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死の舞踏 と 死の勝利

 

 

 小池寿子著 『死の舞踏への旅』 中央公論新社 から抜粋します。

 

暮れなずむ ヨーロッパ中世に影を落とす

生者と死者の舞踏行列。

かたかたと骨の鳴る音が聞こえてくるような この行進は

王侯貴族のみならず 民衆の心を捉えて離さず

16世紀までには ヨーロッパ全土を 死の熱狂に包んでいった。

ダンス・マカーブル dance Macabre

のちに 死の舞踏と呼ばれる絵図である。

それは 過酷な時代だった。

まずは カトリック教会の危機があった。

ローマ教皇が南仏のアヴィニォンに幽閉されたことに始まる教会分裂

かたや 世俗世界では イングランドとフランスの百年戦争

100年以上にわたって繰り広げられたこの戦いに

諸権力が巻き込まれ分裂し 国土は荒廃し 多くの人命が失われた。

加えて 1347年 シチリアに上陸した黒死病(ペスト)が

またたく間に北上し 全ヨーロッパを席捲

全人口の三分の一を奪い  以降

まるで 寄せては返す波のように ヨーロッパの風土を 洗い流していった。

それらは カトリック教会の権威の失墜

世俗権力の伸長 そしてなにより 死亡率の上昇を促し

総じて 中世の変容を招いた。

死の舞踏が成立する背景には 中世後期の三大危機といわれる

これらの事件があったとされるのが 通説である。

 

 

 

 

のカデンツ

 

 7577

7577    Museum der Stadt Fussen  St.Anna−Kapelle 
Totentanz von Jakob Hiebeler 1602
  2014・5・27入手 
楽器

 


あるテレビの旅番組で 

ドイツ ロマンチック街道の終着地 フュッセンを紹介していました。

ここは シンデレラ城のモデルとされる かの有名な

ノイシュヴァンシュタイン城への中継地 でもあります。

中世の頃から フュッセンには 

リュートやヴァイオリンなどの楽器職人が多く住んでいたそうで

 1562年 ヨーロッパで初めて ヴァイオリン制作者の組合が設立されると

ますます 楽器職人の町として発展していったそうです。

なにより 是非訪れてみたい と思ったのは 

現フュッセン市博物館のアンナカペル(チャペル)に描かれた 

↑ 7577の 死の舞踏 が紹介されたから。

聖マング修道院の中世の回廊部分から

バイエルン州で一番古い このアンナカペルが発掘された時

1602年 ヤーコブ・ヒーベラー作の 『死の舞踏』 も 

見つかったのだとか。

 

あらゆる階級の人々を 

楽器を奏でながら 死への舞踏に誘っている骸骨(死神)の

その絵に  すっかり魅せられました。

うっ、 あのカード 欲し〜〜い!

念願叶い 2014年 ついにフュッセン を訪れました。

 

ウィキペディアから

死の舞踏 は 死の恐怖を前に 人々が半狂乱になって踊り続けるという

14世紀のフランスの詩が起源とされており

一連の絵画 壁画 版画 の共通のテーマとして 死の普遍性 があげられる。

生前は 王族 貴族 僧侶 農奴 などの異なる身分に属し それぞれの人生を生きていても

ある日 すべての人に 平等に訪れる死によって 

身分や貧富の差なく 無に統合されてしまう という死生観である。

死の舞踏の絵画では 

主に 擬人化された死が さまざまな職業に属する踊る人影の行列を

墓場まで導く風景が描かれている。

イタリアでは ペトラルカの歌集『凱旋』 の影響を受け 踊る骸骨ではなく 

鎌などをふりかざした典型的な死神の図像が描かれるのが 特徴的である。

これらは 死の舞踏に対して 死の凱旋 または 死の勝利 と呼ばれるが

広義の意味では 一連の 死の舞踏 に含まれることが多い。 

 

 

ヤーコブ・ヒーベラー作 『死の舞踏』 に描かれた 総勢20人が 

それぞれ全部 独立したカードに なってくれていれば

嬉しかったのですが・・・

  二十枚中 四枚だけ ありました。

上段左から順番に 身分の高い人が描かれているそうなので 

王冠の この赤マントの人物は 

二十人ちゅう 三番目に 身分が高いことに。

 

 

7578

7578  Museum der Stadt Fussen  Der Tod und der Furstin
Detail aus dem Fussener Totentanz von Jakob Hiebeler 1602
Annakapelle, Barockkloster St.Mang  2014・5・27入手 
バグパイプ

 

 

 

こちらは上段右端 5番目に身分の高い貴婦人 王妃かも。

 

