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クイズ 屏風編

SCENE5 〜六曲一双 洛中洛外図屏風・舟木本〜

 

 

 

↓ 右隻 

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8532 重文 洛中洛外図屏風(舟木本) 右隻 岩佐又兵衛筆 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵 2015・12・2入手 宴祭り踊り

 

 

奥平俊六著 『洛中洛外図・舟木本 町のにぎわいが聞こえる』 小学館 より

 

向かって左上から右下にかけ 鴨川が流れる

その右方(東)は洛外 左方(西)が洛中

右隻は洛外 東山の景観が中心である

四・五扇 中ほどに 五条大橋

一・二扇に 他を圧して偉容を誇る方広寺大仏殿

豊臣家を象徴する巨大建築物で 奈良の大仏殿より大きかった。

現存するのは 一扇下の 三十三間堂のみ。

 

 

↓ 左隻

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8533 重文 洛中洛外図屏風(舟木本) 左隻 岩佐又兵衛筆 江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵 2015・12・2入手 宴祭り踊り

 

右上に鴨川と三条大橋がわずかにみえる。

その左方はすべて洛中。したがって 左隻の大部分が洛中なのである。

左下端に 巨大な二条城  左上(五扇上)には 都の旧勢力を象徴するかのように御所が描かれ 

右下には東寺(一扇二扇下) その左方に西本願寺(三扇下) 

南北の範囲が明治される

 

 

 

 

のカデンツ

 

屏風シリーズを作成するうち そうだ 東京国立博物館所蔵の 洛中洛外図屏風にも

絶対 楽器が入っているなと思い 上野に行ったついでに ↑ のカードを購入してきました。

しかし 右隻左隻の全体図カードは あまりに小さすぎて 楽器など まったく確認できません。

↓ ただ一枚だけ 全体図と一緒にアップカードが置いてありました。

そのカードに描かれているのは 左隻二扇上部  祇園祭礼の様子です。

これくらいなら なんとか楽器も確認できます。

 母衣(ほろ)の後ろについて 太鼓をたたく男の人 分かりますか?

 

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8534 重文 洛中洛外図屏風 (舟木本) 左隻 祇園祭り  岩佐又兵衛筆 江戸時代 17c 2015・12・2入手 宴祭り踊り

 

 

このカードのおかげで 左隻の全体図カードは 無事 エントリーできますが

右隻の全体図カードは 楽器が確認できなければ エントリーもできません(涙)

そこで 図書館に予約をかけ 

奥平俊六著 『洛中洛外図・舟木本 町のにぎわいが聞こえる』 小学館 を 

まず手にしました。 

この本から引用させていただく箇所は 以下 (奥平俊六著) とします。

うんうん やっぱり! たくさん楽器が描かれていましたよ。

↑ 祇園祭りのカードについての解説もあり

四条通りを行く笠鉾 大きな朱傘を押し立てて鬼面のものが団扇(うちわ)を振り仰ぎ

赤熊(赤毛のかぶり物)の者が 笛や太鼓で囃す。

先頭で踊るのは棒振り。

みな異形のいでたちで 激しく踊り囃す。

・・・・・・

祇園祭礼の山鉾巡行は 洛中洛外図の主要モチーフで 室町期にも江戸期の作例にも

必ず描かれるが 本図では この赤い傘のみである。

・・・・・

笠鉾の仮装 武者の巨大な母衣(ほろ) 

母衣は本来 戦場で流れ矢を防ぐものだったが 

ひとたび祭りの場に登場すると派手で巨大な飾りとなる。

祭りの風流 きわまれり。

(奥平俊六著)

 

せっかく たくさんの楽器が確認できたのに

このクイズ屏風編を作成するには 画像が 不可欠ですが

あの小さい全体図カードから 引き伸ばすのには限界があります。

どうしたものか と ネットで

洛中洛外図屏風・舟木本 を検索してみたところ  

真っ先に 『e国宝』 がヒットし 

なんと そのサイトでは この屏風の どこでも好きなところを 

自由にクローズアップして 見ることができたのです!

さらに 『画像の無料使用の範囲と条件』  というところを熟読した結果 

営利目的ではない場合 

http://www.tnm.jp/ のリンクを貼ることと 

画像提供 東京国立博物館 と明記するという ルールを守れば 

それらの画像を お借りすることも可能。

嬉しい!!

