各種記録


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☆赤沢計真氏の訃報(2013.4.19)

  『歴史評論』5 月号に赤沢計真氏の訃報が掲載されているのを見て驚いた(近江吉明氏執筆)。数年前から赤沢氏の動向がわからず、気になっていた。赤沢氏は東京大学文学部西洋史学科のご出身であったのだが、大学院の経済史の演習にも参加され、大塚久雄氏や松田智雄氏、岡田与好氏らに信頼されていた。信越線の駅のホームでりんごを囓っていたら、松田先生が列車から降りてきて自治体史の仕事を依頼されたなどといっていた。また多くのアルバイトをしており、予備校の試験の採点の期限に遅れ、コンピューターに負けたといっていた。赤沢氏にとって不遇な時代が長く続いたが、新潟大学に職を得てから、論文や著作を爆発的に書き始めた。私が知っているのは不遇な時代の赤沢氏であり、その時期の私自身も将来が不安な大学院生であった。

 赤沢氏が経済の大学院によく顔をみせていたおかげで、私も知り合いになれたのだが、それは不遇な時代の赤沢氏には研究の拠点がなかったためでもあった。しかし、私見では、経済史の研究に関する限り、書物や資料の閲覧ができるのであれば、研究室などは不要である。原稿執筆は自宅でもできる。

 私が弘前大学に職を得たあとにも顔を合わせたが、赤沢氏は、新潟は東京に近く研究に便利であるのに対し、それまでの研究を続けるためには、弘前は遠くて困らないかなどと心配してくれた。それはその通りで、それまで利用していた資料は使えなくなり、私は研究テーマを変えなければならなかったが、そのこと自体は苦にならなかった。そもそも、大学院を終わりたてのころの私には、確固とした研究テーマなどはなく、何をすべきかがわからず、暗中模索の状態であった。

 その後、赤沢氏と会うのは学会に限られたが、多忙そうな赤沢氏と話をする機会は減っていき、大活躍する様子を遠くから見るだけになった。修業時代の先輩のご冥福を祈りたい。