2009年8月19日
【白洲次郎の武相荘】 その1
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白洲次郎氏をご存知でしょうか?
自分の信じた原則をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを穿き、近年
『日本一カッコいい男』と呼ばれ、真のリベラリスト白洲次郎。
戦前は近衛文麿首相のブレーン、戦後は吉田茂首相の側近となって政治の中
枢にいて、昭和史の鍵を握る人物であるにも関わらず、その生涯は比較的歴史
の闇の中に埋もれてしまっています。
白洲次郎:1902年(明治35年)2月17日 〜 1985年(昭和60年)11月28日
日本人で初めてジーパンを穿き、日本一カッコいい男 白洲次郎
白洲次郎は兵庫に生まれ、イギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。第二次世界
大戦にあたっては、参戦当時より日本の敗戦を見抜き、神奈川県鶴川に移住し、
農業に従事しました。
戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたり、GHQ側の印象は『従順なら
ざる唯一の日本人』であったそうです。
日本国憲法制定に、政界入りの声もあったようですが、生涯在野を貫き、東北
電力会長として戦後の電力再編に努めました。
白洲次郎と美術評論家・随筆家としても読売文学賞を2回受賞し、町田市名誉
市民第一号の白洲正子のご夫妻が町田市熊ヶ谷の農家を買い取り移住したの
が1942年(昭和17)でした。
白洲次郎は、この家に武相荘(ぶあいそう)という愛称を付けました。
武蔵と相模の境にあるこの地に因んだ事と無愛想をかけたものだそうです。
この家は、寄せ棟造りで、東側妻面兜造りの重厚な芽葺屋根の主屋と、カキ、シ
ラカシなどを配した広い庭のたたずまいは、多摩地区の養蚕農家の面影を残して
います。整型四間取の間取りや材料・構造から明治初期の建築のようです。
長屋門 萱葺き屋根が美しい母屋
白洲次郎の車好きは有名です。イギリス留学中にベントレーやブガッティを乗り回
し、「オイリー・ボーイ」(オイルにまみれるほどの車好き)と呼ばれていたそうです。
晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長も努めていました。
母屋とお茶処 お茶処
おもしろい話では、日本人で初めてジーンズを穿いた人と伝えられています。サン
フランシスコ講和条約締結に向かう機内で着用したそうです。
また、ラッパズボンも愛用していました。
百八十センチを超す長身、端正な顔立ち、英国流の洗練された身ごなし。趣味は
車と大工とゴルフ。そんな次郎を夫人・正子は「直情一徹の士(さむらい)」「乱世に生
き甲斐を感じるような野人」と評しています。「しょせん平和な世の中に通用する人間
ではなかった」とも。
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