日本大学マンドリンクラブOB会
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長谷川武の音楽雑感 第16〜18号

第18号(2010年9月)
心に安らぎを生むα波音楽

         今回は番外編として、代表的な女性誌だった『主婦と生活』の
         1991年9月号にに掲載された長谷川武インタビュー記事か
         らの抜粋です。α波ミュージックのCD、カセット、レザーディス
         クが多く発売され、α波ミュージックが大ヒットした時期でした。


                【"ミュージックセラピー"でストレス解消】
          心に安らぎを生むα波音楽/クラシック基調に自然をプラス

 ストレスを強く受ける人には"生まじめで一生懸命"という共通項があります。そういう
人は無理が生じてストレスになり易いのです。
 誰でも簡単にリラックス状態を作り出せる方法は幾つかあります。αミュージックを聴
くのもその方法の一つです。

 人がリラックス状態の時に出る脳波「α波」を出させることをねらったCDがα波音楽
です。その作曲・編曲を手掛け、すでにα波のCDを130曲も手掛けているミュージッ
クセラピストの長谷川武さんに、その効用などを聞いてみました。

 「音楽は、音を楽しむと書きます。その音楽に心の安らぎをプラスしたらどうだろうか
と考えたのがきっかけです。テンポ、メロディ、リズムの基本要素に、ハーモニー(心地
よさ)を積み重ねて曲想を練りますが、聴く人の心に安心感を与えるには音色をどう工
夫するかがポイントになります。」(長谷川)

 長谷川さんはα波が出しやすくなるクラシックの中でも、モーツァルトの曲やバッハ、
ヘンデル、ヴィヴァルディといったバロックの作曲家の作品やドビュッシーなどフランス
の印象派の作曲家の作品をアレンジすること多いそうです。

 「ゆったりとした和音の曲が人の心をなごませ、あるいは鎮めたりするのに効果が
あるのです。」(長谷川)

 「α波音楽CDを家の中で聴く場合、自分の気持ちを音楽に同化していく、つまり、音
の流れの中に心を溶け込ませることがストレスの解消につながる」と、長谷川さんは強
調します。

 α波音楽CDは寝る前に聴くなら、オートストップ出来るようにしておけば、自然に眠
りに誘う心地よい音に恒星されています。
 長谷川さんは、作曲のほか、自分でもシンセサイザーを演奏します。つまり、波やそ
よ風、小鳥の鳴き声など自然界の音を分析し、それにゆらぐような波形を加えた音で、
「人の心のリズムとよくマッチするような曲を作りました。聴く人に安らぎをいっそう与え
る音楽効果をねらっています。」(長谷川)

 自然に発する音の中には、よほど耳をすまさないと聞きとれない音があります。その
自然のかすかな音こそ、心に安らぎを与える"ゆらぎ"の世界なのかもしれません。

 長谷川さんは、静かに流れ落ちる滝の音や小鳥のさえずりを収録したビデオに、α
波が出やすい曲をバックミュージックとして流した作品も手掛けて好評を博しています。
 α波は自然界に絶え間なく流れている波形なのです。そういった自然の音と映像(聴
覚と視覚)により、心に安らぎを与えることが長谷川さんの作るミュージックセラピーな
のです。
 

第17号(2010年9月)

 第9回 日大ミュージカル『若者たちの階段』制作秘話

 最近、一部のマンクラOBの間で、日大ミュージカルの話題が盛り上がっているようで
すので、久しぶりにこの場をお借りして、40数年前の事を思い出して見ようと思います。
とは言っても相当古い事なので、記憶違いや間違い等でご迷惑をお掛けする方々が居
られるのではと心配ですが、その辺はどうぞご勘弁を…。

 その記憶違いですが、同期の楠岡君からの連絡があるまで、『若者たちの階段』の作
者は岡本修巳さんだと思い込んでいました。しかし、岡本修巳さんは第7回と第8回の
作者で、第9回は庄司見栄男さんでした。
 みなさんは岡本修巳という方をご存知ですか? 岡本おさみと書くとピンとくる方も居
られると思いますが、襟裳岬(森進一)や旅の宿(吉田拓郎)の作詞で有名な、あの岡
本おさみさんが日大ミュージカルに2回も関わっていたんですよネ。

