私たちのマドンナは誰?
SCENE 10 イーゼンハイムの祭壇画
1708 5733
1708 Musee d'Unterlinden-Colmar
GRUNEWALD Retable d'Lssenheim-vers 1510-1516
Concert des Anges (detail) Inv. BB RP 139
Photographie O. Zimmerrmann- Musee d'Unterlinden Imprimerie
Valblor Strasbourg 110 2005
2005・8・25ファイル差し替へ 奏楽天使
5733 Mathias Grunewald Isenheime
Altar Engelkonzert, Detail
zserie 187 Musee d'Unterlinden, Colmar 2009・1・31入手 奏楽天使
のカデンツ
↑ この奏楽天使をはじめてみたら、誰でもちょっと びびるはず。
だ、だって あの後ろの怪獣みたいなのは・・・
恐ろしい妄想を してしまいそうですね。
↓ じつは、こんな天蓋みたいな場所にいます。
前には 湯桶にタオルなんかもあります。
3723
3723 Musee d'Unterlinden-Colmar GRUNEWALD Retable d'Lssenheim-vers
1510-1516
Concert des Anges Inv. BB RP 139
Photographie O. Zimmerrmann- Musee d'Unterlinden Imprimerie
Valblor Strasbourg 94
2005・8・25入手 奏楽天使
じゃ〜〜〜ん ↓ こちらにマドンナが いらっしゃいます。
な〜んだ、イエス降誕の場面か と一安心です。
3724
3724 Musee d'Unterlinden-Colmar
GRUNEWALD Retable d'Lssenheim-vers 1510-1516
Concert des Anges et Nativite Inv. BB RP 139
Photographie O. Zimmerrmann- Musee d'Unterlinden Imprimerie
Valblor Strasbourg 7 2005
2005・8・25入手 奏楽天使
このイーゼンハイムの祭壇画のカードとの最初の出会いは
コルマールを訪れた カードコレクターの先輩A からのおみやげカードでした。
この祭壇画についても グリューネヴァルトという画家についても まったく勉強不足
いったい これは どんな絵なのか 少し頑張って調べてみました。
粟津則雄著 『聖性の絵画〜グリューネヴァルトをめぐって〜』 日本文芸社
この本は主に イーゼンハイム祭壇画の第一面の キリスト磔刑図についての深い考察なのですが
(世界中さがしても これほど痛ましく描かれたキリストはないそうです)
この展示室に関するところだけ、抜粋させていただくと
元来、イーゼンハイムの祭壇画は
コルマールより20キロほど南方にあるイーゼンハイムという村の
聖アントニウス会修道院に飾られていたもので
二重の観音びらきによる三つの鑑賞面を持った回転式祭壇画である。
どの面を開くかは、平日とか祭日とかに応じて異なっており、
第一面は祭壇画を閉じた平日に見られるものだが
『キリスト磔刑図』はここに描かれたものなのである。
第二面は祝日にのみ開かれるもので、ここには
『受胎告知』 『天使の奏楽』 『キリスト誕生』 『キリスト復活』 の
四場面が描かれている。
さらに第三面は聖アントニウスの祝日のみに開かれるもので
中央には ハーゲナウらが1505年に完成した木彫像が飾られ、左右の翼画が
グリューネヴァルトの 『聖パウロを訪れる聖アントニウス』 『聖アントニウスの誘惑』 である。
現在 コルマールのウンターリンデン美術館では、
これらを別々に離して展示してあるから、すべてを見ることができるのだが
私の場合
一度に見られてありがたい などと言っておられるようなのんきな話ではなかった。
キリスト磔刑図 から身をもぎはなすようにして第二面をみたとき、
暗く悲劇的な第一面とはまったくおもむきを異にする
隅々まで歓喜と恍惚にあふれたこの画面の明るさに
私はなんとも異様な衝撃を受けた。
ここで画家は、画面の対照的な効果などを狙ってはいない。
これはキリスト磔刑図の
底知れぬ暗さが生み出した明るさの幻とでも言うべきものだ。
暗さが耐え難いように、この明るさもまた何とも耐え難いものなのである。
このような絵は、同時にみるべきものではあるまい。
イーゼンハイムの修道院は、丹毒や梅毒の患者の施療で知られているが
キリスト磔刑図はそういう患者だけが はっきりと見つめうるものなのかも知れぬ。
あの異様な明るさにあふれた第二面もまた
あの十字架上のキリストと同様に
己の肉体が刻々腐り崩れて行くことを自覚しながら
日々磔刑図を見つめ続けた人々だけが
祝日にそれを見る資格が与えられるのかも知れぬ。
さらにそういう人々だけが
第三面に描かれたこの修道院の守護聖人である聖アントニウスを
神と彼らとを結びつけるきずなと見なしえたのだろう。
・・・・・・・・・・・
中央のパネルでは、左半分に 『天使の奏楽』
右半分には 『キリスト誕生 』が描かれている。
『受胎告知』 ではまだ抑えられていた光は
ここでは急速にその輝きを増しているようだ。
これまたゴシック・フランボワイヤン様式の礼拝堂の奥のほうでは
青い闇に包まれた天使たちがひしめきあい
聖母をたたえるために入り口に向かって歩み出ようとしているようだ。
