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ミュシャ スラヴ叙事詩

 

 

 

         

 

 

 

のカデンツ

 

 2017年3月  六本木の新国立美術館 切符売り場は 長蛇の列でした。

草間弥生展 『我が永遠の魂』 なのか スラヴ叙事詩全20点がやってきた 『ミュシャ展』 なのか

並んでいる人を見ただけでは 判別しかねたので

係の人に これはどっちの美術展の列ですか? と質問したところ 

両方一緒に お並びいただいているので どちらとも言えませんが

どちらも大人気です と。

          

 

 のお目当ては もちろん スラヴ叙事詩!

 ↑ ミュシャ展の ポスターに さっそく楽器を発見していましたから。 

ほら ずっと後方の白い箱型の左側。 

赤い飾りをつけファンファーレを鳴らす 四人のトランペット隊です。

 

   

 

 

ポスターで発見し 証拠写真も撮ったというのに

実物では 絵があまりに大きすぎて 上部後方のトランペット隊など 判別しかねました(汗)

このポスターに感謝 ♪

カードは ↓ こちら。  まったく 判りませんね。

 

 

9066

9066   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩  E東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン 
1923年 プラハ市立美術館    テンペラ 油彩/カンヴァス  405x480cm  2017・3・15入手   軍楽隊

 

 

スラヴ叙事詩でミュシャが描きたかったのは スラヴ民族の苦難と栄光の歴史

その 主役は民衆! ということで

セルビア皇帝ドゥシャンは ずっと後方 (絵の中心ではありますが) に描かれているのだとか。

 

 

 

E 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン      

サイト 『ミュシャを楽しむために』 から

華やぎを感じる スラヴ叙事詩の一点です。

季節は春 イースターの日に 東ローマ帝国皇帝に戴冠したステファン・ドゥシャンが

民衆の祝福を受けて 行列に出かけるところを描いている。

1346年 ドゥシャンが皇帝になったことによって カレル四世の神聖ローマ帝国とともに

東ローマ 西ローマ 両帝国に スラヴ人の皇帝が君臨し

イングランド王国とフランス王国以外の 全ヨーロッパがともに 名君のスラヴ人皇帝のもとにありました。

スラヴ人の人たちにとって この時代は スラヴの春 栄光の時代として

今も記憶されています。

1349年には セルビアと東ローマ帝国の法律を整理した ドゥシャン法典を発令するなど 

ドゥシャンは 政治家法律家として 歴史的に評価されています。

しかし1355年 47才で毒殺され 1371年には オスマン・トルコにのみこまれ 滅亡しました。

スラヴの春は ごく短い期間でおわりましたが

スラヴ人のひとたちには かえって栄光の時代として 強く記憶に残り

19世紀の汎スラヴ運動にも影響して ミュシャ終生のテーマの 未来の希望 になりました。

ドゥシャンの戴冠は ミュシャが スラヴ叙事詩を制作する原動力のひとつでもあるのです。

 

 

 

 ミュシャ展 公式ホームページ  からも この 展覧会の概要を ご紹介しておきましょう。

 

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人 アルファオンス・ミュシャ(ムハ 1860−1939)は

