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隅田川いろいろ
北斎 富嶽三十六景


2023.11.27
東京都 12期 竹内
撮影:2023年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その26.
相州仲原 (そうしゅう なかはら)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【相州仲原】(そうしゅう なかはら)
        相州仲原は、現在の平塚市です。富士の手前に描かれた山は大山で、神仏習合の
        霊場であった大山詣は江戸時代に庶民の人気を集めました。大山寺の本尊である
        不動明王の石仏が沿道に祀られています
          

2023.05.22 東京都 12期 竹内
撮影:2023年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その25.
相州江の島 (そうしゅう えのしま)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【相州江の島】(そうしゅう えのしま)
        片瀬浜から見た春の江の島です。潮が引いて、江ノ島へ向かう人々の様子が小さい
        ですが見えます。江ノ島弁天にいたる参道、両岸の茶店や家並みが細かく描かれて
        います。
          

2023.04.24 東京都 12期 竹内
撮影:2023年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その24.
相州七里濱 (そうしゅう しちりがはま)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【相州七里濱】(そうしゅう しちりがはま)
        夏の相模湾、現在の鎌倉稲村ヶ崎から見た夏の富士山です。モクモクとした入道雲が
        遠景の空に見えます。
          

2023.03.13 東京都 12期 竹内
撮影:2023年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その23.
東海道程ケ谷 (とうかいどう ほどがや)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【東海道程ケ谷】(とうかいどう ほどがや)
        程ケ谷は、現在の保土ヶ谷です。富士を眺めながら東海道を旅する楽しさを教えてく
        れます。画家モネが影響を受けたと言われる街道の松も描かれています。
          

2023.01.02 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その22.
武州玉川 (ぶしゅう たまがわ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【武州玉川】(ぶしゅう たまがわ)
        武州玉川は、東京都西部を流れる現在の多摩川で六郷の渡しがあります。雪を被っ
        た富士山が美しいです。川沿いには馬に荷物を載せ川沿いを行く人が1人。穏やかな
        多摩川の風景です。
          

2022.09.22 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その21.
神奈川沖浪裏 (かながわおき なみうら)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【神奈川沖浪裏】(かながわおき なみうら)
        現在の横浜本牧沖から富士を眺めた画。波が押し寄せてくる瞬間をとらえた最も有名な
        作品で、誰でも一度は見覚えがある画です。波間に見えるのは、房総や伊豆から江戸
        へと鮮魚を運ぶ押送船で、大波に翻弄されているかのようです。内外の作家に大きな影
        響を与えた作品です。
          
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2022.07.15 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その20.
東海道品川御殿山ノ不二
(とうかいどう しながわ ごてんやまのふじ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【東海道品川御殿山ノ不二】(とうかいどう しながわ ごてんやまのふじ)
        桜の名所であった品川御殿山。下方には、多くの人が桜と富士を一度に楽しもうと
        宴会を開いています。
          

2022.06.22 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その19.
常州牛堀 (じょうしゅう うしぼり)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【常州牛堀】(じょうしゅう うしぼり)
       現在の茨城県潮来市あたりから富士山を描いた画。当時霞ヶ浦は、富士山を眺望する
       ことのできる景勝地として知られていました。
          

2022.05.23 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その18.
登戸浦 (のぶとうら)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【登戸浦】(のぶとうら)
       登戸浦は、現在の千葉県千葉市にあり、海は遠浅瀬で潮干狩りの好適地として知られて
       いました。潮干狩りをする人々の姿から当時の日常生活が垣間見れます。
          

2022.04.04 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その17.
上総ノ海路 (かずさのかいじ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【上総ノ海路】(かずさのかいじ)
       現在の千葉県富津市あたりの画です。江戸時代、房総半島には多くの港があり、江戸と結ぶ
       江戸湾(東京湾)の海運で賑わっていました。
          

2022.03.09 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その16.
武陽佃嶌 (ぶよう つくだしま)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【武陽佃嶌】(ぶよう つくだしま)
       現在の中央区佃島の様子です。多くの漁船と漁民たちが住んでいた佃島の集落が見えます。
          

2022.02.25 東京都 12期 竹内
撮影:2022年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その15.
従千住花街眺望ノ不二
(せんじゅはなまち より ちょうぼうのふじ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【従千住花街眺望ノ不二】(せんじゅはなまち より ちょうぼうのふじ)
       江戸から一つ目の宿場として千住(現足立区)は栄えていました。花街を背景に、
       大名行列の一行が描かれています。奥中央に富士山が美しく描かれています。
          

2022.01.26 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その14.
武州千住 (ぶしゅう せんじゅ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【武州千住】(ぶしゅう せんじゅ)
       千住(現足立区)は、日光街道、奥州街道の第一宿場として栄えました。仕事の合間に
       富士を眺める馬子や釣り人の様子が描かれています。手前の木製水門は田んぼや畑
       へ水を引き入れ、調節するためのものです。
          

2021.12.27 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その13.
隅田川関屋の里
(すみだがわ せきやのさと)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【隅田川関屋の里】(すみだがわ せきやのさと)
      隅田より千住河原までの一円の地をさして関屋の里と言います。右下に描かれている
      高札場(幕府が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、高く掲げておく場所)の前の
      牛田堤を馬で疾走する旅装姿の3人の武士。遠方には静かで雄大な富士山が描かれ
      ています。
          

2021.11.19 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その12.
御厩川岸より両国橋夕陽見
(おんまやがし より りょうごくばしゆうひみ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【御厩川岸より両国橋夕陽見】(おんまやがし より りょうごくばしゆうひみ)
      両国橋から二つ上流の厩橋(うまやばし)は、春日通りが隅田川を渡る橋で、その川岸から見た
      画です。夕暮れの空に両国橋の上方に群青のシルエットとなって浮かぶ冨士山が描かれた叙
      情的な画になっています。
          

