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OB・OGなんでも投稿(その9)

       マンドリン関連でなくても何でも結構です。生活の事、社会に言いたい事、お仕事の事、
       世の中に言いたい事・・何でもご自分で感じた事を気楽に投稿して下さい。

2017年9月22日
【宮田俊一郎先生19歳の曲発見】
                                    東京都 12期 竹内

〈宮田俊一郎ファン〉にとってスペシャルニュースです。故 宮田俊一郎先生が19歳
の時に作曲したこれまで誰も知らなかった作品を発見しました。
年代から考えると宮田俊一郎の初出版自作曲の可能性があります。
曲には、行進曲「青少年」という題が付けられ、東京マンドリン宮田楽団の宮田俊一
郎作曲リストにも記載がなく、楽譜もない曲です。
宮田俊一郎先生の没後41年目の大発見となります。

この作品は1944(昭和19)年に発行された宮田信義先生の曲集に入っていたもの
です。1944年と言えば日本は戦時下で、学徒勤労動員、サイパン島の日本軍玉
砕など敗戦色が出て来た時代です。しかし、まだ混乱期ではないので本の発行も可
能だったのでしょう。
このマンドリン曲集も戦時下の色が濃く、曲の前後に、「愛国行進曲」、「海の進軍」、
「敵は幾萬」など戦意高揚のための曲が多く掲載されています。軍の統制下で、映
画・本・レコードなど全てのものは戦意高揚がテーマでした。
作曲者の好き嫌いに関わらず、軍歌調でしか出版出来ない状況だったと想像され
ます。
重要なのは作曲時期が、19歳から20歳になろうとしていた時です。20歳になれば
召集令状により出征となります。戦況悪化の時代、生きて帰れない事を少なからず
ご自身では考えられていたはずです。場合によっては遺作となる事も。

曲は、行進曲でありながら宮田俊一郎先生ならではのロマンチシズムを感じ取れる
軽快な曲です。何かの機会にこの行進曲「青少年」をみなさんの前で演奏出来たら
と考えています。

尚、掲載本の写真、掲載曲詳細などは近日中に、このHP「宮田マンドリン記念館」
の「宮田出版物館」に掲載予定です。
 

2017年9月21日
【校歌編曲の頃】
                                    神奈川県 24期 賀来

日本大学マンドリンクラブも今年58期。もう60期・61期の新しいメンバーが入部して
います。この間、メインの活動である演奏会の構成や曲目は変わっています。しかしそ
の中で、全ての期が必ず演奏した曲があります。
それが、日本大学校歌です。
この度、OB会名誉会長・第1期の松橋さんのご協力を得て、校歌にまつわるエピソー
ドをまとめました。ぜひご一読のうえ、訂正・補足などお寄せください。

我が日本大学マンドリンクラブの校歌、その歴史は1960年から始まります。その年の
6月11日、東京・日比谷公会堂で開催された「チリ地震津波救済 ポピュラーコンサー
ト学生大演奏会」、そして8月の吹奏楽部との合同演奏旅行の際に演奏されたのが、
公式に演奏された最初と思われます。

松橋さんに校歌編曲の頃の思い出をお聞きしました。
上記「学生大演奏会」に出演するにあたり、「校歌がないのはおかしい」との声があ
がりました。そこで吹奏楽部からスコアを借り、宮田俊一郎先生にお渡しして編曲をお
願いしたそうです。
チリ地震の津波が日本に襲来したのは5月24日。それから20日足らずでの演奏会で
す。編曲も、また練習も大わらわだったことでしょう。
「ところで、実際に宮田先生にお願いに行ったのは、どなたでしょうか?」
「う〜ん、よく覚えてないんだよね〜。稲垣(稲垣さん。2期マネージャー)だったか?
杉浦(初代主将・コンサートマスター)だったか。私(松橋さん)か杉浦なら丸く収まるん
だけど。杉浦にしておいて〜」

さて、宮田先生の手でマンドリン編曲された校歌ですが、山田耕筰の原曲と大きく3点
が異なっています。

 1.調性が変ロ長調からハ長調に変わっている。
 2.原曲にはない前奏がある。
 3.歌いだしのリズムが違う
以外、各項目を見ていきましょう。

1.調性について
まず、原曲譜と現役生が弾いている譜面をお目にかけます。
原曲の変ロ長調(♭2つ)はクラッシック音楽でよく見かけますが、マンドリン・ギターと
いったフレット楽器は♭はやや苦手。
そこで宮田先生はマンドリン・ギターが得意とし、初心者にも馴染みやすいハ長調を採
用したのでしょう。

