日本大学マンドリンクラブOB会
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長谷川武の音楽雑感 第11〜15号

第15号(2009年6月)

感動

 本当に長い間サボってしまいました。
 日々感じたり、思っていることは山ほどあるのですが、中々文章にする気力が失せて
しまっている今日この頃です。

 先日、大変嬉しい感動的な出来事がありました。
 既にご存知でしょうが、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで辻井伸行さんが
日本人初の優勝を成し遂げました。
 以前、TV番組で[全盲の天才少年ピアニスト]と紹介された記憶がありますが、突然
の優勝報道に驚き、その凄まじいテクニックに支えられた音楽性に大変感銘を受けま
した。
 そして今回初めて知ったのですが、彼の恩師が日本人最年少(19歳)でショパン国際
ピアノコンクールで堂々3位に入賞した横山幸雄さんであったことです。
 なぜ横山幸雄さんの名前を出したかというと、彼は息子の中学校のクラスメートだっ
たからです。直接は二人とも知りませんが、なんとなく親近感を覚えてしまいました。
 それにしても、辻井さんのテクニックはスゴイ
 普通にピアノを習っている人なら、真っ先に先生に怒られそうな、鍵盤にべたっと付く
ような指使いで、正確無比な力強い澄んだ音を出すのですから。
 勿論彼が全盲だということがインプットされている上で、彼の音楽を聞くわけですか
ら、音楽に何がしかの感情が付加されるのは否めない事かもしれません。
 しかしスゴイものは凄い。
 たまたま車の中のラジオで、帰国後初のコンサートの放送を聞きました。FM東京ホ
ール(私もそこでコンサートをやりました)で、恩師とピアノデュオでラフマニノフのコンチ
ェルトを演奏していました。オーケストラ部分を横山さん、ソロを辻井さんが弾いていま
した。二人で演奏するのはこの日が始めてと話していましたが、息はぴったり、見事な
演奏でした。

 以前から、音楽性とは何かという事を考えていましたが、この日の二人の演奏を聞い
て、私の「音楽性とはテクニックがすべてである」という持論に確信を持ちました。
 其の辺の詳しい話は近いうちに。
 

第14号(2007年12月)

秘伝、長谷川式作曲法

 長い間サボっていたお詫びに、「秘伝、長谷川式作曲法」を本邦初公開いたします。
とは言ってもそんな大げさな事ではなく、いかに短時間に、大量の曲を作り上げるかと
いう、苦し紛れのテクニック? なのです。

 多分80年代の終わりから90年代にかけての頃ですが、私の人生の中で最も忙しい
時期だったと思います。レコード会社2社からそれぞれ3枚と5枚のオリジナルCDアル
バムの制作依頼がありました。納期は両社とも同じ、与えられた期間はわずか2ヶ月。
どちらかを断ればよかったのですが、そこはソレ、若さゆえ(今よりは17,8才は若かっ
た)マア何とかなるだろうと引き受けてしまったのです。
 引き受けたもののサア大変。CD8枚といえば単純計算で80曲位。60日間でレコー
ディングまで終わらせるためには、1日最低2曲は作るというノルマを自分に課したの
です。
 この時ほど自分の才能の無さを恨んだ事は無く、イメージした瞬間に完成形が頭の
中に出来上がるモーツアルトをなんと嫉ましく思った事でしょう。
 なにしろ本格的? な作曲は始めたばかり。まともな方法では到底納期までには出
来上がらないと思い、長年のアレンジャーの経験を生かした作曲法で曲作りをするこ
とに決めました。
 以前にも書きましたが、歌謡曲やポップスの世界ではアレンジャーがイントロや間奏、
コード進行を考えたり、対旋律を書いたりする事が多いのです。
 そこで、先ずコード進行だけを先に決めて、メロディや対旋律をはめ込む曲作りを
考え出した?のです。
 白玉のコードをシーケンサーに打込み、それを延々とループさせながら、メロディを
考えていったのです。
 とはいっても「循環コード」「黄金コード進行」ばかりではすぐネタが尽きてしまいます。
そんな時悪魔が耳元でささやきました。「盗作盗作
 勿論、盗作などと言う意識は無くとも、曲作りをする場合、自分の中にしみこんでい
る過去に聞いたフレーズの断片が現れることは、誰にでもあることだと思います。
 ですから、この曲は、誰それの何の曲の盗作と騒がれることが多いのもわかるよう
な気がします。