2021.10.22 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その11.
礫川雪ノ旦 (こいしかわ ゆきのあした)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【礫川雪ノ旦】(こいしかわ ゆきのあした)
      現在の文京区小石川。二階の開け放たれた座敷からは、雪見の宴をはる人々が見え、冬空
      には鳥が舞っています。色鮮やかな藍色の空と雪の白さが美しい画です。
          
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2021.09.13 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その10.
下目黒 (しもめぐろ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【下目黒】(しもめぐろ)
      江戸時代目黒一帯は、鷹狩りの場所としても有名で、右下の二人の鷹匠が描かれ
      ています。丘と丘の間から見える富士山が美しいです。
          

2021.08.25 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その9.
穏田の水車 (おんでんのすいしゃ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【穏田の水車】(おんでんのすいしゃ)
      穏田は、現在の原宿辺りです。渋谷川一帯はかつては畑地や水田など、のどかな田園
      風景が広がっていました。水車からあふれる水が力強く描かれています。
          

2021.07.28 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その8.
青山圓座枩 (あおやま えんざまつ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【青山圓座枩】(あおやま えんざまつ)
      江戸名所の一つであった青山竜岩寺の庭中の笠松と言われた円座の松を描いています。
      松の傍らでは酒を酌み交わす町人達も描かれています。
          

2021.06.21 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その7.
五百らかん寺さざゐどう
(ごひゃくらかんじ さざいどう)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【五百らかん寺さざゐどう】(ごひゃくらかんじ さざいどう)
      現在の江東区大島町にあった禅宗の一つである五百羅漢寺を描いています。当時高楼として
      人気があり、ここからは富士山を眺望することが出来たそうです。芸妓・子供・武士などが描か
      れています。
          

2021.05.24 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その6.
深川万年橋下(ふかがわ まんねんばしした)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【深川万年橋下】(ふかがわ まんねんばしした)
      隅田川支流の小名木川に架かった万年橋。橋の向こうが隅田川です。快晴の橋と川の間から
      のぞく富士山。万年橋も往来の人々で大変賑わっています。右下には川で一人釣りを楽しむ釣
      り人が描かれています。
          

2021.04.28 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その5.
本所立川(ほんじょたてかわ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【本所立川】(ほんじょたてかわ)
      墨田区立川(たてかわ) のあたりにたくさんあった材木問屋を描いています。中央の川は、隅田
      川にそそぐ竪川です。高く積み重ねられた材木の間から富士山が見えます。
          

2021.04.14 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その4.
東都浅草本願寺(とうとあさくさ ほんがんじ)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【東都浅草本願寺】(とうとあさくさ ほんがんじ)
      浅草本願寺の屋根超しに見える富士山。本願寺の瓦が美しく描かれています。左にある木組み
      の塔は火見やぐらです。空には凧が揚げられています。
      さて、ほとんどの画に用いられている空や海の鮮やかな色にお気付きでしょうか。
      浮世絵師 歌川広重や葛飾北斎など多くの画に多く見られる鮮やかな青。これは、「ベロ藍」と呼
      ばれた人口顔料で、ベルリンで偶然発見した化学的合成顔料です。日本には延享4(1747)年に
      輸入され、見た事もない色合いに江戸市民は熱狂したそうです。
          

2021.03.08 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その3.
東都駿臺(とうとすんだい)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【東都駿臺】(とうとすんだい)
      神田駿河台の風景。当時このあたりには大名屋敷が多くあったようです。侍や商人が通行
      しています。大名屋敷の屋根越しに雪を被った富士山が見えています。
          

2021.02.03 東京都 12期 竹内
撮影:2021年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その2.
江都駿河町三井見世略図
(こうとするがちょう みついみせりゃくず)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【江都駿河町三井見世略図】(こうとするがちょう みついみせりゃくず)
    手前の軒先の呉服問屋に見えるのは現在の三越(三井越後谷)の看板です。屋根には瓦職人が
    仕事中で、空には凧揚げの様子が描かれています。正月の画なのでしょう。正面には雪を被った
    雄大な富士山がくっきりと見えます。
          
 

2020.12.28 東京都 12期 竹内
撮影:2020年12月28日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 富嶽三十六景】
その1.
江戸日本橋(えどにほんばし)
    葛飾北斎の生誕地 本所両国にちなみ、その代表的作品「富嶽三十六景」をご紹介します。「富嶽
    三十六景」は、1831-34年(天保2-5年)に版行されました。

【江戸日本橋】(えどにほんばし)
    手前にある人でいっぱいの日本橋から左上に富士山を望み、その手前の遠方には江戸城が
    見えます。徳川家斉の時代です。
          
 
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北斎 仮名手本忠臣蔵の図

2020.12.09 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 十一段目
【仮名手本忠臣蔵 十一段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  十一段目:元禄15年12月14日の深夜、義士達は現在の両国 本所吉良邸に高師直(吉良)邸に討ち入りします。
         一般には雪の降りしきる中、主君の無念を晴らしたのは旧暦の12月14日となっていますが、正確に
         は翌日15日の未明でした。
         
 

2020.11.11 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 十段目
【仮名手本忠臣蔵 十段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  十段目:討ち入りの準備は着々と調えられてきました。武器の調達は堺の商人天河屋義平に任されましたが、
        信頼できる人物か大星由良助は計画を仕組みます。
         
 

2020.10.21 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 九段目
【仮名手本忠臣蔵 九段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  九段目:大星力弥との婚礼を期待し旅をしてきたが、待っていたのは破談でした。娘の父は娘の幸せの為に命
        を捨てる決心をします。
         
