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OB・OGなんでも投稿(その6)

       マンドリン関連でなくても何でも結構です。生活の事、社会に言いたい事、お仕事の事、
       世の中に言いたい事・・何でもご自分で感じた事を気楽に投稿して下さい。
2009年7月31日
【素晴らしきナポリとカンツォーネ】
                                  ホームページ管理者

  『ナポリを見てから死ね』とナポリの人は言います。
この言葉は、ドイツの詩人・作家のゲーテが著書『イタリア紀行』に綴り、一躍有
名になりました。ナポリの風光明媚さと歴史や文化に感慨を持って言い表されて
いる言葉です。
それほどすばらしいナポリ! そのナポリからやって来た人達がいます。

2009年7月25日 東京オペラシティ・コンサートホールでイタリアのナポリター
ナ楽団(Orchestra Italiana Napoletana)の公演が行われました。

東京オペラシティ・コンサートホール

 ナポリの音楽はおよそ1500年頃に始まったとされています。急速な6/8拍子
のタランテラに代表されるナポリ音楽は、長い歴史を持っています。
また、イタリア歌謡のカンツォーネはオペラのベルカント唱法によるものが大き
いとされて、壮大な歌曲が多くあります。
こうした背景で歌われるイタリア歌謡には、いつも人々の楽しさや男女の愛と悲
しみ、イタリアの風景等、どの曲にもイタリア独特のものがあります。


イタリア・ナポリターナ楽団

 イタリア・ナポリターナ楽団は、ナポリの伝統と音楽を、典型的なナポリの楽器
を用い、その古典的スタイルを再提示することを目的とした楽団で、2005年に
指揮者サンドロ・クトゥレーロによって設立されました。
レパートリーは、ロッシーニ、ドニゼッティのようなオペラ・アリアから近年のカン
ツォーネなど多岐にわたります。

 2005年、2007年に来日公演を行い、好評を博しています。今回は3回目の
来日公演です。本国イタリアでも国際音楽祭などに出演し、中国ツァー等の海外
公演も行っているそうです。


 使用楽器は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、マンドリン、マンドラ、
ギター、アコーディオン、クラリネット、ホルン、パーカッション、ピアノ、ドラム。そし
てテノール男性歌手とソプラノ女性歌手で合計18名程の楽団です。


ステージは初めから終わりまで、イタリアらしい明るく楽しいものでした。

演奏曲は以下の通りです。
   第1部: タランテッラ、五月の夜、激しく愛す、ガッパリア、夜の声、
         レジネッラ、恋する兵士、カタリー(つれない心)、ナポレタ
         ーナ、帰れソレントへ、太陽の土地
   第2部: お母さんどうしたの?、黒い落とし子、サンタルチア、舟人
         の歌、マンドリナータ、パッショーネ(情熱)、マリウ、愛の
         言葉を、リリー・カンジー、君を求めて、ピッツァ、オー・ソレ
         ・ミオ、フニクリ・フニクラ
  (アンコール):マンマ、ケ・セラ、ボラーレ、ニュー・シネマ・パラダイス

すばらしいアコーディオン独奏や三人兄弟によるマンドリン2本とギターの3重奏
もありました。見事な演奏でした。

何度もカーテンコールがあり、観客は大満足です。

            『サンタ・ルチア』

    輝く海、銀の星空     穏やかな波、軽やかな風
    私の小舟よ   軽快に進め
    聖ルチア 聖ルチア

    柔らかい西風と一緒に  美しい船の上に乗せて
    さあ、向こうへ行こう
    聖ルチア 聖ルチア

    美しいナポリ 幸せな土地 微笑むような大地
    あなたは調和の極み
    聖ルチア 聖ルチア
 
2009年7月17日
【石原裕次郎の墓】
                                  ホームページ管理者

 7月17日は、映画スター石原裕次郎さんが1987年7月17日 52歳で亡くな
った日です。2009年は、23回忌にあたります。
23回忌法要が7月5日(日)、東京・国立競技場で大規模に行われたことはニ
ュースでご存知の事でしょう。因みに、その費用は15億円だったそうです。

 石原裕次郎さんの映画は、1956年の『太陽の季節』に始まり、『嵐を呼ぶ男』、
『陽のあたる坂道』、『銀座の恋の物語』、『太平洋ひとりぼっち』、『黒部の太陽』
など百数十本以上に出演しました。
 歌手活動でも、『俺は待ってるぜ』、『赤いハンカチ』、『夜霧よ今夜も有難う』、
『ブランデーグラス』など、数多くのヒット曲を出しています。
 懐かしい映画と曲ばかりです。カラオケでは今でも、必ずといっても良いほど誰
かが歌います。

