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バラメイ

 

500

500   壁画 衆人奏楽図 土壁彩色 中央アジア ベゼクリク出土 (9〜10世紀) 東京国立博物館蔵
2000・2.15入手  
アンサンブル

 

 

のカデンツ

 

NHK  『世界 我が心の旅』 は大好きな番組でした。

2000年7月2日に放送された 

雅楽師 東儀秀樹氏の 『シルクロード 古の笛の音を訪ねて』 

すでにコレクションを始めていたこともあり とても興味深く視聴しました。

再再(?)放送(2007年4月)の時は このHP用に しっかり取材も しました。

篳篥(ひちりき)の元祖といわれるバラメイ という楽器を 

さっそく番組にそってご紹介しましょう。

 

 

東儀秀樹氏は この絵の中の縦笛に興味をもち

雅楽の篳篥(ひちりき)のルーツを訪ねる旅に出かけます。

シルクロードの要衝の地、新彊ウイグル自治区トルファン。  

今でこそ民族のるつぼの地となっている そこは

1500年前 高昌国(こうしょうこく)という仏教国があり

楽器の名手がたくさんいた と伝えられています。

仏教儀式に欠かせない音楽奏者が 活躍していたのです。

↑ このカードの 仏教遺跡ベゼクリク千仏洞 は 

6世紀ころから800年かけて 険しい山の断崖に 80を超える石窟が作られ

それらの壁一面に このような色鮮やかな仏教画が描かれていたそうです。

 その美しい壁画が注目を浴び 世界に紹介されることになったのは 

およそ今から100年前。

しかし 貴重な壁画の一部は、外国の探検隊などに持ち去られてしまったそうです。

度重なる破壊と、風化で傷みが激しいため

長年にわたって修復作業が続けられているそうです。

トルファンの楽器店で、東儀氏が持参した篳篥(ひちりき)をみてもらったところ

トルファンには その楽器はないが

ウルムチ(トルファンから180km) に 

それによく似たバラメイ という楽器があるということで

さっそくウルムチヘ行き そこで 

古くから伝承されている民族音楽の公演活動もしているという

奏者を訪ねます。

そこで見せてもらった バラメイは 

篳篥(ひちりき)と同じくらいの大きさ(約18cm)で 

一本の葦で出来ていました。

リードの部分も一体になっていて、葦の先を薄く削り

日本では 『責め』 と呼ばれる小さな板で押さえられています。

上部の幅広の責めの部分が独特で、ちょっと十字架のような形にみえます。

一方 篳篥(ひちりき) は本体は竹で作られていて

リードの部分だけ葦で作られ 差し込みます。

そして バラメイより幅の狭い 責め がはめられています。

竹には9つの指穴があいていて 

その間を桜の皮のひもで巻いて 全体を漆で仕上げている 

篳篥(ひちりき)との違いの 説明もありました。

そして このバラメイも加わったウルムチの民族音楽を 

踊りとともに演奏してくれましたが

イスラムの影響が強い音楽かな という印象でした。

 新彊ウイグル芸術研究所長 周吉氏 の話では

バラメイは 新彊ウイグルに古代からあったもので

それがシルクロードを通って日本へと伝えられたということです。

篳篥(ひちりき)の先祖にあたる たて笛のことは

昔の書物にたくさん記されているそうで

番組の中でも 古代の壁画や経典の中の絵画を いくつか紹介してくれました。

 

 

 

↓ キジル千仏洞に描かれていたバラメイを吹いている人(4世紀)

 

(TV画像より)

 

 

 

↓トルファン ベゼクリク千仏洞 バラメイ(10世紀)

(TV画像より)

 

 

あっ! このカードは持っています。 

ベゼクリク千仏洞から出土の書簡のなかの奏楽天女? です。

2478

2478  ソグド語マニ教徒書簡 10世紀 トゥルファン地区博物館蔵   
THE BROCADE AND GOLD FROM THE SILK ROAD  「シルクロード
 絹と黄金の道 」展
 2002・12・26入手    
アンサンブル

 

 

 

 

↓ こちらは 西洋のエンジェルのようでもあり、仏教の天童とみることもでき

東西の交流が うかがえるということです。

東儀氏は エンジェルが篳篥を吹いていたなんて嬉しい!とおっしゃっていました。

 クチャ スバシ仏寺(7世紀)

 (TV画像より)

 

 

NHK Eテレ の別番組(たぶん日曜美術館)で  この天童天使の出自が判明 

 

TV画像

 

 

 

 

 唐の文献 『楽府雑録』 には

バラメイのことを 篳篥(ビリー) と書かれているそうです。 

まさに 篳篥(ひちりき)と同じ文字。

もともとは 悲篥(ビリー)という字が使われていたそうで 悲しい音色の楽器と書かれているとか。

厳しい自然の中で生活する少数民族の心を表すのに最もふさわしい音色の楽器。

バラメイの音色は人間の声に近く その心を表すのに適しているということです。

これには 東儀氏も納得されたようでした。

バラメイは

現代のクチャ(ウルムチから さらに650km)あたりの 胡(こ)の人々が最初に作ったとされ

今でも民間伝承されているということで、 こんどは列車で14時間かけてクチャへ。

そこには バラメイの原材料 葦の群生地がありました。

そこで結婚式に出向く楽隊の演奏をきかせてもらいます。 

↓白シャツの人が バラメイを演奏。(十字架のよう)

 

(TV画像より)

 