 私の場合は苦肉の策で、自分の気に入った曲の、コード進行の一部を頂くことにし
ました。そして極力その曲とかけ離れた雰囲気のメロディを模索していったのです。
 一応弁明はしておきますが、全部の曲をそうして作ったわけではなく、リズムパター
ンから作った曲もあれば、メロディ先行で作った曲もありますので。
 けれどついに、盗作といえば盗作といえる曲を作ってしまいました。
誰の盗作? 恐れ多くもバッハ大先生の曲をそのまま頂いてしまいました。
それも、長谷川武の作曲として。
 皆さんは「グノーのアヴェ・マリア」という歌曲をご存知ですよネ。あの有名な名曲は
グノーが「バッハの平均律クラヴィーア曲集」の第1曲を伴奏にして、その上に美しい
メロディを乗せたものなのです。それも堂々とグノーの作曲として。
 ならば私もグノーにあやかりたいと、「バッハの無伴奏チェロ組曲第1番」の前奏曲
を伴奏にして美しい? メロディを考えたのです。

 まあ、そんなこんなで2ヶ月間飲まず食わず? 眠らずで何とかCD8枚分の楽曲を
作り上げたのです。
 勢いと怖さ知らずとは恐ろしいもので、自分自身で最高傑作と思っている曲もこの
苦しい時期に生まれましたし、消せるものなら消してしまいたい駄作もこの時作って
しままいした。

 余談ですが、この仕事が終わった途端、体調を崩してしまいました。
常に気持ちが悪く、食欲もまったく無く、無理して食べても戻してしまう始末。
 体重は落ち、歩くのもフラフラ。
 ついに病院のハシゴと相成りました。脳のCTまで撮ったり、色々検査しても原因不
明。とどのつまり「ストレスが原因でしょう」と片付けられてしまいました。
 ストレス解消のための音楽を作って、自分がストレスに悩まされるとは笑い話ですが
、何とか立ち直れたのは、妻の愛情あふれる、きつい叱咤激励があったからだと思っ
ています。感謝
 

第13号(2007年6月)

音楽著作権

 日本に、音楽の作家にも作者としての権利(つまり使用料)を認めようとJASRAC
(日本音楽著作権協会)が作られたのが1939年ですからまだ70年も経っていないわ
けです。どうもそのいきさつは、ヨーロッパから突然法外な使用料を請求され、急遽
仲介業務法という法律をつくり、著作権の管理は政府の許可したところだけにしか
出来ないようにしたのです。それがJASRACの設立された経緯らしいのですが、つ
い最近までまったくの独占で、ここ数年、2,3の管理団体に許可が下りたものの、
JASRACの独占状態は揺ぎ無いものとなっているのです。

 今や、会員数(音楽出版社も含めて)1万4千人。年間使用料1千億円を管理する
巨大組織ですが、皆さんには関心の薄い組織かもしれません。

 つい最近、作詞家のK先生が、曲の冒頭部分に別の詞を追加して歌っていた森進
一さんに対して「私の曲は一切歌わせないようJASRACに申し入れした」とTVで話さ
れていましたが、私はその瞬間アレッと思いました。
 著作権法をはじめ法律にはうといので、あくまで私の個人的感情ですが「歌ってほ
しくないのなら、JASRACとの契約をやめて自己管理にすれば」と思ったのです。
なぜこんな事を書き出したかというと、私も会員の端くれで、JASRACと自作の楽曲
の信託契約を結んでいる以上、自分の作品を出来るだけ大勢の人達に聞いてもらい
たい。利用してほしいと思っているからです。
 そのために作家は誰しも直接、あるいは音楽出版社を通じて、JASRACに管理を
お願いしていると思っていましたから。
 大先生のおっしゃることですから、JASRAも作者の権利を守るという立場「楽曲の
同一性保持」を盾に注意をしたようですが…。
 ひょっととしてアレンジをしている私などは、オリジナルの「同一性を保持」していな
いことは日常茶飯事なので、そのうち逮捕されるかもしれませんネ。
 以前、アレンジをJASRAに登録するには、オリジナルの「同一性を保持」している楽
曲は登録出来ない事を書きました。何か矛盾していませんか?

