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他にもこんな面白い本があるよという情報を掲示板などで教えて下さい。
『学力があぶない』/『さらば、哀しみのドラッグ』/『さらば、悲しみの性』/『大切なことはみんな芸能界が教えてくれる』『ベネッセ全訳コンパクト古語辞典』/『そうだったのか!現代史』/『デビルマン』/『柳昇の新作格言講座』/『大正天皇』/『寄生獣』/『カレンダー日本史』/『大辞泉』/『現代標準漢和辞典』/『現代国語例解辞典』/『観光コースでない沖縄』/『診察室にきた赤ずきん』
/『ぼくを探しに』/『声に出して読みたい日本語』/『新世紀エヴァンゲリオン』
/『永井
一郎の「朗読のヒント」』/『「漱石」の御利益』/『笑うとは何事だ!』
/『現代用語の基礎知識/学習版’03』/『若者の法則』/『青春ロボコン』
/『伝言』2/29up
大野 晋・上野健爾著 学力があぶない 岩波新書712
2002年から施行される新しい学習指導要領と学力低下の問題について、現場の声などもまじえた対談を含む書で、対談の部分が読みやすいでしょうか。まあ努力をしなくてもいろいろなものが食べられる、生きていかれる、勝手気ままなことをやっていても毎日を結構楽しく過ごすことができる、という考え方が少年少女に行きわたっている。勉強をしなくてもいいのだという思うようになり、「自由」と「勝手」との区別をつけられない子どもたちが勝手放題をする方向へ行っている。
実際の世の中には多くの困難が待ち構えている。その困難に立ち向かう勇気と未来への希望を育むたしかな学力を子どもたちが持つことを希って編集されたと序文に述べられています。いろいろ示唆に富む話題をひろうことができます。テストの点とかの成績ということではなく、生きる力としての学力とは?
教員の方にとどまらず、読んだ感想を話し合ってみたくなる一冊です。
水谷 修著 さらば、哀しみのドラッグ 高文研
水谷 修・生徒ジュン著 さよならがいえなくて ー助けて、哀しみから 日本評論社
著者は横浜市立の高校の教員の方です。いわゆる生徒指導担当者の弁ともなると、抵抗感をもつ向きもあるかもしれませんが、ほんとうに若者とよりそってきた著者の姿勢がうかがえます。それを如実に語るのが、次の書 「さよならがいえなくて」です。私を助けてという最初の手紙から始まる往復書簡などでつづられたものです。やがて、やりとりをするうちに、・・・愛や意志の力をあざわらう天使の罠(ドラッグ)。希望と絶望、信頼と裏切りのくりかえし…読んでいて胸に迫るものがあります。
学力ばかりでなく、生きる力もおびやかされる今の社会で、本当の楽しさや幸せとは何か?心を洗い笑顔でいられることのすばらしさを改めて感じます。 (やっぱり落語がいいかな。)
参照:高文研オフィシャルサイトhttp://www.koubunken.co.jp/0225/0213.html(コラム「春不遠」連載スタート)
河野美代子著 さらば、悲しみの性 集英社文庫
書店で、ふと目がとまった一冊です。「あっ、あの本が文庫本になっていたのか」と。高文研から初版本は1985年に出ています。著者は、産婦人科医として涙なしに中絶する人はいないことを目の当たりにし、若い世代に「身ごもる性を持っている女は自分の体に責任を持て」「身ごもらせる性を持っている男は女の体に責任を持て」と伝えたいと、今でも願っているそうです。そこで、全面的に書き直し、さらに高校生でも手に入れやすい形となったのがこの文庫版です。
前任校でも家庭科の先生が生徒人数分、この本をそろえて授業をなさっていました。家庭科授業は今でこそ男女共学となりましたが、以前は中学校では女子だけ、高校ではなかったわけで、この本のメッセージは男性の側からもしっかり受け止めるべきものと考え、男子ばかりのクラスですが、読み合わせをしたこともありました。いつもは下ネタとばしあいの生徒も押し黙ったように活字を追ってくれました。それからは不用意な下ネタ発言は減りました。また男女のクラスでエイズの授業をロングホームールームで何回かにわけて行ったときの経験から、性教育と格式ばらずとも、この手の話題に対する大人の側の及び腰が課題なのだなと感じてもきました。
「新しい性感染症としてHIV−エイズやクラジミアの出現、そして、『援助交際』という名の少女たちの売春。さらにはインターネットという新しいメディアが、若者たちの新たな情報提供の場となりつつあります。
そして、このような社会の変化にもかかわらず、ちっとも変わらない教育界。(略)若者たちに体や性の情報をしっかり伝え、自らの性を賢く選び取るための力を身につけるように、という教育は、いつになったら実現するのでしょうか。」
15年近く、このいらだちをいだきながらでしょうか、河野先生はこの他にも高校生に読んでほしいと、高文研から「いのち・からだ・性」などQ&A方式のものや、同じく集英社文庫から「初めてのSEX あなたの愛を伝えるために」を永田由紀子共著で出されたようです。
同じ河野で、やはり産婦人科医でいらっしゃるのですが、お名前のほうまではうろ覚えで、はじめはアレっと思ったりしたのですが、(講談社プラスアルファ新書「十七歳の性」で、十代の性意識の現状に警鐘を鳴らした)河野美香著「みんなのH(エッチ)ガールズ編」講談社 健康ライブラリージュニア という本も出されたという書評をどこかで読みました。書名でちょっと引いてしまうんですが、若い人たちにはストレートに訴えるものでいいのかなと思いつつ、氾濫する情報の中で、手軽に手元に置いてほしい本だなと思いました。
森口 朗著 大切なことはみんな芸能界が教えてくれる 扶桑社
1時間目 お笑い界に学ぶ「自分の頭で考える」こと
2時間目 『モーニング娘。』に学ぶ「個性」
3時間目 鈴木あみに学ぶ「生きる力」
4時間目 宇多田ヒカルに学ぶ「自立」と「自律」
という四部構成になっている、人気タレントに学ぶ中高生のための生き方・学び方講座が本書です。
実に読みやすく、文部省の言う「生きる力」というお題目や総合的学習に翻弄されそうな思いを実にスッキリさせてくれました。まずは1時間目「『落ちこぼれ』を量産する新学力観」…から
いわゆる「新学力観」なるものが登場してから、九九を全部言えるまで練習させる教師より、「『3かける9』と『9かける3』は、どこが違うか」を考えさせる教師の方がイイ先生ということになった。本当は、どっちも必要なんだよね。でも、はっきりしているのは、答えが27ってすぐにわからんような子に後の問題を考えさせるのは、残酷だってこと。
と言いのけて著者は、たとえば、ダウンタウンの松本は天才タイプで、浜田は努力家タイプと分類し、漫才の世界で努力家タイプは大抵ツッコミだと説く。その天才タイプの松本とて、小学生の頃から花月などの寄席に通っていた。テレビでダウンタウンを見て、あんな風にしゃべったら人気者になれるんだと勘違いして、松本のサルマネをした芸人たちとはレベルが違う。違うのは、才能だけじゃなくて古典と触れあった量と質が違うのだと。努力家タイプは古典を知り、その模倣をし、そこから何かを盗み、極めた者だけが古典を乗り越えて行く。これに対して、天才タイプは、瞬間的に古典と自分を互角の立場において、吸収すべき点と反面教師にすべき点を振り分ける。古典とは天才の業績集だとも。