オーストリア領モラヴィア(現チェコ)に生まれ 

ウィーンやミュンヘンを経て27歳でパリに渡り 絵を学びました。

なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは

34歳の時 女優サラ・ベルナール主演の舞台 『ジスモンダ』のポスターを手掛けることになり

一夜にして成功を収めます。

以降 優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し 時代の寵児として活躍しました。

美しい女性像や流麗な植物文様など 

華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手掛ける一方で

ミュシャは 故郷チェコや 自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティを

テーマにした作品を 数多く描きました。

その集大成が 50歳で故郷に戻り晩年の16年間を捧げた渾身の作品 

『スラヴ叙事詩』 1912-26年 です。

およそ縦6メートル 横8メートルに及ぶ巨大なカンヴァスに絵かがれた20点の油彩画は

古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す

壮大なスぺクタクルと言えます。

本展は このスラヴ叙事詩を チェコ国外では初めて 全20点まとめて公開するものです。

プラハ市のために描かれたスラブ叙事詩は 

1960年代以降 モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城にて

夏季のみ公開されてはいたものの ほとんど人の目に触れることはありませんでした。

その幻の傑作が 80年以上の時を経て 2012年5月 ついに

プラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて 全作品が公開されました。

そしてこのたび国立新美術館では 

パリで活躍したミュシャが スラブ叙事詩を描くに至るまでの足跡を

約100点の作品を通して辿りつつ これら幻の最高傑作の全貌を一挙 紹介します。

 

 

2008年   が  プラハを訪れた時には 

スラヴ叙事詩なんて知らなかったなあ どこにあったんだろう と

近年 スラヴ叙事詩のことが話題になりはじめて 気になっていました。

そうなんですね

2012年まで ほとんど人の目にふれることはなかったのですね。

でも その時 プラハのムハ美術館で 

スラヴ叙事詩のカード(楽器あり)を一枚だけ 買っていました。

↓ こちらです。

 

5146

5146  Mucha  Museum  Husitsky Kral Jiri z podebrad  1923  The Hussite King Jiri of Podebrady
2008・6・28入手  プラハ ムハ美術館  軍楽隊

 

 

楽器はどこ ですって? ほら 左側後方に 五人くらい 軍楽隊がいるでしょ?  

↓ こっちのカードのほうが解りますか?  これは 今回の展覧会で購入したカード。

 

9069 

9069   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩  Lフス派の王 ポジェブラディとクンシュタートのイジー  1923年 プラハ市立美術館
テンペラ 油彩/カンヴァス  405x480cm  2017・3・15入手   軍楽隊

 

 

アップにすると ほら

 

向かって一番右端の人の 下向きになった ラッパのベルが見えますし 

鼓笛隊の太鼓も ありますよね。

かれこれ10年前は 目が良かったんだなあと つくづく・・・

 

 

Lフス派の王 ボジェブラディとクンシュタートの イジー

    サイト 『ミュシャを楽しむために』 から

 

 フス派信徒の信仰を護るため自分の命と王位をかけて戦う と

怒りをもってローマ法王皇の特使に宣言し 立ちあがるイジー王

勢いで倒れた椅子とともに 右側に描かれています。 

1462年4月 ローマ法皇ピウス2世は

カトリックとウトラストの宥和を成し遂げた イジー王を裏切り

スフ派信仰を認める プラハ条約の破棄を せまってきたのです。

法王の通告を受け入れれば ボヘミアが再び内戦に陥るため

イジー王は ボヘミアの統治権を盾に 拒否しましたが

ローマカトリックは 彼を破門します。

ボヘミアの平和に楔を打ち込むかのように

ローマ法王の特使 ファンタン・ド・ヴェールが 

イジー王と対峙して描かれた 緊張感のある場面構成です。

イジー王の手前 画面の最も暗い所に本を閉じる青年がいます。

バン と勢いよく閉じた本の表紙には ROMA の文字が見え

ローマとの関係の終わりを暗示しています。

 

現代の国連には ボシェブラッドのイジー王の理念が 受け継がれています。

フス派の内部対立を終結させてボヘミア王に推載されたイジー王は

永久平和の保証 国際間の相互協力・援助のために

ヨーロッパキリスト教王国連合を設立して

ローマ法王の陰謀と ハンガリー王の野望 トルコの脅威に対抗する計画を提案し

実現のための外交交渉を積極的に展開しました。

カトリック教会の妨害にあいながらも 政治力外交能力と 通貨流通による経済活性化

先進的な兵器開発などによって 優勢に傾きつつあったとき イジー王は亡くなりました。

イジー王の理念に通じる国際機構が実現するのは 20世紀になってからのことでした。

イジー王時代のボヘミアは ヨーロッパで唯一の信教の自由があった国でした。

1471年 イジー王が亡くなったあと 400年以上にわたり チェコは外国の支配下にありました。

 

 

↓ こちらは 習作です。 

2006年 東京都美術館で開催されたミュシャ展で購入。

このカードが スラヴ叙事詩 初カード。

ほんと 目が良かったんだなあ・・・・あるいは 強引に楽器があるとしたのか?