彼らの頭上では 青白い光に照らし出された天使たちの輪のなかに
インディアンのような羽飾りをつけた人物がみえるが
研究家は、おそらくイヴであろうと推定している。
(中央 黄色の部分)
天使たちは、入り口に近づくにつれて
聖母から発するもので感応でもしたように
内側から、あるいは黄色にあるいは赤く輝き始める。
入り口近くの左端では
全身羽毛で包まれたような奇怪な天使が
横顔を見せながらヴィオラ・ダ・ガンバを奏し
その右側では 赤く染まった天使がヴィオラ・ダ・プラッチアを奏している。
さらに礼拝堂の前の最前景では
白に近いピンクの衣装をつけた金髪の天使が
ヴィオラ・ダ・ガンバを奏しているが
この色は、衣服の色というよりも
内側から発する光が白熱に達しているせいであるように見える。
その面ざしも身体つきも、天使というより
ドイツの町の裏通りを走り回っている肥ったお転婆娘
といったほうがいいようだ。
だが、そういう顔つき身体つきのままで
まるで霊化したように白く輝いているのであって
この肌触りはまことに独特のものだ。
一方、向かって右の入り口には
濃い緑の衣装をつけ冠をかぶった若い女性が
衣装の色も消え去るほど強く輝いた光輪に
胸の辺りまで包まれて跪いているが
衣装の色が 『受胎告知』 と同じであることや
妊娠している様子などから推して、おそらくこれは
出産を待つ聖母マリアであると考えていいだろう。
グリューネヴァルトは華麗を極めた礼拝堂の内外に
このように多くの人物を配しながらも
いささかの混乱も渋滞もけばけばしさも示さない。
聖母を守るようにその頭上に浮かぶ二人の天使を起点として
最前景のヴィオラ・ダ・ガンバを奏する天使にいたるまで
あるいは金色にあるいは赤くあるいはピンク色に輝きながら
右上から左下にくだる光の帯と
その背後の青い闇に包まれた天使との群と
金色の柱や赤い軒に縁取られ
かずかずの彫刻や彫像に飾られた礼拝堂とが
精妙に生き生きと結びつきながら
あざやかな色彩の音楽とでも言うべきものを生み出すのである。
あの天蓋みたいなところは、ゴシック・フランボワイヤン様式の礼拝堂。
そしてあの中にも聖母マリアのお姿があったのですね。
そして、前面から右側へ キリスト降誕の場面へと 繋がっている。
怪獣みたいなのは、全身羽毛で包まれ奇怪だけど、天使。
真っ赤で鬼みたいな 赤く染まった天使も 異様な明るさの中で微笑んでいるだけ。
なるほど、なるほど。
これはやっぱり 実物を みてみたいな。
<追記>
この怪獣みたいなのは 堕天使ルシファーだそうです。
視覚デザイン研究所発行 『天使の引き出し』 で
ルシファーのことを調べてみました。
それによると ルシファーは 神にそむいた 最初の天使。
かつては 明けの明星 とか 曙の子 と呼ばれ
天使の中でも 美しく光輝き 神に一番近いところにいたのですが
人間を愛する神を妬んだり 神のような振る舞いをしようとした高慢さで
天国戦争では 大天使ミカエル(一説にはルシファーと双子)に負け
堕天使となって地獄へ。
地獄の王 サタンとなったルシファーは
顔は毛だらけ 角が生え こうもりの翼を持った姿になってしまいます。
「昔は 金星だの 明けの明星だのって 騒がれたのにな〜〜」
と嘆くルシファーに イザヤが
「あんた 天国で 神より偉くて美しい なんて言うからサ」 ですと。
イエス誕生となれば そんなルシファーも お祝いに駆けつけたのかな。
<追・追記>
2012年 かねてから念願だった コルマールのウンターリンデン美術館を訪れました。
こんなふうに 三面並べて 展示されているのが お判りでしょうか?
手前が第1面 ステンドグラスの奥のほうが第3面と 順番に並べて展示してあります。
2012年6月13日撮影
キリスト磔刑図の 痛ましさは 前述の本を読んでいたので覚悟していましたが
ちょっと意外だったのは
聖アントニウスの祝日にしか 開かれないという
一番重要なはずの第三面は
中央パネルが 聖アントニウスを中心にした三聖人の彫刻で
左右パネルは 聖アントニウスにまつわる絵なので
第二面の華やかさと違い と〜〜っても地味。
前述の本からの引用を もう一度 復習です。
イーゼンハイムの修道院は、丹毒や梅毒の患者の施療で知られているが
キリスト磔刑図はそういう患者だけが はっきりと見つめうるものなのかも知れぬ。
またあの異様な明るさにあふれた第二面もまた、あの十字架上のキリストと同様に
己の肉体が刻々腐り崩れて行くことを自覚しながら
日々磔刑図を見つめ続けた人々だけが
祝日にそれを見る資格が与えられるのかも知れぬ。
さらにそういう人々だけが第三面に描かれた
この修道院の守護聖人である聖アントニウスを
神と彼らとを結びつける きずなと見なしえたのだろう。
聖アントニウスは キリストの力により
悪魔の様々な誘惑(病も入る)に打ち勝ち 解放された守護聖人。
当時 不治の病に苦しむ人々が
死を覚悟で イーゼンハイムへの巡礼の旅に出たのは
この祭壇画のキリストの姿に 自分自身を重ね合わせ
そして聖アントニウスに救いを求めるためでした。
イーゼンハイムまでたどり着けず 途中で息絶えた人も多かったのだとか。
イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院が
この祭壇画を グリューネヴァルトに依頼したのは
美術作品としてではなく 人々の救済のためだったことを
忘れてはいけないのですね。
聖アントニウスさま 地味だなんて・・・失言でした。
申し訳ありません。
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