5月17日、神奈川県大和市内にて、韓国・済州島からホン・ギリョンさんを招いた交流集会が開催された。ホンさんは韓国済州道の海軍基地反対道民対策委員会委員長・NPO済州平和人権センター所長。主催は基地撤去をめざす県央共闘会議。他の韓国市民運動メンバーと共に13日に沖縄に入り交流した後、16日に神奈川を訪問、厚木や横須賀の基地を巡り、17日夜の交流集会に臨んだ。参加者は約40人。
県央共闘は、2009年4月の第7次訪韓団の最初の訪問地として初めて済州島を巡り、島内各地の市民団体とも交流している。特に、今回のホンさんが報告した韓国海軍基地建設現場の江汀(カンジョン)村は、2年前の当時、政府に懐柔された村執行部を批判し、新村長になったカンドンギュンさんを中心に反対運動が盛り上がっていた。訪韓団は、村長さんから直接説明を受け、建設現場の海岸を案内された。村内の公民館の結婚式会場に招待されて村人からも盛大な歓迎を受けており、一番印象深い場所だ。*
緊迫する現地情勢の報告に、2年前の訪韓団に参加した県央共闘のメンバーの1人は、「いても立ってもいられない」と感想を語った。質疑も、終了後の交流会も、ホンさんを囲んで大いに盛り上がった。 講演要旨と質疑はこちら
*県央共闘・第7次訪韓団報告集から
「(2009年4月24日)18時、島の南側海岸に位置するソグイポ西帰浦市カンジョン江汀村に到着。清らかな水が流れる4本の川を利用した水田稲作とみかん、海の恵みで暮らす人口2000人弱の自然豊かな地域。村の事務所で韓国海軍基地建設反対運動の中心になっているカン・トンギュン姜東均村長さんの話を聞き、建設予定地の海岸を案内してもらう。あいにくの激しい雨模様で海岸線が雨と靄に煙っていたが、韓国政府も道も自然保護・生態系保存指定地域と認め、韓国随一の珊瑚群落のある予定地の海岸は見事な景勝の地。沖縄の辺野古と似ている。この美しい海を埋め立てて軍事基地を建設することなど絶対に許せない、と村長さんは語気を強めた。村長さんの話では、海軍基地建設計画はまず1995年に、カンジョンの西方にあるファスン和順に持ち上がり、そこで反対されると2005年に東方のイミリ為美里に変更され、最終的に2007年にカンジョンに押し付けられた。補償金をちらつかせて当事の村長や海女さん、一部の地権者を抱きこんで海軍誘致委員会を組織して地域に分裂を持ち込み、強引にわずか80名で臨時総会を開いて海軍基地誘致を決議した。しかしこれに多くの村民が立ち上がり村長を解任して2007年8月に住民投票を実施、圧倒的な多数で反対を決議した。済州島は軍隊のない島で、基地がどういうものなのか実感を持たない人が多いので、昨年2008年夏には島内を平和行進し、軍事基地がどういうものかを宣伝し、支援の輪も広がったと言う。
政府も道庁もこれを無視して2009年12月に着工、2014年完成を目指している。最近では「軍民共用」を言い出して反対派を揺さぶろうとしている。今日24日の昼に国防部による住民説明会が済州市内で開かれたが、警察が大挙押し寄せて我々の参加を阻んだ。地元の声を聴かないで、住民説明会などと言えるのか。村長さんは道政と警察への怒りを込めて語る。村事務所の玄関には「警察官立ち入り禁止」の表示があった。
村長さんの説明と質疑が終わると、村の公民館に車で案内された。広い食堂で、結婚式の準備とかで村中の人が集まって賑やかにお祝いをしていた。事前の予定にはなかったが、たまたま村人が集まっているということで、村長さんの計らいで「日本の神奈川県から海軍基地問題の視察に来ている団体」として招待された格好。家族連れや老若男女から挨拶され、村長さんと改めて乾杯。宴席では、村の「海軍基地問題調整委員会」の責任者の女性も同席し、村長さんと一緒に見事な歌声を披露してくれた。最後に訪韓団として連帯の意を込めて闘争カンパを手渡した。」