アップにしても ほとんど判りませんから(汗)

 

3509 

3509 Alphonse Mucha Treasures from the Mucha Foundation  フス教徒の王イジー・ス・ボデブラの習作 
'Study for 'The Hussite King Jiri z Podebrad'  
1923年 鉛筆 水彩/紙  17.0 x 34,0cm  2006・2・17入手   軍楽隊

 

 

  

 

さて 展覧会会場で 20枚すべて 穴のあくほど見つめ 

ついに発見した 究極のカードをご紹介しましょう。

こちらです。

 

 9067 

9067   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩  Hベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師   1916年 プラハ市立美術館
テンペラ 油彩/カンヴァス  610x810cm  2017・3・15入手   金管ラッパ

 

H ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師

   サイト 『ミュシャを楽しむために』から

ヤン・フス(1369−1415)は 

マルティン・ルター(1483ー1546)に 100年先駆けて

教会の改革を呼びかけました。

しかし カトリック教徒はフスを異端として1415年に 火あぶりの刑で殺してしまいます。

フスの処刑に抗議する チェコの人々の運動が 宗教改革に発展するのを恐れて

カトリック教会は チェコのスフ派信仰を 徹底的に殲滅しました。

後にルターは 「フスはわが心の師」 と語っています。

 

 

主役のフスは 左手の壇上で 熱弁をふるっています。

さて 楽器はど〜こだ?

小さすぎて 分からないですよね(笑)

巨大な作品群 スラヴ叙事詩 

カードを多少大きくアップしたところで とても全貌は見えない とあきらめ 

容量の無駄を避けるため 画像を大きくしていません。

(ミュシャ展公式ページなどでは 結構 大きく載せています)

この絵は 撮影が許されていないエリアにあったので 

証拠写真も撮れず 困ったなあと思ったのですが

帰宅して 

録画していた NHK番組 『華麗なるミュシャ 祖国への旅路 パリ・プラハ二都物語』 

をチェックしたら   しっかり 映っていました!

  ラッキ〜〜!

 

  TV画像

 

教会内列柱の右側の一部分に光があたり 白く輝いているところがありますよね。

そう、そこに この金管ラッパのベルが!!

ありがとうございました!  NHKさん。

 

 

 

ここまでで 3枚。 

ま 正統派の楽器カードというわけでは ありませんでしたが 

いよいよ ここから

楽器が登場する 正統派カードを 2枚 ご紹介したいと思います。

 

その1

 

9065 

9065   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩 Aルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭    1912年 プラハ市立美術館
テンペラ 油彩/カンヴァス  610x810cm  2017・3・15入手   宴祭り踊り

 

 

Aルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭 

 サイト 『ミュシャを楽しむために』 から

 

バルト海にあるルヤーナ島(現在はドイツ領のリューゲン島)のアルコナには

古代スラヴの神殿が置かれ 西スラヴ神話の神 スヴァントヴィトの像がありました。

太陽神のスヴァントヴィトは 4つの顔を持つ とされていますが

同じ古代スラヴ神話のトリトンのように 3つの顔で表されることもあります。

ミュシャのスヴァントヴィト神は 3つの顔を持ち

過去・現在・未来のスラヴの歴史と希望を象徴しています。

スラヴの海とも呼ばれていた バルト海沿岸は

1168年 ヴァルデマー一世率いる デンマーク軍に征服され

神殿も焼き払われました。

画面の左上には ノルマン民族の戦争の神オーディーンと狼が

左の方には 白馬の乗せられた瀕死のスラヴ戦士

(白馬もスヴァントヴィト神のシンボル)