「ダンスや歌がいくら巧くても仕方ありません。問題は芸能界を生き抜く力です」って言ったらバカ丸出しでしょ。それが解ったら、テレビで偽善的な顔をしたオジサン・オバサンの「これからの世の中は、数学や英語がいくらできたってダメです。知識を詰め込む勉強よりも生きる力をつけることの方が大切です」という言葉が全部ウソッパチなのが解るハズだよねと。これからの日本を背負う君たちがだまされないためにと「小室ファミリー・ナンバーワンは誰だ?」を命題とする3時間目 もいいなあ。
とにかく読んでみて下さい。
中村幸弘・編 ベネッセ全訳コンパクト古語辞典 (株)ベネッセコーポレーション
『大切なことはみんな芸能界が教えてくれる』で、「古典を学べ」ということにつきるという話もあったんで、国語という教科に限定した古典を読む場合の必需品の古語辞典をひとつ。この辞書は大学の恩師の関係で構成・内容について私も助言・要望を出させてもらい、ほぼその中身が実現された辞書だと思ってます。いわば時代を先取りしたぐらいに内容は斬新なものがあります。
英和辞典には例文に訳がついているのに、古語辞典にはなく、例文を見ても教科書で見た文でないかぎり、学生にはチンプンカンプン。やっと最近、古語辞典も全訳が主流となりましたが、さらに読む辞書という性格を盛り込み、コラムを載せるものがふえてきました。どうせなら、すべてのページにコラムがあって、どこを開いてもためになる内容の辞書にしたい。そのためには「歩む」だとか、もうわかりきったような一般語は載せる必要はない。重要語にスペースをさくべきだと考えました。編集部から限りなく単語集に近い辞書ですねと言われましたが、受験から離れて職業高校などでも使える辞書がほしいと伝えたんです。
そう要望したら、できました。古語辞典初の見晴台方式+同時通訳方式。本義からの枝分かれ記述と例文のすぐ右に現代語訳。そして作品・人物・登場人物・古典常識エピソード・文法と毎見開きページにある豊富なコラム。同僚の国語の先生に見せたら、プッと吹き出されてしまいましたが、これまでにない辞書で、一般教養としても十分楽しめるものです。「SF・歴史・ダジャレ物語?」これは『竹取物語』のエピソードコラム。「富士山」はなぜ『ふじさん』というのか 、ここに説明してあります。
この辞書の兄貴分が『ベネッセ全訳古語辞典』、そして本家は『ベネッセ古語辞典』なんですが、私はこのコンパクト版が一番おすすめです。
池上彰著 そうだったのか!現代史 集英社
著者はNHKの「週刊こどもニュース」でお父さん役を演じながらキャスターをつとめる顔を見れば、おなじみの方。本書の帯に「現在をわかるためにはすこしばかりの知識が要る。今を起点に近過去に遡る この本は そのための格好の書である」という筑紫哲也氏のコメントがありましたが、古典にまで遡らなくても、「日々のニュースや、私たちが生きている現代のさまざまな出来事を理解するためには、その少し前の歴史を知る必要がある。」と。
「第二次世界大戦後の歴史を振り返ると、この五十五年間は、イデオロギーの対立と、自国の利益だけしか考えない大国の身勝手な行動に彩られています。また、「理想」を追求したはずが、いつしか「同志」や「人民」を虐殺してしまうという、冷酷な現実も見えてきます。歴史に学ばない者は、同じ過ちをくり返すといいます。(中略)歴史を軽視すると、歴史に罰せられるのです。実に多くの死と血が描き出す現代史ですが、その一方で、平和への取り組みや、国家という枠組みすら撤廃しようというEUのような試みも始まっています。そこに私は、人類の知恵を信じたいと思います。そんな現代につながる歴史を、若い人に知ってもらいたくて書いてみました。」とは著者の弁。高校でも現代史をなかなか学べませんし、まして教科書も第2次世界大戦後の現代史についての記述は少ないものです。その穴を埋めるに手ごろな本です。
いっしょに芝居をやらせてもらった劇団 Table salt の通称たけしくんが、脚本を書くとのこと。それもパレスチナ問題をわかりやすく芝居にしたいと。学校でも習っていないので、何か良い本はないですかと聞かれて、なかなか見当たらなかったんですが、これならいいかなっと!でも、彼はもう何冊も読みあさって調べてました。えらいよなあ。この本もきっかけとして、さらに踏み込んでいけるものになってると思います。
「冷戦」とは、何だったのか、それにまつわる現代史をいくつか振り返ってあります。同じ著者で、『ニュースの「大疑問」ーわかる、みえる、世の中のからくりー』 講談社 もあります。「警視庁と警察庁はどう違う?」「円高・円安とは?」「北朝鮮と韓国は、なぜ仲が悪いのか?」「アメリカ大リーグの制度と、おもしろさの秘密」という「週刊こどもニュース」に多く寄せられた質問から、経済の仕組み、政治の行方、自然現象・環境問題、医療・科学、世界情勢などなど。これもいいですね。
永井豪著 デビルマン 講談社漫画文庫(全5巻)
アニメ世代にはお馴染みのデビルマンですが、この原作コミックのほうがテレビ放映のアニメより格段にいいです。
単純なヒーローものではないです。教室に学級文庫のように置いてみたのですが、結局一番怖いのはデーモンより人間だったというショックを受ける…、このことで生徒も「先生、奥が深いですよね!」と口々に感想を述べてくれました。
そもそも、夏目房之介著『マンガと「戦争」』講談社現代新書(手塚マンガから始まって『紫電改のタカ』、水木しげると戦記マンガ、『サブマリン707』、ガロとCOMの「戦争」、『ゴルゴ13』、『デビルマン』と『宇宙戦艦ヤマト』、『AKIRA』、『風の谷のナウシカ』と『沈黙の艦隊』、『僕らはみんな生きている』と『新世紀エヴァンゲリオン』をひきながら、戦後マンガの「戦争」イメージの変遷をたどった一つの戦後史論)や木村修ほか著『正義とは何か?テレビ・マンガヒーローたちの正義学概論』福昌堂に紹介されていたので、読んでみたわけです。
この原作がアニメと違うところは主人公・不動明に寄り添うように登場する人物に、ガールフレンドの美樹だけでなく、もうひとりポイントとなる人物が配されている点。そして夏目氏が「おそらく戦後マンガ史に残る」と評する意表をつくラスト。(秘三太夫さんからは、「妖鳥シレーヌとカイムの悲恋」、「すすむちゃん大ショック」のお薦めのほか、「ジンメン」の話でもデビルマンの悲劇のヒーロー像が色濃く出ているとの弁をいただきました。01.05.30掲示板から)
原作デビルマンを読んだら、必ず読んでほしいのが『バイオレンスジャック』です。ただ、中公文庫コミック版で全18巻なんですけど、おすすめです。
