トップページ

東京ヤクルト・花田の引退

ようがんばった、おつかれさん

一本の電話が鳴った。
東京ヤクルトスワローズ、花田真人からだった。
「今日、球団から戦力外通告された。今まで応援ありがとう。苦しいときを知ってるオマエに、一番に報告したかった……」
プロの世界に飛び込んで、足掛け10年
主に中継ぎで活躍し、重ねた白星は10
2006年にはセットアッパーとして51試合に登板、勝ちゲームを任され、入団してから最高の成績を残した。
近年は肩や腰などに故障をかかえ、満足に体を動かすことができなくなっていた。
   
彼との付き合いは長い。僕が間違いなく親友と呼べる奴だ。
互いに認め合い、お酒を飲みながら野球について熱く語った。今でも定期的に食事をするなど、交流を続けている。
野球を始めた頃からピッチャーとして活躍し、柳川高校時代には甲子園に出場。3回戦の敦賀気比戦では、延長15回を1人で投げ切り、一躍甲子園の星になった。
その後、直接プロには行かず、中央大学に進学。しかし、ピッチャー1本で過ごしてきた代償は大きく、大学に来たときはすでに万全の状態ではなかった。
人一倍の努力家で、彼より練習する人は見たことがない。全体練習を終えたあとに黙々とランニングを繰り返す。
練習は嘘をつかない
彼にはこの言葉がぴったりとはまる。だから、努力をしない選手に負けると、感情をあらわにして悔しがった。
大学時代は持病の肩痛や肘痛に悩まされ、投げたいのに投げられない日々が度々訪れた。
ピッチャーにとって、投げられないほど虚しいことはない。
リーグ戦では自らの故障をおしてまで、チームのために投げ続けた。
そのせいで、彼の肘は真っ直ぐに伸びない。
それでもマウンドに向かう一本気な姿に、心を打たれたシーンが何度もあった。
まさに満身創痍、骨身を削って野球に打ち込んできたのだ。
そんな彼が今年で引退する。
「ホンマにお疲れさん。大学時代を思うと、正直ここまでできるとは思わんかった。ようがんばった……オマエの努力は誰に認められんくてもこの俺が認めたる……ホンマにようがんばったで………」
   
最後のほうは、涙がこみ上げてきて、言葉につまってしまった。
彼の一番辛い時期を間近で見てきただけに、僕にとっても想いは大きい。
野球を辞める虚しさは僕にもよくわかる。ましてや自分の意志で辞めるのではないから、彼のことを思うと心が痛む。
プロ野球選手という肩書きはなくなるけれども、これから始まる第2の人生を心から応援したいと思う。
そしてこの先何があっても彼との関係は一生変わらないだろう。
僕らは親友どうしなのだから。

番外編2につづく

トップページ

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。