 日大ミュージカルは文化団体連合会が総力を挙げて取り組んだ一大イベントで、当
時の新聞や週刊誌等でも相当話題になった記憶があります。
 当然、マンクラも文団連に所属するクラブとして協力しなければいけない訳ですが、
ミュージカルの公演が10月、マンクラの定演が11月、と言うことは如何に大変な事か、
容易に想像がつくと思います。
 ですから、それまでミュージカルへの協力は、極力マンクラの定演に影響の少ない形
で行われて来た様に思われます。
 しかし、マンクラ9期の山本高志君が文連の役員として活躍。彼の「音楽クラブであ
る以上、音楽でイニシアティブをとりたい」という言葉に、キツイ事とは知りながら音楽
監督という大役を引受ける事にしたのです。

 音楽監督を引受けたからには、これだけは絶対譲れないという提案をしました。
 過去の日大ミュージカルを見てきた訳ではないので断定は出来ませんが、それまで
ミュージカルの舞台音楽は、吹奏楽が中心となって演奏されていたようです。
 そこで私の提案、「オーケストラピットにはオーケストラを
 しかし、当時の日大にはまだオーケストラは存在していませんでした。
 そこで臨時編成のオーケストラを作ることにしました。管と打楽器は吹奏楽、弦セク
ションはマンクラによる「ミュージカル・オーケストラ」の誕生となった訳です。
 オケピットで、殆どフルオーケストラに近い編成で演奏することは、当時の現役の皆
さんにとっても、なかなか貴重な経験だったと思います。その代り、前述したように、一
ヶ月後の定演(『新世界』の全楽章演奏がメイン)を控え、すべてオリジナルのミュージ
カルナンバーの練習と本番というのは、演奏する部と員にっても相当大変な事を強い
てしまった訳です。

 「制作秘話」などと言っても、秘話でもなんでもないその時の音楽に関する思い出話
に過ぎないのですが、だらだらと思い出すままに…。(以下、氏名の敬称略)

 音楽監督は何をしたかと問われれば、先ず全曲のアレンジ。
 『若者たちの階段』では熊谷秀臣(リズムソサエティ)と関口正規(合唱団)が
メインの作曲を担当。(特に熊谷は8回、9回と続けてメインテーマ曲を作曲し
ていました)
 その他に私も含めて2、3人が作曲に加わったと記憶しています。
 確か一幕のダンスナンバー「吹雪の曲」とフィナーレ近くの「春の讃歌」は私の作曲
です。「春の讃歌」は何となくメロディと歌詞も覚えています。(春がやってくる、春がや
ってくる、待ち遠しい春が来る、春の風は〜といったワルツでした)
 そのようにして出揃った曲を、その場に最も相応しい容にオーケストレーションする
のが一番重要な任務でした。
 幸い吹奏楽の3年で鈴木功一という優秀な助手を就けてもらったおかげで、随分助
けられました。私の江古田の四畳半のアパートで、二人でああだこうだと構想を練っ
たり、練習用の音源をピアノとギターでオープンリールに録音したりしていたことが、
懐かしく思い出されます。(パソコンもシンセも無かった時代ですから)

 その当時はブロードウェイミュージカルの全盛期で『サウンド・オブ・ミュージック』や
『屋根の上のバイオリン弾き』などが大ヒットしていました。(8期春の演奏会でもそん
なミュージカルナンバーを演奏しました)
 そんなミュージカルには必ず、劇中に使われる音楽を巧みに盛り込んだ「序曲」が
ありました。
 私が音楽監督でこだわったのはオーケストラを作ることと、序曲を作ることだったの
です。多分、今音源が残っていて聞くことがあれば随分稚拙な序曲だったのでしょう
が、当時はオーケストラで幕が開く前に演奏された序曲に随分感動したものです。

(誰か、長谷川の指揮で演奏したと言っていましたが、私が棒を振ったのは練習の時
くらいで、本番では吹奏楽4年の下田周治が棒を振りました)