 7579

7579  Museum der Stadt Fussen  Der Tod und der Furstin
Detail aus dem Fussener Totentanz von Jakob Hiebeler 1602
Annakapelle, Barockkloster St.Mang  2014・5・27入手 
金管ラッパ

 

 

↓こちらは8番目の男性。 南ドイツですから ビールの樽でしょうか。

この絵はフュッセン市博物館の2階にある古楽器展示室コーナーにも 

複製が飾ってありました。

テレビでは 彼はレストランの経営者 と紹介されていました。

 

 

7580

7580 Museum der Stadt Fussen  Der Tod und der Furstin
Detail aus dem Fussener Totentanz von Jakob Hiebeler 1602
Annakapelle, Barockkloster St.Mang  2014・5・27入手 
ヴァイオリン

 

 

 

↓ こちらの男性は 一番下の段の右端ですから この絵のなかで 

一番身分の低い人のはずですが そうは見えません。

それもそのはず 

この方こそが この絵の作者 

ヤーコブ・ヒーベラー様 自身なのだそうです。

 

 

7581

  7581  Museum der Stadt Fussen  Der Tod und der Furstin
Detail aus dem Fussener Totentanz von Jakob Hiebeler 1602
Annakapelle, Barockkloster St.Mang  2014・5・27入手 
民族リュート

 

 

 


 

 

 

 

↓ こちらは スイス・ベルン大聖堂の ステンドグラスの 『死の舞踏』

 フュッセン市博物館のアンナカペル以前に 入手したものですが

その時はまだ  『死の舞踏』 というテーマなど 意識していなかったので

定形外の このカードの収納のことばかり考え 悩んでいました(笑)

 

 6018

  6018  Schweiz Suisse Svizzera Switzeland スイス  Berne - Caterdral (15th century)
Wineow with dance of death (20th century)  2009・5・22入手 
楽器

 

 

15世紀に建てられたベルン大聖堂内には 

たくさんのステンドグラスが飾られていますが

当時のものから 新しいものもあり 

この 『死の舞踏』 は 20世紀のステンドグラス。

音楽やダンスで すべての人を死へと誘導する骸骨

でも どこか コミカルで 癒されますね。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

2019年 久しぶりに  死の舞踏 に出会いました!

バルト三国を巡るツアーに参加

エストニアの首都タリンの

ニグリステ教会(聖ニコラス教会)の宝となっている

15世紀末の 死の舞踏 です。

板に布を張り その上に描かれたもので

当時のまま 現存する 死の舞踏 は たいへん貴重なものだとか。

 

それは 聖堂脇の広いスペース(美術館)に 展示してありました。

縦 1メートル60センチ(ほぼ等身大) 横 7メートル50センチの 大きな絵。

本当は 全長30メートルほども あったのだそうですが

第二次世界大戦で焼失し 

かろうじて 約 四分の一の この部分だけ 焼け残ったのだそうです。

ハンザ同盟で バルト海沿いに交流のあった 

ドイツ リューベックに住む画家 ベルント・ノトケ作。

 

 

暗い堂内のガラスケースの中 照明の反射もあり なかなかうまく撮影できなかったのですが

一番 ましなものを。

 

 2019・9・15撮影

 

 

 

 いつかは皆 

骸骨のダンスに導かれ 死の世界へと旅立ちます。

あれっ?

骸骨は踊っているものの 楽器を奏でている人(?)がいないのでは と

すこし あせりましたが 大丈夫♪

 左端で バグパイプを演奏している骸骨を みっけ!

音楽がなければ ダンスはできないんですものね。

 

 

ドイツ リューベックの教会にも 

同じベルント・ノトケの作の 死の舞踏 があったそうですが

 そちらは 戦火で 完全に焼失してしまったそうです。

ちなみに そのリューベックの 死の舞踏は

 骸骨の持つ楽器が バグパイプではなく フルートだったそうで

タリンの絵には 一番左に説教壇があり 説教師が描かれていますが

 (ステンドグラスの窓が写り込んで よく見えないかもしれませんが)

リューベックのものには描かれず フルート奏者から始まっていたとか。

 

さて このタリンの 死の舞踏 は 

説教師に続き ターバンを巻いたバグパイプの骸骨

棺をかつぐ 骸骨

赤マントの教皇の手をとる骸骨

王冠の皇帝  皇后 枢機卿 市長 らが 

 つぎつぎと 死のダンスへ導かれていきます。

焼け残ったのは 身分の高いこの五人の人たちの部分だけ。

全長30メートルには 一体 どんな階級の何人の人が

描かれていたのでしょう?

 

残念ながら 教会売店には 

死の舞踏のカードは 一枚も 置いてなくて

フリータイムで行った 超モダンな タリン国立(クム)美術館の売店で

↓ こちらのカードをゲット!!