帯には「現役最長老の落語家・柳昇師匠が豊富な人生経験をもとに、滋味あふれる言葉で紡ぎ出した、異色の『実用新案・新作格言』−ついついニヤリとしてしまう『女の幸せは、良い痴漢に出会うこと』−思わずハタと膝を打つ『借金するなら目上から 返すときには分割で』−なるほどそうかと目からウロコ『ヤブ医者も、名医を紹介できれば名医なり』−すべて実体験に裏打ちされた『酒の席に さようならはいらない』などと紹介される格言式な提言を百四十ほどまとめた本です。柳昇師匠の人柄がしのばれます。私なりに一部をご紹介させていただくなら、
『努力を惜しむ人ほど他人を妬(ねた)む』
…人が売れて評判が良いのを、あれは自分の力ではない、運が良かっただけだ。誰か引っ張ってくれている人がいるから売れているように見えるだけなんだ。あんなやつは、いずれしぼんでしまうさ。そう思って酒をくらったりして、口惜しさをまぎらし、自分自身の勉強不足、努力不足に思いが至りませんでした。世を呪い、人を呪っても、また嫌味や皮肉をいくら口にしても、自分のプラスになることは、何一つ生まれません。自分自身が精進(しょうじん)しなければ、芸事の上達も、商売繁盛も、けっして望めないのです。…
『借金するなら目上から、返すときには分割で』
…「友達や後輩などから借金すると、一生その人たちに頭の上がらないことになりますよ。どうせ頭を下げるんなら、一生頭を下げ続けてもいいような、立派な目上の人にしなさい。そして返すときは、見栄など張ったり、無理をして、いっぺんに返済するのではなく、少しずつでもいい、時間がかかってもいいから、とにかくきちんきちんとお返ししなさい。そうすれば、その人との縁が切れずに、まじめな人だと信用もしてもらえるようになるでしょう」…人を見る目の確かな芸者置屋のおかみさんの、あのアドバイスは、偉人、哲人のどんな言葉よりも、私の心に染み入った名言だと、今なお感心しています。
おあとがよろしいようで……
原武史著 大正天皇 朝日選書663
掲示板(01.05.26)で、shabeeさんから、出雲井晶著『昭和天皇』産経新聞社出版のご紹介をいただきました。昭和天皇を「無私」と「慈愛」の人として、とても温かな口調で書き上げられているように見受けます。裕仁天皇については、昭和という時代を反映して戦争責任論議もからみ、功と罪の両面が語られます。歴史の真実を切り出すことの難しさと、天皇を語ることをはばかられた時流もあり、日本の近代史というのはまだまだ研究がすすまず、評価が定まりません。その近代の明治・大正・昭和の中で「圧倒的に貧困なイメージしかもっていない」とされる大正天皇についての研究書が本書です。前著からすると硬さがあると思いますが、平成を生きる私たちにとって最も近い歴史・昭和を探る意味でも興味深い一冊です。
大正天皇と聞いて必ず語られる逸話に、帝国議会で天皇が、もっていた証書をくるくると巻いて、遠眼鏡のようにして議員席を見回したことがあったが、それは天皇がもともと病弱で精神状態にも問題があったという〜この事件の真実は?風説はなぜ生まれたか?
大正という時代は、世界史的に見てもロシア、ドイツ、オーストリア、トルコなど君主制が相次いで崩壊し、共和制に移行。そのような時期にあって大正天皇の「操り人形」になることを拒否し、天皇にあるまじき過剰なまでの人間性を保持した存在は心もとない…。当時の政府は大正天皇のような権威を失った「弱い」天皇ではなく、かつての明治天皇の「遺産」を継承しながら、カリスマ的権威をもって国民全体を統合する「強い」天皇を必要としていた。その結果、大正天皇は自らの意思に反して強制的に「押し込め」られ、天皇としての実権を完全に失うに至ったとする私見を本書は述べています。
大正天皇の病気が公表され、天皇は脳を患っているという風説が広がった以上、もはや天皇が、かつての明治天皇のように、国民の視線から遮断されたところで、「神」として崇拝されることはあり得なかった。政府の戦略は、裕仁皇太子という新しい皇室シンボルを、観念的で見えない「現人神(あらひとがみ)」ではなく、万民のもとにさらされる、見える「人間」にするにあった。ただしそれは嘉仁皇太子(大正天皇)のように、人々に向かって思ったことをそのまま口に出したり、自らの感情を剥き出しにすることを意味するのではなく、人々の前で政治的権威を誇示することを通して、下からの積極的な忠誠の様式を確立することに重点がおかれていた。
こうして始まった「昭和」が迎えたのは戦争でした。そして、この「平成」につくられた「海の日」という祝日も明治天皇にゆかりがあるんでしたよね?いま何故こうなったのか、これからは?などを考える時に参考になる書だと思いました。
岩明均著 寄生獣 講談社アフタヌーンKC(全10巻)
掲示板(01.05.30)で、デビルマンを語ってくれた秘三太夫さんもふれていたもの(その他shabeeさんや01.06.23アグネスさんからもお薦め)。以前、新聞に最近の漫画の「血の匂い」と題した評があって、そこに載っていたので読んでみました。読むうちに考えさせられ引き込まれてしまいました。帯には「これは、人間がどこから来て、どこへ行くのかを、自らに問う作品である。」とありました。
地球上に現れた謎の生物は、人間の脳に寄生して神経を支配し、自由に頭の形を変えながら人間を食料として生きた。右手だけを支配され、寄生生物・通称”ミギー”と共棲する高校生・新一は、互いの生命を守るため、他の寄生生物達と戦い始めた。ということで、凄惨な描写が多いんですが、戦いの末、寄生生物は何のために生まれてきたんだ?と問う主人公、それに答える寄生生物〜
…増えすぎた人間を殺すため?地球を汚した人間を滅ぼすため?そりゃたしかに人間の出した毒が生き物たちを追い詰めているのは知っている。「あわせて1つ…人間と寄生生物(われわれ)はあわせて1つだ。」生き物全体から見たら人間が毒で…寄生生物は薬ってわけかよ。誰が決める?人間と…それ以外の生命の目方を誰が決めてくれるんだ?そうだ…殺したくないんだよ!殺したくないって思う心が…人間に残された最後の宝じゃないのか…
なんで悲しくなるんだろう。「そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ。だがな、それこそが人間の最大の取り柄なんだ。心に余裕(ヒマ)がある生物。なんとすばらしい !!」〜
ヒマかあ…。
永原慶二編著 カレンダー日本史 一日一史話 岩波ジュニア新書11
名だたる岩波新書のジュニア版ということですが、おかげで私どもにも、たいへん読みやすいシリーズになっていると思います。
今日は歴史の上でどんなことが起こった日だろう。自分の誕生日には、いったい何があったのかな。こんな楽しみをいだきながら、知らず知らずのうちに日本史が学べるようにと編まれたものですが、366日分をえらび出すことは意外にたいへんだったそうです。
ちなみに私の生まれた年には…
6月15日【東大生樺美智子が安保反対デモで圧死した。19○○年】
誕生日については…
○月○○日【犬養首相が暗殺された。1932年】
歴史の好きな方は、年月日がわかりますよね。岩波ジュニア新書にはほかに『カレンダー世界史』『カレンダー日本の天気』などがあります。
