鏡像は左右が反転しているか  

(補足:2018年3月1日)
(2013年5月28日)


 

多くの成人男性は鏡を見ながら髭を剃る。殆どの成人女性は鏡を見ながら口紅を塗る。毎日と言っても良いほど大人は鏡の前で自分の顔を見ている。そして、思うように手が動かないことがあると、鏡の中の自分は左右が反転しているからだと鏡のせいにする。

 ところが鏡の中の真正面を向いた自分の顔は左右が反転しているのではない。鏡に映った顔は前後が反転しているのだ。嘘でしょと、信じられない、とあなたは言うかも知れない。

 全身が映る大きさの鏡を姿見という。一度姿見の前で確かめて欲しい。鏡に映った自分の姿はどうであろうか。頭は上に、足は下の方に映っている。そして右手は右の方に、左手は左の方に映っている。上下も左右も反転していない。

 鏡に映った像が反転しているのは鏡の面に対して垂直方向である。鏡の天井で自分を仰ぎみれば、頭は下に足は上に逆さまになった自分の姿を見るだろう。それでもなお、鏡に映った自分の像は左右が反転しているように思うだろう。右手は右の方に見えるが体全体が逆立ちになっているのだからと。

鏡に映った自分は左右が反転していると言い張ることはできる。姿見に対して横向きに立てばよい。こうして見れば、映った像は左手が右側に、右手が左に映り、一安心できよう。頭は上に足は下。前後も反転していない。左右だけが反転している。

 それでは次に、姿見の横に立った状態から、静かに体を回転させて鏡の前に立ってみよう。90度回転して鏡の正面に向いたとき、鏡の中の自分はもはや左右が反転していないのだ。45度回転した中間の状態、つまり鏡に対して斜めに立った時はどうなのだろう。やはり、鏡に映った自分の像は常に左右が反転しているというべきではないだろうか。

 ここまで来ると頭が混乱して、どうなっているのか判らないと思う人がいても悲観することはない。それが正常なのだから。その理由を説明しよう。

実は、鏡に映された自分の像は常に左右が反転していると認識するのは頭脳の錯覚なのである。この錯覚は非常に強い。私たちは子供のころから左右の認識を叩き込まれる。箸を持つ手が右手だよと。左利きの人が多い米国ではこのような指導はしないだろうが、左右の認識があやふやではとても車の運転はできない。幼稚園児童も軍隊も、右向け、右と仕込まれる。

もう一度結論を確認しよう。鏡が反転するのは鏡の面に向かう前後方向である。鏡に映した自分を見ると常に左右が反転していると認識するのは錯覚である。

では、この認識が錯覚であることはどうすれば判るのであろうか。

鏡に映った像を鏡像と呼ぶ。鏡に映す物を人間でなく、直方体にしてみよう。この直方体の各面に違う色塗る。または、各面に1から6までの番号を付けても良い。つまり、人間の頭と足、右手と左手、おなかと背の代わりに、前後左右上下を色か数字で決めてしまうのだ。そして、もう一つ同じ大きさの直方体を持ってきて、さきほどの印をつけた直方体の鏡像と同じように色を塗るか番号をつける。

 この二つの直方体は、お互いに鏡像の関係にある。この二つの直方体の、同じ色、または数字の面をガラスを挟んで向かい合わせて置く。すると、そのガラスが丁度鏡になったように二つの直方体が置かれていることに気づくだろう。向かい合わせにする面は、どの面であっても同じであることも確認できる。

 直方体を準備するのが面倒であれば、両手の親指、人差し指、中指を直角にピンと伸ばせば良い。この両手の三つの指はまさに鏡像の関係にある。親指と親指を突き合わせてみると中指と人差し指は同じ方向を向くだろう。

右手系と左手系の関係は電磁気学でも重要だから覚えておくと役に立つ。フレミングの左手の法則は、人差し指が磁場のNからSに向かう方向、中指が電流の流れる方向とすると親指の向きは力の方向で、電磁モータの回転方向が判る。フレミングの右手法則は、おなじ指の向きの定義で電流の方向がわかる。つまり誘導発電機の電流方向が判る。なぜこのような電磁力と電流、磁場の関係があるのかは判っていない。

  


 鏡像と実像の関係は、化学の世界では同じ分子でありながら、原子の配置が鏡像関係にあるものをラセミ体または光学異性体と言っている。分子式は同じでも違う性質のものを異性体というが、ラセミ体は構造が鏡像関係にあるものをいう。ある種の光学異性体を合成によりつくると左右が同じ量できるのに、自然には片方の異性体が多かったりする。また、片方の異性体は無毒なのに他方は有毒であったりする。

 


 元に戻って、人間の頭が子供の頃からの訓練により、人間のラセミ体はあり得ないと錯覚してしまうのだ。右の手の平を鏡に映せば左の手の平が映る。もう、また混乱してきたって。

(了)

(補足) 鏡像は左右反転ではないことの最も簡単な説明

 矢印の代用として槍か弓の矢を両手で水平に持って鏡に映して見る。槍を左に向けていれば鏡の像の槍も左を向いている。槍を上向きに立てれば、鏡の像の槍も上を向いている。そして、槍を前後に突き出せば、鏡の像の槍は自分に向かっていることが分かる。

(補足2) 鏡の像は左右反転に見える理由

 上述のように、鏡像は前後を反転しているのに左右反転に思える理由を考えて見る。一般的に鏡像を見ることは世の中に存在しないものを見ているのである。それなのに、鏡の面を床にしてその上に立ち、体の上下を逆さまにしてみても、心臓の位置が右側になった自分を見ていると思うのである。なぜ、そのように思えるのであろうか。

 これは、人間の外見がほぼ左右対称になっているからと考えられる。このため少しぐらいの変化は消されてしまい、自分が映っているが右手が左になっている自分であるようにしか思えないのである。もし、自分の顔のつくりが左右対称から大きく外れ、文字の「は」のような造作であったとしたなら、鏡に映した自分の顔をみてこれは自分でないと思うであろう。


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