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お母さんのお母さんが見つかった

信じていれば奇跡は起こるもんやね

ここで、大学時代に起きた奇跡の体験を紹介しよう。
   
1998年3月、僕は春季キャンプのため、高知に来ていた。
朝から晩まで野球漬けの毎日を過ごし、練習が終わったあとはクタクタになって、すぐにでも横になりたいという思いにかられていた。
そんなキャンプ中のある日、宿舎で落ち着いていると、突然僕の携帯電話が鳴った。父親からだった。
「もしもし、幸太か? 元気でやってるか?」
「うん、元気やで。どないしたん?」
「お、おう……今、話しても平気か?」
電話越しでもわかるぐらいに、余所余所しさが伝わってくる。
ただ事ではないと、すぐに察した。
そして次のひと言を耳にした途端、身体中に電流がほとばしった。
「あのな……お母さんのお母さん見つかったんやて……」
父親の声は震えていた。
僕も絶句して言葉が出ない。
「ホ、ホンマ? ど、どこで?」
「高知や。オマエが今いる高知におるねんて」
   
さっきまで考えていたこと、先輩としゃべっていた会話の内容、練習の疲れ、それら全てが一気に吹っ飛んだ。
心の中は収拾がつかなくなっている。あまりにも突然すぎて、どうしたらいいかわからない。
もちろん、このようなことに前触れなどあるわけがない。
戸籍が動いたことによって見つかったと後から聞かされたが、この場の動揺は止まらない。
「どないしよ、どないしよ……」
おばあちゃんに対する想いが、頭の中をぐるぐる回る。
会いたい。やっぱり会ってみたい。すぐにでも会いに行きたい」
そう思わずにはいられなかった。
   
「おばあちゃん、あのおばあちゃんやんな。お母さんのお母さんやんな。ずっと会いたかった、おばあちゃんが見つかったんやんな。よかったな、ホンマによかったな」
電話の相手は母親に代わっていた。鼻をすする音が受話器からも伝わってくる。
思い返せば子どもの頃からよく話を聞かされていた。
僕が有名になって、お母さんのお母さんを探したる
そういうふうに交わした約束があったからこそ、刑務所よりも厳しいといわれるPLの寮生活もがんばれた
もしそれがなかったら、甲子園への道を諦め、今頃全く別の人生を歩んでいたかもしれない。
   
「僕、会いに行ってええやろ? ひとりで行ってええか?」
行くなと言われるはずはなかった。
365日のうち、高知にいるのはせいぜい14日間がいいところ。
中央大学のキャンプが別の場所で行われていたならば、会いたくても会いに行けない。
なんというタイミングだろうか。
運命に導かれているとしか考えられなかった。
   
翌日、これもたまたまだったが、唯一のキャンプ中の休みを利用して、僕はおばあちゃんに会いに行った。
タクシーに乗り、住所が書かれたメモ用紙を握りしめ、まるで幼い頃に戻ったかのように色々な想像を膨らませる。
「どんな顔してんねやろ……」
「会ったらどんな感じになるんやろ……」
高鳴る鼓動は、抑えられない。
緊張を紛らわせるために、運転手さんにも必要以上に話しかけてしまうほどだった。
   
しばらくすると、おばあちゃんの住むアパートの前で車が止まった。
「着きましたよ」
辺りを見渡すと、都会には見られない落ち着いた風景が広がっている。
部屋の前で大きく息を吸い込み、そしてインターホンを押した。
「おばあちゃん?」
「幸太くん?」
   
――感動の初対面だった。
家にあがり、炬燵の中に脚を入れ、お菓子を食べながら色々な話をした。
なぜ、おばあちゃんは、僕の母を残して出て行ったのか。帰りたくなるときは、なかったか。おじいちゃんが亡くなったのを知っているか……。
聞きたいことは山ほどあった
でも、おばあちゃんの顔を見たら、もうそれだけでよかった
これは僕が聞くべきことではない。
おばあちゃんにとって、僕は孫だ。きっとおばあちゃんだって嬉しいに違いない。
   
「ずっと会いたかったよ。一生会われへんと思ってた。生きててくれてありがとう」
「ごめんね……ホンマにごめんね……」
ひたすら謝り、目を赤くするおばあちゃん。僕の頬にも、涙が伝わり落ちた。
   
「僕な、小さい頃にお母さんと約束してん。甲子園行って有名になって、お母さんのお母さん探したるって。甲子園行くのも夢やったけど、おばあちゃんに会うのが一番の夢やったんやで」
ちゃんと伝えられた。これだけは伝えたかった。
   
4年前、僕の姿をおばあちゃんはテレビで観ていたそうだ。
稲荷という珍しい名前、ましてや自身が住んでいた大阪の高校
僕の父親のことは、娘である母親と交際していた頃から知っていたらしく、まさか結婚しているとは思ってなかったようだ。
ましてや孫だなんて、気づくはずもない。
それでも、僕にとっては観てくれていただけでも十分だ。
野球をやっていてよかったと思った。
たわいもない会話が続き、時間はあっという間に過ぎていった。
「そろそろ行くわ。今度は絶対大阪で会おな」
再び会うことを誓い、アパートをあとにした。
   
帰りの車中、変わりゆく景色を眺めながら想いにふける。
僕は今日まで、おばあちゃんの顔を見たことがなかった。
まだ見ぬ姿に想像を膨らませ、「会いたい」というよりかは「会ってみたい」といった方が正しい表現だったかもしれない。
そんな僕でさえ気持ちを抑えることができなかったというのに、母親はどうなってしまうのだろうか。
絶望の毎日を過ごし、育ててくれた母との30年ぶりの再会……それを母親の立場で考えると涙が止まらなくなってきた。
   
「神様、ありがとう。これで思い残すことは何もない。信じていれば奇跡は起こるもんやね。ホンマにありがとう」
一生忘れられない日になった。

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