 

2020.09.30 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 八段目
【仮名手本忠臣蔵 八段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  八段目:家老 大星由良之助(大石内蔵助)の子供 力弥と加古川本蔵の娘小浪はいいなづけであったが、家が
        お取り潰しになったことに悲しむ娘を見て、母の戸無瀬は京の山科へと向います。
         
 

2020.08.21 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 七段目
【仮名手本忠臣蔵 七段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  七段目:家老・大星由良之助(大石内蔵助)は、仇討ちの心がないと敵方の目を欺くため、今日も祇園の一力
        茶屋で遊興三昧の日々を送っている。そこに一日も早く仇討ちをと血気にはやる三人の侍たち。
         
 

2020.07.01 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 六段目
【仮名手本忠臣蔵 六段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  六段目:有名な「おかると寛平」の家臣早野勘平と腰元 お軽の悲恋話です。
         
 

2020.05.18 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 五段目
【仮名手本忠臣蔵 五段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  五段目:舞台は「山崎街道」。おかるの父与市兵衛が雨の降る暗い中、五十両という大金を持って道を急いでい
        る。その老人から金を奪おうとする定九郎。
         
 

2020.04.17 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 四段目
【仮名手本忠臣蔵 四段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  四段目:「花籠」の場面。かほよ御前が夫判官のために花を誂えているところに、原郷右衛門と斧九太夫が参上
        する。
         
 

2020.03.23 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 三段目
【仮名手本忠臣蔵 三段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  三段目:塩冶家譜代の侍である早の勘平は、刃傷事件の際に腰元のおかると逢引をしていてその場に立ち会
        えず、おかるの故郷の山崎に、おかるとともに駆け落ちする。
         
 

2020.02.10 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 二段目
【仮名手本忠臣蔵 二段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  二段目:正義感のあまり師直に対してキリキリしていた若狭之助。
         
 

2019.12.27 東京都 12期 竹内
撮影:2019年12月24日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 仮名手本忠臣蔵】
 浮世絵 仮名手本忠臣蔵 初段目
【仮名手本忠臣蔵 初段目】
  北斎1806(文化3)年製作 葛飾北斎の円熟期の作です。
  『仮名手本忠臣蔵』の名場面を各段ごとに描いています。『仮名手本忠臣蔵』は、吉良邸で起きた赤穂浪士討ち
  入り事件をもとにして作られた物語で、江戸時代に人形浄瑠瑞として初演された後、歌舞伎の演目として上演さ
  れ、庶民にも親しまれました。

  北斎は、両国界隈で暮らしていたことがあるだけではなく、曽祖父が、討ち入りの際に吉良上野介を守って討死し
  た小林平八郎だと自身で語っていたという話が伝わっています。
  物語のあらすじは、初段では高師直が、塩冶判官の妻かほよを口説いていますが、このトラブルが発端となり、判
  官が師直に斬りかかるという事件がおき、判官は領地を没収の上、切腹を言い渡されます。その後、遺された家
  臣達が本懐を遂げるまでの物語が展開し、最後の十―段目では雪の降りしきる中、義士達が師直邸に討ち入ら
  んとする瞬間を捉えています。
  それぞれの作品は、風景表現を取り入れながらも芝居のワンシーンを切り取ったような描写をしており、見応え
  ある作品となっています。

  初段目:高師直が、塩冶判官の妻かほよを口説いていますが、このトラブルが発端となり、判官が師直に斬りか
        かるという事件がおき、判官は領地を没収の上、切腹を言い渡されます。後ろの川は隅田川です。
         
 



北斎 隅田川の図

2019.10.16 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 富岳三十六景 隅田川関屋の里
【富岳三十六景 隅田川関屋の里】
         関屋の里は、現在の隅田川神社辺りから足立千住までの隅田川沿いを指します。平安・
         鎌倉時代には大きな集落がありましたが、その後は田地となってしまいました。土手の
         道には3頭の馬が疾走しています。
         
 

2019.09.02 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 千絵の海 宮戸川 長縄
【千絵の海 宮戸川 長縄】
         宮戸川は隅田川の別名です。対岸に並ぶ三角形の屋根は御船蔵と呼ばれた江戸幕府
         の御用船が格納されていた倉庫です。長縄とは、はえ縄のことで、隅田川では鰻やハゼ
         など江戸前の魚が採れました。
         
 

2019.07.22 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 風流東都八景 寺島法泉寺詣
【風流東都八景 寺島法泉寺詣】
         鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞の守本尊、髻(もとどり)不動明王の像が安置され
         ている法泉寺の参詣の様子を描いたものです。縁結びの神である金勢大明神のの
         ぼりや石柱が見えます。
         
 

2019.06.28 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 風流東都八景 両国の秋月
【風流東都八景 両国の秋月】
         両国橋の上には月夜の納涼を楽しむ人出で賑わっています。橋の背後に材木が立ち
         並ぶ辺りに、一之橋と江島杉山神社の森が描かれています。
                
 

2019.06.12 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 勝景雪月花 東都隅田の月
【勝景雪月花 東都隅田の月】
         東都(江戸)、山城(京都)、摂津(大阪)の三都から、雪月花の名所を選んだものの一枚。
         江戸の月の名所として、木母寺や水神社(隅田川神社)の辺りが描かれています。
         
 

2019.05.30 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 雪月花 隅田
【雪月花 隅田】
         雪の名所として隅田の地が描かれています。手前に水神の森とも呼ばれていた水神
         社(隅田川神社)が、中央に木母寺の屋根が描かれています。
         
 

