岡部板金工業の岡部聡志です。私は高校卒業後、迷う事なく父と同じ板金職人への道に進みました。高等職業訓練校に通って建築板金の勉強をし、建築板金二級技能士を取得。その間結婚し、4人の子宝にも恵まれ父として、そして板金職人としても忙しく過ごしておりました。
  

悲しみと混乱の中での引き継ぎ

父が約1年2ヶ月間の入院後亡くなったのは、71歳の誕生日の2日後、平成23年3月9日の事でした。そして忘れもしない3月11日、通夜の準備の最中に、あの大きな地震が我が家を激しく揺らしました。水も電話も止まり、余震が続く中にもかかわらず通夜に駆けつけて下さった方々と何とか父を棺に入れる事が出来ました。
  壁に亀裂は入ったものの、幸いにも大きな被害はなく、その夜は約40人の身内が寝泊まりし、我が家はまるで避難所のようでした。
  次の日、余震が続く中、無事に葬儀を執り行い、13日午前に納骨し、午後から屋根に上がり地震で大きな被害にあった瓦屋根下しとその運搬作業、そしてトタン屋根への葺き替え工事の日々が続きました。
  原発事故もあり、放射線の高い屋根や雨どいの仕事に不安はありましたが、お客様からの依頼が増えていく一方でしたので、そんな事は言っておられませんでした。とは言っても、原発事故の福島県には材料も入ってこないし、ガソリンもない・・ないないずくしの大変な毎日でした。
  このように先代、父、岡部勝利の死と東日本大震災の大混乱の中で慌ただしく私の岡部板金工業代表としての日々がスタートし今日を迎えています。

  

震災からの復興

あれから3年半が経ち、震災で被害に見舞われた方々の屋根はほぼ改修されてきています。除染が進む今、これからは放射線の高い屋根や外壁の葺き替え、雨どいの架け替えなどの工事が増加するのではないかと思います。
  私はこれからも一人ひとりのお客様のご要望にきっちりお答えできるよう努力し、みなさまの「良かった!」のために、地元白河の板金職人として丁寧で美しい仕事を心掛けて参ります。今後ともよろしくお願い致します。