日本大学マンドリンクラブOB会
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宮田写真館(その3)
撮影時期はバラバラですが、宮田家のめずらしい写真です。
これから少しづつ掲載して行きますので、ご期待下さい。
1965年頃の宮田信義先生 1968年頃の宮田信義先生
宮田俊一郎先生。1968年頃 宮田俊一郎先生。1965年4月5日鎌倉
1964年11月11日 日本大学マンドリンクラブ 第5回定期演奏
会を翌日(12日)に控え、日大法学部講堂でゲネプロ(本番と同じ
条件で行う通し稽古)が行われました。写真はその法学部玄関口
です。宮田俊一郎先生と日本大学マンドリンクラブのクラブ員達が
楽器等の搬入中です。
宮田俊一郎先生は、毎年の日本大学マンドリンクラブ定期演奏会
で、指揮や独奏をされていました。
後列中央は、青年時代の宮田俊一郎先生です。
右は叔父に当るミヤタハーモニカバンドの宮田東峰先生、
左は歌手 初代コロムビアローズさんです。
宮田俊一郎先生と日本大学マンドリンクラブ4期生で東京
マンドリン宮田楽団指揮者だった宮澤さんです。
楽しそうな宮田俊一郎先生と宮田吉子先生です。
定期演奏会での宮田俊一郎先生と宮田蝶子先生です。
昆虫採集は宮田俊一郎先生のご趣味の一つでした。
外出時には採集網を持参していました。
東京マンドリン宮田楽団の野球大会での宮田俊一郎先
生です。先生の巨人ファンは有名でした。巨人が負けた
日は先生のお宅を訪れるの迷ったという話もありました。
青年時代の宮田俊一郎先生です。東京マンドリン宮田
楽団の女性達に囲まれてギター演奏中です。
東京マンドリン宮田楽団戦時中、全国各地を慰問してい
ました。写真の指揮は宮田信義先生。1stマンドリントップ
は、坊主頭の宮田俊一郎先生です。
前列右から3人目のエプロン姿の子供が宮田俊一郎先生です。
昭和3年頃の写真の東京マンドリン宮田楽団演奏会での写真で
すので2歳頃です。
小学年の宮田俊一郎先生です。1年生位でしょうか。
1964〜1968年頃
日本教育テレビ(現 テレビ朝日)の『木島則夫モーニングショー』での
宮田信義先生(左)と宮田俊一郎先生(右)です。
後ろに、司会者の木島則夫さんやサブ司会者の井上加寿子さんの姿
が見えます。
宮田俊一郎先生ご一家です。演奏会の控え室と思われます。
宮田俊一郎先生、長男 茂昭さん、長女 多恵子さん、蝶子先生、吉子先生
宮田俊一郎先生40歳前半と思われます。
NHK関連のお仕事、各大学のご指導、編曲など一番お忙しい時
代だったのではないでしょうか。
この写真もプログラムで多く見たものの一つです。
宮田俊一郎先生35〜36歳頃の写真です。
当時プログラム等に使うための写真だったようです。
2007年6月30日芝・メルパルク郵便貯金ホールで行われた東京マンドリン宮田楽団の第126回定
期演奏会。創立90周年を記念したこの演奏会では、宮田俊一郎作曲の『秋と朝と海と』が演奏されま
した。ステージ奥には宮田信義(右)、宮田俊一郎(左)の大きな写真が飾られました。
宮田家の墓
千葉県野田市の愛宕山 西光院にある宮田家のお墓です。ここには宮田信義先生ご夫妻、宮田俊一郎
先生等がご供養されています。
愛宕山 西光院は寛永20年(1831年)に創建された歴史のある大きなお寺です。
蜜乗院信義楽翁居士(宮田信義)昭和44年4月12日 行年74才
慈乗院清鏡照映大姉(宮田照子)昭和58年9月8日 行年77才
篤乗院高俊楽道居士(宮田俊一郎)昭和51年1月9日 行年50才
法乗院清音吉媼大姉(宮田吉子)平成27年7月3日 行年85才
このお墓は、宮田信義先生がお亡くなりになった時、宮田俊一郎先生が建てたものです。墓石の前の香
炉だけ、代々の石が使用されています。
2002(平成14)年5月30日〜6月4日 ドイツで開催された世界揆弦楽器音楽祭で日本の代表としてゲス
ト出演し、大好評を得ました。写真は、ドイツ・フリードリッヒスハーフェン市から帰国の為のバスの中
です。バスの中ではマンドリンを弾きっぱなしだったそうです。
2008(平成20)年8月31日 都立大学にあるトキワ松学園にて。
9月3日は宮田吉子先生のお誕生日です。この日も東京マンドリン宮田楽団の練習で元気に指揮を
されていました。お誕生日を祝って楽団から花束が贈られました。
吉子先生、いつまでもお元気でいて下さい。
1972(昭和47)年1月9日(イイノホール)で行われた東京女学館短期大学マンドリンクラブの第6回定期
演奏会。第3部の卒業生ステージでマンドリンソロを弾く宮田俊一郎先生です。曲は『シューベルトのセ