2019.04.24 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 風流隅田川八景 梅松の秋月
【風流隅田川八景 梅松の秋月】
         木母寺に古くから伝わる「梅若伝説」を題材にしたものです。この伝説は母と子の
         別離を描いた悲話ですが、この図は隅田川で母親と子供のむつまじい姿が描か
         れています。
         
 

2019.03.28 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 東都十二景 すみだ川
【東都十二景 すみだ川】
         雪の積もった木母寺と隅田堤を描いたものです。現在は東白髭公園となっています。
         
 

2019.03.18 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 東都十二景 ミめぐり
【東都十二景 ミめぐり】
         手前に三囲神社(みめぐり)、奥に隅田川が描かれています。三囲神社は、別名田中
         稲荷とも言われ、のどかな田園の中にありました。
         
 

2019.03.13 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 東都名所一覧 三囲
【東都名所一覧 三囲】
         降雪のなか隅田川堤を歩む男女、その右下に有名な「堤下の大鳥居」が描かれていま
         す。浅草側から眺めると隅田堤に遮られて上部までしか見えない鳥居は、三囲(みめぐ
         り)神社として江戸の人々に親しまれていました。
         
 

2019.02.28 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 風流隅田川八景 ミめぐりの晴嵐
【風流隅田川八景 ミめぐりの晴嵐】
         三囲(みめぐり)神社には、江戸の人々に「堤下の大鳥居」として親しまれた鳥居があ
         ります。左端に境内の茶店でくつろぐ美人の後ろに見える鳥居の柱部分だけが描か
         れています。
         
 

2019.01.22 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 新浮世絵 隅田川】
 三囲・牛嶋両社之図
【三囲・牛嶋両社之図】
         西洋の透視画法を用いた浮絵という方法で隅田堤と三囲(みめぐり)神社と牛嶋
         神社が描かれています。隅田堤をそぞろ歩く人々や川で釣りをする人々が見ら
         れ、当時の穏やかで楽しげな雰囲気が感じられます。
         
 

2018.12.19 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 木母寺の鉦鼓
【木母寺の鉦鼓】
        音も氷る はかりにけふは すミた川 雪にうつミし 木母寺のかね
                
 

2018.11.20 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 真崎の神燈
【真崎の神燈】
      小夜しくれ ふりさけ見れば神垣を ほのかにもれる みつのともし火
                
 

2018.10.26 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 隅田の都鳥 A
【隅田の都鳥 A】
         夜な夜に なれてやともに すみだ川 隈なき月の みやこ鳥まで
                
 

2018.10.03 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 隅田の都鳥 @
【隅田の都鳥 @】
         住めば また 都鳥とて 草の戸も 春秋を見る 月花の門
                
 

2018.09.06 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 白髭のキジ松 A
【白髭のキジ松 A】
         たえまなき 瓦煙に 淋しさもしらぬ 今戸の 秋の夕くれ
                
 

2018.08.09 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 白髭のキジ松 @
【白髭のキジ松 @】
         十かへりとうち 詠めても 十八の 君とは見えぬ しら髪の松
                
 

2018.07.10 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 待乳山の紅葉 A
 待乳山は浅草にあった小高い丘
【待乳山の紅葉 A】
        紅葉の あかりをたてゝ 夕くれは 客をまちつの 山の下茶屋
                
 

2018.06.26 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 待乳山の紅葉 @
 待乳山は浅草にあった小高い丘
【待乳山の紅葉 @】
           待乳山紅葉の 日和見定めて 居続はせぬ 朝かへり
                
 

2018.06.06 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 花川戸の冬篭 A
【花川戸の冬篭 A】
          鶯も花かと 雪の冬こもり 江戸ふしうたふ 助六か宿
                
 

2018.05.16 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 花川戸の冬篭 @
【花川戸の冬篭 @】
         村時雨 雫を木々に つたハせて 秋葉の猿は 蓑ほしけなり
                
 

2018.04.12 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 駒形の夕日栄 D
【駒形の夕日栄 D】
         大江戸の自由は 月の桂木も 材木かしへ よする 秋の夜
                
 

2018.03.15 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 駒形の夕日栄 C
【駒形の夕日栄 C】
         三谷ほり さして こくらし 月の船 大川はしの 秋のよなよな
                
 

2018.02.08 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 駒形の夕日栄 B
【駒形の夕日栄 B】
         香に匂ふ 小梅の星の 名にめてゝ はしのたもとに とまる苫舟
                
 

2018.01.23 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 駒形の夕日栄 A
【駒形の夕日栄 A】
   ものゝふの 多田の本尊の 名にめてて つらを みたされ わたる かりくの鐘
                
 

2018.01.10 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 駒形の夕日栄 @
【駒形の夕日栄 @】
      むら しくれ はれ行 あとの 夕はへに いさむ 月毛の 駒かた の船
           
 

2017.12.11 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 首尾松の釣舟
【首尾松の釣舟】
       しけりあり 色も 萌黄の かや寺に 火燭と 見ゆる 橙籠 の影
       ろのおとに 雁こき ませて
         
 

2017.11.09 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 椎木の夕蝉
【椎木の夕蝉】
      美しさ 松は 千とせを 延あかり 延あかり 見る 舟の たをやめ
      時またき 見あくる 椎の青 空に ところ 定めす 蝉の しくるゝ
         
 

2017.10.27 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 新柳橋の白雨 A
【新柳橋の白雨】 A
      竹蔵の 堀にも 虹の影 見えて はや 両こくの 橋かとそ おもふ
               
 

2017.09.04 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 新柳橋の白雨 @
【新柳橋の白雨】 @
      袖笠を かふる 間もなく 柳はし みどりの 髪も ねるゝ 夕たち
               