 後期の落ち着いた感じより、デビュー初期の不良的な感じが好きで、日活映画
を何本も見た記憶があります。当時、私の自宅近くに日活映画館があり、そこで
働いている人のつてで、無料で入場出来たこともありました。

日活スターと言えば、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、宍戸錠、二谷英明、和
田浩治、渡哲也、川地民夫、高橋英樹、浅丘ルリ子、北原三枝、南田洋子、吉永
小百合・・・名前がどんどん出てきます。

 裕次郎人気はご本人のスター性が大きいものでしたが、映画監督、プロデュー
サー、作曲家、作詞家、編曲者などの回りの方々の力と同時に戦後〜高度成長
期にあった日本の背景も大きな要素だったのでしょう。

石原裕次郎さんのお墓は横浜市鶴見区の総持寺にあります。

戒名は、陽光院天真寛裕大居士



 墓碑には、まき子夫人(北原三枝)の詩が刻印されています.

               美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、
               逞しき者に更に力を、
               全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。
               心の夢醒める事無く。
 
2009年5月7日
忌野清志郎さんが逝去
                                 ホームページ管理者

このHPをご覧になっている方にはあまり興味がないでしょうが・・・

ロックバンド・RCサクセションのリードボーカル忌野清志郎さんが、5月2日癌
性リンパ管症のため、東京都内の病院でご死去されました。58歳でした。
RCサクセションは、日本語でのロックの成立や、ロックコンサートのあり方など
日本のロック界に多大な影響を与えました。
また、派手なパーフォーマンスやメイク、特徴あるつぶれた声など、好き嫌いが
ある人が突出して多かったのも特徴的でした。日本版ローリング・ストーンズだ
との声もありました。

初めてRCサクセションを見たのは、1969年8月29日の東芝主催『カレッジ・
ポップス・コンサート』でした。高校生のアマチュアグループとして飛び入り出演し、
生ギターとウッドベースでフォークソングを歌う普通の高校生グループでした。
大学生グループが多い中、当時でもかなり個性的なグループでした。忌野清志
郎さんはまだ高校生の可愛らしい声だったと思います。

アマチュアとして出演中の高校生RCサクセション

しかし、歌った曲は忌野清志郎作詞『泥だらけの海』という曲で、他のグループ
が恋愛、海、花、星などをテーマに歌っている中、

 "どうして海はこんなに汚れてしまったのか、
    どうして海に油が流れて来たんだろう、
      あの娘は浜辺で汚れた海を見ている・・"

と今で言う環境ソング的な歌を歌っていました。

その翌年、1970年に正式デビューしたわけです。ロックバンドとして、「僕の好
きな先生」、「い・け・な・いルージュマジック」などをヒットさせ、有名になりました。
相変わらず、政治的なメッセージを織り込んだ曲も多く、発売中止曲や放送禁止
曲となった曲もありました。

前から病気だとは聞いていましたが、残念です。
 
2009年4月13日
【マイ・フェア・レディ】
                                  ホームページ管理者

『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)は、1956年3月にブロードウェイで初演
され、6年6ヶ月に及ぶロングラン公演となった大ヒットミュージカルです。
ブロードウェイの初演ではジュリー・アンドリュースがヒロイン役を務めました。
映画化では、オードリー・ヘプバーンが起用されこれも大ヒットしました。
作詞・脚本アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウ。

下町の底辺に住む花売り娘イライザが言語学者ヒギンズ教授に手ほどきを受け、
王室舞踏会でも通用するレディに変身して行くというストーリー。
男の身勝手さに翻弄される女心を招いていますが、最後はハッピーエンドとなり
ます。
人は外見だけではなく、心や中身が大切という事を教えられます。とは言うもの
のオードリー・ヘプバーンの美しさには夢中になったものでした。

日本では、1963年9月、東宝により東京宝塚劇場で、日本初のブロードウェイ
ミュージカルとして上演されました。主演はイライザ役に江利チエミ、ヒギンズ役
に高島忠夫。演出は菊田一夫でした。
好評のため、翌年の1月と5月にも同じキャストで再演されています。
その後、1970年7,8月に那智わたる、1973年8月に上月晃、1976年11月
に雪村いづみ、1978年6月から1984年までに栗原小巻がイライザを演じ、
1990年3月以降は、大地真央がイライザ役を勤めて大好評になり、現在まで何
度も上演されています。

