各種記録


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☆加藤幸三郎先生の訃報(2014.4.21)

  昨年末に加藤幸三郎先生に年賀状を送ったところ、奥様から通知があり、加藤先生は昨年中に逝去されたとのことであった。その後、インターネット等を検索してもこのことに関する記載は見あたらない。加藤先生は専修大学に長年奉職されたのであるが、大学以外でも、歴史学研究会、政治経済学・経済史学会をはじめ、歴史学や経済史関係の学会で活躍され、多くの業績を残された研究者である。そうした先生の生前のご活躍を思うとき、訃報として何の記載も見あたらないのは奇妙な気がする。ひょっとしたら、生前の先生が広報的なことを拒否されたのかもしれない。しかし、今は4月の後半であり、逝去後、大分日にちが経過しているので、この記事を書いても許されるのではないかと思い、一文を草した次第である。

 加藤先生には個人的にも相当お世話になった。何よりも秋田県内の調査や秋田近代史研究会の会合で顔を会わせ、学会の動向や近代史研究のあり方について示唆を受けた。そういう場合にはいつも隣に鈴木達郎氏がいたのだが、鈴木氏も既に故人となっている。秋田近代史研究会は田口勝一郎氏や高橋秀夫氏といった創設以来のメンバーが今も健在であり、加藤先生もいつまでもいるものだという印象を持っていたのだが、その思いは打ち砕かれてしまった。

 加藤先生は痩身で優しそうな風貌であり、学問的には寛容であったが、社会正義という点では筋が通っており、妥協がなかった。特に学術行政に関しては自説を曲げることがなく、衝突も辞さなかった。これは学術行政に関わる役職に就かれていた為でもあるように思われる。私などはそのような加藤先生の話を半信半疑で聞いているだけだった。

 加藤先生の元々の専門は紡績業の研究や財閥研究であったようだが、我々の前では金融機関や地主制の話をされることが多かった。これは秋田をフィールドとした際の研究テーマであった。また中国との関係も深く、頻繁に訪中していた。蔵書のかなりの部分を中国の大学に寄贈したとも聞いた。専修大学を退職された頃から、主立った学会に出席されることが少なくなり、面会の機会が減っていた。その温顔に接することができなくなったことは本当に残念である。