 

2017.08.10 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 隅田川の夕涼み舟
【隅田川の夕涼み舟】
       たのしさの 此うへはなし かたひらの 呂をおし通す 夕涼舟
               
 

2017.07.13 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 江戸じまん
【江戸じまん】
       江のしまを こゝに うつせし 貝屏風 宮の 扉を つたふ でゞむし
           
 

2017.06.22 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 絵本隅田川 両岸一覧】
 一之橋 弁天
【一之橋 弁天】
       不二の雪 筑波の しけミ 両かけに 荷ふて すゝし 両国の橋
               
 

2017.05.29 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 隅田川の図 4】
 両国夕涼
【両国夕涼】
隅田川の対岸、現在の東日本橋辺りから両国橋を望んだ情景です。手前に花火を眺める母と子
がカラーで、画面の左奥に両国橋、中央に支流に架かる一之橋が墨一色でシルエットとして描か
れています。
            
 

2017.04.17 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 隅田川の図 3】
 新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図
【新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図】
中央に隅田川と両国橋、手前に江戸有数の盛り場 上野広小路が描かれています。この一帯は
花火が打ち上げられる夏の期間、多くの人で賑わいました。現在も隅田川は花火大会の中心地
となっています。
            
 

2017.03.14 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 隅田川の図 2】
 風流隅田川八景 両国の夕照
【風流隅田川八景 両国の夕照】
隅田川の美しい情景を8つ選んで描いたシリーズの1図。手前に隅田川を望む建物の二階でく
つろぐ美人を、左手奥に両国橋、中央に一之橋を描いています。当時、隅田川沿いには、数々
の茶屋や船宿がありました。
            
 

2017.02.23 東京都 12期 竹内
撮影:2017年1月31日
撮影場所:東京都墨田区
【北斎 隅田川の図 1】
 御厩川岸より両国橋夕陽見
【御厩川岸より両国橋夕陽見】
現在の厩橋の南にあった御厩の渡しの情景です。夕闇せまる一瞬をとらえ、左に両国橋、中央
に富士山がシルエットで描かれているのが印象的です。今は対岸に並ぶ建物に遮られて富士山
の姿は見えませが、夕陽が隅田川の対岸の沈む情景は変わりがありません。
            
 
 


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隅田川七福神めぐり

2017.02.06 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 14】
 三囲神社と大国神 A
【大黒天】
大国天(大黒神)は、もともと仏法の守護神として崇められていたインドの神ですが、仏教が中国を
経て日本に伝わる過程で、台所を司る神となり、慈悲深く富貴を授ける神として信仰されるように
なりました。大国天は、神話に登場する大国主命と考えられていることが多いようです。
            
 

2017.02.01 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 13】
 三囲神社と大国神 @
【三囲神社】
三囲(みめぐり)神社の境内には数多くの石碑が立っていますが、その中でも最も有名なのは、其
角雨乞いの句碑です。境内の一社に鎮座する大国・恵比寿の二神は、もと越後屋(現在の三越)
にまつられていた本像です。ここには恵比寿神と大国神の二神が祭られています。
     
 

2017.01.24 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 12】
 三囲神社と恵比寿神 A
【恵比寿神】
三囲(みめぐり)神社には、恵比寿神がが祀られています。恵比寿神は、その姿が鯛を抱え、釣竿を
もっていることで表わされるように、本来は漁師の神で、豊漁をもたらす神として信仰されてきまし
た。室町時代頃から商業が盛んになってくると、市場の神となり、さらには商売繁昌の神としても
信仰を集めるようになりました。
            
 

2017.01.06 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 11】
 三囲神社と恵比寿神 @
【三囲神社】
三囲(みめぐり)神社は、600年ほど前の文和年間、近江国三井寺の僧源慶が東国を巡礼していた
途中、荒れ果てた小祠が目につき、農夫にその由来を尋ねると弘法大師創建の由緒ある祠であ
るとのこと。そのさまを深く悲しんだ源慶は自ら社殿の修理にとりかかると、埋もれていた壺が出て
来ました。その壺に収められていたのは白狐の神像でした。その時、どこからともなく白狐が現わ
れ、神像の周りを三度廻って、いづこともなく消え去りました。この故事から「みめぐり」の名が付い
たと伝えられています。ここには漁業と商売繁盛の神様の恵比寿神と大国神の二神が祭られてい
ます。
       
 

2016.10.31 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 10】
 弘福寺と布袋尊 A
【布袋尊】
弘福寺には布袋尊(ほていそん)が祀られています。布袋尊は中国の唐の時代の禅僧で、七福神の
中ではただ一人の実在した方です。額が広くてお腹は大きく、いつも杖と大きな布袋を持ち歩き、
物を貰えばそれをこの袋に入れて貯え、因る人があると、その中から取り出して施し、しかもなくな
ることがなかったといわれています。不良長寿・無病息災・開運・良縁・子宝・夫婦円満・金運の神と
されています。
            
 

2016.10.05 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 9】
 弘福寺と布袋尊 @
【弘福寺】
向島にある弘福寺。黄檗宗大本山、宇治の黄檗山万福寺の末寺で、同宗の名僧鉄牛和尚の手
で延宝二年(1673)に、創建されました。同じ禅宗の中でも最も中国に近い宗派として名高く、その
建築も重層の屋根、大棟の宝珠、しび、ひさしの蛇腹天井、細棧の扉、両翼の円窓、堂前の月台、
柱にかかるレン額などを持つ中国風の特色多い寺院です。
ここには布袋尊(ほていそん)が祭られています。
       
 