東京・日比谷の帝劇で上演中の『マイ・フェア・レディ』主演女優、大地真央さんが、
9日の昼の部で550回の出演を果たしました。
特別カーテンコールが昼の部の公演終了後に行われ、大地さんは感激の面持ち
で万雷の拍手に応えました。イライザの父親役のモト冬樹さんは「真央さんは1回
1回に全力投球する人」と称え、ヒギンズ教授役の石井一孝さんは「1万回を目指
して」とエールを送りました。

帝劇正面入口

  ■『マイ・フェア・レディ』、『ウエストサイド・ストーリー』、『サウンド・オブ・ミュー
    ジック』などミュージカルから映画化され、大ヒットした例はたくさんあります。
    当時、みんな夢中で映画を見たものでした。

  ■1956年生まれの大地真央さん、20歳の娘イライザ役は・・と思っていまし
    たが、美しく可愛いイライザです。歌声も若く感動でした。

  ■準主役といってもいいイライザの父親ドゥーリトル役のモト冬樹さん。今はお
    笑いタレントやものまねで有名ですが、ロックバンドの名ギタリスト兼シンガ
    ーとしての印象が管理者には強いのでした。

  ■イライザの父親ドゥーリトル役は、酔っ払いで下品な個性の強い男の役です。
    歴代のドゥーリトル役を調べたら面白い方達が演じていました。
     八波むと志、小鹿敦、フランキー堺、田中明夫、財津一郎、坂上二郎、
     小野武彦、上條恒彦、尾藤イサオ、モト冬樹

  ■藤木孝さんが嫌われ者の言語学者の重要な役で出演していました。藤木孝
    さんは、初期のロックンローラーとして有名な方でした。お久しぶりです。
    ツイスト『二万四千回のキッス』はかっこよかった。

  ■劇中歌はどれも有名ですが、『踊り明かそう』、『君住む街角で』は特に有名
    です。マンドリン編曲でも多くの編曲者がこれらの曲を採り上げています。

    【第1部の曲】 序曲、なぜ英語が話せない? 、ラブリー、運が良けりゃ、
              僕はあたり前の男、今に見てろ、可愛そうな旦那様、スペ
              インの雨、踊り明かそう、アスコット・ガヴォット、君住む街、
              舞踏会のワルツ、
    【第2部の曲】 うまくやったぞ、今に見てろ、君住む街、私に見せて、
              ラブリー、教会へ連れて行け、女は何故それができない、
              あなたなしで、あの娘が忘れられない、終曲

  ■オーケストラボックスで演奏していたのは、東宝ミュージックの方々です。
    30名程度の演奏でしたが、きれいな音で聴き入ってしまいました。
 
2009年3月5日
【白いブランコの思い出】
                                  東京都 12期 竹内

フォークソングを歌う菅原孝・進の二人による兄弟デュオ『ビリー・バンバン』を覚
えていますか?
トランペットソロのイントロから

     君は覚えているかしら、あの白いブランコ〜
              風に吹かれて二人でゆれた、あの白いブランコ〜

いい歌です。大好きです。

1971年11月18日に東京・文京公会堂で行われた第12回定期演奏会のゲス
トはビリー・バンバンでした。

            指揮者は宮田俊一郎先生、コンサートマスターは竹内(12)、ギタートップは土肥(12)

ビリー・バンバンは、1969年、キングレコードから「白いブランコ」でレコードデビ
ューし、大ヒットしました。
続く「ミドリーヌ」、「れんげ草」、「さよならをするために」もヒットし、第23回NHK
紅白歌合戦にも出場しました。
この第12回定期演奏会では、「白いブランコ」、「ユア・ソング」と発売されたばか
りの「みにくいアヒルの子」の3曲をマンドリン演奏のバックで歌い、会場を盛り上
げてくれました。

                        長髪が流行した時代、2人もかなり長髪でした

【ビリー・バンバンで思い出す事】

   ■ニニ・ロッソ風のトランペットソロのイントロがあったからこそ、強い印象を
    あたえる名曲となったのですが、フォークロック調に作曲した弟の菅原進
    はプロの編曲家が編曲したこの曲を聴いて、歌謡曲のようだとガッカリして
    しまったそうです。

   ■ビリー・バンバンはデビュー前、3人組でした。"兄弟"の方がインパクトが
    あると、作詞・作曲家の浜口蔵之助さんが2人組でデビューと決めたそう
    です。外された1人はその後、「ナハッ」のギャグで知られるようになった
    "せんだみつお"として有名になりました。