う〜ん、このにぎやかな楽隊は まさに 冒頭のカードの 衆人奏楽図そのもの。

 

蛇足ですが

  が篳篥の音色を初めて聴いたのは 

これまた初めて出席した神前結婚式でのこと。

まだ高校生になりたての頃で、お箸が転げても おかしな年頃だったのですが 

緊張しながら列席していた時  

あまりに突拍子に あまりに場違いに(と感じた) 

 押しひねり出されるように響きわたった 

ぷ・ぶぅわぁ〜〜〜〜ん という 篳篥の音色

太く濁った音でありながら・・・

きちんと音程が定まらない 震えるような抑揚の・・・ 

思いのほか高音も出す・・・

エトセトラ エトセトラ

緊張感の中で 突如 こんな思いもよらない音が鳴リ響きわたったため

 つい吹き出してしまい

 止めようとすればするほど苦しくなり

 神聖なお式のあいだ中 堪えるのに悪戦苦闘

周囲のヒンシュクをかってしまった という 苦〜い体験があります。

ああ、

今にして思えば あれがシルクロードを伝わってきたバラメイとの 

最初の出会いでした。

かしこみかしこみ・・・と腰を直角に折って

神妙にお祓いしている神主さんと 

微妙に音程がずれた 躍動感ある音色。

悲篥(ビリー)

それは 悲しさだけではなく 

シルクロード少数民族の生命力 図太さ、明るさ を兼ね備えた音色なのでした。

 

 

では、まとめに 東儀秀樹氏自身の著 『雅楽』 集英社新書 

から 抜粋したいと思います。

 

雅楽のルーツというと、中国や朝鮮半島の国々が起源とされるが

もっと細かく言えば ベトナム・インド・シルクロードの

さまざまな国々から流れてきた音楽がベースになっている。

それも そういう国々を通ってきたということで

どこの国で生まれたという限定した言い方はできないだろうと

僕は思っている。

古代のどこかの国で 筒に風が通ったら音がする という発見を 誰かがしたとする。

人工的に音を作り出そうと思うきっかけは 自然の中のそんな発見ではないだろうか。

何を筒にするかは、環境によってそれぞれ。

竹のある国 葦のある国ならそれが中心、

なければ何かをくりぬいて空洞にしたり 貝や木の実を・・・と

その地域の人々の感性の違いが音楽文化の違いになる。

雨乞いをする干ばつの地域 雨や洪水に遭いやすい地域では 

当然音楽性も変わるし それが特色になる。

日本を含めたアジアで 人種的にも風土的にも同じ環境では

似た音楽体験で 似た楽器を発祥させているのは ごく自然なこと。

・・・・・・・・

篳篥(ひちりき)のルーツを求めてシルクロードを訪ねた。

トゥルファンでは中国のスナイを。

しかし葦のリードで筒のすそが広がっていて音がチャルメラのようでまるで違う。

ウルムチのバラメイは、一本の葦でできた素朴な たて笛。

たしかに篳篥に通じるゆらぎはあったが、篳篥のような繊細な力強さとは違う。

篳篥について 新疆ウイグル自治区芸術研究所に文献が残されていた。

そこには、篳篥のルーツはクチャにあると書かれていた。

クチャにはその昔(1〜7C)文化を築いた胡の人々がいて、

篳篥(ビリー悲篥)を作ったとある。

篳篥のでてくる唐の詩もあった。

篳篥という楽器を西域の胡の人が吹いてくれた。

その音色を聞いた人は、みな望郷の思い出で涙が止まらなくなる。

なぜそんなに涙が出るのか みな理由が分からない。

分からないが 魂を揺さぶられるようなそんな切ない感覚は、

この宇宙や自然界に存在するものではないだろうか・・・と。

しかしクチャのバラメイも篳篥にそっくりではあるが、僕には違う音。

1500年、2000年前(イスラムが流入してくる前) の仏教の都で吹かれていたメロディーは

もうどこにも残っていないのかもしれないと感じた。

・・・・・

トルコの ドゥドゥク あるいは メイ は篳篥そっくりの楽器。

バラメイは一本の葦でできた縦笛だが、ドゥドゥクはリードと本体の部分が分かれていて

リードの作り方や形状、材質がほとんど日本の篳篥と同じ。

ただ本体が竹ではなく、木をくりぬいたものだった。

穴の数も同じ、リードをさして湿らせて吹くシステムも同じ。

口のしめつけ方て揺らぎを調整しながら音程をつかまえていく吹き方も似ている。

しかし ドゥドゥク の音色は、篳篥の力強い音に比べると 

音の幅もせまくソフトで小さい音しか出ない。

賑やかなトルコで地味なドゥドゥクは忘れられる運命だったのかも。

・・・・・

1500年前、シルクロードを通って日本に入ってきた雅楽のルーツはもうどこにも存在しないのだ。

今も最古の形と音を残しているのは雅楽だけかも。

他の楽器や音楽は宗教や風土、あるいは時代とともに 

どんどん進化し、その形や音を変えていった。

今もそうやって進化しつづけている。

しかし、日本の雅楽だけは、楽器も音楽も平安時代に熟成し 完成され そこで止まった。

そして変わらず今まで伝承され続けた。

雅楽は外来音楽でありながら、それを伝えた国々にはもうそのルーツは存在しない。

遠い2000年前の音色に思いをはせたシルクロードの旅は

いつも雅楽の原点へと立ち返るものだったような気がする。

 

 


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