2016.09.09 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 8】
 長命寺と弁財天 A
【弁財天(弁才天)
七福神のうち、紅一点の弁財天は、水辺に多く祭られている神様で、琵琶を抱いて座っている姿
が一般的です。長命寺の弁財天は、琵琶湖竹生島の弁財天の分身です。
弁財天(弁才天)は、そもそもインドの水の神様です。日本に伝来してから、弁舌や音楽を司る芸
能の神として信仰されました。言葉の神ということから文字・学問・智恵の神となり、やがて智恵や
学問は福財をもたらしてくれます。
             
 

2016.08.22 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 7】
 長命寺と弁財天 @
【長命寺】
向島にある長命寺。元和元年(1615)頃の創建と伝えられています。寛永年間(1624〜44)に、三
代将軍家光が鷹狩の途中、不意の腹痛のためこの寺に休憩した際、境内の井戸水を汲み、薬を
服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒しました。喜んだ家光がその井戸に長命水の名を
与えたところから、以後寺号を常泉寺から長命寺と改めたといいます。
境内には、芭蕉の雪見の句碑や、十返舎一九の辞世の狂歌碑、太田蜀山人の狂歌碑等があり
ます。また、江戸時代の有名な国学者、橘守部の墓、幕府の外国奉行などの碑もあります。
ここには弁財天が祭られています。
       
 

2016.08.03 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 6】
 向島百花園と福禄寿尊 A
【福禄寿尊】
福禄寿尊は、背が低く、頭が長く、ひげを伸ばした老人で、福寿を司るとされる南極星の精と考え
られていました。一千年に一度だけ澄むと伝えられている中国の大河、黄河が澄むのを度々見た
ことがあるそうです。杖を片手に、腰にひょうたんを付け、白い鶴又は亀をお供に従えています。
福徳延命、長寿を授ける神様です。
       
 

2016.07.21 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 5】
 向島百花園と福禄寿尊 @
【向島百花園】
向島百花園は、文化元年(1804)に仙台の佐原鞠塢が開いたものです。鞠塢は日本橋で骨董屋
として財をなした人で、晩年この地に隠退し、多賀屋敷跡を買い求め、かねてから親しくしていた
文化人から寄贈された梅樹360株を植え、梅園としました。そのうちに秋草を始め草木の数も増
え、江戸市民の絶好の行楽地となりました。昭和13年に東京市に寄付され、昭和53年には国の
名勝史跡に指定されました。ここには福禄寿尊が祭ってあります。
       
 

2016.06.27 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 4】
 白鬚神社と寿老神 A
【寿老人】
寿老人(寿老神)は中国出身の神様で、道教の思想から出ており、「寿星」を人格化した神様で、長
寿の神様として信仰されています。手に杖を持ち、その杖には、人の寿命の長さを記した巻物が結
びつけられています。また鹿を連れていますが、この鹿は深山神のお使いで、三千年の長寿の象
徴であると言われています。神社の石碑には、「白鬚大神」と刻まれています。
             
 

2016.06.02 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 3】
 白鬚神社と寿老神 @
【白鬚神社】
向島にある白鬚神社は隅田川の堤の脇にあり、向島の最も古い由緒ある神社の一つです。天暦5
年(951)に、慈恵大師が関東に下った際、近江国志賀郡に鎮座する白鬚大明神の分霊を、ここに
祭っのが起源とされます。祭神は猿田彦命で、国土の神、道案内の守神とされ、隅田川沿いの道
祖神の役割もありました。ここには寿老神が祭ってあります。
      
 

2016.04.04 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 2】
 多聞寺と毘沙門天 A
【毘沙門天】
墨田区向島にある多聞寺には、隅田川七福神の毘沙門天が祭られています。
もとはインドの神様で、別名多聞天とも言われています。帝釈天の部下の四天王の一員で、世界
の中心に立つ須弥山の北方を守護していると言われています。よろい・かぶとに身を包み、武器
をたずさえている勇ましい姿で表されます。上杉謙信は、毘沙門天の「毘」の字をその旗印にして
いました。
            
 

2016.04.01 東京都 12期 竹内
撮影:2016年3月30日
撮影場所:東京都墨田区
【隅田川七福神めぐり 1】
 多聞寺と毘沙門天 @
【多聞寺】
墨田区向島にある多聞寺は、昔隅田堤の外の隅田川神社に近い多聞寺屋敷という所にありました
が、天正年間(1573〜92)に向島に移されました。この寺は慶長11年(1606)に建立され、隅田川七
福神の毘沙門天が祭られています。本尊の毘沙門天像は、弘法大師の作と伝えられます。
      
 


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隅田川の橋たち

2011.06.30 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 17】
  白髭橋
浅草の少し北にある白髭橋は、東京都道306号王子千住南砂町線(明治通り)を通しています。
橋名は東岸にある「白髭神社」に因んでいて、もともと「橋場の渡し」と「白髭の渡し」という渡船場
があった場所です。特に橋場の渡しは江戸時代、1594年(文禄3)に千住大橋が完成して主だっ
た街道筋が移されるまでは、隅田川を渡る中心地でした。

【データ】
  形式:下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋
  橋長:168.8m
  幅員:22.1m
  竣工:1931年(昭和6)8月8日
  

17回に渡ってお送りして来ました『隅田川の橋たち』も上流まで来てしまい、他にJR鉄
道橋がありますが人や車が通れる橋としては、今回で最終回となってしまいました。
なんとなく見ていた橋にも歴史がある事がよくわかりました。
『隅田川の橋たち』にお付き合い頂きました方々に感謝致します。ありがとうございました。

