1999年9月、秋のリーグ戦が開幕した。
大学生活最後のシーズンを神宮球場で戦えるのは、幸せなことだ。
まるで知らない世界に足を踏み入れたかのような心境での入場行進。東都では前のシーズンの成績順で入場する。
今まではどんなにがんばっても7番目が最前列だったが、今回は6番目に行進できた。
「さあ、いよいよ開幕や。思う存分暴れるで!」
威勢だけは誰にも負けない。めざすは優勝。
僕らの戦いが今始まった。
第1節、開会式直後の初戦は日本大学だった。
2部時代には4シーズンにわたって対戦した経験がある。かつては中央・専修と並び、「東都3強」と呼ばれ、古くからしのぎを削ってきた。
絶対的エース・吉野(大宮東/阪神→オリックス)の活躍で、名門復活を予感させる。1年生ながらパンチ力がある村田修一(東福岡/横浜)、甲子園でも苦戦したリードオフマン・尾形(日大藤沢/ホンダ→広島)など、タレントは豊富だ。
おもな出身のプロ野球選手は、真中(宇都宮学園/元ヤクルト)、落合英(作新学院/元中日)、佐藤義則(函館有斗/元オリックス)、和田(我孫子/元阪神)、舘山(日大藤沢/ヤクルト)、清水直(報徳学園/東芝→千葉ロッテ)、北川(大宮東/阪神→近鉄→オリックス)、那須野(駒場学園/横浜)、篠田(前橋商/広島)などである。
そして、中央大学にとって痛かったのは、翌2000年のシドニーオリンピックの強化選手で、慎之助が日本代表に召集されていたことだ。
攻守ともに精神的支柱である彼を欠いた状態で臨まなくてはならなくなった。
1回日大の攻撃、いきなり先頭の谷本(3年、PL学園)が2塁打を放ち、セカンドキャンバス上で派手なガッツポーズを作った。
確実に1点を先制され、3回にも連打から3失点。いきなり出鼻をくじかれ、序盤で4対0と劣勢に立たされた。
「おいおいマジかい……」
神宮球場の雰囲気、日本大学の気迫、僕らは完全に飲まれていた。心の準備が全く間に合ってなかったのだ。
いつも自分たちのリズムで試合が進むとは限らない。
リーグ戦そのものの流れを左右するといっても過言ではないこの大事な立ち上がりでの失点は、絶対にあたえてはいけなかった。
相手は2部で戦ったとはいえ、春に1部で3位になっている。
試合の入り方が、あまりにも不用意すぎてしまった。
圧巻だったのは、吉野のピッチングだ。コントロールが抜群によく、スタミナもある。力いっぱい投げている感じはしないのだが、ボールにはキレがある。スライダーもいい。
中央打線は為す術がなく、9回までゼロ行進を並べてしまった。
一方、花田も4回以降は立ち直り、失点は許さなかったものの、時すでに遅し。
僕も安打を放ったが、得点には結びつかず、4対0の完敗を喫した。
続く第2戦。
こちらも日本大学の左腕・加藤に抑えられ、なかなか攻略することができない。
中央も古岡が力投したが、ワンチャンスをものにされ、2対1の惜敗。
いきなり勝ち点を落とし、東都1部リーグの洗礼を受けることになった。
「これが1部か。簡単には勝たしてくれへんな。あと全部勝てば優勝できる。来週からまた仕切り直しや」
そう切り替えるしかなかった。
このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。