松村明監修 大辞泉 小学館
辞書なんて、どれも同じだお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、ところがどうして!最近は辞書も個性化が顕著になりまして。今回は一家に一冊置くならということで、中型の国語辞典としてのお薦めです。この場合、昔から代名詞のように言われるのが「広辞苑によれば…」という言葉ですが、このあまりにも有名な広辞苑、私の印象では辞典に百科事典的な要素も加味した画期的なものだったのでしょうが、やや古典語の比重が大きいかなという印象。まあ語源の研究に功績のあった新村出博士の手になるものから、新語を加え改訂が重ねられてきましたが…それならそれで新村博士の説が色濃く出ている旧版のほうが味わいがあるようで、逆にその色が薄れていっているような気もします。
新語をふんだんに採取し百科事典的なものとして、三省堂の大辞林もあります。私は三省堂の辞書を新し好きなどと称してしまうのですが、みごとに広辞苑の向こうを張る存在になっていると思います。
そして、日本国語大辞典全二十巻の実績をもつ小学館が出したのが大辞泉です。これのお薦め理由は、広辞苑や大辞林は単色なのですが、この大辞泉はカラーで写真・図版が見やすいということ。植物をはじめ写真付なのがありがたい。一冊で持ち運べる百科事典といったところ。もちろんCD−ROMにもなっていますが、一家に一冊、大辞泉があればお役立ちだと私は思ってます。当面なにかを調べたいというときに十分な内容です。私はいま枕もとに置いています。ちょっと気になったことがあったときに、すぐ手がのばせる。便利ですよ。
こんどは学校や職場で活用できる小型版の国語辞典・漢和辞典のお話をと思ってます。
藤堂明保/加納喜光編 現代標準漢和辞典 学研
つづいて漢和辞典から。古語辞典に次いで、もう引かれることの少ない辞書でしょうね。高校での漢文の授業数も大幅に減のようですし、その一方で、漢文学習用のいい辞書も出てきたんですが…。いずれにしても、漢字ばかりで(当たり前ですが)とっつきにくいものでしょうから、ここでは、そんな中でも、楽しんで読める辞書ということで本書をご紹介。
この辞書の特徴は、漢字の成り立ちについて、くわしい解説があるということです。字源説には定まらない部分もありますが、系統と理論を重視した藤堂博士の力作(さらに高い知識を求めるためには学研漢和大字典があります。)で中学生向きにとされていますが、社会人となっても日常生活には十分な内容です。漢字の読みや意味を引くという以上に、解説を楽しんで読んでみてください。
さて、その成り立ちの解説ですが、たとえば「恋」。もとの旧漢字は「戀」ですから、「糸糸と言〔ことばでけじめをつける〕からなり、もつれた糸をほぐしてととのえようとしても容易にできないこと。戀はこれと心を合わせた字で、心がさまざまに乱れて思い切りがつかないこと。」とあります。なるほど、思い切りがつかないねぇ…
林巨樹監修 現代国語例解辞典 小学館
さて、小型の国語辞典でしたね。ほんとに小さいポケット版とは区別して小型と呼びますが、いわゆる普通の大きさのものです。それぞれに良いところがあり、食い足らないところがあるわけで、これが絶品とは言いにくいもので…。
三省堂の新明解国語辞典や三省堂国語辞典は従来の辞書の説明に飽き足らない人向き。だいたいは知っている言葉の意味をこんなふうに説明できるのかと、読んで納得の内容。たとえば「右」という言葉をどう説明してあるか他の辞書と読み比べるとおもしろいですよ。角川必携国語辞典は文法的な説明(「私が…」「私は…」のような「が」と「は」のつかいわけ等)が充実。学研の現代新国語辞典は編者の金田一春彦先生らしく発音・発声の面からの解説に特徴(「ニホン」か「ニッポン」かとか)があったり。いずれにせよ、ワープロソフトでもそうですが、最近の辞書はかなり言葉のつかいわけについての解説がふえてきました。つまり、単語の意味を説明するだけでなく、その言葉はどのように使われるのかを教えてくれるものになってきています。以前から小説などの例文を載せたものとして学研国語大辞典や小学生用とはいえしっかりした同じく用例学習国語辞典がありましたが、
そこで私のお薦めの現代国語例解辞典は、表を多用し関連語や類語の対比がわかりやすくなっています。 たとえば、「愛嬌」と「愛想」とを対比した表で用い方の違いを示したり、「笑い」なら「笑い」とつく慣用句の例が表化してありますし、付録には”手紙の書き方”などもあり、時候の挨拶も一月・二月…と載せてあります。お役立ちの一冊です。
ポケット版の辞書も内容がよくなり、各社から出ていますが、私はやはり図表が効果的ということで角川モバイル日本語辞典を使ってます。
新崎盛暉・大城将保ほか著 観光コースでない沖縄 戦跡/基地/産業/文化 高文研
沖縄は、日本で唯一、全県が亜熱帯の地である。サンゴ礁のリーフに砕ける白い波は、私たちをはるかな原郷へと誘う。…その海を、その風光を、もっともっとたくさんの人に賞味してほしいと思う。
だが半面、沖縄はもう一つの顔をもつ。それはたとえば、沖縄本島中・南部のキビ畑のはずれに黒ぐろと口をあけている洞窟(がま)であり、国道58号線ぞいに切れ目なくつづく米軍基地のフェンスである。沖縄は先の戦争で、国内で唯一、地上戦の戦場となり、いままた在日米軍基地(専用施設)の七五%が、この小さな島々に集中する。
そうした沖縄のもう一つの顔を知ってもらおうと、私たちはこの本をつくった。…
という書き出しで始まり、帯には「沖縄を知れば『日本』が見えてくる!」というキャッチコピー。毎年、沖縄の美しい海を背景とした航空会社のCMを目にし、多くの沖縄出身のタレントが活躍し、沖縄への修学旅行も増え、注目度はあがっています。が、沖縄の人たちが自分たちをウチナンチューと呼び、我々のことをヤマトンチューと呼ぶように、歴史にとどまらない壁が存在することは事実です。この本の初版は1983年。以来、何回か改訂を重ねていますが、沖縄の現状は変わっていないといえば変わっていない…基地を抱えるが故の事件のニュースは心を痛めるものがいまだに多く、この本は、その背景となる実態や歴史を教えてくれます。そして、生活を支える本当の産業とはなにか、民族の独自の文化をもつことのすばらしさなど、改めて気づかせてくれます。
しかし、観光客数が増えた、観光収入が増えたといっても、単純に喜べない状況がある。外来型のリゾートホテルは、雇用はともかく、食材などの地元調達が少なく、地域産業の振興につながっていない。観光収入のかなりの部分が本土に逆流し、地域経済の振興につながっていないという問題があるからだ。航空会社の沖縄キャンペーンは、青い海と青い空を強調した。しかし沖縄の魅力は海だけではない。独自の歴史・文化・民俗、亜熱帯の豊かな森林など、魅力的な観光資源をほかにもたくさん持っている。
ツアーコースや本土資本の大きなリゾートホテルばかりでなく、地元の民宿を利用して“沖縄”を満喫するために、ぜひ沖縄を訪れるには、ガイドブックとともに、この本も!