 そのJASRAなる組織ですが、会長は音楽家(故芥川也寸志さんや現在は遠藤実
さん)がなっていますが、理事長や常務理事は勉強不足の私にはわからない方々が
名前を連ねています。(唯一お名前を存知あげていたのが、元オリンピックの体操選
手で、国会議員の小野清子さんが理事長だった時代もありました)
 もしかして、…省の天下り先だったりして、と勘ぐりたくもなります。

 先ほど、会員数1万4千名と書きましたが、その内の約1割が正会員と呼ばれる方々
です。これも私の勝手な憶測ですが、使用料の9割を1割の正会員で分配し、残りの
1割を正会員以外の方々で分配する、格差組織、ではないかと思っています。
 億単位の使用料を分配される方もいれば、当然0の方もいるわけで、文字通り売れ
てなんぼの世界なのです。

 私が正会員になってまず驚いたのが、著名な作詞、作曲の先生から暑中見舞や年
賀状が山のように届くようなったことです。
 理由はすぐに判りました。理事の選挙には是非自分に投票してほしいからなのです。
 何と日本の音楽界の健全な発展のために、尽力を惜しまない方々の多いことでしょ
う。それとも理事になれば何かおいしい事でも在るのでしょうか?
 それは多分私の勘ぐり、あらぬ憶測なのでしょうが、重大な事案の賛否を決する理
事の選挙に、私の一票を投じたある方のその後の行動を見て、私は正会員となって
いることをやめました。したがって今は選挙権も被選挙権もない準会員という立場で
す。

 まあ皆さんにはつまらない話をダラダラかきましたが、日本の組織はどうも既得権益
を必死に守ることのほうが、本来の仕事より優先されるような気がして仕方がありませ
ん。

 話は変わって、「音楽雑感」も1年を迎えました。毎月イライラしながら原稿を待って
くれている、HPの管理人さんにはお詫びと心からのお礼を申し上げます。

 1年を契機にチョットわがままですが、「音楽雑感」を不定期にして頂きたいのです。
 その代わり、書けるときはもっとどんどん書きますし、皆様からこんな話が聞きたい
とのリクエストがあれば、出来る限りお答えするつもりです。

 では、又近いうちに。
 

第12号(2007年4月)

白玉

 たぶん個人練習や合奏練習では、細かい音形のフレーズや、難しい指使いのフレー
ズを中心に練習している筈です。
 プロであれば難なく弾きこなすフレーズでも、我々が演奏するためにはかなりの練習
をしなければならないのですから、おのずと練習の中心は、そのようになるのは当然で
す。
 でもひょっとして、もっと難しい音形があるのではないかと、最近思うようになりました。
それは俗に白玉と呼ばれる2分音譜や全音符が何小節も続く譜面です。

 ちょっと想像してください。ギターのアルペジオでフルートが8小節メロディを吹くとしま
す。マンドリン、マンドラ、セロの4パートは和声を分担して、8小節間全音符を演奏しま
す。一応頭にはPと書いてあるので、弱めの音で全音符を演奏する訳です。
 でも、もしその前が難しい細かいフレーズの連続だったりすると、そこでほっと一安心。
気持ちは一服モードで、8小節間だらだらと、トレモロを演奏してしまわないでしょうか?
 フルートのメロディをサポートするために、全音符をどう演奏するかという事は、実は
非常に難しいことなのです。パート間のバランス、全音符1つ1つにどう抑揚をつけるか
等々、限りなく奥は深いと思うようになりました。

 そう思い出したきっかけの1つは、パソコンでの打込み仕事が多くなってきてからの事
だと思います。
 打込みで一番時間のかかる作業は、実は打込みではなく、エデイット作業なのです。
 これは指揮者がオーケストラの演奏を作り上げて行く作業に非常に似ています。
 一応、譜面通り打込んであるので、完成形に近い音は出ます。しかしそれから音楽に
作り上げて行く作業が大変と言うか、一番時間のかかる作業になる訳です。
 演奏はパソコンですから、いくら早く、難しいフレーズでも難なく軽々と演奏してしまい
ます。そのようなフレーズはあまりエデイットしなくてもそれなりに聞こえるものですが、や
はり白玉の連続する音形を音楽的にするには、かなりの時間と手間をかけなければな
ません。バックの白玉のハーモニーがどうメロディを支えながら進行していくかは、曲全
体を印象つける重要なファクターと考えるからです。
 
