールは手を離れ運動を始める。ボールが向かっていく先が上の反対の下なのである。この現象を物が落ちるという。何も力を加えないとき静止していた物体が動いていく方向が下であり、その反対方向を上というのである。

 Gravityは「落性」または「落下性」という訳語にすれば良かったが、「重力」と訳されている。それはニュートンが物が落ちるのは万有引力による力が働いているからと説明したことによる。つまり「重力」という力が加わるからだとした。しかし、アインシュタインによってニュートンのこの仮説は否定されている。

 アインシュタインによると、大きな質量の近辺では4次元時空がひずむ。このひずんだ時空を重力場と称する。
 重力場にある物体は「上」から「下」に向かって加速度的に運動する。重力場にはどの場所にも一つに決まった方向、つまり上から下への方向があって、すべての物体に対しその方向に同じ大きさの加速度運動を生じさせる。この現象がGravityである。

(了)


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