  さきほどの 祇園祭の楽器も ほら こんなに くっきり。

 

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

 

すごいな〜〜ネットって!  と感動しているうちに 

予約していたもう一冊の本 

 黒田日出夫著 『洛中洛外図・舟木本を読む』 角川選書がやって来ました。

この本から引用させていただく箇所は 以下 (黒田日出夫著) とします。

そして この本でも 絵画資料読解の手段として 

『e国宝』  http://www.emuseum.jp/

の高精密デジタル画像の素晴らしさを 述べていらっしゃいました。

まったく同感!! (なんて・・・ こちらは ただのお遊びなのに 一緒にして すみません)

よく見ると この本は 平成27年11月25日 初版発行 とありますので

図書館で予約した時は できたて ほやほや。 

それで (奥平俊六著)の本より すこし遅れてきたのですね。

それでは  『e国宝』 と 上記の2冊の本に 深く感謝し & お世話になりながら

順次 この屏風に登場する楽器を ご紹介していきたいと思います。

 

 

左隻の祇園祭から始めましたので 同じく 左隻五扇上部 御所内

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/  

 

内裏の紫宸殿 南庭の舞台の雅楽

舞台は二人舞。 舞人は鳥兜(とりかぶと)を被り

かさね装束を着て 裾を長く引いている

・・・・・・・

楽器は 大太鼓(だだいこ) 笙 篳篥(ひちりき) 龍笛(横笛) 笏拍子(しゃくびょうし)など

(黒田日出夫著)

 

 

左隻一扇中部

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

五条通り 軸物屋 錫師 本屋が並ぶ。

その前を行く 日傘をさしかけられ 鈴を振る 「歩き巫女」の姿がひときわ目をひく

都市には さまざまな遊行者や芸能者が集まる

背後から烏帽子(えぼし)に白衣で締め太鼓をバチで打ちながら続くのは 神宮のねぎ。

神おろしを業として諸国を巡遊した。

(奥平俊六著)

 

 

左隻二扇中部

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

室町通り

釣鐘(つりがね)をおしたてて ドラを打ち鳴らし 柄杓(ひしゃく)で勧進して回る僧たち

(奥平俊六著)

 


 

 

さて つぎは 四条河原に 注目してみましょう。

 

応仁の乱後の 祇園祭礼の復活によって

16世紀には 少し賑わうようになったが 本格的に賑わいを極めるのは

 近世初頭 広い河原に歌舞伎小屋をはじめとする見世物小屋が林立するようになってから。

本図には 初期の歌舞伎や浄瑠璃の小屋掛け興行のありさまが 詳しく描かれている。

近世初頭 五条河原に芸能の小屋ができ それが四条河原へと移った。

本図は その五条の歌舞伎も描かれており 過渡期的な姿を示しているのも興味深い。

(奥平俊六著)

 

 

まずは 二軒並んだ人形浄瑠璃の小屋から。   右隻六扇上部 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

歌舞伎小屋より やや小ぶりだが

竹矢来(たけやらい)にむしろ張り 幔幕(まんまく)を張った櫓(やぐら)に ねずみ木戸 など

櫓(やぐら)に 三つ道具 《 熊手 毛槍(けやり) 刺股(さすまた) 》 がない以外は

ほぼ同じ仕様の小屋。

芝居櫓の太鼓が 鳴り響く

(奥平俊六著)

そうです! 四条河原では 

歌舞伎小屋にも 人形浄瑠璃の小屋にも 能舞台の小屋にも 

必ず 櫓(やぐら)があり  そこには 櫓太鼓 というものが あるんです♪

 

書き入れに 『山中ときはあやつり』 と『むねわり操り』 とあるのは

『山中常盤』 と 『阿弥陀胸割』

義経の母 常盤の仇討ちを語る 『山中ときわ』が客の涙を絞る。

もうひとつは 阿弥陀の霊験を語る 『むねわり』 

歌舞伎とともに あやつり浄瑠璃は 人気があった。

(奥平俊六著)

 


 

 

次は 能舞台

本図には能舞台は二つ描かれていますが まずは 

四条河原ではなく 右隻一扇に描かれた 豊国定舞台(とよくにじょうぶたい) から。  

こちらには 櫓はなく したがって櫓太鼓は ありません。

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

囃子方は ちらっと 描かれています。

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

方広寺大仏殿の東方に描かれた舞台。

『定舞台』 とあるごとく 恒常的なもので 桟敷も付設されている。

晩年は熱烈な能愛好者となった豊臣秀吉のために

慶長四年以降 同十九年に至るまで ほぼ毎年 四月と八月十八日に法楽能が上演された。

この舟木屏風の豊国定舞台は その唯一の 貴重な絵画表現である。

 (黒田日出夫著)

