各種記録


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☆二冊の入手困難な本(2012.10.30)

  先日、国会図書館に出かけ、二冊の入手困難な本を閲覧したのでここに紹介したい。一冊は『平泉泰博士論文集』である。この本は、平泉泰氏の主要な論文を複製し、二つ折りにして厚手の表紙を用いて製本したものであり、普通、博士論文等に見られる形式になっている。この本は非売品であるが、編者は平泉氏と研究上の交流が深かった西村肇氏であり、1982年の刊行である。その内容は化学工学に関わるプラントの設計、構成、周辺環境などについてのもので、専門外の私には理解が困難な面がある。研究の手法としてはオペレーションズリサーチの手法を多用し、数学的な展開が多く、これに調査結果がデータとして織り込まれている。また化学工業の工場立地やその展開と関わって環境問題にも議論が進んでおり、海洋の汚染問題も論じられている。今、著者が健在なら、こうした論点について議論ができたものと思われる。ところでなぜ平泉氏の本を読んだのかといえば、最近、文献を検索中に目に触れ、是非読んでみたいと思ったことが理由であるが、もう一つの理由は平泉氏と個人的に面識があったからである。その面識とは寮の先輩であるということである。私は大学3年から大学院1年までの3年間東京大学豊島寮の寮生であった。そのときに同じ寮に住んでいた先輩の一人が平泉氏であり、食堂などでよく顔を合わせていた。平泉氏は大学院生であったのだが、寮において、寮生の研究面でのリーダーであり、その呼びかけによって寮内に、各自の研究を紹介する研究会が発足した。発表は卒論の内容などであり、若輩の私は聞いているだけだった。発表を楽しげに聞いていたその温顔は今でも記憶に残っている。

 その後私は退寮し、大学院を終えて弘前大学に職を得たが、数年後、弘前の町中で平泉氏逝去のニュースに接して驚愕した。逝去の理由は分からなかったが、ショックは大きかった。本書には平泉氏逝去の理由が書かれており、自宅近くの駅近辺での交通事故による逝去であったという。東京大学工学部講師として活躍中の事故であった。事故が起こったのは1980年であったから、没後32年後の邂逅である。

 もう一冊の本は清光照夫『ある隻脚(片足)教授の一生』である。この本は近代文芸社から2002年に刊行されたが、現在品切れであるようである。清光氏は東京水産大学や明星大学で教鞭を執り、岩崎寿男氏との共著である『水産経済』や『水産政策』の著作がある研究者であるが、私見では、これらの著書は今でも熟読に値する名著である。私も東京海洋大学の大学院の授業で、教材として読んだことがある。こうした著作の基礎をどのようにして身につけたのかを知りたかったのが本書を読んだ理由である。しかしこの著書はそうした研究上のことよりは、研究者になるまでの著者の経歴が書かれている本であった。また著者は一時京都大学に在籍した後、東京大学経済学部に入学したとのことだが、京都で耳にした高名な研究者であった高田保馬氏の戦時中の言動に対する批判が強調して書かれている。なお、同氏は舞出長五郎教授門下であるということである。清光氏の研究上の遍歴については、本書よりも『明星大学経済学部紀要』23号所収の「わが経済学の自画像」に詳しい。清光氏は現在もお元気であるが、一度、東京海洋大学のキャンパスですれ違ったことがある。そのときは颯爽として歩かれていたので、隻脚であるなどとは全く気づかなかった。同じ学問分野の先達であり、その業績を乗り越えることは後進の課題なのだが、なまやさしいことではない。