トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ


OB・OGなんでも投稿(特別号3)

宮田俊一郎先生寄稿
  宮田俊一郎先生が、ご生前 『鳳友』、『マンクラタイムス』、『弦想』、『プログ
  ラム』などに寄稿されたものです。
  宮田俊一郎先生が本当に日本大学マンドリンクラブを愛して下さっていた
  事がとてもよく分かります。当時の日本大学マンドリンクラブの雰囲気が見
  えるばかりでなく、先生のお話は現在にも通じる事柄も多く出てきます。

2010年12月25日
【第17回定期演奏会に寄せて】  特別投稿

                        1976年(昭和51)11月15日
                 日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田吉子

 日本大学マンドリンクラブ創設以来、技術顧問をいたしてまいりました
夫 宮田俊一郎が亡くなりましたが、いつもながらの「和・努力・ファイト」
の言葉は、第一期より現在まで受け継がれており、部員の皆さんはその
モットーをよく守り、如何なる困難も忍耐となり、お互いの信頼、真心とな
り、一丸定演に向かい毎回ダイナミックな和気に満ちた演奏を誇ってま
いりました。

 そして、索漠たる社会情勢の中に起伏して、音楽を通じての友情は厚
く、各代の卒業生の皆さんが、社会人になられてもお互いに励まし合っ
ているようでございます。

夫が生前申しておりましたように、現代的な音楽の中に、関東武士の志
情を有した素晴らしいクラブでございます。

 終わりに御来場の皆様、今回は新曲に挑戦し、部員一同頑張っており、
熱演することと思いますが、もし未熟と御気付きの時は、何分とも御容
赦の下に、今後の激励、御支援のほどお願い致します。

 又、この紙面をかりまして私事で申し訳ございませんが、宮田俊一郎の
葬儀の折、又 後々まで励まし慰めて下さった全国の日本大学マンドリン
クラブのOB・OGの皆様に心より感謝いたします。


     =====================================
  この投稿の年、1976年(昭和51)1月9日に宮田俊一郎先生がご逝去
  されました。49歳の若さでした。
  日本大学マンドリンクラブの二代目顧問として宮田吉子先生が就任され
  ました。
 
2010年12月24日
【創立10周年記念 特別演奏会に寄せて】

                         1969年(昭和44)6月22日
               日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 学園紛争の最中、日本大学マンドリンクラブも皆様の御理解ある御支
援の下、10周年を迎えました。
 その間、辛い事、楽しい事、苦しい事、色々ありましたが部員一同『努
力・ファイト・闘志』の精神で負けず、挫けず、一歩一歩前進して来たこ
の10年、創立当初は20数名の部員が集まり、日大マンクラ初の合宿
を鎌倉にて行い、校歌、フローレンスの夜、真珠採りのタンゴ等を一生
懸命練習したものでした。
 そして、その年の秋、第一回定期演奏会を共立講堂で開催、今日の基
礎を築いたわけであります。クラブ生活の中でも合宿はいつまでも印象
に残る行事の一つです。
 2期、3期の時は、中軽井沢の公民館を借りての合宿で、自炊生活を
し、合宿所付近の草をつんでは、おつけの実にして、その付近の草を食
べつくしたり、四期の時は温泉が好きで、春は上山田戸倉温泉、夏は飯
坂温泉で合宿をし、冬寒く、夏暑く、合宿としては余り良い状態ではなかっ
たようでした。
 第6期の春は富士見高原で、寒さ厳しく、食事は悪いし、部員の苦情多
く、当時のマネージャー長尾君がくさっていたこともありました。
 合宿所での食事は、練習、練習に明け暮れる部員諸君にとって唯一の
楽しみでもあり、それが悪いようでは、すぐ士気にも影響して来るのでマ
ネージャー氏の苦労も大変なものであります。
 10年目を迎えた日本大学マンドリンクラブでも今後とも、部員一同、一
致団結、『努力・和・闘志』の精神で尚一層、演奏技術の向上、内容の充
実を図り、プレクトラム音楽の発展の為に、努力、精進して行きたいと思っ
ております故、ご来場頂いた皆々様にも、今後とも日本大学マンドリンク
ラブの為に暖かい御支援、御激励をお願い申し上げます。
 
2010年12月23日
【第7回定期演奏会に寄せて】

                         1966年(昭和41)11月17日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 日本大学マンドリンクラブも皆様の御理解ある、御支援のもとに、第七
回定期演奏会を迎えることになりました。

