各種記録


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☆『青森県史』資料編近現代4の紹介(2008,8,21,元原稿は2004.9.26)
(この原稿は『陸奥新報』に寄稿したものであり、一部改稿したものである。なお、『青森県史』資料編近現代4の紹介記事は他にもあったが、ここでは小岩執筆分のみを掲載した。)

 資料編近現代4「昭和恐慌から「北の要塞」へ」は、第2次大戦以前の不況期から戦時体制が進んでいく時期の資料を集めている。この時期は今から6,70年前のことであり、一部の県民にとっては身近に体験した出来事が記録されている巻である。
 この時期には県民生活が統制され、物資が欠乏していったが、この巻には、その経過を示す資料がいくつか収録されている(第九章第二節)。その一つが燃料統制に関する各業者の意向についてのものである。ここでいう燃料はガソリンと重油のことで、これを使用するのは輸送業者タクシー業者などであった。

 昭和13年5月に、政府はガソリンや重油の統制を始め、販売は切符によるものとし、また、タクシーやトラックについて、1日当たりの使用量を割り当てた。購入する業者は、切符を添えて購入しなければならなくなったのである。こうした措置がとられてからほぼ一月後に、青森県の小河正儀知事は県内の関係各業者の声を集め、内務大臣、商工大臣らに陳情を行った。その陳情書に集められた県民の声が、この巻に収録されている。

 まず、ガソリン販売業者の意見では、弘前市の業者は、燃料の統制をやむをえないこととしながら、1年足らずの戦争で統制問題がおこることは残念だとし、運賃の上昇を予想している。また、大鰐町の業者は、販売手続きが面倒になり、販売量や利益が減ったと述べている。意見を寄せている販売業者のなかには七戸町の盛田喜平治のように高名な名望家もあったが、その意見も、売り上げが減り、また仕入れに敏速に応じてもらえなくなったということである。

 ガソリン消費者の意見は、統制と切符制が仕事を困難にしていることを述べているものが多い。弘前乗合自動車会社の社長である朝来直は、ガソリン不足のため、比較的収入が少ない路線は運休同様となっており、また木炭瓦斯発生機を取り付ける考えであると述べた。黒石町の貨物運輸業者とタクシー業者も意見を寄せているが、いずれも貯蔵があるので、当面苦痛を感じないと述べている。これに対して、五所川原町のタクシー業者は、一日3ガロン半の割当では1月のうち10日は休みとなることなどの不安の声を寄せている。

 これらは、戦時経済が統制色を強める過程での、運輸業界などに関する出来事を示している。その後の展開は、一層の耐乏生活へと進んでいくのであるが、本巻の資料を読むことにより、事態の進行を理解することができる。これらから、戦争の影響がどのように個人に及ぶのかを読み取ることができるのである。