2011.06.07 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 16】
  桜橋
桜橋は、1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋です。形状は上空から見ると平面のX
字形をしたとても珍しい形をしています。
3月末から4月初旬の花見シーズンには桜まつりが行われ、隅田川両岸の桜を楽しむために多く
の人がこの橋を渡ります。
また、この時には向島の芸者さん達が橋のたもとで「芸妓茶屋」を出店し評判になっています。

【データ】
  形式:連続鋼X形曲線箱桁橋
  橋長:169.45m
  幅員:20.0m
  竣工:1985年(昭和60)4月

  

2011.05.18 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 15】
  言問橋
言問橋は、国道6号・東京都道319号環状三号線(言問通り)を通す橋です。
言問という名は在原業平の詠んだ、『名にし負はば、いざこと問はむ都鳥、わが思ふ人は、あり
やなしやと』に因んでいるそうですが諸説あります。
橋のたもとには1871年(明治4)創業の銘菓『言問団子』の店があり。店内で賞味する緑茶の付
いた言問団子三色セットがとても情緒があります。

【データ】
  形式:3径間ゲルバー鈑桁橋
  橋長:238.7m
  幅員:22.0m
  竣工:1928年(昭和3)2月

  

2011.04.17 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 14】
  吾妻橋
吾妻橋の創架は1774年(安永3)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟
があった場所でした。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後のが吾妻橋です。東岸
方面の向島にある吾嬬神社へ通じる道であったことから、吾妻橋となったそうです。

【データ】
  形式:3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋
  橋長:150.0m
  幅員:20.0m
  竣工:1931年(昭和6)6月

  

2011.03.27 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 13】
  駒形橋
駒形橋は、西岸には台東区雷門や駒形があり、東岸には墨田区東駒形と吾妻橋があります。橋
名は橋の西詰にある駒形堂に因んでいます。駒形堂とは、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が、
1,400年前、隅田川から発見され、はじめて奉安された地に建つお堂です。
関東大震災後の復興計画により、それまでは「駒形の渡し」があった場所に現在の橋が架橋され
ました。

【データ】
  形式:中央径間=中路式ソリッドリブタイドアーチ橋
   側径間=上路式ソリッドリブアーチ橋
  橋長:149.6m
  幅員:22.0m
  竣工:1927年(昭和2)6月

  

2011.01.30 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 12】
  厩橋
厩橋(うまやばし)の西岸は台東区蔵前や駒形、東岸は墨田区本所があります。橋名は西岸にあっ
た蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった「御厩河岸」にちなんでいるそうです。
橋の場所は元禄年間頃から続いていた「御厩の渡し」のあった場所で、橋全体には、馬を連想さ
せるレリーフなどが施されています。

【データ】
  形式:3径間下路式タイドアーチ橋
  橋長:151.4m
  幅員:22.0m
  竣工:1929年(昭和4)9月

隅田川ならではの屋形船と厩橋
  

2010.12.26 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 11】
  蔵前橋
蔵前橋は、関東大震災の復興計画により現在の橋が架橋されました。それ以前は「富士見の渡
し」と呼ばれていた渡船場があった場所に橋がありました。
蔵前という地名は、江戸時代に、当時の大川(現在の隅田川)沿いに幕府の米蔵があったこと由
来するそうです。
蔵前橋のたもとには1954年(昭和29)から1984年(昭和59)まで国技館がありました。そのため
蔵前橋の橋柵には,相撲のレリーフがデザインがされています。

【データ】
  形式:3径間連続上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ
  橋長:173.2m
  幅員:22.0m
  竣工:1927年(昭和2)11月



  

2010.11.14 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 10】
  両国橋
両国橋の創架年は2説あり、16599年(万治2)と1661年(寛文1)で、橋は千住大橋に続いて隅
田川に2番目に架橋された橋です。
当初「大橋」と名付けられていましたが、西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがってい
たことから両国橋と呼ばれるようになりました。
江戸幕府は防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めて来ませんでした。しかし、明暦
3年の明暦の大火の際に、逃げ場を失った10万人の江戸市民が火勢にのまれたと言われてい
ます。時の老中酒井忠勝らの提言により、防火・防災目的のために架橋を決断することになりま
した。両国橋は流出や焼落、破損により何度も架け替えがなされています。

【データ】
  形式:3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋
  橋長:164.5m
  幅員:24.0m
  竣工:1932年(昭和7)11月

 

2010.10.11 東京都 12期 竹内
撮影:2009年6月20日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 9】
  新大橋
新大橋は隅田川に架かる3番目の橋として1993年(元禄6)に架けられ、大橋と呼ばれていまし
た。この橋の架設により江戸市中との交通が便利になり、深川の発展に大きく影響しました。
初めは、現在地より300m程下流に架けられていましたが、1912年(明治45)7月に鉄橋となり、
現在地に架替えられました。
1977年(昭和52)に現在の新大橋に架替えられ、旧鉄橋は明治の面影を留める橋であることか
ら、愛知県の明治村へ移され保存されています。

【データ】
  形式:2径間連続斜張橋
  橋長:170.0m
  幅員:24.0m
  竣工:1977年(昭和52)3月27日



 

2010.08.14 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 8】
  清洲橋
清洲という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採ら
れました。関東大震災の震災復興事業として、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインです。
このデザインは、当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあった大吊り橋をモデルにし
たそうです。

【データ】
  形式:自碇式鋼鉄製吊り橋
  橋長:186.3m
  幅員:22.0m
  竣工:1928年(昭和3)3月



 

