(2011年4月24日) 確率論は賭博者が数学者に質問をしたことから始まったが、頻度概念の確率論が提起されてから長らく論争の時期が続いた。現在は決着がついているかのように見えるが、それぞれの分野で慣習的に使われている確率論を踏襲しているだけで、お互いに論争をしなくなっただけである。 E.T.ジェインズの著した「確率理論:科学の論理」は、長い論争に完全に終止符を打たせるものであり、全ての分野で読まれるべきものなのである。しかし、この本は大著であるが故に読まれることが少ないのではないかと危惧される。忠実に翻訳することも望まれるが、まず何が書かれているのかを紹介する。 すべての推論は合理的であって矛盾がないことを根底に置くことにする。すると推論の規則として積の規則および和の規則と名付けるべき関係式が演繹できる。そして、絶対的に確かなことを1とし、絶対的に起こりえない事象を0とし、そして不確かさの度合いを0と1の間の数字で表すことにするとこれがラプラス流確率に一致するものであることが言える。このことから、合理的で矛盾のない確率理論は、古典確率として一度は追いやられたラプラス流確率理論であることになる。 従って、その他の確率理論は時に矛盾を生じたり不合理であったりするのも必然であるということになる。このことから頻度概念確率は捨て去るべきものと結論できる。 過去においてラプラス流確率理論が頻度概念確率理論に追いやられたことがあった理由は、いろいろな場面でラプラス流ではパラドックスが生ずる、つまり矛盾する、とされたことにあるからだが、現在はこれらのパラドックスはすべてがパラドックスでは無かったとして解決されている。 ベイズ流統計学で使われる確率も頻度概念確率よりはましであるが、確率の概念が確かさの度合いであることを正しく捉えていない場合がある。ベイズの定理は積の規則から直ぐに導きだせるもので、トーマス・ベイズが気がつかなかったぐらい定理とするまでもないような殆ど自明の定理である。 シャノンの通信理論の基礎は同じく合理的で矛盾の無いことを根底に据えているので、ジェインズの確率理論と完全に整合する。確率の決め方は、情報エントロピーが最大に成るように決めることであるという言い方もできる。 理論物理で出てくる確率は当初からラプラス流であり、かつ対象が常に多い数を扱うので、頻度概念確率で考えても、矛盾がないように見えただけである。 ラプラス流の確率の決め方は数学的に一言で正しく言うならば、最大エントロピー原理で決める、ということなのである。 (了)
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