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神宮球場・花田の引退試合

今まで夢をたくさん見させてくれてありがとう

2009年10月12日、僕は神宮球場にいた。
ひとりの男の最後の晴れ姿に、まるで家族のような心境で、騒めく気持ちを抑えられずにいた。
東京ヤクルトスワローズの神宮での最終戦。
クライマックスシリーズへの出場も決まり、対戦する読売ジャイアンツもシーズン3連覇を達成。
内海の10勝、巨人の90勝――見所は探せば色々あったかもしれない。
しかし、この日の主役は今年で現役を引退する僕の大親友、花田真人であった。
彼の姿をこの目に焼きつけるために、どんなスケジュールよりも優先して調整した。
彼からの戦力外通告を受けたという電話では、僕自身が取り乱してしまった。
ずっと応援してきただけに寂しい気持ちでいっぱいだった。しかし今日は笑って見届けてあげよう。
「今まで夢をたくさん見させてくれてありがとう」
最高の引退試合にしてもらいたいと、僕の心の中は切り替わっていた。
   
試合開始は18時。彼の愛娘、長女の美梨ちゃんの始球式で幕を開けた。
僕の席の周りはマー坊の身内の方々や、大学時代の監督・同級生、さらにはその知人に至るまで、ぎっしりと埋め尽くされている。
温かい拍手が送られ、和やかなスタートとなった。
   
2回の表、中央大学の後輩、慎之助が餞別の花火を上げる。
マー坊の引退を惜しむかのように、ゆっくりとダイヤモンドを回る慎之助。
その姿に言葉がつまった。
   
試合は3対2、ヤクルトが1点のリードを背負いながら回は進み7回表へ――。
前のイニング、ブルペンで投球練習をしている彼を見つけると、僕は気が気でなくなり、無心で近くまで駆け寄っていた。
「マー坊、がんばれよ」
とっさに金網越しに声をかけた。
小さくうなずく背番号24
このときすでに、僕は正気でいられなくなっていたのかもしれない。
   
――ヤクルトスワローズ、選手の交代をお知らせいたします。
ピッチャー、花田――。
   
スタンドは総立ち。全盛期を彷彿とさせる緊迫した場面での登板に、この日一番の声援が彼に向けられた。
今まで幾度となくあったシチュエーション。きっと彼も運命を感じたのではなかろうか。
野球の神様は本当に粋な台本を書いてくれる。
   
先頭打者の脇谷に対しての第1球。
――ズバン!!
「ストライク!」
137km/hの直球が、キャッチャーミットにおさまった。それだけで目頭が熱くなった。
2球目をセカンドゴロに打ち取り、現役最後の仕事を終えた。
マウンドに足を運ぶ高田監督とともにヤクルトナインも集まる。
――観衆はスタンディングオーベーション
ピッチャー交代を告げられ、ゆっくりとベンチに向かう視線の先には、花束を持った慎之助が待っていた。
大学時代にバッテリーを組み、共に1部復帰を果たした立役者どうしだ。そんな2人が何やら言葉を交わし、そして抱き合った。
マー坊は溢れる感情を抑えることができず、男泣きしている。袖で拭っても流れるものは止まらない。
きっと、色々なことがフラッシュバックしたのだろう。
生活の大半だった野球人生が終わる寂しさは、計り知れない。10年もプロでやっていればなおさらだ。
ドラフト5位――。決して即戦力として期待されていたわけではなかった。
しかし、なんとかしがみつこうとする意地と、ケガにも負けない精神力で、やりがいのある状況で投げさせてもらうまでになった。
そこには血の滲むような努力があった。ひと花咲かすことができるかどうかの世界で、本当にここまでよくがんばったと、自らに対するこの世で一番美しい涙だ。
   
「マー坊……マー坊……」
その様子を目の当たりにすると、涙がとめどなく頬をつたう。そして枯れ果てるまで泣いた。
「ホンマにお疲れさん。いっぱい夢見させてくれてありがとう。俺の中では、オマエが最高のピッチャーやで」
ベンチに引き上げる彼に、僕は心の中でそうつぶやいた。
   
試合は、マー坊の引退に花を添えるかのようにヤクルトが逆転勝ちした。
しばらくすると、選手全員がグラウンドに整列し、マー坊の引退セレモニーが行われた。
   
彼の家族が、涙で花束を贈呈する。肩を抱き合いうずくまる姿が、スタンド中の涙を誘った。
そしてヤクルト球団、関係者各位、監督、コーチ、選手、裏方さん、野球を教えてくださった指導者のみなさん、支えてくれた家族、そしてヤクルトスワローズファンに対して、丁寧に感謝の意を述べる。
時折声を震わせながら、彼の目には終始光るものがあった。
素晴らしい挨拶だった。これだけ多くの方々に拍手をもらえる人は、果たして何人のうちのひとりなのだろうか。
大学野球の故郷、ここ明治神宮球場に「花田」コールがいつまでもこだました。
   
「マー坊、いつまでも忘れへんで。俺の最高の親友、これからもよろしくな!」

番外編3につづく

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