普通の人なら みんな 尻込みするようなカードでしょうけど

 にとっては 

なにより一番大事な バグパイプの骸骨カード!!

こんなにアップにしてもらって 待っていてくれたなんて 感激♪

でも ノトケ様

よ〜〜く見ると

このバグパイプ 吹かなくても 音が鳴るのかなぁ?

 

 

 

 10030

  10030 Workshop of the Lubeck master Bernt Notke
Danse Macabru detail  End of the 15th century
Published by the Art Museum of Estonia Niguliste Museum 2012   2019・9・15入手 
バグパイプ

 

 

 

 

 


 

 

死の勝利

 

 

 ウィキペディアによると

 

死の舞踏の絵画では 

主に 擬人化された死が さまざまな職業に属する踊る人影の行列を

墓場まで導く風景が描かれている。

イタリアでは ペトラルカの歌集『凱旋』 の影響を受け 踊る骸骨ではなく 

鎌などをふりかざした典型的な死神の図像が描かれるのが 特徴的である。

これらは 死の舞踏に対して 死の凱旋 または 死の勝利 と呼ばれるが

広義の意味では 一連の 死の舞踏 に含まれることが多い。 

 

とあります。

↓ こちらは  そのイタリア版 死の勝利。

 

 

 

   2806

2806 "Trionfo della Morte" affresco XV sec. (Autore ignoto)
Galleria Regionale della Sicilia  Palazzo Abatellis PALERMO 2003・10・22入手  
アンサンブル

 

 

 

シチリアはパレルモの 州立美術館を訪れた人なら 誰もが皆

入り口近くの この巨大な 死の勝利 を前にして圧倒される と聞きました。

このカードは 友人 YT が お知り合いの方から 強引に譲り受けてくれたものです。

というのも YT は せっかくそこを訪れ この絵に圧倒されたにもかかわらず 

何かの都合で このカードを調達できず とても残念がっていたのです。 

 メッシーナの受胎告知のマリア と並んで この美術館の目玉作品 とのことですから

きっとお知り合いの方は 旅の記念に大切にされていたカードだったのでは

と申し訳なく思い 

感謝の気持ちをこめて この展示室にアップいたしました。

このフレスコ画は もともとは 

パレルモのスクラーファニ宮殿の壁を飾っていたものだそうで

作者は不詳で 15世紀中頃のものとか。

四つに切り取って、 再び このようなパネル装に仕立て直し 

現在 パレルモの州立美術館にあるそうです。

1348年をピークに 全ヨーロッパを死の恐怖に陥れた黒死病。

 このペストで失われた人口は

イタリア全土で二分の一、全ヨーロッパで三分の一から四分の一に のぼったとか。

当時の人にとって それはそれは 想像を絶する恐ろしさ だったに違いありません。

避けられない死は メメント・モリ(死を思う)として

イタリアでは 『死の勝利』 という図像で描かれました。

 

 

宮下孝晴の徹底イタリア美術案内  美術出版社 によりますと

ペトラルカの書いた 『勝利 trionfi 』 も強く影響しているとあります。

 以下 抜粋します。

 

死 あるいは全てを食い尽くす 時 というのは

愛よりも 名声よりも強く 神の永遠性にはかなわないものの

地上では最も強力な存在だと考えられたのです。

そして誰にでも突然に訪れる 死の前に 人はみな平等だ と考えられました。

あばら骨の透けて見える馬と それにのって疾走する骸骨の死神。

腰に大鎌と矢筒をくくりつけ、左手に握った弓で必殺の矢を放っています。

この場合の矢は、どうして感染するかわからなかったベストにかかること の象徴でした。

画面手前に重なり合った屍は みな王侯貴族や貴婦人、司祭や修道士など時の権力者たちです。

死神が狙っている画面右手の人々も、↓ 日々の生活を謳歌している若き宮廷人たち。

 

 

   

 

 

貧しき人々の一群は画面の左端 もう死神が背を向けて走り去ったところに描かれています。

圧制者に苦しみながら生きる人の目には、突然襲ってくるペストはあたかも

神の審判のように映ったのかもしれません。

 

 


 

 

こちらは

 

ブリュ ーゲル(父)の 死の勝利。

ブリューゲルは フランドルですが

 ペトラルカから インスピレーションを受けた 

とも いわれているそうです。

 

 

5515

5515  Pieter Bruegel  ’el Viejo'  El triunfo de la Muerte, h. 1562
Madrid, Museo Nacional del Prado  2008・11・8入手  
アンサンブル

 

  

 

 金管ラッパ リュート

 

 


 

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