伝説を伝える楽人たちが 描かれています。

 

  ←ハープと弦鳴楽器      

 

 

 

 

 

その2

 9068 

9068   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩 Qスラヴ菩提樹の下で行われるオムラジナ会の誓い    1926年(未完成) プラハ市立美術館
テンペラ 油彩/カンヴァス  390x590cm  2017・3・15入手   宴祭り踊り

 

 

 

Qスラヴ菩提樹の下で行われるオムラジナ会の誓い or スラブ菩提樹の下で宣誓する青年たち

 サイト 『ミュシャを楽しむために』 から

スラヴ叙事詩の中で この作品は現代 

つまり19世紀後半から 20世紀初頭のチェコを描いています。

(そのまま現代を描くのではなく 前景のルミールと背景のスラヴィアは 古代または伝説ですが)

チェコを支配していたオーストリアは 1867年に ハンガリーと手を組んで

 オーストリア・ハンガリー二重帝国となります。

これはチェコをはじめ スラヴ系諸民族の抑圧が前提となっており

チェコは 急進的な青年チェコ党が誕生するなど 対抗運動が起こります。

この絵は 1894年1月の青年チェコ党員68人が逮捕されたことを踏まえ

 青年たちが古代の伝説にならって

スラヴ菩提樹の下で スラヴィアに宣誓している場面です。

スラヴ叙事詩は 未完成だと よく言われます。

それは完成後も ミュシャが手を入れ続けていたことと

この絵で宣誓する青年たちの顔が描かれていないためです。

スラヴ叙事詩は 全体に象徴的な描き方をしています。

しかし 登場する人物は どれも一人一人特定できるほどリアルに描いているのに

この作品だけ顔を描いていないのは 人物の特定をミュシャが避けたから と考えられます。

スラヴ叙事詩が発表された当時 政治家として活躍中の人物も含まれていました。

前景には スラヴ叙事詩展ポスターになり 古代吟遊詩人ルミールを連想させるハープを弾く少女と

その音色に耳を傾ける少年を描いています。

少女のモデルはミュシャの娘 ヤロスラヴァ 少年は 息子のイジーです。

 

    

 

 

この作品は 会場でもらった作品目録に 1926年 未完成作品 となっていたので

 ミュシャは その年に亡くなったのかなと思いましたが

そうではありませんでした。

NHK番組 『華麗なるミュシャ 祖国への旅路 パリ・プラハ二都物語』によると

 

後半生のすべてを スラヴ叙事詩 に注いだミュシャだったが

自身も 歴史の荒波へ飲み込まれる。

1939年 ナチス ドイツ軍がチェコに侵攻してきて

政治・文化の弾圧をはじめた。

ミュシャにも危険が迫る。 要注意人物としてリストにのったのだ。

危険な愛国主義者として ゲシュタボに逮捕され 厳しい尋問を受ける。

釈放された わずか4か月後に 体調を崩し 79歳で死去。

 

朝日新聞 2017年3月21日夕刊  美の履歴書(492)  の記事から

 

スラヴ民族と同様 一連の作品(スラヴ叙事詩) も歴史に翻弄された。

1910年に 7年の予定で着手したものの

調査など準備に時間がかかり 第一次世界大戦も勃発。

戦後は 新しい共和国が誕生するなど状況が一変し

完結したのは 1926年だった。

しかし すでに 民族の連帯や闘争は 古びたテーマとなり

絵画としても 前衛美術全盛期の中 時代遅れと受け止められた。

だが 画面からは 普遍的メッセージがも感じ取れないだろうか。

戦慄のまなざしは 今なお民族や宗教の対立が生む恐怖と悲しみを

現代の私たちに突き付ける。

 

確かに 今という時代の私たちにも 深い問題を突きつけられている気がします。

が  もっと気がかりだったのは この老人!!