2010.04.18 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 7】
  萬年橋
隅田川から横道へ
萬年橋は、東京都の小名木川にかかる橋で第一橋梁です。橋のすぐ西側で小名木川は隅田川
と合流し、東側には新小名木川水門が設置されています。
萬年橋が架橋された延宝8年(1680年)の江戸地図には「元番所のはし」と記載があるそうです。
江戸時代初期、この橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷を取り締まるために「川船番所」が
置かれていたものです。
小名木川は江戸市内へ行徳の塩や、近郊農村で採れた野菜、米などを船で運び込むための運
河で、架けられた橋はいずれも船の航行を妨げないように橋脚を高くしていたが、萬年橋は中で
も特に大きく高く虹型に架けられていたことから、その優美な姿を愛されました。
葛飾北斎は富嶽三十六景の中で、歌川広重は名所江戸百景の中で萬年橋を取り上げています。

【データ】
  形式:1径間下路ソリットリブタイドアーチ橋
  橋長:56.25m
  幅員:17.2m
  竣工:1930年(昭和5)11月

 

2010.03.21 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 6】
  永代橋
永代橋が架橋されたのは、元禄11年(1698年)8月であり、江戸幕府5代将軍徳川綱吉
50歳を祝したもので、現在の位置よりも100m程上流でした。そこは当時大渡し(深川の
渡し)のあった場所だそうです。永代橋は、隅田川で四番目に作られた橋です。
「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋
をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもあ
ります。
2007年(平成19年)6月、都道府県の道路橋として初めて、勝鬨橋・清洲橋と共に永代橋が
国の重要文化財(建造物)に指定されました。

【データ】
  形式:スチールアーチ橋
  橋長:184.7m
  幅員:25m
  竣工:1923年(大正13)12月



 

2010.02.28 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 5】
  相生橋
相生橋は、西岸は中央区佃二丁目と三丁目を分け、東岸は江東区越中島一丁目と二丁目を
分けています。「相生」という名称は、この橋がはじめ長短二橋で構成されていたことから「相生
の松」に由来して採られたそうです。
形式は、大正8年に市電を通すため改築した先々代の橋の姿にならいトラスト橋となりました。
トラスト橋は、細長い部材を三角形に組立て橋桁とした橋です。
新しい相生橋は、隅田川や中の島公園とともに多くの人々の憩いの場として親しまれるように整
備されました。

【データ】
  形式:三径間鋼トラス桁橋
  橋長:149.1m
  幅員:22m
  竣工:1999年(平成11)8月全通



 

2010.01.10 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 4】
  中央大橋
隅田川の数ある橋の中で最も新しい橋でしたが、平成18年2月に千住汐入大橋完成によって
その地位を明け渡すこととなりました。機能やコスト一辺倒であった昭和の橋とは違い、都市景
観やデザインに気遣いをもたせています。
中央大橋を架橋する際に、フランスのデザイン会社に設計を依頼しました。そのため、主塔と欄
干部分に日本の『兜』を意識した特徴的な意匠が施されています。
夕刻から夜10時までは、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光で美しくライトアップされます。

【データ】
  形式:二径間連続鋼斜張橋
  橋長:210.7m
  幅員:25m
  竣工:1993年(平成5)8月26日



 

2009.11.25 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 3】
  佃大橋
佃大橋は隅田川最後の渡船場として320余年続いていた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、
上流に平行している永代橋、下流の勝鬨橋の交通量の増加対策、そして東京オリンピック開催
に備えた関連道路の一部として、戦後初めて隅田川に架橋された橋です。

【データ】
  形式:3径間連続鋼床鈑箱桁橋
  橋長:476.3m
  幅員:25.2m
  竣工:1964年(昭和39)8月27日

 

2009.09.21 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 2】
  勝鬨橋
まずは、橋の中央部が開く勝鬨橋(かちどきばし)です。
橋の名前は、1905年(明治38)に日露戦争時の旅順陥落祝勝記念として築地と、対岸の月島
の間を結ぶ渡し舟「勝鬨の渡し」が設置された事が起源です。
勝鬨橋の工事は1933年(昭和8)に着工し、1940年(昭和15)6月に完成しました。橋の建設
当時は隅田川を航行する船舶が多く、3千トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋
として設計されました。海上輸送が発達していた時代背景が見えます。可動橋とは、橋がハの
字形に開き、開いた中央部を大きな船が通過出来るものです。
しかし、船舶通航量の減少と道路交通量の増大により、現在では機械部への電力供給も無く、
可動部もロックされ、跳開することはありません。
1998年(平成10)から夜間にライトアップが行われています。

【データ】
  形式:シカゴ型双葉跳開橋(可動部)、鋼ソリッドリブタイドアーチ橋(固定部)
  橋長:246m
  幅員:22m
  竣工:1940年(昭和15)6月14日


 

2009.09.14 東京都 12期 竹内
撮影:2009年5月31日
撮影場所:東京都
写真は管理者友人からの提供
【隅田川の橋たち 1】
  旅の始まり
滝廉太郎の『花』に歌われる隅田川。
    はるのうららの隅田川、のぼりくだりの船人が、櫂のしづくも、花と散る
    ながめを何に、たとふべき
隅田川は、東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、新河岸川・石神井川・神田川・日本橋
川などの支流河川を合わせ、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川です。
古くは835年(承和2年)の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称され
ていました。
江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は「大川」とも呼ばれていました。今でも落語等では「大
川」が出てきます。大川右岸、特に吾妻橋周辺から新大橋周辺までを「大川端」と呼んでいます。

隅田川は一時、汚れた川となってしまいましたが、現在は当時に比較すればきれいになりました。
川沿いには、隅田川テラスという遊歩道が整備されて、川沿いを歩くことが出来ます。川には水上
バスと呼ぶ定期船が運行し、屋形船姿を見せます。
そんな隅田川に架かる橋たちを東京湾河口から上流へ、ご紹介して行きます。

 

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