2.前奏について
校歌は「歌う」ときは、前奏を必要としません。しかし楽器で「曲」として演奏するときは、
前奏はつきものです。
1960年当時、吹奏楽部ではいわゆる前奏がなく、「いざ歌わん 我らが理想」の部分
を前奏として演奏していました。
しかし宮田先生からいただいた譜面には、私たちがよく知っている前奏がついています。
この前奏部分は宮田先生のオリジナルなのです。このような本格的な前奏がある校歌
を演奏しているのは、もしかしたら日本大学マンドリンクラブだけかもしれません。

ところで、他の部員が練習に取り組む中、松橋さんが一人で心を悩ませていたことが
あったのだそうです。それが、この「前奏」部分。
「原曲にはない『前奏』があることで、他の音楽団体や、特に大学本部からクレームが
つくのではないか、との心配があったのです。」と、松橋さん。
「初めの1か月程は恐る恐る演奏していました。幸い何処からもクレームはなく、ほっと
胸をなでおろして堂々と演奏するようになりました。」
そして前述の合同演奏旅行では、演奏曲目のトップを飾ったのでした。

3.歌いだしのリズム
「日に日に新たに」の歌いだしですが、原曲は8分音符3つです。しかし、私たちが弾い
ている校歌は、8分音符+付点8分音符+16分音符になっています(他にもこのよう
な箇所があります)。なぜ宮田先生はそのように編曲したのでしょうか。
     
両者を歌い比べてみると、何となく理由がわかってきます。
原曲では、自然で落ち着いた感じがします。そして日本大学マンドリンクラブの譜面か
らは、弾むような若々しい躍動感が伝わっては来ませんか?
編曲当時、執行部の方々は20代前半。30代半ばであった宮田先生は、執行部や新
生マンドリンクラブに若さと無限の可能性を感じたのではないでしょうか。
そう考えると、この校歌こそが日本大学マンドリンクラブとマンドリンクラブに集う学生
たちを表現したものであり、マンクラへの宮田先生最大の贈り物ではないかと思います。

最近の現役生は、校歌を「歌」として歌う機会はないそうです。
しかし、この譜面を演奏する限り、マンクラの伝統と情熱は絶えることはないと確信し
ています。

2017年8月25日
【無言館に思う】
                                     埼玉県 2期 佐々木

 昨年の秋、長野県の佐久へ行く機会があったのでついでに以前から聞いていた上田
市にある「無言館」という美術館を訪ねてみました。1997年設立以来結構有名になって
いるので知ってる方もいると思いますが、私は初めてでした。
 8月になって終戦記念に関連した特集などをテレビで見ていて「無言館」のことを思い
出しました。正式名称は、一般社団法人 戦没画学生慰霊美術館「無言館」といいます。
 施設名の「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが、見る側に多
くを語りかけるという意味と、客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味も
含んでいるとのことです。
設立者である館長は、窪島誠一郎という方で2005年第53回菊池寛賞を受賞していま
す。
   
 写真にあるように、道を登っていくとコンクリートがむき出しのままの簡素な建物が見
えてきます。内部は撮影禁止なのでここに絵は載せられませんが、添え書きを2点ば
かり紹介します。

太田 章 「和子の像」
 「この絵はやさしかった兄が私にのこしてくれた唯一の贈りものです」と妹の和子さん
 はいう。18歳の妹さんを描いた兄の章、章は本当にやさしい兄だった。腕のいい友
 禅職人だった父は、その章を「本格的に琳派の画家に」と期待していたという。
 和子さんは、80歳を数える今日まで、ずっと戦死した兄の絵とともに暮らしてきた。
 (原文のまま)

  太田 章 昭和17年9月 東京美術学校日本画科卒業
   1921(大正10)年、東京都に生まれる。
   1944(昭和19)年5月17日 満州牡丹江省にて脚気衝心のため戦病死。享年23歳


日高 安典 「裸婦」
 あと5分、あと10分、この絵を描きつづけていたい。外では出征兵士を送る日の丸
 の小旗がふられていた。
 生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから・・・安典はモデルをつとめてくれた恋
 人にそういいのこして戦地に発った。しかし安典は帰ってこられなかった。


館長は開館にあたって次のような詩を館内に掲げています。

      [あなたを知らない]

  遠い見知らぬ異国(くに)で死んだ 画学生よ
  私はあなたを知らない
  知っているのは あなたが遺したたった1枚の絵だ
    (中略)
  遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
  私はあなたを知らない
  知っているのは あなたが遺したたった1枚の絵だ
  その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ
                           窪島 誠一郎
                       1997/5/2 (「無言館」開館の日に)