 暑い日、寒い日とて、ものともせず、この定演の日を楽しみに、一致団結、
学業の余暇を若さと情熱をぶつけて、練習に励んで来た毎日、今宵こそ充
分にその若さと感激をのせて、精一杯悔いのない演奏をお聴かせ致したい
と思います。
 尚この演奏会を最後に卒業される部員諸君も、この日のこの感激を、い
つまでも忘れることなく、日本大学マンドリンクラブで、身を持って会得した
何事にも挫けず、努力、精進を重ねた日々、その精神である努力、闘志、
和を持って、強く立派な社会人となっての活躍を期待します。

 尚御来場頂きました皆々様にも、至らぬ点も多い日大マンクラでは御座
いますが、今後とも尚一層努力精進します故、今後とも暖かい御激励、御
支援をお願い申し上げます。


     =====================================
  この辺りの時代の演奏会プログラム挨拶文からは、ほぼ定型的となって
  しまいます。当時、宮田俊一郎先生はNHKのお仕事、東京マンドリン宮
  田楽団や日大マンドリンクラブ他、学生クラブの編曲など、寝る間もない
  位にお忙しくなってしまいました。その為、挨拶文は学生が代筆する事も
  ありました。
 
2010年12月18日
【第6回定期演奏会に寄せて】

                         1965年(昭和40)11月14日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 今宵ここに文京公会堂において、日本大学マンドリンクラブ第六回定期
演奏会を迎えることが出来ましたのは、ひとえに御来場頂きました皆々様
の暖かい御支援、御厚情の賜物と存じ、感謝致します。

 早いもので日大マンドリンクラブが誕生してより、早や6年、暑さ寒さに負
けず、辛いこと、苦しいことを乗り越えて、学業の余暇を精一杯、若さと情
熱を傾けての練習に余念のない日々、また合宿、演奏会、演奏旅行等楽
しかったこと嬉しかったことなどを織り交ぜてここまで歩んできた6年間です。

 その間、創立当時の苦労した部員達は次々と学窓を巣立ち、新たに、若
さあふれる新入部員が参加、先輩達の残していった「努力とファイト」を受
け継いで、ここに今宵の第6回定期演奏会を催す運びとなりました。

 本日も日頃の練習の成果を余すところなく発揮して、悔いのない演奏を
致す所存であります。

 なお、今年の定演で卒業される部員諸君も、今夜のこの感激を忘れずに、
短いながらもマンドリンクラブ員として会得したであろう、何事にもくじけず、
根性ある立派な社会人になって下さい。

 終わりに、至らぬ点も多々あるとは思いますが、より一層演奏技術の向
上、プレクトラム音楽の研究に努力、精進致す所存であります故、今後と
もよろしく御支援、御鞭撻の程、お願い申し上げます。
 
2010年12月17日
【第5回定期演奏会に寄せて】

                         1964年(昭和39)11月12日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 日大マンドリンクラブの定期演奏会も第五回目を迎えることになりました。
 34年秋30名位の部員達と「努力」と「ファイト」をモットーに誕生したこの
クラブがつい最近のように思えますが、早いものでもう満五年を迎えました。

 35年春の第一回鎌倉合宿の際には、杉浦主将以下30名足らずの部員
で教本の練習、合宿は校歌、真珠とりのタンゴ、フローレンスの夜等を猛
特訓したものでした。

 今度の合宿尾瀬では100余名の部員が演奏旅行の曲、定演の曲等ダ
イナミックに練習しており、第一回合宿当時の部員は、今は学窓を去り、
社会人となりましたが、現在の部員もあの当時そのまま若さと情熱をぶつ
けての練習に余念のない姿、今更ながらあの当時のことを思い出さずに
はいられませんでした・・・。

 "今宵の演奏会、一年間の努力の結晶であり、大いにファイトを燃やし、
張り切った演奏を御来場の皆様にお聞かせしよう"
 そして、今後とも日大マンクラにいつも変わらないである努力とファイト、
そして団結を伝統に学業の余暇を最高に生かして、より良き演奏をするよ
うお互いに頑張ろう。

 又、四年生諸君よ、今宵の感激を忘れずに、短い学生生活でのクラブ員
として涙ぐましい、努力と精進、身を持って会得した、何事にもくじけない根
性を卒業後も忘れずに、良き社会人になって下さい。