 そして懐かしく思い出されるのが、両国の日大講堂での合宿でした。
 練習もさることながら、音楽担当で集まった、他のクラブの人達との交流は学ぶこと
も多く、大いに刺激を受けたものでした。
 特に合唱指導の深沢茂行と作曲の熊谷秀臣とは何となく卒業後は音楽関係の道へ
進みたいという共通の思いがあり、夜を徹して語り合ったものでした。
 その深沢は現在「ミュージック・クリエイション」という日本最大手のヴォーカル・コー
ラスプロダクションの代表として活躍する一方、T&Kシンガーズ(検索してみて下さ
い)というアマチュア(セミプロ?)のコーラスを率いて勢力的に毎年定演を開催してい
ます。
 彼との親交は現在も続いており、昔からよく一緒に仕事をさせてもらっていますが、
特に懐かしく思い出されるのが「東京ディズニーランド」のオープニングセレモニーの
コーラスアレンジの仕事でした。(つい先日のニュースで、オープン27年目にして5億
人の入場者、という報道に接して、オープン当時の事を思い出しました)
 オープニングセレモニーは、フルオーケストラと400人(?)の大コーラスの演奏で
行われたと記憶しています。
 彼は、400人のコーラスメンバーを集め、そのコーラスに譜面を渡す事までを一気
にやってのけました。前田憲男さん編曲のディズニー大メドレーのスコア(アレンジさ
れたオーケストラとコーラス部分はメロディのみ)からコーラスアレンジをしながら直
接コーラスのパート譜を作るという徹夜の作業を一気にやったのです。
 パート譜といっても確か数十ページに及ぶ大勧進帳で、コピー機もフル稼働。
 まあ、若かったから出来た思い出ですネ。

 話が、日大ミュージカルから随分横道にそれてしまいましたが、マンドリンクラブにし
てもミュージカルにしても、苦楽を共有した仲間ができた事は、その後の人生に大き
な影響を与えられた出来事でした。

 

第16号(2009年9月)

『空想シネマ』に寄せて

 音楽の演奏様式に、「マンドリンオリジナル」とか「オリジナル合唱組曲」等と呼ばれ
るように、ある特定の演奏形態に特化したジャンルがあります。
 マンドリンクラブで演奏している人、ブラスバンドで演奏している人、合唱団で歌って
いる人、それぞれオリジナル曲を練習し、演奏することは大変楽しく、やりがいのある
事だと思います。
 しかし、音楽は自分で歌ったり、演奏して楽しむ以外に、聴衆がいる場合には、どれ
だけのメッセージと感動を伝えられるかと言う重大な使命があります。難しい楽曲に取
り組み、「ヤッター」と自己満足しても、聴衆が感動してくれるかどうかは、別問題なの
です。
 今回、その「オリジナル楽曲」の作曲依頼を受けたときに一番頭を悩ませたのが、わ
ざわざ演奏会を聞きに来られた皆様に、聞いた事のない「オリジナル」を聞いていただ
き、喜んで頂けるかどうかと言う点でした。

 先ずタイトルを考えました。「交響詩・・・」「・・・組曲」「・・・奇想曲」の様な格調高いア
カデミックなタイトルはやめにししました。聞かれた方がイメージを自由に膨らませる事
の出来る、簡明なタイトルが良いと思い、「想像〜」「イメージ〜」等々考えた末に「空
想シネマ」に決定した次第です。
 曲は大きな2つのテーマから成り立っています。少し重苦しい感じの序奏に続いて明
るく単純明快なメインテーマが演奏されます。このテーマはリズムが変わったり、拍子
が変わったりしながら曲の随所に現れます。
 もう1つのテーマは映画音楽華やかなりし頃には必ずと言っていいほどあった、いわ
ゆる「愛のテーマ」風の楽曲です。
 この2つのテーマが色々な形で絡まりあいながら、フィナーレへと突入して行く構成に
なっています。
 お聞きになった皆様の心の中に、自分だけの「シネマ」が映れば幸いです。

(『空想シネマ』の初演は、2009年9月26日 50周年記念演奏会です。)

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