 有名な絵はありませんが、彼らの最後の絵を見るとその絵に込められた思いや時代
背景を感じられて何とも言えない気持ちになります。
「無言館」ができた当初は37人の画学生の87点の作品でスタートしたそうですが、い
まや第2展示館や「時の庫」と併せて108人の戦没画学生の600点余の絵画や彫刻
の作品を収蔵しているといいます。

 ここだけを目的にというのではなくても、ついでがありましたら寄ってみる価値のある
美術館だと思います。
 

2017年2月21日
【よくありそうな壁掛け】
                                            HP管理者
よくお土産にもあるような壁掛け、シンプルな内容ですが心を打ちます。
                
因みに、幸の文字の元の成り立ちは、刑罰に使われた手カセの形と、それを逃れる意
の字が合わさったものとされているそうです。つまり、刑罰を逃れるから幸せだそうです。

2016年1月26日
【佐賀市でも35年ぶりの大雪】
                                        佐賀県 12期 田中
(佐賀市に住む12期 田中さんから)

日本付近は大寒波が襲来し九州でも記録的な大雪となっています。沖縄も観測史上初め
ての雪が降りました。佐賀県内でも記録的な寒気が流れ込み、佐賀市の最高気温は35
年ぶりに0度を下回る真冬日となりました。30cm位の積雪ですが、九州では雪対策など
考えた事もありません。雪国では当たり前の大したことのない積雪ですが、佐賀では交通
機関も止まってしまい大混乱となってしまいました。
佐賀市の真冬日は1981年2月以来の事で、仕事も止むを得ず臨時休業、朝から雪見酒
を楽しみました。日本酒と一緒に食べるのは有明海で捕れたガザミと呼ばれるワタリガニ
の竹崎カニです。
             

2015年4月22日
【66歳のディズニーリゾート体験記】 その2
                                        東京都 11期 中村

66歳の若いお爺さん? が連れ合いと娘に乗せられて東京ディズニーシーに行ってきまし
た。

最初は目の前の運河にある「ペネツッアン・ゴンドラ」に乗船しました。
2人の船頭さんが上手に舵取りをして解説をしてくれました。歌も歌います。路上の人に陽
気に「チャオ」と声を掛けます。
到着港にはアルデベルチの看板がありました。
下船して気が付いたのですが、ガラス越しにヴァイオリンが見えます。よく見るとマンドリン
も飾っています。別のウィンドにもマンドリンが飾ってありました。
右下のマンドリンは12弦6コースになっています。
  

   
この地域はイタリアのポルトフィーノの港町がモチーフになっているとの事。マンドリンの曲
が数多く流れていました。既にご承知の方が多いと思われますが、シーに行かれたら是非、
マンドリンを探してください。

その後はマジックランプシアター・ミズティックリズム、そしてトランジェットスチーマーライン
で園内を一周して、最後に予約済のブロードウェイショービックシアター・ビックバンドビート
を見て(聴いて)一日が終りました。
因みに、東京ディズニーシーにいる間に食した物は、開園前のお弁当・鮫子ドッグ・スモー
クチキンレック・ミートパイとお昼のサンドウィッチでした。(アルコールは無し)

激しいアトラクションは避けて、ゆったり過ごしました。お天気も良く、楽しんだ一日でした。
一番嬉しかった事は、シニア料金で入場出来たことでした‥‥‥‥‥

2015年4月21日
【66歳のディズニーリゾート体験記】 その1
                                        東京都 11期 中村

66歳の若いお爺さん? が連れ合いと娘に乗せられて東京ディズニーシーに行ってきまし
た。朝、4時起床(さすがに眠い)。目は覚めてもお腹は寝たままのため朝食をとらず始発
電車でいざ舞浜へ。
まだ夜が明けず真っ暗の中、4時59分の始発電車に乗り込んだ。意外と乗客が多いのに
少しびっくり。
二つ先の駅で東京行に乗り換えますが、快速電車がまだなので各駅停車の東京行。約100
分で舞浜に到着しました。ここからモノレールでシーの入場口まで移動し7時前に当日券売
り場で暫し行列です。
東京駅で購入したお弁当で朝食です。お稲荷さんとかんぴょう巻そしてまい泉のヒレカツサ
ンド3切れ。
8時になりました。開門です! 皆さんお目当てのアトラクションを目指して走っています
場内で多くのキャストの方が両手を挙げて「走らない様に」と注意喚起をしています。
我が家はお目当ての、ブロードウェイショービックシアターの指定券をゲットするため、抽選
機に向いました。
一発で指定席をゲット。意外と当らない人が多いそうです。
さて、何のアトラクションにしようか? と、相談しました。
目の前に運河がありましたので、最初は「ペネツッアン・ゴンドラ」に乗船しました。
            

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