ティンパニー奏者
4164
4164 PAUL KLEE (1879-1940) 1940
L.10 (270) Beater of Kettle-drums
Mehrfarbiges Blatt, Kleisterfarben altes Butten 34,4;21,7
signiert,rechts oben
2006・10・18入手 ティンパニー
のカデンツ
このクレーのカードは ミュージアムショップなどで よく見かけていました。
しかし まさかこれが ティンパニー奏者 とは気がつきませんでした。
ある日、NHKの番組 『迷宮美術館』 で クレーを取り上げ、
クイズ形式で このティンパニー奏者のことを紹介してくれたのです。
即、カードを買いに走りましたとも(笑)
では番組に沿って、ご紹介します。
パウル・クレー(1879−1940) は、スイス生まれの画家。
音楽家の両親のもとで、音楽と絵画の両方の才能を開花させながら 成長。
けっきょく 画家になることを決意し、
ドイツで絵を学び のちにバウハウスで教鞭をとります。
チュニジア旅行をしたことがきっかけで
細かいグラデーションによる表現法を試み
ステンドグラスやモザイクのような美しさを放つ 独自の抽象絵画手法
を確立させていきました。
それは 好きだったバッハのフーガの楽譜から発想を得
並ぶ音符のイメージを色彩に置き換える という試みだったそうです。
音符のイメージを色彩に・・・だなんて
クレーさま このHPの深いところをついてくれているではありませんか!
が そんなドイツでの画家としての成功も、やがて
台頭してきた 抽象画嫌いのヒトラーからの迫害を受けることとなり
故郷のスイスに亡命せざるをえなくなります。
そして晩年は 筋肉硬化症になり、絵筆も持てなくなります。、
線描きの天使などを描くようになったのは そのためだそうです。
そして その最晩年
力を振り絞って絵筆をとって描いたのが このカードの ティンパニー奏者。
これは ドレスデン国立歌劇場管弦楽団のティンパニー奏者である
ハインリヒ・クナウアーをモデルに 描いたものだそうです。
単純化されていますが、なんともいえない力強さ、
破壊力のあるティンパニーの響きが まさに聞こえてくるようです。
この目もすごい!
生きている力、死に向かう悲しみ、
クレーの力強いメッセージが こめられているようです。
<追記>
NHKハイビジョン特集 「パウル・クレー」でも
このティンパニー奏者についての考察がありました。
プロ級の腕前のヴァイオリンで
敬愛するモーツァルトの曲を弾くのが好きだったクレー。
そのモーツァルトも死の直前、未完成に終わった曲レクイエムのなかの
ティンパニーの一節を口ずさみながら亡くなったといわれているそうです。
クレーのこの ティンパニー奏者 は 死を予感した 1940年の最晩年に描かれました。
迫りくる死のなかで クレーもまた、ティンパニーの音を聴き、それを絵に描いたとのこと。
1940年という年は、
クレーの作品を退廃芸術と批判したナチスドイツが ベルギーオランダに侵攻し
さらにパリを陥落させ、 ヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争の まっただ中。
ナチスの脅威に晒された芸術家たちにとって 残された道は
クレーのように亡命するか、隠遁して沈黙を守るか、迎合して生き延びるか
三つの選択しかありませんでした。
自由な表現方法を奪われた そんな芸術家達の苦悩を
このティンパニー奏者はあらわしている とも いわれているそうです。
番組の中の 美術史家 オットー・ヴェルクマイスター さんの話では
このティンパニー奏者の体が 断片的ではあるが、ナチスドイツのカギ十字 になっているとのこと。
『赤、白、黒 の三色は カギ十字をつけたナチスドイツの国旗の色と同じで
奏者は 体全体を使って ティンパニーを打ち鳴らしている。
ばちは まるで頭を打ち叩いているようでもあり、流血しているようにも見える』
との衝撃的な解釈を されていました。
その1940年 6月29日、
クレーはこの世を去りました。
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