 終わりに本日、御来場頂きました皆々様、今後とも躍進日大マンクラの為
に、御理解ある御支持の下、御支援をお願い申し上げます。
 
2010年12月14日
【第4回定期演奏会に寄せて】

                         1963年(昭和38)11月14日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 菊花薫る晩秋の今宵、日大マンドリンクラブも皆様の御理解ある御支援
のもと、はや第四回の演奏会を迎えることになりました。

 第一回目の演奏会を無事終了した時のあの感激、そして第二回、第三
回と努力と闘志で築きあげた演奏会、そして次々と学窓を去る有為な部
員達、更には若さあふれる新入部員の加入と、月日は変われども変わら
ないのは日大マンドリンクラブの伝統の「努力」と「ファイト」であります。

 学業の余暇をフルに生かし、涙ぐましき努力と精進を重ねた此の一年間、
若き部員達が一致団結、情熱を傾けて、若さあふれる演奏をする今日の
第四回演奏会。

至らぬ点も多々あることと存じますが、今後共、御来場の皆々様の暖かい
御激励と御支援をお願い致します。
 
2010年12月3日
【第3回定期演奏会に寄せて】

                         1962年(昭和37)11月15日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 日大マンドリンクラブの定期演奏会もここに第三回目を迎えることになり
ました。

 創立三年、学業の合間を最高に生かし、若さと情熱をぶっつけて、練習
につぐ練習、努力とファイトをモットーにここまでやって来たのです。

 今年の四年生の部員はその創立当時の最後の部員で随分と苦労してき
た連中であります。今後社会へ出ても、このマンクラ時代のことを思い出し
て、何事にもへこたれずに、努力とファイトで突き進んで頂きたい。

 幸いにして若い部員達も負けず劣らずの努力家達であり、今後益々日大
マンクラの為になってくれるであろう。

 今宵の演奏会も部員一同、力を合わせ、一生懸命の演奏をします故、御
来場の皆様の暖かい御支援をお願い致します。
 
2010年12月1日
【第2回定期演奏会に寄せて】

                         1961年(昭和36)11月10日
                日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 昨年の11月創立第一回演奏会を開催、そして早くも第二回の発表演奏
会を開催致すことになりました。
 創立当時の中堅部員は学窓を去り、新らたに第二・第三の中堅部員が
若さと闘志で誕生し、指導に当る小生の喜びこれに勝るものがありません。

 今夏には待望の信越・北海道の演奏旅行を無事終了、今後も毎年夏期
には同地方に演奏旅行を行う予定であり、部員一同も定期演奏会の開催
と共に、演奏旅行という、もう一つの大きな目標ができ、ますます張り切ら
ざるを得ない状態です。

 とはいえまだまだ未熟の点も多く、お聞き苦しい点もあるかと存じますが、
学生達が学業の余暇に努力、精進し、精一杯若さを出して、一生懸命演奏
してのこと故、なにとぞ御許しを願いたい次第です。

 そして日と共に、「闘志」と「努力」の文字を座右の銘として、努力精進を
続けて行きたいと思います。
 
2010年11月30日
【第1回定期演奏会に寄せて】

                          1960年(昭和35)11月16日
                 日本大学マンドリンクラブ顧問 宮田俊一郎

 昨年の12月知人 星野和求氏より、「今度私の学校でマンドリンクラブを結
成したから色々と面倒を見てくれ」との依頼があり、それが日大マンドリンク
ラブのことであり、後日 杉浦、松居、稲垣の諸君とお会いし、種々話しをした
ところ意気は投合し、その若さとファイトに感服、とにかくやれるところまでや
って見ようという事になった。

 それから約1年間殆どの人がゼロからスタートするので基礎を第一にそし
てアンサンブルを少々というようなやり方で進んで来た。
 又、私のいない時には、杉浦、松居君が私と親密なる連絡の上、下級生の
指導に当り、稲垣君が雑用が多くてもよくやってくれ、その他部員一同一体に
なり、学業の余暇に1年足らずでよくここまでやれたと私自身感心している次
第です。
 ある時は、合宿で食事を共にし、一緒に語り、返り見る1年間は夢の如く過
ぎ、待望の演奏会の日となりました。

 部員一同一生懸命やってはいますが、誕生1年足らずの為に技術の点 及
び、楽器の種類等未だ不備の点がいくらもありますが、今後一層努力精進し、
一歩一歩前進成長して行くことと思います。故皆様方におかれましてもよろし
く御支援下さいますようお願いします。