大平健著 診察室にきた赤ずきん 物語療法の世界 早川書房
「近年、病気でもない人が、日常生活あるいは人生上の悩みで気軽に精神科を受診することが多くなりました。」という書き出しで、モノがあふれる現代に軽い精神的不調を訴えて精神科を訪れる患者の中に、人間関係の葛藤を、モノとの関係に巧みに置き換えている人たちがいる。ブランド品にアイデンティティを求め、人とのつきあいの上での葛藤を見ないようにするために高価な料理にばかり目を向ける。豊かな社会特有の病像を描き、それを生む日本の社会を考察した岩波新書『豊かさの精神病理』を書いた著者は精神科医です。とても興味深い本でした。教職員組合の勉強会にお招きして直接お話をうかがうこともできました。これを機会に自分の、自分と生徒の、そして生徒間の人間関係の葛藤について見方が変わりました。
この本は、その著者が昔話や童話を処方して、患者の生活の深層にひそむストーリーをときあかし、傷つき疲れた心を癒してゆく不思議な物語療法の世界を著したものです。たとえば、『おおかみと七ひきのこやぎ』
狼は飢えていましたが、食べ物に飢えていたのではありません。愛に飢え、愛を受ける者に嫉妬していたのです。愛を受ける者とは子山羊たちのことです。子山羊たちは、母山羊が食べ物を持って帰るのを待っていました。ところで、愛の原義は「饋」すなわち食物の贈り物です。子山羊たちは母の愛を待っていたのです。
狼は母山羊を装いますが、声で見破られます。言葉だけの愛は受け付けてもらえないのです(意味深長でしょ?)。声をきれいにするためとはいえ、なんで狼は白墨なんかを食べるのでしょうか?蜂蜜のようなおいしい物を流し込むほうがずっといいのに。しかし、そうはいかなかったのです。腹がくちくなっては、子山羊を襲おうという気持ちが鈍ります。狼は腹を満たしたいのではありません。あくまで、愛を受ける者を破滅させたいのです。
狼が空腹なだけなら、彼はひとり森へ出かける母山羊を襲ってもよかったはずです。しかし、それはできなかったのです。母山羊は食物を持って帰る「饋」すなわち愛の主だからです。愛に飢えた者は、愛を与えてくれそうな者を襲うことはできません。
狼ができたのは、愛を偽装することだけでした。 ( 略 ) 愛を偽装することで、狼は子山羊たちを滅ぼすことに成功します。一匹を残して。
残った一匹は、愛を信じる者は決して滅びきることはないということの証(あかし)です。食べ物を持って帰ってきた母山羊は、残りの一匹の話を聞いて、眠り込んでいる狼の腹から六匹の愛の受け手を救い出します。そして、代わりに石を詰めます。石とは生命のない物、死の象徴です。狼は子山羊たちを殺して腹に入れようとしたのですから、石こそが狼の腹にはふさわしいのです。そして、その石が狼に死を導きます。狼は自らの嫉妬心で滅びたのでした。
このあと、著者は岩波新書『やさしさの精神病理』を書いています。「席を譲らない“やさしさ”、好きでなくても結婚してあげる“やさしさ”…“やさしい関係”にひたすらこだわる心をよみとき、時代の側面に光をあてる」これまた興味深い一冊です。
シルヴァスタイン作 倉橋由美子訳 ぼくを探しに 講談社
「だめな人と
だめでない人のために」
という書き出しで、はじまる絵本なんです。
「何かが足りない それでぼくは楽しくない」 「足りないかけらを 探しに行く」…
「そしてある日のこと」
「『やあ』とぼく 『あら』とかけら 『きみは誰かのかけらかな?』 『さあどうかしら』 『でもきみは きみのままでいたいのかもしれないね』 『誰かのものになったって あたしはあたしよ』 『でもぼくのものにはなりたくないかもしれないしね』 『さあどうかしら』…」
50枚ほどページを繰る絵本なんです。黒い線と黒い活字だけの、単純さの極地を示した。それでいて味わい深い、絵本なんです。
原題『THE MISSING PIECE』他に同じ作者で、『続 ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い』や 、『おおきな木』(よたろうさんが泣けたと01.9.13掲示板)など。
齋藤孝著 声に出して読みたい日本語 草思社
暗誦・朗誦のための本といってしまえば、それまでですが、いい本です。
「ただ目で黙読するというのではなく、大きな声に出して詠み上げていってください。」「親子や友人同士などでやるといっそう明るく楽しくできます。」「日本語を声に出すときのヴァリエーションは、実に豊かです。歌舞伎や能・狂言、落語、文楽の義太夫節、琵琶法師の語り、物売りの口上、浪曲のうなり、和歌・俳句、詩吟など、プロの技にかかると、それぞれ違った魅力が出ます。共通しているのは、声を腹からしっかり出し、息づかいの技をこらすということです。」
なるほどね。ページを繰るうちに味わい深さがひろがります。教科書で出会った古文・漢文の有名どころだけでないのも楽しいところ。
章立ての文句もいいですね。
一、腹から声を出す〜がまの油売りの口上もあります。「さあさ、お立ちあい、ご用とお急ぎのないかたは、ゆっくりと聞いておいで。てまえ持ちいだしたるは、四六のがまだ。 四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、あと足の指が六本、これを名づけて四六のがま。…」
ニ、あこがれに浮き立つ〜「まだあげ初(そ)めし前髪の…」島崎藤村の初恋ほか。
三、リズム・テンポに乗る〜付け足し言葉〜あたりき車力よ車曳き。何か用か九日十日。結構毛だらけ猫灰だらけ。…/落語から寿限無も。寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助
四、しみじみ味わう〜「国破れて山河あり 城春にして草木深し…」杜甫の春望ほか。
五、季節・情景を肌で感じる〜「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」与謝蕪村や百人一首ほか。
六、芯が通る・腰胚(こしはら)を据える〜「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る…」高村光太郎『道程』ほか。
七、身体に覚えこませる・座右の銘〜いろはかるた〜同じ「い」でも、「犬も歩けば棒にあたる」(江戸)、「一寸先は闇」(京都)と違いが。
八、物語の世界に浸る〜「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」夏目漱石『草枕』ほか。
日本語の力強さを感じましょうか。
貞本義行画 新世紀エヴァンゲリオン 角川書店