(ちなみに 老人の前の少年のモデルが ミュシャの息子イジー)

 

 TV画像

 

 

この絵の前に立つと まず

菩提樹の木に向かって左側の  ハープの少女と

右側の少年の後ろにいる この老人に 惹きつけられました。

 絃を張ったような木製の何かを持っていたからです。

 楽器のようにも見えます。

撮影許可エリアだったので 

スマホで撮ってみたのですが 暗かったせいか 失敗。

テレビからの画像で見ると

あっっ!!  やっぱり 絃鳴楽器みたいです。

やった〜〜!! 

これは弾いているというよりは  両手で捧げているような感じもしますが

楽器だということだけは確かですよね♪

 

 

 TV画像

 

左側の ハープの少女の後ろの方にも

やばり 若者を見守っている老人たちの姿が見えます。

 

青年たちが古代の伝説にならって

スラヴ菩提樹のしたで スラヴィアに宣誓している場面

 

そうか!

スラブ民族の行く末は これからの若い君たちに託すよ という感じで

古代の老人たちが 登場しているのではないでしょうか。

あの老人も 古代の楽器を返上し

若い少女のハープに 未来を託しているのでは?

(これは ポストカード音楽会の 独断的推測ですので あしからず)

 

 

ところで 

この絵で    が 一番 心惹かれたのは

 題名 『スラヴ菩提樹の木の下で・・・・』 でした。

 

 

 

 が 昔 プラハを訪れたのは 6月の終わりだったのですが

ヴルタヴァ川沿いを歩くと 甘い甘い菩提樹の花の香りに包まれました。

 

 

 2008・6・29撮影

 

 

花は小つぶだけど ものすごく 甘く 香しい匂いが漂っていました。

もう かれこれ10年もたつのに あの香りだけは ずっと記憶に残っています。

ミュシャもパリに住んでいた時 やっぱり菩提樹の香りは スラヴに限るね! 

と思ったに違いありません。

『スラヴ菩提樹の木の下で・・・』 という題名を見たとき

この絵に登場するすべての人が あの甘い香りの下に集っているんだ と思うと

この絵を描いたミュシャの心情が なんだか解る気がしました。

 

この絵の季節は いつ頃なんだろう?

 本当に この絵の菩提樹の花は 咲いているのか?

 

と気になり あちこち検索してみたところ ↑これまで たくさん引用させていただいた

  『ミュシャを楽しむために』 というサイトに ヒット!!

スラヴ菩提樹のこと  ミュシャのこと 

スラヴ叙事詩作品の詳しい解説 (↑上記 転載させていただきました)

 などなど たくさんのことを 学ばせていただきました。

 

まず  知りたかったスラヴ菩提樹のことですが

  葉が ハート型のスラヴ菩提樹は チェコの国の木  だそうです。

ん? ハート?  

見上げて撮ったので どの写真も 葉がみんな裏向きで

これぞ ハート型! というものはないのですが 

スラヴ菩提樹の 平べったいハート型は ミュシャがよくデザインにも使用したそうです。

 

2008・6・29撮影

 

 

 

 サイト 『ミュシャを楽しむために』 から  (以下 青色文字の箇所)

 

 ミュシャがよく好むハート型は 愛や心をあらわすとともに 

チェコの国の木であるスラヴ菩提樹 を象徴しています。

スラヴ菩提樹はチェコ国民の 『未来の希望』 のシンボルとされています。

頭に ハート型のスラヴ菩提樹の葉を飾る スラヴィアは 

チェコの希望やスラヴ民族を 女性の姿で表現したものです。

スラヴィアは 祖国の歴史と文化の象徴として ミュシャ自身が創作した スラヴの女神。

 

 

↑ スラヴ菩提樹の木に腰かけているのが スラヴィア

 

 

 

スメタナの 『我が祖国』 第一曲 ヴィシェフラッドは 

中世の吟遊詩人 ルミールをあらわすハープの音で始まります。

スラヴ叙事詩の構成には 『我が祖国』 と共通するところが たくさんありますが

ルミールも そのひとつです。

ミュシャも ↓ ルミールを連想させる絵を 繰り返し描いています。

 