注:星野和求氏について
  マンドリンクラブ1期は、日本大学の文化会(文化団体連合会と県人会の大学側事務局)の方
  から「日大のOBでギターを弾く方を知っている」と言われ、星野和求氏を紹介されました。星野
  氏は、宮田信義先生のお弟子さんであった関係で、星野氏から宮田俊一郎先生を紹介され、
  マンドリンクラブの技術顧問をお願いしたそうです。
  東京バーテンダー協会理事。1970年にベストバーテンダー受賞。
 
2010年4月27日
【マンドリンオーケストラの編成】=管楽器の使用について=】

 1962年全国で個々に活動している大学マンドリンクラブを全国的な組織
として、マンドリン音楽の普及発展、相互の交流意見交換などを目的として、
1962年(昭和37)4月21日に全日本学生マンドリン連盟が発足しました。
常任理事校は、慶応義塾大学、早稲田大学、明治大学、関西学院大学、同
志社大学、神戸商科大学の5校、理事校は北海道大学、日本大学、名古屋
大学、大分大学でした。
そして全国を東日本事務局(北海道支部3校、関東支部16校)、西日本事
務局(関西支部16校、西日本支部8校)という組織でした。

この全日本学生マンドリン連盟の機関紙が『トレモロ』です。
第2号に掲載されている連盟顧問 宮田俊一郎先生の文章です。

     機関紙『トレモロ』第2号
     1963年(昭和38)11月発行  37頁
      
           表紙                      裏表紙


 【マンドリンオーケストラの編成 =管楽器の使用について=】

                              1963年(昭和38)11月
                 全日本学生マンドリン連盟顧問 宮田俊一郎

 最近、町を歩いていて、マンドリン、ギターを持って歩く人の姿を多く見かけ
るようになった。それが学生であろうが、ビジネスガールであろうが、十年の
知己の如く感じられ、ふと声をかけたくなる。一人一人に声をかけていたら大
変だが。
 我国のマンドリン・ギター界もここ数年、プレクトラム音楽愛好者の激増に
ともない発展をとげ、昨年は"全日本学生マンドリン連盟"の誕生と、その所
属校の合同大演奏会、今年はその学生マンドリン選抜メンバーの渡米演奏、
又、各会社に於けるマンドリンクラブの誕生と、最近のマンドリン・ギター界は
とみに活況を呈し、黄金期に突入した感がある。小は五、六人の小人数の集
いから、大は100名〜200名以上の部員を持つ大所帯の学生マンドリンに
至る迄、それぞれ立場こそ違うが、学業の余暇、仕事の合間に、好きなプレ
クトラム音楽の研究に余念がない。そして又、演奏も非常に内容的にも立派
なものになってきた。マンドリン・ギターの愛好者は年齢を問わず、男性女性
の別なく誰にでも容易に楽しむことができ、最近は特に女性の進出が著しい。
演奏される曲目もマンドリンオリジナル曲、民謡、ポピュラー、ラテン、クラシ
ック音楽等多種類にわたっている。

  第一部マンドリンオリジナル曲(又はクラシック曲)
  第二部 クラシック曲(又はマンドリンオリジナル曲)
いずれも若き学徒の情熱のこもった好演奏、連日の練習、合宿での猛練習
がにじみでている。
  第三部ゲストを迎えてのラテン音楽、民謡、ポピュラー等のような傾向が
  強い。
従って、プログラムの内容も変化にとみ、編成もそれに応じて作られている。
例えば最近の曲のようにリズムの強烈な音楽を演奏する場合には、ボンゴ、
コンガ、マラカス等の打楽器が必要となり、これなしでは曲にならない。又、
クラシック曲の中にティンパニのほしいものも出てくるし、その他、トライアン
グル、カスタネット、タンバリン等、必要に応じこれを加えている。