 

この舞台の演目について 黒田氏は これまでの『松風』 という説をくつがえし

金風折鳥帽子を被る直面をつけた牛若の演じる 『鳥帽子折』 と考察していらっしゃいます。

ご興味のある方は 是非 この本をお読みください。

 

 

つぎに 四条河原に描かれた もうひとつの能舞台を見てみましょう。

櫓太鼓のある小屋  右隻六扇 中部

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

囃子方

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

 

歌舞伎小屋と対置するように描かれた四条河原の能舞台。

櫓を構え そこに はりめぐらされた幕には 松樹紋が染め抜かれている。

豊国の能舞台と比較すると 地方(じかた)の多さが目立つ。

 (黒田日出夫著)

こちらの演目についても 黒田氏は

『橋弁慶』 ではなく 『鞍馬天狗』 の牛若と天狗 と述べておられますので

詳しくは 是非 本をお読みください。

 

 


 

 

さていよいよ 歌舞伎小屋です。  全部で三つ 描かれています。 

近世初頭 五条河原に芸能の小屋ができ それが四条河原へと移った。

本図は その五条の歌舞伎も描かれており 過渡期的な姿を示しているのも興味深い。

(奥平俊六著)

 

まずは その五条の歌舞伎小屋から 櫓太鼓のある舞台  右隻四扇 中部

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

囃子方

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

五条大橋東詰北側の歌舞伎小屋

木戸口の看板には

『此のうちに かふき 御さ候(ごさそうろう)

御のそミの かたかた 御見物 可成候(なさるへくそうろう) 』

とあり 舞台で演じられているのは 茶屋遊びの場。

河原の歌舞伎は 最初五条に集結し やがて四条へと移っていく

(奥平俊六著)

 

 

四条河原の歌舞伎小屋 その1

 

右隻六扇 上部  櫓太鼓のある小屋

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

囃子方

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

舞台では 『茶屋遊び』 の場が演じられている。

舞台中央に 蛭巻(ひるまき)の派手な太刀を肩にかけて立つのが カブキモノ

柱の側で 袖で口元を隠して座るのが 相手役の茶屋の かか。

歌舞伎踊りは 慶長八年(1603年)春 出雲阿国が舞台上デカブキモノを演じたのが始まりで

それは またたく間に広がった。

芸能者が時代の感覚をうまくすくい取ったのである。

そして 最初にえんじられたのが 『茶屋遊び』 の場であり

それは阿国をまねた初期の芸団も それを継いだ遊女歌舞伎の舞台でも

もっとも重要な演目であった。

本図の舞台には 脇座が設けられ 演者以外の女性も上がっているので

遊女歌舞伎と判じられる。

カブキモノも茶屋のかかも 遊女が演じているが

本来は カブキモノを女性が 茶屋のかかを 男性が演じた。

こうした倒錯的な設定と縁起も 歌舞伎が評判になった要因であった。

(奥平俊六著)

 

 

 

四条河原の歌舞伎小屋 その2

右隻 五扇と六扇をまたいだ上部  櫓太鼓のある舞台

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

太夫の演奏に聴きほれる。

エキゾチックな音色の三味線は歌舞伎にいち早く取り入れられた。

華やかな合奏は遊女歌舞伎のメインの出し物。

そこでは 遊里の太夫が歌舞伎のスターでもあった。 

(奥平俊六著)

 

 


 

 

さて ここからは 三味線特集!!

なんと   黒田日出夫著 『洛中洛外図・舟木本を読む』 角川選書 では

この屏風に描かれた三味線を すべて明らかにして下さっています。

全部で10棹! よーし 見つけてみましょう。

 

 

第一に 

座頭(ざがしら)と 御前(ごぜ 盲目の女芸人) の持つ三味線・・・三棹 

右隻三扇 上部   清水寺本堂(二棹)

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

 

右隻三扇 上部 祇園社桜門前 二軒茶屋(一棹)

 

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

座頭は三味線を肩にかつぎ 御前は三味線の弾き語りをしている。

同じ扇の祇園社桜門前の茶屋の脇にも 三味線を持つ座頭が歩いている 

(黒田日出夫著)