レナーデ』、きれいな音色は今でも耳に残っています。
2007(平成19)年6月30日 東京マンドリン宮田楽団の第126回定期演奏会での写真。右は宮田吉子
先生、左は宮田蝶子先生です。
宮田吉子先生は現在78歳ですが、研究所の講師やマンドリン団体の指導等、まだまだお元気でご活
躍されています。
宮田俊一郎先生40歳前後でしょうか。
演奏会前のスナップのようですね。
1970(昭和45)年5月29日 千代田区虎ノ門ホールの第89回定期演奏会 集合写真より。
宮田蝶子先生、宮田信義先生の奥様照子さん、宮田俊一郎先生、その右は宮田吉子先生、東京マ
ンドリン宮田楽団 前常任指揮者の向井先生です。
1971年(昭和46)5月30日 渋谷リトルプレイハウス
日大マンドリンクラブの部内演奏会での写真です。
(俊一郎先生46歳)
1970年(昭和45)冬
千葉県・岩井の前芝荘で行われた東京女学館短期大学マンドリン
クラブの合宿に宮田俊一郎先生が東京からご指導に駆けつけて下
さった時の写真です。
(俊一郎先生45歳)
指揮は宮田信義。マンドリントップは宮田俊一郎。
東京マンドリン宮田楽団の定期演奏会で、1960年代前半ではない
かと思われます。
1968年(昭和43)11月「コロムビアレコーディングスタジオ」にて
東京マンドリン宮田楽団は、コロムビアレコーディングスタジオで映画音楽を録音。
この時の録音は、LPレコード『マンドリン・スクリーン・ムード』として1969年(昭和43
年3月に発売されました。【宮田俊一郎館】の【
宮田俊一郎のLP・CD
】にLPの詳細が掲載されて
います。
写真中央は宮田信義先生(72歳)です。
写真左の左最前列右端から、宮田俊一郎先生(43歳)、宮田吉子先生(39歳)、宮田蝶子先生(15歳)
です。
写真が小さくて判別しづらいのですが、日大OBの方々も多く参加しています。
宮澤さん(4)、船田さん(4)、小高さん(4)、三坂さん(8)等の顔が見えます。
2007年発売された東京マンドリン宮田楽団90周年記念CD『千の風になって』には、この時録音さ
れた「太陽がいっぱい」、「日曜はダメよ」、「カタリ・カタリ」が収められています。
宮田蝶子先生です。
たぶん20代後半の写真と思われます。
教則本のマンドリンの持ち方や弾き方の説明で何度か使用されて
いる写真です。良い音は、正しい姿勢から生まれるという宮田マン
ドリンの基本そのままです。
1972年(昭和47)3月31日
宮田俊一郎先生は数多くの学生団体をご指導されていました。東京
女学館短期大学マンドリンクラブもその一つです。
写真は、東京女学館短期大学マンドリンクラブの箱根・松坂屋で行
われた春季合宿の時のものです。
東京からご指導に見えられた宮田俊一郎は、明るいグレーのブレザ
ー姿です。
東京マンドリン宮田楽団の新年試演会の後に行われた余興演奏中です。
マンドリン演奏は、宮田俊一郎先生、伴奏は前常任指揮者の向井先生です。司会者は小嶋さん。
場所は都立大学に昔あった商工会議所系の会館の2階ではないかと思われます。
当時余興で、曲当てクイズ、CM商品当てクイズ、生カラオケ等をよくやり、用意した手書きのスケッ
チ譜を、スイスイ弾いて下さるのが俊一郎先生の常でした。
写真右側は、現在東京マンドリン宮田楽団でご活躍中の日大マンドリンクラブ11期OBの中村さん
です。
1957年(昭和32)3月
スタジオかご自宅なのか判断できませんが、ギター演奏中の
宮田俊一郎先生です。
この時、俊一郎先生は32歳です。
宮田俊一郎先生です。多分昭和30年頃と思われます。
先生が30歳位の時です。
宮田信義先生の奥様 照子様とお孫さん達の写真。写真左か
ら、蝶子さん、多恵子さん、茂昭さんです。
菊の展示会のようですが、小さい子供達には興味がなかった
かもしれませんね。
撮影者の影が見えますが・・信義先生では?
相模女子大学マンドリンクラブの定期演奏会での集合写真
です。昭和40年前後と思われます。
右は宮田俊一郎先生、左は東京マンドリン宮田楽団の向井
前常任指揮者です。
向井さんはコーチとして相模女子大学マンドリンクラブへ教え
に行っています。
宮田俊一郎先生です。
都立大のご自宅でしょうか? 俊一郎先生は背広の中にセーターを着ていますし、横に火鉢が見え
ますので12〜1月の冬かもしれません。宴会中にギターを弾いている写真のようです。
35〜36歳位ではないかと思われますが・・・気持ちよさそうに弾いていらっしゃいます。やはりこの雰
囲気は演歌かな? ギターの音が聴こえて来そうですね。
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