テレビ東京放映(95年10月〜96年3月に多くの謎を残し終了)以来、社会現象と言われるかのような話題もあった作品ですが、テレビは庵野作品としての色が濃かったもののようです。 (もっとも当初は知りませんで、ニッポン放送「井出功二とLFクールKのゲルゲット・ショッキングセンター」で時々話題に上るがなんのことやらと…で、97年に劇場版公開前の深夜2夜連続で一挙再放送を見て考えさせられるところが多く、ちょいとはまってしまったんですが。)これは月刊少年エースに連載中のものを単行本化、 01年12月14日に最新第7巻が発売され、一時のブーム後、歩みはのろい感はあるかもしれませんが、キャラクターデザイン、作画監督をつとめた貞本氏の筆によるエヴァは、なかなか深みがあると思います。
まず人物一人一人が生き生きしている。とくに主人公のシンジにいたってはテレビ作品では、エディプス-コンプレックスの強い印象でしたが、父親であるゲンドウに殴りかかろうとする元気もある、やんちゃな感じで、じゅうぶんアスカともわたりあってます。第6巻でのエヴァのパイロットに指名されたトウジの葛藤やシンジとの関係性など丁寧に描かれていて、その後の悲劇の慟哭を深めます。そして第7巻では加持のトラウマも明らかに…まだまだこれから楽しみな作品です。テレビ放映版を見た人にも、劇場公開版で消化不良をおこした人にも、この漫画はおすすめ。
永井一郎著 永井一郎の「朗読のヒント」 ふきのとう書房
「自由になれるから朗読は素晴らしいのです。自分の世界が獲得できるから朗読はおもしろいのです。」という著者の声が浮かぶでしょうか。声優として最も知られるところでは「サザエさん」の波平さんの声でしょうね。「YAWARA!」の猪熊滋悟郎、「風の谷のナウシカ」のミト、「デビルマン」のアルフォンヌ、「山ねずみロッキーチャック」のピーターうさぎ、「母をたずねて三千里」のペッピーノ、「ピコリーノの冒険」のどら猫、「ろぼっ子ビートン」のガキ親父、「未来少年コナン」のダイス船長、「うる星やつら」のチェリー、「らんま1/2」の八宝斉、そして「はいからさんが通る」や「機動戦士ガンダム」のナレーションなどなど。そんな数々の声をてがけたプロが技術を語っているのではありません。生き方を語っています。もちろん「いい声である必要はありません。いきいきのびのび、地声を響かせてください。」とか「思い入れたっぷり」の朗読にならないためにとかリアリティーを自分のものするとか、朗読自体へのコメントもあり、朗読に対する心構えで「究極の一行を見つけ、すべてをそこへ追い込んでいきます。究極の一行を見つけるということは、作品全体を理解するということです。」などは、なるほどぉ〜とうなってしまいました。たとえば「風の谷のナウシカ」…(もしアニメに偏見があったり、子どものものと思って馬鹿にしていたり、金儲けのため見る時間がなかったような人は、死ぬまでにぜひ一度ご覧になることをお勧めします。見ないと損です。とは著者の弁。)
この作品の一番重要なセリフは、ナウシカの「うれしいの」というたった五文字のセリフです。人類の愚かさのために、腐って滅びるしかない地球。そんな中でナウシカは、地球が自浄作用で復活しようとしていることを発見します。ナウシカは腐った地球の地下の、美しい砂の上に倒れ伏します。ベジテのアスベルという少年がナウシカに尋ねます。
「泣いてるの?」
「うん、うれしいの」
ナウシカは小さくつぶやきます。
作品で一番重要なことばを発見することはとても大切なことですが、さらにきちんと言えなければなりません。ナウシカ役の島本須美さんの「うれしいの」を聞いたとき、この作品も島本さんも成功すると確信しました。
そしてナウシカの父・ジル王の家臣ミトを演じた著者は「ひめさまー」が一番重要なセリフだったと言います。ナウシカを守り抜いたときに幸せを感じるということではなく、ナウシカを守り抜くという行為そのものがミトには幸せだからだと。みんな幸せを求めているからだと。
一人の幸福願望は、ほかの人の幸福願望とぶつかり合います。それがドラマです。そうしたドラマを観察していますと、登場人物一人ひとりの幸福願望が正しかったかまちがってたかがわかってきます。それがわかったとき、登場人物の生きた状況が正しかったかどうかもわかってきます。本を読むことの意味がここにあります。
登場人物の幸福願望がその作品の世界で正しいかどうかを読みとる能力を高めておくと、自分の幸福願望がこの世の現実の中で正しいかどうかも判断できるようになります。これは極めて哲学的なあり方です。芝居や朗読の勉強は、感情表現の勉強なんてことではなく、世の中とどう向き合っていくのかということを教えてくれます。だから「心の教育」につながってくるのです。
魅力と示唆にあふれた一冊です。
長山靖生著 「漱石」の御利益 現代人のための人生よろず相談 ベスト新書26 KKベストセラーズ
序 章 役に立つ漱石 第一章 安全な場所、関係のゆらぎ
第二章 中流、この不思議な階級 第三章 仕事とは、何か
第四章 恋愛の理由、結婚の条件 第五章 関係の迷宮、裏切りの時間
第六章 「家族」の再生をめざして 終 章 揺れる時代、ゆれ続ける漱石
と、こういう章立てなんですが、「漱石作品を探求することで、自分自身の生をリアルなものとし得る。」と書き出しています。
「リアルというのと、事実そのものとは、たぶんイコールではない。…今日の新聞に書かれていることは、われわれの生きている現代社会での出来事であり、『事実』そのものである。そこに書かれている事故や事件は、現実のものだ。…しかし、われわれは、新聞のなかに書かれている事故や事件の被害者の死を読んでも、いちいち泣いたりはしない。…それなのに、われわれは小説を読んでしばしば涙を流し、感情を揺さぶられる。これはいったい、どうしたことか。」
2002年になってから「リアリティーとはなんぞや」と問いかけられる芝居をやったんですが、少し、なるほどっと、読み進め始めました。
さて、たとえば、『坊っちゃん』はなぜ痛快なのかについて、
たしかに、坊っちゃんは頑固ではあるが、依怙贔屓(えこひいき)はしない男だ。彼は自分自身に対してさえも、極力、依怙贔屓をしないように努めている。それがかえって、周囲との摩擦の原因にもなるのだが、彼はその態度を改めようとはしない。その意味で彼は、まったく成長しない男なのだ。
だが、通常は欠点と見なされる「成長しない」ことを、美質として描いたところに、漱石の手腕があった。
成長しないということは、言い換えれば変節しないということでもある。たいていの人間は、長く生きているうちに挫折を味わい、それにつれて世渡りが上手くなるものだ。成長というのは、ふつうは知識や経験を身につけて、人格的にも高まってゆくことだと、考えられている。しかし、その一方で成長とは、多くのことを諦め、処世術を身に付けて、人格的に堕落してゆく過程でもある。