 軽く見がちだった白玉を、もう一度真剣に考えて見ませんか。
 

第11号(2007年3月)

プロとアマ (2)

 マンドリンやギターが中心のオーケストラではフレット楽器であるための宿命が付きま
といます。つまり基本的には微妙な音程のコントロールが出来ないということです。
 しかしフレットの間を押さえるだけで、目的の音程を出せることはその楽器をマスター
する時間の短縮に多大な貢献をしている筈です。
 ヴァイオリン族や金管、木管楽器等は正しい音程を作り出すために、血の滲むような
努力をしなければいけないのは、容易に想像がつくと思います。

 安易に音を出せる楽器であるが故に、我々は音程に関して多少無関心な部分があり
はしないでしょうか?
 話は脇道に逸れますが、ピアノやギターの様に一人(一台)で和音(ハーモニー)を出
せる楽器のハーモニーと、大勢(上手なプロの弦、菅のアンサンブルやコーラスのよう
な)で和音の構成音を分担して出すハーモニーには伝わってくる感動が違うような気が
します。勿論ピアノは調律によってもハーモニーは変わりますし、ギターは弦の押さえ
方で微妙な音程の変化を作り出せる事は承知の上での話です。

 調律には様々な種類があり、特にクラシックでは曲に合わせた調律をすることで、響
きは随分変化します。現在、ほとんどの演奏で使用する調律は、便宜上、1オクターブ
を物理的に12等分した平均律と言われる調律が大勢をしめています。(ですからフレッ
ト楽器は出来るし、カラオケでキーを変えてもハーモニーは変化しない訳で…)
 つまり、上手いプロのアンサンブルが出す心に響くハーモニーは、平均律で演奏して
いても、意識的あるいは無意識に、気持ちのいいハーモニーになるように演奏者が微
妙にピッチをシフトしているからだと思われます。

 こんな話を持ち出したのも、総じてマンドリンオーケストラでは中々ピッチの揃った演
奏を聴くことが出来ないからです。
 前回から述べているように、心に響く感動的な演奏をするためには、表現力とリズム
と音程の良いことが必須条件だと思うので、批判を覚悟で、あえて苦言を呈します。

 私が、大学のマンドリンクラブに入って驚いた事の1つに、練習を始める前や演奏会
の始まる前に、楽器をずらりと並べて、チューニングをして頂いた事です。
 私は高校時代から多少マンドリンを弾いていましたが、自分の演奏する楽器は自分
で責任を持ってチューニングするものだと思っていましたので。
 チューニングメーターで全部の楽器をぴったり合わせても、いざ演奏を始めてみると
何かピッチがしっくりとこない。そんな経験はありませんか?
 それこそフレット楽器の宿命で、それぞれの楽器の個性や演奏者の弦を押える力に
より、音程は変化するものなのです。
 ではどうするか?やはり一番その楽器を熟知している演奏者が自分でチューニング
するしかないと思っています。
 もし、少しでも良い演奏をしたいと思うなら、演奏会直前は無理としても、普段から全
員で、曲の練習時間を減らしてでもチューニングの訓練をする必要があると思います。
 具体的にはコンサートピッチ(A)で開放弦を合わせ、後はフレットを押えずに隣の弦
と同時に鳴らした響きでチューニングしていくのです。マンドリンの場合は完全5度の
ハーモニー?ギターは殆んどの弦の間隔が完全4度ですからその響きを自分の耳に
覚えこませるのです。(完全5度や完全4度の響きは、オクターブに次ぐ簡単な響きで
すから、誰でもちょっとの訓練で習得することが出来るはずです)
 この方法に慣れると曲間の短時間でチューニングの補正が出来るようになります。
 後は、自分の楽器の癖を知る演奏者の、フレットを押えた場合の微調整となるわでけ
すが、自分の出す音程に細心の注意を払って演奏することが、より良い演奏につなが
る近道だと思い、あえて私見を言わせてもらいました。
 

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