   ■当初、定期演奏会では、「明日に架ける橋」を歌ってもらう予定でしたが、
    新曲発売もあって「みにくいアヒルの子」を歌う事になりました。
      (1971年8月発売/作詞:小平たほみ/作曲:菅原進)



      "みにくいアヒルの子が
           美しい鳥になったのは、
                 おとぎ話の中だけのこと〜"

    と彼等にすると初のメッセージソングでした。
    しかし、残念ながらあまりヒットはしませんでした。

   ■演奏会当日、リハーサルもやれない位に忙しい2人でした。本番ステージ
    Gパン姿で現れ、「白いブランコ」を歌いましたがチューニングはマンドリン
    と大きくい違ってました。1曲終わって兄の菅原孝がしゃべりで時間を稼ぎ、
    コンマスのマンドリンから音をもらい大あわてでチューニングしましたが、マ
    ンドリンの特性を理解せず、かなり合っていませんでした。

   ■「みにくいアヒルの子」の時、ドラムスのXX君は譜面を控え室に置いてき
    てしまいました。適当にリズムをきざみましたが、決めのシンバルはリズム
    から大きく外れ、ビリー・バンバンの2人はズッコケてしまいました。

   ■勢いで売れっ子のビリー・バンバンを呼んでしまいましたが、ギャラを払う
    お金が足りなくなり、1年かかって分割払いの借金となりました。

   ■ビリー・バンバンは1976年に解散し、兄の菅原孝は司会者として、弟の
    菅原進は歌手・作曲家としてそれぞれの道を歩き出しましたが、再結成を
    望む声が多く、現在は2人でステージ活動やCD製作に現役活躍中です。
    CM曲も多く歌っていて、焼酎いいちこのCMは特に有名です。



      君はおぼえているかしら    あの白いブランコ
       風に吹かれて二人でゆれた  あの白いブランコ
        日暮はいつも淋しいと      小さな肩をふるわせた
         君にくちづけした時に       優しくゆれた 白い白いブランコ

      君はおぼえているかしら     あの白いブランコ
       寒い夜に寄りそってゆれた    あの白いブランコ
        誰でもみんなひとりぼっち    誰かを愛していたいのと
         冷たいほほを寄せ時に     静かにゆれた 白い白いブランコ

      僕の心に今もゆれる       あの白いブランコ
       幼い恋を見つめてくれた     あの白いブランコ
        まだこわれずにあるのなら    君の面影抱きしめて
         ひとりでゆれてみようかしら   遠いあの日の 白い白いブランコ
 

2009年2月26日
【暖かい低音のギタロン】
                                 ホームページ管理者

 ギタロンをご存知ですか?
ギタロン (Guitarron) は、元来メキシコの民族楽器で、ギターを大きくしたよう
な楽器です。ギタロンの名称もスペイン語で『大きいギター』を表しています。


 ギタロンはギター同様、6本の弦を持っていますがフレットはありません。
弦はギターより太く、ギターの5度下のとても低い音がします。
メキシコでは、このギタロンを抱えて演奏します。明るいメキシコの民族音楽マ
リアッチでよく用いられますので、写真等でご覧になられた方も多いのではない
かと思います。

         

 日本では独自に、ギターの1オクターブ下の調弦をし、譜面はト音記号を使用
しています。バイオリンチェロのようにエンドピンで楽器を立てて膝の間に抱えて
構え、ブリッジがバイオリンやバイオリンチェロの様に山形をしていないフラット
形なので弓は使わず、親指と人差し指で弦をつまみ上げて演奏します。
 この奏法を完成させたのは、ギターオーケストラの創始者である新堀ギターの
新堀先生です。エンドピンを付け、立奏型に調弦を変え、単音奏にする等、根本
的に大幅改良しました。ギターオーケストラにおいては、コントラバスギターと同
じ音域で演奏されます。
エンドピンを立て、コンサートホールのステージ床板に直接響かせるダイナミック
な奏法は、世界中どこに行っても人気の的です。

       
              表側はメキシコの明るさを感じさせます。

                  
                                 裏側がとてもきれいな形です。

 小人数のマンドリン・アンサンブルには最適な音で、暖かい低音が男性的な響
きでマンドリン全体の音をやさしく豊かに包み込んでくれます。
コントラバスよりもマンドリン・アンサンブルに合う音なのではないでしょうか。
日本のマンドリンクラブでも、少数ですがギタロンを入れている団体があります。


 50周年イメージキャラクター"まどりん"のお友達の"ぎたろん"もこの楽器が
大好きです

 

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