ふつう、われわれは、そのことを寂しいと思いながら、日常生活の忙しさに埋没し、流されてしまう。そしてそれを大人になることだと思って生きている。
しかし坊っちゃんは、あたかも成長を拒むかのように、ずっと生のままの人間であり続ける。…そんな男が、世間に出れば、物議を醸し出すのは当然だ。…
(中略)〜ここに依怙贔屓の説明〜世間では義理堅さを利己主義の対極にあるものと考えている節があるが、これはまったく間違いだ。義理を重んずる態度というのは、社会正義や公共心に由来するものではない。それどころか、自分が所属する小集団(会社や役所、組合、党派、部署、派閥など)の利益を、公正な判断よりも優先するということにほかならない。そういう義理堅い人間は、時として社会全体の利益や本来自分がしなければならない役職上の責務よりも、身内への義理を優先するという罪を犯すことになる。それが坊ちゃんが最も嫌う依怙贔屓である。
…坊っちゃんには、そうした腹芸が出来ない。しようとはしない。世渡り上手な「利口者」になることが出来ない。…損だと分かっていながら、自分の気持ちに正直に行動し、損をしてもかまわないと考えるのが坊っちゃんの美意識。彼が「損ばかりしている」のは思慮が浅いからではなく、断じて変わるまいとして、自己本位に生きているからにほかならない。この非計算性なところが『坊っちゃん』の爽快性の正体である。
と。ううん、生きるってほんとに…
ラサール石井著 笑うとは何事だ! 徳間書店
私はこの本の中でこれまで私が見てきた喜劇人、コメディアン、お笑いタレント達の功績をたたえながら、できるだけ「客観的な視点」を崩さず、なおかつ近視眼的にならず、なおかつあまりにも遠くから見て見誤るということのないように、一歩一歩笑いという「聖域」に近づいていくという無謀な行動に出る。と、第一章「笑いの自分史」をエノケンなどの喜劇人の時代から第一次・第二次寄席ブーム、テレビヴァラエティー全盛期、漫才ブームとコントを赤信号を語り、そして「ひょうきん族」から「笑っていいとも」と綴っていきます。第二章ではビートたけし(天才ゆえの孤独)・明石家さんま(孤独にならないことにかけての天才)、タモリ・所ジョージ(生真面目な道化者)、ドリフターズ・志村けん(ピエロの原点) 、とんねるず・ダウンタウン(笑いのカリスマ)と「平成の笑い人たち」を語り、第四章は師匠である「杉兵助一代記」になっています。
第三章では「笑いのテクニック」「大阪の笑い、東京の笑い」「笑いに生きる女たち」「笑いの評価」と「笑い」について考えています。ほんと、笑うのは簡単なようで、本当に腹を抱えて笑うというのは難しいもんで、まして笑わせるという行為の難しさときたら・・・まさに喜劇人は身をすり減らしながら笑いと格闘している・・・
コント赤信号が、ゆーとぴあのホープさんからもちかけられたコント大会と初めて花王名人劇場に出演するのを控え、コントの練習をしていたときの話〜僕らの「暴走族」のコントは、最初まず石井が学生服で出てきて、「なんだこの静けさは」というところから始まる(余談だが、このフレーズをゆーとぴあのピースさんがいたく気に入り、後々ゆーとぴあのお得意のフレーズになるのである)。そこへ登場した同級生の小宮が暴走族になっているのを見て、何とか引き止めて更正させようとするところが導入部である。ここまでを見せると、いきなりホープさんに止められた。「おまえらのやっていることはうそだ」というのである。「小宮、おまえはここにいたくないんだろう。石井がちょっとでも間をあけたら、すぐに行っちゃえよ。石井、お前はこいつを止めたいんだろう。行っちゃったら何とか引き止めろよ」。つまり、我々のコントは決めたセリフをそのまま喋っているだけで、いくらでも逃げられる隙があるのに逃げない、また逃げられたら追いかける芝居ができていない、というまったくリアリティーのない、予定調和的な芝居だった。
(中略)
まさに笑いとはこれであった。漫才でもコントでも、その時本当にそうであるというリアリティーがなかったら、人は笑わないのである。まさにお笑いも芝居も同じであった。演じていることが人に見えては駄目なのだ。〜
いやはや奥が深い。だから魅力的!
自由国民・編集局編 現代用語の基礎知識/学習版’03 自由国民社
毎年押し詰まってくると書店には「現代用語の基礎知識」等々が山積みされますが、その中で、この学習版というのがあることを最近知ったのですが、これが実にわかりやすくていいんですねえ。「大人はもちろん子供にもわかりやすい」〜「受験に就職準備に、〈現代用語〉をわかりやすく。」です。「現代社会を理解するために欠かせない基礎知識を〈国際情勢〉〈政治/経済〉〈産業/情報〉〈社会/生活〉〈環境/科学〉〈文化/スポーツ〉の6の大分野ごとに選定し、小学生や中学生にもわかりやすように解説を試みています。また、各分野から最も大切と判断される「論点」をクローズアップし、〈テーマ解説〉として50テーマを特別に解説」ということで、さらにホップ・ステップ・ジャンプと説きおこし、学習のポイントやプラスワンというコラム欄が設けられています。
たとえば「101年目のノーベル賞」では、
小柴さんがニュートリノ天文学と呼ばれる新しい学問領域を開拓し、87年に超新星爆発によって放出されたニュートリノを世界で初めて検出することに成功、ニュートリノは物質の構成する基本粒子(素粒子)のひとつと理論上ではわかっていながら、<幽霊粒子>ともいわれるほど検出が極めて難しかっただけに評価が高く、これを観測することで太陽の中心の様子や宇宙の進化を解明する手がかりとなることが説明されています。
田中さんについては、たんぱく質の解析は、現在、世界の研究者がしのぎを削っている重点分野で、島津製作所はそのための機器を開発・販売する会社、そこで重点分野である生物を構成するたんぱく質など高分子の質量を正確に測定するのに欠かすことのできない技術を開発、これは新薬開発や病気の早期診断、植物の品質改良などバイオ技術の発展に欠かせないものであることが説明されています。
そして、学習のポイントでは、最初の賞が授与されてからノーベル賞は2001年で100周年であることを、プラウワンとして、ノーベル賞委員会は平和賞を世界各地で紛争調停を続けるカーター元アメリカ大統領に授与、イラク攻撃計画を準備するブッシュ米政権の武力重視姿勢への批判を込めた受賞だと異例なほどの明白な見解の表明があったことにふれています。
まあ、新聞、ニュースなどをじっくり見聞きしていれば、なにをいまさらというところかもしれませんが、くわしい説明でありがたいです。ただ、じきに売り切れるともう店頭には見かけなくてしまうようなので、あしからず?