 

御前や説教師など 放浪芸能民の集う清水の舞台

そして参詣人の多い祇園社が とりわけ大きく描かれている。

清水寺の本堂の舞台は 文字通りの芸能の場。

新来の三味線をいち早く取り入れたのは 盲目の芸能者たちだった

やがて三味線は歌舞伎を通して近世を代表する楽器になった。

(奥平俊六著)

 

 

第二に 

遊女歌舞伎の三味線・・・三棹 (黒田日出夫著)

こちらの三味線図は 四条河原の歌舞伎小屋で すでにご紹介しましたが もう一度

右隻六扇 上部  (三棹)

  『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

歌舞伎小屋は三つ描かれているが 太夫たちが三味線を弾いているのは ひとつだけである。

その小屋では 正面の男装の太夫と その左側の遊女 そして 右側の茶屋の女房に扮した遊女の三人が

三味線を弾いている (黒田日出夫著)

 

 

 

第三に 

遊女屋などに描かれている三味線…四棹 (黒田日出夫著)

右隻四扇 上部 祇園梅の坊 (一棹)

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

本図には 西桜門を挟んで 

きおんたけの坊(祇園竹の坊)と きおんむめの坊(祇園梅の坊)という

二つの坊社が描かれている。

坊社とは もともと社僧の住むところだが

この絵をみると 明らかに接客施設として営業している。

竹の坊では 蹴鞠(けまり)と囲碁

梅の坊では 遊女が酒色のもてなしをしている。

こうした祇園坊社は 元禄期には10軒を数えたが

茶屋化した坊社の姿を これほど詳しく描くものは他にない。

(奥平俊六著)

 

 

 

右隻六扇 下部 (一棹)

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

六条柳町 『下の町』 の遊女   煙草を吸う客の前で遊女が三味線を弾いているところ。

(黒田日出夫著)

遊里の奥座敷 煙管(きせる)をくわえた客の前で三味線を弾く太夫。

立膝で座り 黒い細バチを使っている。

伝来の三弦は 爪弾くものだったが 琵琶と同様に バチで弾くようになった

(奥平俊六著)

 

 

 

同じく 右隻六扇 下端 六条三筋町 (一棹)

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

六条三筋町 『上の町』 に 若侍が三味線を肩に担いで歩いている (黒田日出夫著)

 

 

 

左隻一扇 上部 (二棹)

『e国宝』より  画像提供 東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 

 

舟木屏風には六条柳町の遊里以外に 京の町のあちこちに

営業していた 傾城屋 や 出合い屋 が浮かび上がってくる。

三筋町以外では 左隻一扇上部の 祇園御旅所のすぐ右側に 

傾城屋 が描かれている。

この遊女屋では 三味線の稽古をしている遊女が二人 みえる。 

(黒田日出夫著)

 

 

はい 以上 10棹全部 確認できました♪

あっ、でも これって ただ三味線を見つけるお遊び では なかったのです。

 

舟木屏風の三味線は 

遊里 遊女屋 女歌舞伎小屋 そして 座頭 御前 たちのものであり

その音色が 歓楽 遊楽の場を おおっていたのである。

三味線の音色は 清水寺や祇園社などの寺社にも

下京の町のそこかしこの遊女屋にも

そして四条河原の遊女かぶきの小屋にも あった。

六条柳町の遊里だけ注目していては 

舟木屏風の享楽・歓楽表現は 見えてこない。

 (黒田日出夫著)

  

 

ほらね、奥深いんです。

 この本では 三味線の構造上の発展の過程なども 詳しく述べられていますので

興味のある方は 是非 お読みください。

ここでは ちょっとだけ抜粋させていただきます。

 

このような 遊女屋などの光景をみて気付くのは 三味線とその流行である。

三味線は日本の弦楽器で 江戸時代に発達 今日でも各方面で使われている。

祖型は中国の三弦である。

この楽器を最初に手にしたのは それまで琵琶を弾いていた『当道』の盲人の音楽家たちで

この三弦を 琵琶の演奏で使用していた大きなバチで 弾くようになる。

(中略)

以上のような 三味線の改良は 江戸時代を通じてなされた。

三味線は十三弦の筝(こと)とともに

日本の民族的な楽器を象徴するものとなり 三味線の音楽である地唄は

江戸時代以降に成立した日本音楽を代表するものになった。 

(黒田日出夫著)

 

 


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