日本大学マンドリンクラブOB会
トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ


宮田俊一郎先生の思い出 (その2)


日本大学マンドリンクラブ機関誌『鳳友』 1976年(昭和51)4月号より
機関誌『鳳友』 1976年(昭和51)4月号

【宮田俊一郎先生のご冥福をお祈
りいたします】

・・・告別式の始まる午後二時(1976年1月
11日)には、ご自宅のアパートを二重、三
の人垣でうずめつくされ、すすり泣く声がい
つまでも続いていました。どの人も、どの人
も、ただ茫然とし、未だに信じられないとい
った様子でご霊前に向かって合掌し、どの
人の目からも涙がこぼれて落ちました・・・・・


日本マンドリン連盟関東支部機関誌
1976年(昭和51)1月30日発行 第65号より
日本マンドリン連盟関東支部機関誌 No.65 1976年(昭和51)1月30日

【訃報 本連盟理事 関東支部幹事 宮田俊一郎氏逝去さる】

                    日本マンドリン連盟関東支部事務局 高橋三男

 去る1月9日、突処の疾患発病で急遽入院、応急手当てを講ぜられたが、その
効なく午前10時頃他界された。翌々11日午后2時葬儀執行のご通知に接した
が、丁度関東マンドリン祭の挙行中のため、同夜終会後、会長代理として関東支
部長が杉原、竹内両理事と御遺族弔問に参上した。

 (故)俊一郎氏は本邦マンドリン指導者の大先輩 宮田信義先生(昭和44年逝
去)の嫡子として大正14年6月、東京麻布に生まれ、中央音楽学校を卒業、爾
来御尊父のマンドリン・ギターの指導とその普及活動に専門家として参画、輔弼
の任に当られ、その傍昭和21年よりNHK東京放送管弦楽団に入団、(昨50年
永年勤続を退任)して、マンドリン・ギターの専任奏者の活動を担当した。
 先代信義氏亡き後は、宮田マンドリン研究所と東京マンドリン宮田楽団の全経
営を継承して、克く創始者独自の運営方針と伝統を踏襲して、いよいよその隆盛
繁栄を高めた。資性温雅、謙虚誠実の人柄は御尊父と同様に門下生全員の私
淑敬慕の的であった。宮田楽団は創立以来、毎年定時演奏会を長年月に渉って
開催、昨年度はその第94回を算えたが、毎回常に立踵の余地なき超満員の聴
衆に満ち溢れるのを筆者は驚異的に実見して来た。
 この事態は御親子二代過去60年間に培かわれた門下生との深き絆が固く結
び付いてい証拠であり、又""ポピュラー音楽とマンドリン"を普及の主流として着
眼された宮田マンドリンるの成果の一端とも窺われる。しかし是と併行してマンド
リン オリジナル分野にも研鑽を進め、ブランゾーリ、ラビトラーノ、マネンテ、コッ
ク、ブラッコ、ボッタキャーリ、ラウダス、マチョッキ、メニケッティ、ヴェルキ等の作
品がその課題として採り上げられている。
 宮田楽団は大正6年 宮田信義氏がY・M・C・Aマンドリンクラブとして発足さ
せ、大正9年東京マンドリンクラブと改称、その後 昭和年代 非常時下、英文字
厳禁令の執行により、東京マンドリン宮田楽団に修正した。現在の同楽団の組織
内容は、民間団体としては頗る大型で過去7年間の実績平均は次の如くである。
1M 33、2M 21、MD 16、MC 9、G 27、Bass 5、計108

 この大楽団組織と大正6年創立以来永続した歴史は宮田2代の御両氏が専門
的に本邦マンドリンの普及に全力を注がれた貢献の結晶を語るものであろう。
 今般、宮田会長が未だ春秋に富むご年代で不帰の旅に赴かれたことは、斯界
にとって惜しんで余りあるを痛感する。謹んで御冥福を祈る。
宮田俊一郎氏作品(マンドリン オリジナル合奏曲)
   平城山を主題とする幻想曲(昭和45年)、武蔵野の秋、(昭和45年)、秋と朝
   と海と(昭和49年) 等、他にポピュラー ヒット曲の編曲作品 無数
 本楽団が創立以来、マンドリンの大衆普及の手段としてとり上げて来たポピュラ
ー曲を、その時代に応じてマンドリン合奏に移したもの、流行歌謡、フォーク、ラテ
ン、映画音楽等にポピュラー、クラシックの類に及ぶ広範囲な取材曲である。

著書
   ギターの手引き、古典ギター名曲全集、カルカッシ ギター教本の邦訳、学生
   のためのマンドリン名曲集、ポピュラー アルバム、カンツォーネ アルバム等

コロムビア レコードのマンドリン録音発売
   昭和38年発売"青春のうたごえ"、昭和44年発売"マンドリン スクリーン ム
   ード"に続いて、昨50年にコロムビア ストリング オーケストラと宮田俊一郎
   氏のマンドリン独奏による"華麗なるマンドリンの調べ イタリアの旅"GZ-
   7037を録音発売した。内容は、タランテラ、海に来たれ、カタリ、彼女に告げ
   てよ、フニクリ フニクラ、其他共12曲だが、その繊細なマンドリンのトレモロ
   が美しくストリング オーケストラに溶けこんで、カンツォーネの南欧情緒を
   豊かに唄っている。

 また、本楽団は未亡人吉子氏を後任会長として、従来の定着した幹部スタッフ
諸氏の運営によって、何等の変更なくマンドリン活動を継続される由で心強い。


宮田俊一郎の思い出へ
全頁閲覧はここ 


トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