香山リカ著 若者の法則 岩波新書
今回のは書評の原稿書きの依頼を受けついでに
電車の中でお化粧・・・あいさつは「どうも」・・・キレる・・・あきらめが早い・・・メール恋愛・・・いまどきの若者は、さっぱりわからない。が、問題は、そういう若者たちに対して大人が「若者は堕落した」「若者はコワイ」と決めつけ、それ以上、理解しようとしないこと。彼らの話にちょっと耳を傾け、その行動に目をとめてみると、そこに彼らなりの考えや主張がある。それを精神科医の著者が、「確かな自分をつかみたい」「どこかでだれかとつながりたい」「まず見かけや形で示してほしい」「関係ないことまでかまっちゃいられない」「似たものどうしでなごみたい」「いつかはリスペクトしたい、されたい」という六つの法則におおまかにくくって当世若者気質≠語ったのが本書です。著者は臨床経験から、「まったく意味のないふるまいや何の目的もないことばは、ただのひとつもない」と言いきる。若者の一見、理解しがたい言動の中にも、大人や社会に向かってのメッセージが隠されていると。たとえば、
不登校の少年にとって、学校は「あそこには自分の名前の席がある」と思える大きな意味がある。ときにはかえって不安や恐怖の材料になることもあるが、「どこにも席はありませんよ」と言われるのは耐えがたい。リストラされたり職がなかなか見つからなかったりしたときに、大人もはじめて「自分の席がどこかにあること」の大切さに気づくかもしれない。
就職をすぐにあきらめてしまう若者たち、実は彼らほど理想を手放せない「あきらめの悪い人間」はいないかもしれないという指摘も。その背景は、「夢を抱け」と言っていた大人が、突然、「夢ばかり追い求めてないで、もっと現実を見て妥協しろ」と 言い出す理不尽が・・・そう言われてみれば・・・。若者たちが、とりあえず社会に一歩を踏み出せるためには、たとえば、いったん社会人になって、しばらくしてから理想の実現のために大学に入りなおすとか、結婚して子育てが終わってから音楽の勉強のために外国に行くとか、そういうまわり道≠して理想を実現する大人がもっと増えて、人生には、ポーズボタンも再スタートボタンもあることを若者に、大人が身をもって示してやる必要がある。
自分を「もう若くない」と言う若者が多くなった。「若くはないが大人でもない」という奇妙な年齢感覚をもつ彼らには「楽しかったこと、希望や夢があった頃はもう終わったし、大人になっても楽しいことはもうない」という強い思いが根底にある。おそらく彼らの目には、社会や家庭にいる大人たちがさぞ楽しくなさそうに映っているのだろう。疲れきっていつもため息ばかり、自分のために使える時間もお金もほとんどない。そんな大人たちの姿を見ていれば、たしかに若者が「大人になって責任ばかり増えたって損なだけ」と、思ってしまっても不思議はない。「若いんだからもっとがんばって」と若者たちの肩を叩く前に、「大人になるのもけっこう悪いことじゃない。若い時代を楽しんで、それから大人になってまた別の楽しみを味わうことだってできる」と若者に見せつけてやるのも、悪くないのでは・・・などなど。 う〜ん、見られてるんだねえ。楽しんで生きなきゃいけませんなあ〜。
大人がちょっとだけ足をとめて「いまどきの若者」を見つめてみることは、彼らを理解すると同時に、かつて若者であった自分自身やその人生について、もう一度、考えなおしてみることになる。さらには、若者も大人もみんながよりよく生きるためには、今の社会をどのようにしていけばよいのか、というヒントもそこには含まれていると著者が述べているように、若者と向き合い、共によりよく生きるためのヒントが満載の一冊です。
古厩智之著 青春ロボコン ー「理数系甲子園」を映画にするー 岩波 ジュニア新書
以前「お知らせ」ページに「熱くなりすぎない熱い映画です」とかいうコメントで紹介した映画「ロボコン」の監督による、シナリオとエッセイを加えた本です。一気に読んじゃいました。台詞は饒舌であってはならないということが、よくわかりました。シナリオ上では必要と思っても、説明的であるだけだったり、流れを止めてしまっていたり。一方では役者が人物を作っていく姿に魅せられたり。映画「ロボコン」のビデオレンタルは3月12日から。ぜひ、あわせて読んで見てください。そうそう、本の中身では、家にも学校にも居場所がなかった著者には、映画館は「第三の場所」だったといいます。
良質な「第三の場所」というのは「孤独になれる場所」のことです。本当にいい映画は、自分をざわざわと動く自分自身の心に向き合わせる。「一緒に行く」が目的のイベント・ムービーはさておき、いい映画は「孤独になる装置」なんだと思います。さて、「第三の場所」を持てたら、次は大人にならんといかんわけですが、それは情けなくも僕もまだ途中です。・・・
等身大な語り口で、親しめます。
永六輔著 伝言 岩波新書
このところ岩波新書による著作を散見しますが、このHPの趣と同じくする言葉はというと
「むかしは、読み、書き、算盤。あとは寄席に行って落語や講談を聞いてりゃ、立派に智恵がついて、一人前になったもんだ」
さて、こんなのも拾って、この場で、ご紹介したいんですが
「暗唱、暗記、暗算・・・・・・いまの教育には、これがありません。明るい教育と、<暗>という字があわないからでしょうか。そういうわけで、日本の教育はお先真っ暗です」
「文部省のさァ、ゆとり教育って、おかしいんだよ。ゆとりなんてものは、厳しさを耐えて出てくるものなんだ。はなっからゆとりがあるってのは、だらしあねェってことだよ」
やっぱり、教育に関連した言葉に目が行ってしまうのですが、味わいたいですね。言葉の伝え方はその言葉の受けとめ方でもある・・・と書いてありましたが、受け止め方を自分も回りも育てていきたいです。なんとか、お先を真っ暗にしないためにも。とにかく、この本〜イラクへの自衛隊派遣という事態に対する危機感が筆者にペンを走らせたといってもいいでしょうか。