日本大学マンドリンクラブOB会
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宮田俊一郎先生の思い出 (その3)


東京マンドリン宮田楽団 第125回定期演奏会プログラムより
  2006年(平成18)7月1日発行

【宮田俊一郎先生の思い出】

                  日本大学マンドリンクラブOB会 名誉会長 松橋

 東京マンドリン宮田楽団 第125回定期演奏会、誠におめでとうございます。心か
らお祝い申し上げます。
又、恩師であり、クラブ初代技術顧問であった宮田俊一郎先生の没後30年。もう
30年?という感が致します。技術顧問は吉子先生に、そして現在は蝶子先生にお
願い致しております。
 私達が学生時代、初めてお会いした俊一郎先生は35才。「若い」が第一印象でし
た。
それから15年後、先生は私たちの前から突然消えてしまいました。
その後の長年に亘る吉子先生のご苦労は、顔には出しませんが大変なものだった
と理解致してしております。
学生時代の私達は、宮田先生のご自宅に入り浸り、ご一家からは家族同然に扱っ
ていただき、思い出話は何日でも尽きませんが、殆どの方がご存じない事がありま
す。
 当時、学生は貧乏で、スーパー・コンビニ・ファミレスのない時代、如何に安く満腹
にするか情報交換中、俊一郎先生が「私も連れて行ってほしい」とのこと。「先生の
おいでになるような所ではない」とお断りしましたがご承知頂けず、後日3人位で先
生をご案内したのは怖い方もいた新宿西口ドヤ街の食堂。
8人位のカウンターのみ。まずいテンコ盛のドンブリ飯、だぶだぶの汁に入った特大
の野菜風テンプラ、殆んど味がなく生に近いキャベツのお新香(食べ放題)、現荏の
250円位の価格だったと思います。先生は「安い」「良い経験をさせてもらった」と大
喜び。勿論他のクラブ員からは大変しかられました。
 さて、日本大学マンドリンクラブOB会は2009年3月の創立50周年記念演奏会
開催に向け実行委員会を立ち上げました。
俊一郎先生には恩返しはできませんが、吉子先生、蝶子先生には少しでもと思って
おります。2年程前から吉子先生と私は「それまで生きていなくては」と励し合ってお
ります。
そして、私達OB会員全員、宮田俊一郎先生・吉子先生・蝶子先生と一緒に生きてい
ることを誇りに思っております。


東京マンドリン宮田楽団 第115回定期演奏会プログラムより
  =宮田俊一郎先生メモリアルコンサート=
  1996年(平成8)6月15日発行

【俊一郎先生の思い出】

                  日本大学マンドリンクラブOB会 名誉会長 松橋

 宮田俊一郎先生の死は、あまりにも突然で衝撃的なものでした。先生のお父上の
信義先生がお亡くなりになって何年も経っておらず、「まさか」と耳を疑ったものでし
た。会社から病院に駆つける時、気が動転し、はやる気持を「そんな筈はない、落ち
つけ、落ちつけ」と自分に言いきかせながら車を運転して行き、解剖室から戻る先生
を待ちながら、奥様やご家族の皆様に、何んと声をおかけしてよいかわからず、私
自身も呆然としていた記憶が残っております。早いものであの時からもう20年も経っ
てしまいました。
 宮田俊一郎先生と初めてお会いしましたのは昭和34年末頃と記憶しており、創立
間もない日本大学マンドリンクラブに、NHK放送管弦楽団のとてつもない大先生にお
いで願えると聞いて信じられないと驚くと同時に、お会いするまでは恐い方を、想像し
ておりましたが、若く、やさしい方で安心したものでした。以来、先生には想像を絶す
るご尽力をいただきました。今にして思えば、よくもまあわがままばかり言ったものだ
と思います。無理にお願いをしていつも徹夜で編曲していただいたり、遠い合宿まで
ご足労をお願いしたり、何から何まで先生を頼りにしておりました。
 先生の思い出は、何日も話が尽きない程ありますが、やはり酒と野球になります。
先生と一緒によく酒を飲みましたが、当時の大学生は貧乏で、ほとんどタカリで飲ま
せていただいたと云った方が正解ですが、奥様はいやな顔一つせず、自宅に顔を出
すと必らず歓迎してくださり、入り浸りの一つに奥様のお人柄にあまえたところも大い
にありました。又、先生は、極端な巨人ビイキで、テレビで巨人戦が始まるとすべてウ
ワの空。巨人が負けようものなら機嫌が悪くなり、野球にあまり興味のない私も、先
生の前では大の巨人ファンで通しておりました。
 私達OB会設立にもご尽力くださり、その後私が会長職を退く時も「第1期の君が名
誉会長として残りなさい」と当時30代にして大きな役職も先生の一声で決定しました。
 日本大学マンドリンクラブは、俊一郎先生、その後の吉子先生、蝶子先生によって
今があるといっても過言ではありません。そして永続発展することが俊一郎先生の御
恩に報いるものと信じております。又、信義先生の代から永々と続いておられる東京
マンドリン宮田楽団が益々発展することを心からお祈り申し上げます。

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