氷上で選手は何故前方に滑れるか  

(作成:2020年2月18日)


 氷の上を滑ることが出来るのは何故かという問いには既に多くの考えが提出されている。昔から圧力をかけると氷が解けるからという説明があった。最近の説ではこんなに単純なものではないらしい。ここに提出した問いかけは表面問題ではなく、物理の運動の問題である。

 スケートの選手はスタートと同時に足で氷の表面を強く蹴っていることは確かである。つまり、大きな力で氷を押す。するとニュートンの運動の第3法則(作用・反作用の法則)により、蹴った力と同じ大きさの反対向きの力で選手を押しかえす。この力は抗力とも呼ばれる。

 蹴った力と抗力が等しいのだから、合力はゼロとなる。ニュートンの運動の第2法則はF=mαでFは合力であるから選手には運動させる力はゼロであり、加速度はゼロとなって動かない筈である。これはパラドックスではないか。これが問題である。(Fは力、mは質量、αは加速度)

 回答を書く前に日本物理学会で似たような話題が議論されたらしいことを紹介しておこう。日本物理学会の会員誌「会員の声」欄である。
「蜘蛛の糸」仕事をしたのはカンダタの筋力か?

 カンダタが蜘蛛の糸を登ろうとしたとき蜘蛛の糸には張力が働いているから仕事をしたのは蜘蛛の糸の張力であるという説があった。これを東大の吉岡大二郎氏が間違いですよと説明した。このコメントに対して長崎大の後藤信行氏がさらにそうではないとのコメントを加えているものである。

 蜘蛛の糸の話も抗力は仕事をしないのである。蜘蛛の糸の話では明らかに後藤氏の勘違いであろう。

 アイススケートでも氷の面の抗力は選手に対して仕事をしないのである。しかし、前向きの力としては抗力が前を向いた力であって、足の蹴る力は後ろに向けての力である。そして合力はゼロなのだから前に進みようがないではないかというのが先述のパラドックスである。

 (回答)
 スケートの選手は運動の第2法則で動いているのではない。慣性の法則で動いているのである。スタートと同時に主として脚の筋力で身体の重心を前に動かしている。この動きが慣性の法則として持続している間に次々と足を動かすことにより速度を増しているのである。

 速度が速くなってきてさらに速度を増すために選手は両手を左右に振る。このとき、体のバランスを取るためでなくやや前後に振ることにより慣性によるスピード増を図る。この感覚は初心者がただ滑れるようになったぐらいでは味わえない。スケートの外側のエッジで片足で滑れるようにならないと慣性で増速する感触は得られない。

 写真は小平菜穂選手が最高速を出しているときである。左手を横でなく前方に振り出していることが見て取れる。

 レールの上を走る電車も何故加速できるかという理由を運動方程式で説明するのは難しいことであろう。

(パラドックスの解答)(追加)(2月7日)

 スケートの選手を遠くから眺めると、最初は静止している質量50kg以上の物体が秒速40q程度の速さを得て滑っている。これは前向きの力を得ているに違いないのである。そうでなければニュートンの運動の第2法則は破れてしまう。

 前向きの力として作用しているのは氷上の足に加わる反力しかない。この抗力が作用する場所は(作用点というが作用面が正しい)重心より下にある。体がのけぞってしまうではないかと思う人もいるかもしれない。

 こののけぞる回転モーメントは重心を足元より前に出すことで重量が作るモーメントで打ち消せるのである。全くの初心者が氷上で動けない理由はこの打ち消すモーメントを無意識にできるようになっていないことが大きい。

 選手がレーンのカーブにかかると進行方向を曲げて行かなければならない。この時、横方向の力を得なければならないがこの力も氷上の抗力しかない。横方向に対しても発生する回転モーメントおよび遠心力に打ち勝つために体を内側に倒すことで重力による重量が打ち消しモーメントを作っている。

 抗力による前向きの力が本当に選手を前向きに動かしているのか疑問を持たれた方は、「ニュートンのゆりかご」と呼ばれている玩具を思い浮かべて欲しい。反力が逆方向に動かしていることが実感できる。

 なお、アイススケートの小平奈緒選手が陸上の桐生祥秀選手より段違いに早く動けるのは、氷上では刃のついたスケート靴によって慣性を利用して走れるからである。

(追加)(2月17日)パラドックスに違和感がある方に、問題を出しなおします。

ニュートンの運動の法則は中学と高校の理科で習うようです。

A君は約60kgありますので、地上に立つと約600Nの力で地面を押さえつけます。地面から作用反作用により同じ600Nの抗力が生じ、A君は地上に静止しています。
次に垂直飛びと称して地面を蹴りますと飛び上がれます。このとき地面に力を加えますが、作用反作用により同じ大きさの抗力が生じます。力が釣り合っている筈なのに、なぜ飛び上がれるんでしょうか。

ニュートンの運動の法則を習ったばかりの中学・高校生にどのように説明しますか。

(追加改定)(2020年2月18日) 後藤氏の勘違いであろうと安易に書いてしまいました。これは正す必要があります。では後藤氏が正しくて吉岡氏が間違いだったということもできません。双方に説明不足があるというのが適切でしょう。

 作用反作用で蜘蛛の糸が張力でカンダタを引き上げているというのが後藤氏ですが蜘蛛の糸は動かないから雲の糸は仕事をしていないというのが吉岡氏です。

 仕事の定義は力が作用して動いた距離とその力の積ですから糸の反力は仕事をしていないというように見えます。しかし、カンダタは上昇していますから引き上げる方向の力が上昇した距離の積が仕事と考えられます。

 糸は動いていないではないかという反論に対しては、逆にカンダタはぶら下がっていたとき糸が上に引かれたのでカンダタは力を入れて頑張ったとした場合と状態は同じなのです。従って、糸が仕事をしたのであるという説明もあながち間違いではないのです。

 カンダタは糸を下に引っ張るのにたいして自分の重心は上に動くのですから仕事はマイナスの仕事となります。マイナスの仕事は糸に与えた仕事でその量を糸から自分に与えられていると考えると結局は仕事をしたのはカンダタであると言えるでしょう。

 実際に筋肉を動かした方の人が仕事をしたと考える方が受け入れやすいので反力が仕事をしたと説明する方が受け入れにくいということでしょう。仕事を定義を厳密に解釈すると後藤氏が正しいと言わざるをえないように思います。しかし、常識の感覚と離れすぎますから、仕事の定義を少し修正する方が良いでしょう。

(了)


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