 

 

 

 こちらは ↓ 1928年に開催された スラヴ叙事詩展覧会 のポスターとして作成されたもの。

左は今回購入したカード   右はプラハのムハ美術館で購入したカード  リトグラフです。

 

9070   5145

9070   Alfons Mucha  スラヴ叙事詩展 1928年 堺市 (C)Doi Collection  2017・3・15入手 ハープ

5145 MUCHA MUSEUM   Poster for the Slav EPic  1928 Colour Litograph   2008・6・28入手 ハープ

 

 

太陽の少女

ハープを奏でる少女は 

スラヴ叙事詩の中の 『スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち』に

描かれている少女です。

古代の吟遊詩人ルミールを思い起させる少女の後ろには

過去・現在・未来をあらわす3つの顔を持ち

角の杯と剣を手にしている スラヴの神 スヴァントヴィトがいます。

スヴァントヴィトは 古代では 戦争の神でしたが

中世からは 善の全能の神に変化して 希望の神になりました。

金の巻き髪の少女を連れているとされ

少女の金髪は太陽を象徴しています。

ミュシャは スヴァントヴィト神を チェコの未来の希望のシンボルとして

さまざまな作品に登場させています。

 

・・・・・・・・・

 

スラヴ叙事詩は 描かれた当時はチェコ国民のための メッセージでした。

しかし 作品が完成した時 

すでに10年前に独立していたチェコスロヴァキア共和国と国民にとって

スラヴ叙事詩は メッセージも絵画作品としても 時代遅れの お荷物になっており

プラハから遠く離れたモラヴィアの古城に閉じ込められてしまったのです。

その後のチェコスロヴァキア共和国は ナチスドイツに解体され

大戦後もソ連の共産党支配体制に組み込まれて 

再び独立するのは ミュシャ没後50年の 1989年になってからのことでした。

時代遅れとされ 忘れられかけた作品でしたが 

20世紀の戦争と核の脅威 21世紀もテロと経済不足の不安が解消されない歴史をくぐって

スラヴ叙事詩のメッセージは チェコ国民だけでなく 人類に普遍のものと見直されつつあり

世界中で再評価がはじまっています。

画家は その時代のために作品を制作します。

しかし 優れた芸術は時代を超越してメッセージを語り続ける。

ミュシャは そのような芸術家であることを スラヴ叙事詩は われわれに知らせてくれます。

なぜ ミュシャは スラヴ叙事詩を描かなければならなかったのか。

ミュシャの心のうちを訪ね そのうえでもう一度 美しいミュシャスタイルのポスターや装飾パネルを見ると

ミュシャの新しい世界が見えてくるでしょう。

 

 

  今回 サイト 『ミュシャを楽しむために』 から  

たくさん引用させて頂くにあたり  

転載許可願いのメールを差し上げたところ 快く承諾して下さった上

こんなお話も 伺うことができました。

 

ミュシャは むしろ 最初は音楽の才能が認められ

ヴァイオリンも アマチュアですが うまかったようです。

また パリのアトリエには オルガン(ハルモニウム)があり

ゴーギャンが弾いている写真があります。

このハルモニアは プラハのイジー・ムハの家で 実際に見たことがあります。

 

『スラブ菩提樹の下で宣誓する青年たち』 の

ハープを弾く少女自体がルミールなのではなく

チェコの人たちに吟遊詩人ルミールを思い起させるように描いています。

モデルはミュシャの娘 ヤロスラヴァですが

彼女の名前の意味は  スラヴの祭典 スラヴの春 という意味があり

ルミールの連想などから スヴァントヴィト神を連想させるように 関連づけて

 画面を構成しています。

 

いろいろ たくさんのことを教えていただき ありがとうございました。

ミュシャを もっともっと楽しみたい方 必見のサイトです。

 

 


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