 その昔、大正から昭和にかけてプレクトラム音楽盛んなりし頃のマンドリン
オリジナル曲を多く演奏していた頃とは曲目も編成も変わってきているようで
す。
 編成は各大学とも第一マンドリン、第二マンドリン、マンドラ、ギター、ベース
(最近ではギターローネがないのでベースが多い)、それに部員の多いクラブ
はそれに比例して、マンドチェロ、リュート、フルート(ピッコロ)、クラリネット、
オーボエ、マンドローネ、ギターローネが加わっている。その他必要に応じて、
アコーディオン、ボンゴ、コンガ、マラカス、トライアングル、タンバリン、ティン
パニ等の打楽器属、ファゴット、ホルン等が加わり、楽器の種類も多彩なもの
になってきた。
 だがここで注意しなければならないことは、マンドリンオーケストラが他の楽
器を使用する場合「ひさしを貸して母屋をとられる」の例にもあるように、いろ
いろの楽器のマンドリンオーケストラでの効果について、よくその楽器の正確
を検討して使用すべきで、乱用は避けたい。
 マンドリンの音は、歯切れよいスタカット、そして愛らしい甘美なトレモロの響
き、又それによく調和するギターの音色。プレクトラム音楽はストリングオー
ケストラであり、そこには管弦楽と違った良さがあります。
ここに管楽器を入れた場合はどうか?
 私はプレクトラム楽器以外の楽器を多く入れることは、特別の効果をねらう
場合以外賛成できません。特に金管楽器の場合など、使用法を誤るとデリケ
ートなマンドリン音楽の良さが失われる結果になります。特に小編成の場合の
管楽器の取扱いは極めて慎重であらねばなりません。
 又、金管楽器トロンボーン、トランペット、サキソフォンなどは特別な効果を
ねらう以外は必要としないでしょう。今迄もマンドリンオーケストラには殆ど使
用されておりません。
 奇をねらうも結構ですが、あの鋭い音はプレクトラム楽器に調和するとは考
えられません。
 ホルンは、表現力に富み、雄大かつ荘厳なる音色により、時と場合によっ
て優秀な奏者及び取扱いに注意して使用すれば大いに効果があります。
 バスーン(ファゴット)はやわらかく軽い感じの音色でやはり使い方次第では
良い効果が得られると思われます。
 オーボエは、昔カラーチェの楽団が使用していた記録があり、外国ではしば
しば使用されていたようです。東洋風のメロディー、田園風、牧歌調などに使
用すると面白いでしょう。
 フリュートは、マンドリンオーケストラでは現在よく使用しています。その明る
い華やかな音色はマンドリン合奏は用いてもよく溶け、又トリル、アルペジオ、
レガート、スタッカート、軽快な音符、半音階の複雑な動き、高音部の急速な
動きなどを自由に出すことの出来る点、現在大抵のクラブで使用し、重宝が
られています。
 ピッコロは、フルートより八度高く、フルートの演奏困難な高音域に使用出
来、スタッカート、トリルは容易で、軽快なもの、行進曲風な曲に使用出来ま
すが、あまりに高い鋭い音ゆえ、どの曲にもむくという訳にはいきません。
 クラリネットは、現在フルートに次いでマンドリンオーケストラで活躍中の楽
器で柔かい甘い音色はプレクトラム楽器に出せない点を補っている。用途も
広く、アルペジオ、レガート、スタッカート、全音階、半音階など、木管最高の
能力を持っています。
 振り返ってみますに、マンドリンオーケストラの中で使用する場合、フルート、
クラリネット、オーボエなどの木管類はマンドリン系楽器を助け、非常に効果
の上る場合もあり、トランペット、トロンボーンなどの金管類は特別な時以外
は、使用を控えた方がよいということになります。
 尚、ホルン、ファゴットのようにマンドリン系で出すことの出来ない音色を持
ち、非常に効果の上ることも想像され、いずれの楽器でも使い方いかんによ
り、その内容もうんと違ったものになるでしょう。
その場合、マンドリンオーケストラの美しさを壊さないように、慎重なる取扱い
が必要です。
 各人各様それぞれ好みがあり、コーヒーの好きな人、アルコールの好きな
人、肉の好きな人、野菜の好きな人と、いろいろな人がいるように、音楽の場
合も同様で、一概になんとも言えませんが、要するに管弦楽と又違った味の
あるマンドリンオーケストラであり、マンドリン、ギター系以外の楽器を多く使
うことは、純粋なるマンドリンオーケストラだけが持ったところの美しさを失わ
せることにもなり、プレクトラム楽器による音楽美追求に反するものでありま
す。
 唯、徒ら交響楽団の模倣はプレクトラム音楽の破滅を招くものであります。
従って乱用をさけ、管楽器各々の性格を良く研究した上で、マンドリンオーケ
ストラに加え、その向上発展を計りたいものである。
 最後に、プレクトラム音楽愛好者の一人として、その演奏に際しては、各自
が技術を練磨して正確なるダウン・アップ・トレモロにより、スラー、強弱、ア
クセントを注意して各楽器の性能を生かした演奏をするように努め、プレクト
ラム音楽の良さを充分に発揮できるよう、お互いにその向上に努力しましょう。
 

