日本大学マンドリンクラブOB会
トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ


宮田写真館(その2)
撮影時期はバラバラですが、宮田家のめずらしい写真です。
日本大学マンドリンクラブの定期演奏会で指揮する宮田俊一郎先生です。
日本大学マンドリンクラブの顧問を34歳の時に始め、50歳の若さでご逝去されました。

前列向かって左が宮田信義先生です。信義先生はマンドラをお持ちです。
演奏会の帰りでしょうか。周りの方は、多分東京マンドリン宮田楽団の方々と思われます。

宮田俊一郎先生(写真左のギター奏者)です。NHKのTVスタジオでの写真です。
宮田俊一郎先生は、昭和21年3月からNHK東京放送管弦楽団にマンドリン・ギター奏者として入団
されています。この写真の裏に、1月20日と書いてありましたが年代は分かりません。30歳を過ぎた
頃ではないのでしょうか。




(上の写真の拡大)
NHK東京放送管弦楽団の練習風景です。宮田俊一郎先生は、一番右のピアノの上側に上半身と
楽器のヘッドだけ見えます。アコーディオンの隣でギターを弾かれている様です。


静かに思いに耽りながら演奏中の宮田俊一
郎先生です。
1960〜1961年(昭和35〜36)年頃の日本大
学マンドリンクラブ定期演奏会での本番前の
写真かと思われます。

相模女子大学マンドリンクラブの定期演奏会で指揮をされている宮田俊一郎先生です。いい写真で
すね。指揮姿の先生のお姿を思い出すと涙が出そうになってしまいます。


お食事中に失礼します。
最近の写真と思われます。2003〜2005年頃でしょうか。
向かって右が宮田吉子先生、左が宮田蝶子先生です。
演奏会の楽屋での昼食時間のようです。

1954年(昭和29)6月1日

写真中央が俊一郎先生のお子さんの多恵子さんと茂昭
さんです。
多恵子さん4歳、茂昭さん2歳。
自宅近所の子供達と遊んでいるのでしょう。最近はこうい
う光景を見ることが少なくなりましたね。

1970年(昭和45)5月の東京マンドリン宮田
楽団で指揮をされている宮田俊一郎先生
です。この時、45歳。
見とれてしまう指揮ぶりですね。

左下で演奏されているのは、宮田吉子先生
です。

宮田俊一郎先生です。
37〜40歳位ではないかと思われます。
しなの鉄道の信濃追分駅のプラットホーム
ですね。
どこかへ旅行に行かれた時なのでしょうか?
日大の長野県演奏旅行の時かもしれません。

宮田吉子先生と長女の多恵子さんです。
昭和27年頃ではないかと思われます。
昭和27年ですと吉子先生は22歳、多恵子
さんは3歳です。
多恵子さん可愛いですね。この頃って小さ
い子は皆”ちびまる子ちゃん”カットだったの
ですよね。

清流で遊ぶ宮田吉子先生です。
お若い時ですね。
下駄を履いているように見えますので、どこ
かの温泉に旅行に行かれた時かもしれませ
ん。

1960年(昭和35)頃

東京マンドリン宮田楽団の定期演奏会での小アン
サンブル演奏です。
場所は、ヤマハホールですね。
写真左の1stマンドリンを弾いている方が宮田俊一
郎先生です。
意外にマンドリンを弾かれている先生のお写真は
少ないようです。
昭和35年10月23日の定期演奏会かもしれません。
そうだとすると俊一郎先生は35歳です。

(上写真の拡大です)

1955年(昭和30)頃

東京マンドリン宮田楽団定演後のロビーでの記念写真と
思われます。昭和30年ですと、宮田俊一郎先生(30歳)、
吉子先生(26歳)、背中の小さい子は蝶子先生(2歳)、多恵
子さん(6歳)です。

1953年(昭和28)頃

宮田信義先生です。
孫とおじいちゃんの図ということになるのでしょう。俊一郎
先生のご長男 茂昭さんです。
1歳位でしょうか、信義先生は57歳になります。

1950〜1953年(昭和25〜28)頃

宮田俊一郎先生25〜28歳位ではないかと思われます。
手に持たれているのは、昆虫採集の捕虫網です。
俊一郎先生は昆虫採集をご趣味にされていました。ご自
宅の部屋には、楽譜の山の一角に昆虫標本の箱が沢山
積んであった事を覚えています。
ちなみに、次女蝶子先生のお名前は、このご趣味から名
付けられたそうです。

相模女子大学マンドリンクラブの定期演奏会で花束を
受け取る宮田俊一郎先生です。
下の写真と同一の演奏会と思われます。

相模女子大学マンドリンクラブで指揮をされている宮田俊一郎先生です。
昭和38年頃と思われます。(俊一郎先生38歳位)
宮田先生は多くの学生団体などのご指導をされていました。
日本大学マンドリンクラブ、法政大学マンドリンクラブ、東京農業大学マンドリンクラブ、相模女子大
学マンドリンクラブ、東京女学館短期大学マンドリンクラブ、日本大学三島マンドリンクラブ、都立五商
マンドリンクラブ、富士五湖ギターアンサンブル、和光大学マンドリンクラブ、東洋女子短期大学マンド
リンクラブ、群馬マンドリン楽団、川崎ギター研究会、法政大学工学部マンドリンクラブ、トキワ松学園
マンドリンクラブ、長野マンドリンアンサンブル、大田区ギター研究会、大田区成人教室、川崎中原区
成人教室など。


宮田俊一郎先生です。
多分16歳前後だと思われます。
丸刈りで、名札には"東京都"と書いてあります。もし、16歳
だとすれば昭和16年です。
この年に太平洋戦争が始まりました。まだ戦争初期なので、
生活にも余裕がある頃なのでしょう。ネクタイをされています
ね。
その後徴兵され、海軍の衛生兵をされていたそうです。泳ぎ
が得意でなかったそうで、ご自分で ”泳げない水兵”と言っ
て、笑っていらっしゃいました。
NHK連続テレビ小説「純情きらり」はこの時代なのでしょう。音
楽を愛する少女が好きなピアノで身を立てたいという望みを
戦争によって断ち切られようとする時、様々な人と出会い、励
まされるという話なのです。この中のバックミュージックとして、
俊一郎先生作曲の『想い出』がかかった時があったようです。

1951年(昭和26)4月

どこかの食堂という感じですね。
宮田俊一郎先生は25歳です。
なかなかお洒落で、とてもカッコいいです。後ろに写って
いるダイヤル式電話が時代を感じさせます。

1962年(昭和37)5月18日

東京マンドリン宮田楽団定期演奏会です。
向かって右は宮田信義先生(66歳)、左は宮田俊一郎先
生(36歳)。最後部の黒い背広でギターを持っている方が
東京マンドリン宮田楽団 前常任指揮者の向井先生です。


宮田マンドリン記念館目次へ
全頁閲覧はここ 


トップへ
トップへ
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