2010年4月26日
【全日本学生マンドリン連盟誕生おめでとう】

 1962年全国で個々に活動している大学マンドリンクラブを全国的な組織
として、マンドリン音楽の普及発展、相互の交流意見交換などを目的として、
1962年(昭和37)4月21日に全日本学生マンドリン連盟が発足しました。
常任理事校は、慶応義塾大学、早稲田大学、明治大学、関西学院大学、同
志社大学、神戸商科大学の5校、理事校は北海道大学、日本大学、名古屋
大学、大分大学でした。
そして全国を東日本事務局(北海道支部3校、関東支部16校)、西日本事
務局(関西支部16校、西日本支部8校)という組織でした。

この全日本学生マンドリン連盟の機関紙が『トレモロ』です。
第1号に掲載されている連盟顧問 宮田俊一郎先生の祝辞です。

     機関紙『トレモロ』第1号
     1962年(昭和37)11月発行  30頁
       
            表紙                       裏表紙


    【全日本学生マンドリン連盟誕生おめでとう】

                               1962年(昭和37)11月
                  全日本学生マンドリン連盟顧問 宮田俊一郎

 プレクトラム音楽が多数の人々に愛され親しまれている今日此の頃、プレクト
ラム音楽を愛好するものの一人として「全日本学生マンドリン連盟」の誕生を心
からお喜び申し上げます。
 勉学のかたわら学生らしさを十分発揮した、相互間の友情を深め、技術向上
を図り、プレクトラム音楽の普及、発展に「闘志」と「努力」で一歩一歩前進して
下さい。
 野球は九人でやるもの、マンドリンアンサンブルの場合も皆が力を合わせてこ
そ良い音楽が出来るのです。
若さと闘志、一致団結して生まれたばかりの全日本学生マンドリン連盟を皆さん
の手で育てて、立派に成長させ、確固不動のものにして下さい。御発展をお祈り
申し上げます。
 

2008年4月28日
【12期のLPレコード作成によせて】

 第12回定期演奏会(1971年11月18日)のLPレコード製作にあたり、宮田俊一
郎先生に書いていただいたものです。(LPレコードの背面解説より)

 この中で、『12期が10年後にまた日大マンドリンクラブへ現れることだろう。』と
おっしゃっています。10年後ではありませんでしたが先生の予言通り、卒業40年
近くなって12期の皆さんは、OB会、OBクラブ、同窓会等で頻繁に顔を会わす事
になりました。
================================================
    【第12回定期演奏家のLPレコード作成によせて】
                                     1971年(昭和46)
                                      宮田俊一郎

 第12回定期演奏会はOB・OGの方々を交えて和気あいあい裡に無事終了、部
員のみなさん、OB・OGの皆さん、12期の皆さん御苦労様でした。

 第12期の皆さんは丁度学園紛争の始まった年に入部し、部室がない、練習所が
ない、部員が足りない等々色々と苦労の多い年の連続でした。

 7・8期の方々の頃は部員が150名から200名と居り、フリュートだけでも12名
の時代でしたが、このまま行けば来春の新入部員の募集では300名を越すのは必
 どうしたらよいか。 1、2年生は全く全員ステージにのれず、パートによっては
3年生も交替にならざるを得ない状態ではないかと真剣に考えたこともありました。
多ければ多いで、少なければ少ないで、それぞれ苦労もありますね。

 12期の方々は日光の金舛旅館での合宿で始まり、71年秋の岩井前芝荘での合
宿まで練習に合宿に運営に苦しいこと、辛いこと、楽しいこと等々いろいろあったこ
とでしょう。そして定演

 みなさんが社会人になり、いつか、振返って思い出せば、辛いこと苦しかったこと
はすべて若き日の楽しい思い出の一ページに変っていることでしょう。そして頭に浮
んで来るメロディーはザンパでありローラであり又、唖娘か。(注参照)
そして成沢君の顔が出て来たり、開沢・吉岡・竹内・土肥・西村、大内・加藤 等々と
の顔であり、いずれ10年後でも今と変らない若さで現われることだろう。

 いつまでも若く、和・努力・ファイトで期待される社会人として活躍して下さい。部員
諸君もこれからもクラブは決して楽に運営は出来ないでしょう。みんなが力を合わ
せ、
和・努力・ファイトでの精神で厳しい前途に負けずに頑張ろう

(注)
歌劇 「ザンパ」序曲(エロール)、ローラ姫序曲(ラヴィトラーノ)、歌劇 「ポルティチの唖娘」序曲(オーベル)
 

OB・OGなんでも投稿目次へ
表紙へ戻る 
全頁閲覧はここ 


トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